貴方は【蝶】を知らない
鳥兎子
貴方は【蝶】を知らない
私はグラス一杯の『ジュース』を飲む。
――正直もういらん!!!
けれどもしつこいくらいに私は飲む。ピンクグレープフルーツジュースでたぷたぷのお腹を腹筋で引き締めながら体型キープしているのは、きちんと意味がございます。
「もう無いじゃん、
デロデロに酔っ払った赤ら顔のオッサンと密着している私は、『源氏名』を被りニコリと頷く。やったね、本日の
「お願いしまぁ―すっ! 」
ボーイを呼んだ隙に。あら、またオッサンの手が……
またですか……。ヌーブラで盛りに盛った
――すっ……とオッサンの手を
すると、なんということでしょう……!
騙されたオッサンは、専門学生キャバ嬢の可愛いボディタッチにより
「聖蝶は……夜の蝶だから……? 」
突然切なげにボソッと何を言い出すかね、酔っ払ったオッサン。そんなのこの店に入って来た時点でお分かりだろ。と思ったがオッサンは『酒』の横の、私が渡した名刺を取る。
「ああ、源氏名の由来の事? 半分正解かな」
由来はパッと見、単純。しかし、もう半分の由来は『
「もう半分は? 」
切ない望みを託して問うてきたオッサンに、やはり私は『秘密♡ また今度ね』と締めくくったのであった。
「聖蝶さん、お願いします――」
ボーイが私を呼び戻す。オッサン、指名二回延長ありあとやした! 本日¥35,000! チャリンッ。学生バイトは、もうお帰りの時間である。
やったね、解放っっ!!!
コンビニのおでんがどーしても食べたくなった私は、ボーイを口任せに説得し、途中で送りの車を返してしまった。アパート近いし、待たせるの悪いと思って。
ルンルンと
――気配にようやく気づいた私は振り返る!! 街灯なんて無い真っ暗な道。漆黒の揺らめく細い人影に、私の身体は氷漬けになる。真っ暗過ぎて
誰も通らぬ夜中。本当の恐怖に晒された時。人は叫ぶ事が出来ないんだと私は知る。
――では無く、男の指先。
癖毛の一房が視界を過ぎる。どうやら、
〖 馬乗りになったのはテンパ男! 仕事帰りの私に、欲情……もとい、惚れやがった軟弱な若者である〗
「キャァァアアアアッ!!! 」
※叫び声は一部、可愛く修正しております。
がらんどうの夜の街。体温を抱いてくれる、ざらざらのアスファルトだけが私の味方。響き渡った悲鳴に、テンパ男の方が恐怖を覚えたらしい。弾かれたように左の道路へ逃走を開始した!! 綺麗に走る後ろ姿が、気が抜ける程間抜けだ。
ヤババ……こんちくしょう、逃げんなコラッ!とヒール投げるべきだった? おい、
しかし、私は恐怖と悲鳴の余韻で動けない。私が本当に怖かったのは……
【 眠る街の住人が、殺されるかもしれなかった私の叫び声に誰一人として起きて来なかった事である 】
――さて、息も絶え絶え。
主観では、九死に一生を得た。私はアパートに転がり込む。足はガタガタ。心臓バクバクで、私は玄関にズルリと座り込んだ。今後、背後に誰かが立つのには耐えられる気がしない。これが恐らく、PTSD――トラウマの回避症状ってヤツになるのか……。
「やっば、途中でコンビニで下ろして貰わないで、真っ直ぐ送りの車で家に返して貰えば良かった!! ……ガチ殺されるかと思った」
空っぽのアパートは、鍵を閉めても落ち着かない。LINE、LINE、LINE……。繋がれるSNSには、こういう時にこそ縋るべきっ!
『聖蝶……バカじゃんw 食意地張るからw』
『自分が仮にも商品だって自覚ある? 商品管理を怠った、そのボーイもボーイだけどね』
『残念w イケメン童貞に喰わせてやれば良かったのに……聖蝶ちゃんのワンナイトラブ♡』
「クソクソクソッ! みんな全然深刻に考えてない!! 私が消えてもいいのかよっ! 」
――世界は、やはり外面で語るべきでは無いな。
熱を手放した私は、部屋の隅を隠蔽する遮光布に触れる。この下には、
【 存在しない色は、青の哀悼。交差する槍先のように洗練された翅は、艶ある
『 M.rhetenor helena
Satipo Junin
PERU
JUN.2015 』
蝶の腹の油分は、翅を変色させてしまう。世界で一番美しい蝶と呼ばれる『ヘレナモルフォ』ならば尚更、腹は取り除くべきなのだろう。矛盾だが、私は虫が好きじゃない。ましてや体液が滲む醜い芋虫は。だから美しい死体に、虫の名残りである腹は要らない。
【
第二の太陽は、
『 Morpho telemachus
telemachus
(Brown)
Barammia
Guyana 04.2007 』
『 Morpho cisseis cisseis Felder
Samtarem
BRAZILL
Hay.2007 』
『ペルセウスタイヨウモルフォ』と『アオタイヨウモルフォ』の標本は、美しい鉱石と並べるに値する。極限まで薄い蝶の翅は、湿気と虫が天敵だ。隙間なく密閉されたドイツ標本箱の中に、乾燥剤と防虫剤は切らせない。死んだ虫の天敵が虫だなんて、可笑しくて笑ってしまうけどね。食物連鎖なんてそんな物か。鑑賞者の私は、『美』を喰らっているのだから。
けれど、彼らの翅の裏を知っているか?
完璧に美しい物だったならば、標本箱に背景は要らない。だけど私は醜さも合わせて喰らいたい時もあるから、両面ガラスの標本箱を選ぶ時もある。
【 麝香猫の五対の目は不吉に睨む。忌まわしいと切り捨てる刹那、時渡りの痕跡を知る。
『 M.rhetenor helena
Satipo Junin
PERU
JUN.2015 』
針に突き刺された彼らはあまりに軽い。くるくる、と時折標本箱で安定せずに回ってしまう。
「ほんとみんな表と裏ばっかり。だけどその安寧と残酷さのバランスの快楽が、生きている実感を
私は美しい『表』を被るのを止めない。疲れ果てたら、こうして『美』と『醜』を喰らう『裏』の私になればいい。
――そろそろ、朝が来る。陽の光は死体には天敵だ。美しい翅が色焼けしてしまうから。
私は遮光布を下ろした。熟睡するタイミングを逃した私は仮眠しよう。蝶であることは、昼の奴らには内緒だから……秘匿がバレないように、日付が変わった『今日』も上手くひらりと舞う予定だ。
貴方は【蝶】を知らない 鳥兎子 @totoko3927
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます