貴方は【蝶】を知らない

鳥兎子

貴方は【蝶】を知らない


 私はグラス一杯の『ジュース』を飲む。

 

 ――正直もういらん!!!

 

 けれどもしつこいくらいに私は飲む。ピンクグレープフルーツジュースでたぷたぷのお腹を腹筋で引き締めながら体型キープしているのは、きちんと意味がございます。


「もう無いじゃん、聖蝶せいら。次の『酒』頼みなよ」


 デロデロに酔っ払った赤ら顔のオッサンと密着している私は、『源氏名』を被りニコリと頷く。やったね、本日のドリンク、五杯目だよ♡ まぁ、私が貰えるのは一杯あたり千円なんだがね……はぁ。私の金にならん本物の酒ボトルじゃないだけ、まだ良いか。


「お願いしまぁ―すっ! 」


 ボーイを呼んだ隙に。あら、またオッサンの手が……明るい灰みの青紫デイドリームのタイトスカートの太腿の内に……伸びてきた。

 

 またですか……。ヌーブラで盛りに盛ったりきさくを、やや青みの白スノーホワイトの薔薇レーストップスで自慢する私には、羞恥などあんま無いけど流石にしつこいと思うよ。大丈夫、必殺☆奥の手がございますから。


 ――すっ……とオッサンの手を

 

 すると、なんということでしょう……!

 騙されたオッサンは、専門学生キャバ嬢の可愛いボディタッチにより防御ガードされたのでした。嬉しくも物足りない顔だね、分かるよ、だが諦めたまえ。


「聖蝶は……夜の蝶だから……? 」

 

 突然切なげにボソッと何を言い出すかね、酔っ払ったオッサン。そんなのこの店に入って来た時点でお分かりだろ。と思ったがオッサンは『酒』の横の、私が渡した名刺を取る。


「ああ、源氏名の由来の事? 半分正解かな」


 由来はパッと見、単純。しかし、もう半分の由来は『Club Arcanaクラブ アルカナ』では語らない。何故なら、オッサン達もボーイも他のキャバ嬢も理解し難いだろうから。引かれると、仕事にならんし面倒くさい。


「もう半分は? 」


 切ない望みを託して問うてきたオッサンに、やはり私は『秘密♡ また今度ね』と締めくくったのであった。


「聖蝶さん、お願いします――」

 

 ボーイが私を呼び戻す。オッサン、指名二回延長ありあとやした! 本日¥35,000! チャリンッ。学生バイトは、もうお帰りの時間である。



 やったね、解放っっ!!!

 


 コンビニのおでんがどーしても食べたくなった私は、ボーイを口任せに説得し、途中で送りの車を返してしまった。アパート近いし、待たせるの悪いと思って。


 ルンルンと土産おでんをぶら下げて油断した私は、コンビニから着いてきた見知らぬ男に気づかなかったのだ。


 ――気配にようやく気づいた私は振り返る!! 街灯なんて無い真っ暗な道。漆黒の揺らめく細い人影に、私の身体は氷漬けになる。真っ暗過ぎて


 誰も通らぬ夜中。本当の恐怖に晒された時。人は叫ぶ事が出来ないんだと私は知る。。事実だけが降りてきた時、私の心臓に到達したのは【包丁】。

 

 ――では無く、男の指先。


 癖毛の一房が視界を過ぎる。どうやら、オッサンでは無い。昼間見たら普通にイケメンであろう男は、硬直した私の胸ごと アスファルトの道路に押し倒した! 混乱は衝撃を吸収し、幸運にもたまごは割れないっ!

 

〖 馬乗りになったのはテンパ男! 仕事帰りの私に、欲情……もとい、惚れやがった軟弱な若者である〗


 仕事せんとうモードで無い私は貧乳だけど、マニアックですか? と冷静な自分を、既に逆立てられた恐怖が掻き消した!!


「キャァァアアアアッ!!! 」

 ※叫び声は一部、可愛く修正しております。


 がらんどうの夜の街。体温を抱いてくれる、ざらざらのアスファルトだけが私の味方。響き渡った悲鳴に、テンパ男の方が恐怖を覚えたらしい。弾かれたように左の道路へ逃走を開始した!! 綺麗に走る後ろ姿が、気が抜ける程間抜けだ。

 

 ヤババ……こんちくしょう、逃げんなコラッ!とヒール投げるべきだった? おい、変質者イケメン! その顔があるなら、正規の方法で女を得ろよ!!

 

 しかし、私は恐怖と悲鳴の余韻で動けない。私が本当に怖かったのは……


【 眠る街の住人が、殺されるかもしれなかった私の叫び声に誰一人として起きて来なかった事である 】

 


 ――さて、息も絶え絶え。



 主観では、九死に一生を得た。私はアパートに転がり込む。足はガタガタ。心臓バクバクで、私は玄関にズルリと座り込んだ。今後、背後に誰かが立つのには耐えられる気がしない。これが恐らく、PTSD――トラウマの回避症状ってヤツになるのか……。

 

「やっば、途中でコンビニで下ろして貰わないで、真っ直ぐ送りの車で家に返して貰えば良かった!! ……ガチ殺されるかと思った」


 空っぽのアパートは、鍵を閉めても落ち着かない。LINE、LINE、LINE……。繋がれるSNSには、こういう時にこそ縋るべきっ!


『聖蝶……バカじゃんw 食意地張るからw』

『自分が仮にも商品だって自覚ある? 商品管理を怠った、そのボーイもボーイだけどね』

『残念w イケメン童貞に喰わせてやれば良かったのに……聖蝶ちゃんのワンナイトラブ♡』


「クソクソクソッ! みんな全然深刻に考えてない!! 私が消えてもいいのかよっ! 」


 仕事道具スマホをベッドにぶん投げる! これだから、外面ばかり演じて本当の私を知らない奴らは!


 ――世界は、やはり外面で語るべきでは無いな。


 熱を手放した私は、部屋の隅を隠蔽する遮光布に触れる。この下には、蒐集しゅうしゅうした死体がガラスケースの中のひつぎで眠っている。だけど、決して犯罪では無い。彼らの腹をちぎっておいて、良くもまぁ人間様は罪悪感を持たないものだ。吸い込まれるように秘匿をめくる私も、彼らに魅せられてしまった一人なのだけど。


 

【 存在しない色は、青の哀悼。交差する槍先のように洗練された翅は、艶ある青藍せいらんのドレープにて、氷山の陰影を彫刻する。水平線の淡い緑みの空色ホライズンブルーの鱗粉は重ね重ね、 まだ見ぬ世界線の層で魅了す。今は、蛋白石ボルダーオパールの波打ち際。時渡りの羽ばたきに橋を渡す点描の帯は、静寂の白真珠の微笑み 】

 

『  M.rhetenor helena

    Satipo Junin

     PERU

    JUN.2015    』


 

 蝶の腹の油分は、翅を変色させてしまう。世界で一番美しい蝶と呼ばれる『ヘレナモルフォ』ならば尚更、腹は取り除くべきなのだろう。矛盾だが、私は虫が好きじゃない。ましてや体液が滲む醜い芋虫は。だから美しい死体に、虫の名残りである腹は要らない。


 

【 双晶ツインの太陽は、後付けの意匠。駒鳥ロビン橙黄色とうおうしょくが、卵殻のティファニーブルーをいだく第一の太陽。貴婦人の翅先にステッチされるのは、黒檀こくたん付け袖ブリオー


 第二の太陽は、勿忘草色わすれなぐさいろを黒檀の夜空に捧げた騎士。貴婦人から兜飾りブリオーを受け取った騎士は、月白げっぱくの涙を果たせぬ再会に散らした 】


『  Morpho telemachus

    telemachus

     (Brown)

    Barammia

   Guyana 04.2007   』


『 Morpho cisseis cisseis Felder

     Samtarem

     BRAZILL

     Hay.2007      』


 

 『ペルセウスタイヨウモルフォ』と『アオタイヨウモルフォ』の標本は、美しい鉱石と並べるに値する。極限まで薄い蝶の翅は、湿気と虫が天敵だ。隙間なく密閉されたドイツ標本箱の中に、乾燥剤と防虫剤は切らせない。死んだ虫の天敵が虫だなんて、可笑しくて笑ってしまうけどね。食物連鎖なんてそんな物か。鑑賞者の私は、『美』を喰らっているのだから。


 けれど、彼らの翅の裏を知っているか?


 完璧に美しい物だったならば、標本箱に背景は要らない。だけど私は醜さも合わせて喰らいたい時もあるから、両面ガラスの標本箱を選ぶ時もある。



【 麝香猫の五対の目は不吉に睨む。忌まわしいと切り捨てる刹那、時渡りの痕跡を知る。郷愁ノスタルジックな空を切り裂いた黒鳶くろとびを盲信する理由は、捕食者から逃れる為に上位の捕食者を演じる為だ 】

 

『  M.rhetenor helena

    Satipo Junin

     PERU

    JUN.2015    』


 

 針に突き刺された彼らはあまりに軽い。くるくる、と時折標本箱で安定せずに回ってしまう。捕食者わたしから、こっそり逃げ出そうとしているようで可笑しい。鱗粉が剥がれてしまうから、本当は笑えないのだけれど。


 

「ほんとみんな表と裏ばっかり。だけどその安寧と残酷さのバランスの快楽が、生きている実感を聖蝶わたしに与えてくれる」



 私は美しい『表』を被るのを止めない。疲れ果てたら、こうして『美』と『醜』を喰らう『裏』の私になればいい。


 ――そろそろ、朝が来る。陽の光は死体には天敵だ。美しい翅が色焼けしてしまうから。


 私は遮光布を下ろした。熟睡するタイミングを逃した私は仮眠しよう。蝶であることは、昼の奴らには内緒だから……秘匿がバレないように、日付が変わった『今日』も上手くひらりと舞う予定だ。

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貴方は【蝶】を知らない 鳥兎子 @totoko3927

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