後編
最近の天気は曇りがちだった。呪いをかけられて別人のように変わってしまったお姫様のことを嘆くように、彼女の象徴である太陽は雲の向こう側から顔を出さない日々が続き、国全体にどこか暗い雰囲気が漂っている。
暗い雰囲気をものともしないのは『太陽』と呼ばれるお姫様くらいだった。
『あの日』からずっと、ソレーチェは片時もモネの傍から離れようとはせず、恋する乙女のような表情でモネに常に寄り添っていた。
対するモネの顔は死んでいたけれど。
王宮の人間たちもそんな二人を見かねてモネからソレーチェを引き離そうとしたが、ソレーチェは頑として周囲の声には耳を貸さずにモネの傍にいつづけた。いつしか周囲も引き離すことを諦めて、遠目から見守っている。
お姫様を何とかしてくれるかもしれないと周りの人間に初めて心から期待していたが惨敗という結果に、モネは周囲への期待を早々に諦めて、自分の力で何がなんでも呪いを解こうと頑張った。最新の魔法から、古代の魔法までありとあらゆる魔法を探った。だが、
「何で解呪できないんだ!?」
効果がありそうな魔法を片端から使ってみたが、呪いを解くことができなかった。
今も絶望しているモネの横でお姫様はにこにこと無邪気に微笑んでいる。その姿は傍から見ればきっと可愛らしい姿なのだろう、けれど、モネの目には死に神が笑っているように見えた。
呪い殺そうとしたというのに、何故こうなってしまったのか――もはや絶望しかなかった。
「もう自分の魔法も役に立たないのか……」
あれだけ必死になって魔法を得たというのに、かつての努力や成果がもはや信じられない。解呪できるという自信があった自分自身すら信じられない。魔法が通用しないとは、自分の予想よりも絶望するものだった。
モネが持っているのは魔法だけで、モネを形作っているのもまた魔法だったから。
――ソレーチェがいるだけで苦しかった。
愛を信じていない自分に、彼女が愛を吐くだけで死にそうになる。
あんなにも険悪な仲だったというのに、こんなにも歪んでしまった。まるで呪われたのは、自分の方のようにさえ思える。
彼女のどこが『太陽』なのだ。
人々の心を明るく照らすのではなかったのか。
呪いにより狂った『太陽』にまさに焼き殺されそうになっている。
「生き地獄だ」
ぽつり、と呟いても、彼女はにこにこ微笑みながら首を傾げるだけで。ソレーチェはモネから一向に離れようとはしなかった。
もはや、生きるのもつらかった。
「……このまま苦しむくらいなら死にたい」
彼女が愛を囁くだけで自分が追い詰められていく。誰からも愛されない自分が、その常識が、普遍が壊されようとしている。
怖い。
苦しい。
この恐怖と苦痛は、ずっとこのまま続くのだろうか?
「嫌だ」
これがこれから先も続くと言うのなら、それは耐えられない。
「死にたい」
――死のう。
疲弊した心に、絶望はそう囁いた。
別に生きていることに対して未練などない。むしろ、このまま苦痛が続くというのであれば、いっそ死んだ方が楽だ。
そうと決まれば行動は早かった。
ソレーチェがメイドに呼ばれて自分から離れた隙に、その場から急いで離れて死に場所を探した。
きっと今の自分の姿は酷い有様だったのだろう。すれ違う誰もが眉を顰めていた。そればかりで、誰もモネに声をかける者は一人もいなかったが、それでよかった。
早く誰もいない場所で、一人になって死にたかった。
死に場所として選んだのは、王宮の敷地内にある森だった。
王宮の森は敷地の外れにあるため、いつも人気がない。王宮で死ぬのは普通であれば躊躇われるが、あいにく今は普通の状態ではない。そんなこと言っていられなかった。ここなら誰もいない。自分が死んだあと、この体はきっと森の獣たちが食ってくれるだろう。そうして自分はかれらの血肉となってともに生きるのだ。そう考えると、それはそれで素晴らしい考えだった。
ようやく森の中に入って、一人きり。
魔法使いは隠し持ってきたナイフを手に、ぼんやりとその剣身を見つめた。剣身に映る自分の顔は酷いものだった。生気の欠片もなく、まるで亡霊のような面持ちだ。
「死んでるのと変わらないな」
自嘲して、ナイフの切っ先を首に添える。深く突き刺せば、自分は簡単に死ねるのだ。
思い浮かぶのは――何もない。
思い出も何もない、このつまらなく、どうしようもなかった人生。
平凡ではなく普通ではなく、幸せというものと皆無の過去と、今、そして、未来。
それがようやく終わる。
とても、良いことだ。
ふと、お姫様が頭に浮かんだ。
自分を睨みつけるお姫様。
自分をうっとりと見つめるお姫様。
正反対の姿をしているけれど、彼女は同一人物。
「……そういえば、お姫様のこと全然知らないな」
剣呑な仲だったため、相手のことなんて知ろうとはしなかった。いがみ合うだけだった自分たち。お互いが嫌悪していたからどうしたって表情もまた険悪そのもので、だからこそお姫様が笑みを浮かべる姿は今思えばとても新鮮だった。
今は呪いの誤作用で、魔法使いが恐れる『愛』に溺れているが。
呪われた『愛』によって自分を愛するようになってしまった彼女。彼女はどんな人で、どんな性格で、どんな想いを抱いていたのか今となっては分からない。たとえソレーチェに質問したところで返ってくるのは、それこそ呪いによって惑わされた偽物の『答え』だろう。
まあ、死にゆく身としてはもうどうでもいいことだ。
さようならを告げる存在は、いない。
「逝ってきます」
とりあえず生まれ育ったこの世界からの旅立ちを告げた。
ぐっ、とナイフを握る手に力を込めて、切っ先を首へと押し込もうとした――その時だった。
「モネ!!」
呼び止められて振り返れば、そこには息を切らしたソレーチェがいた。美しい顔には怒りやら悲しみやら、ごちゃついている。それもまた新たに見る彼女の表情だった。
何故、こんな森の中に? いや、それよりも、よりによって死のうとしているところをソレーチェに見られてしまった。
「モネ、どうして!」
駆け寄ろうとするソレーチェに、モネはナイフを向ける。彼女の足は止まったが、視線はモネに縋っていた。
「お姫様、僕のことなんてどうでもいいだろ? 帰ってよ」
「放っておけないわ!」
帰らないと叫ぶソレーチェに、モネも叫んだ。
「僕は死にたいんだよ!」
「何でいきなり!? 意味が分からないわ!」
「君の『愛』がとても怖いんだ」
正直に告げれば、彼女はぴたりと固まる。
「僕は誰にも愛されたことがないんだ。愛されたこともあった。あったけど、それは僕を利用するための偽物の愛だったんだ。愛してるっていう奴に、ろくなやつはいない。愛なんて信じられない。だから、君の『愛』が怖い。信じられないし、辛くて死にたくなるんだ」
極度の人間嫌いの理由は、それだった。
自分の強大すぎる魔力のせいで多くの人が犠牲になった。孤児院に入れられる間――孤児院に入れられてからもモネは彼らに利用され続けた。愛に飢えた子供だったモネは『偽物』の愛に騙されて多くの悪事に手を染めて、そして、いつも最終的に裏切られた。
何度も何度も裏切られて――いつしか人が信じられなくなった。
愛されることが、怖くなった。
「……そう」
彼女は俯いた。泣いたのだろうか、とソレーチェを見守っていると、彼女はぱっと顔を上げた。その目には力強い光が宿っていて、モネは目を奪われた。何でそんな目をするのだろう、と。
「辛い過去を経験したのね。そりゃそうよ、愛し愛される人もいれば、あなたみたいにすべてが偽物だったということもあるでしょう。でも私だけは違う。私は本気よ。私はあなたを愛しているわ。心の底から。私の命を懸けても。でも、それを信じるも信じないもあなたの勝手。これを聞いて、あなたが拒絶しようと、私はあなたのことを愛してるわ。あなたが死ぬというのなら私も死ぬ。あなたを一人ぼっちにはさせない。怖いと泣きわめいても、私はあなたの傍にいてやるわ。これからも、ずっと」
――なんて強く、眩いんだろう。
呆然と彼女の言葉を聞いていたモネは、ソレーチェが鼻先が触れるほど近くにいることに数拍遅れて気付いた。同時にソレーチェが、モネの手にあったナイフを奪っていることにもさらに遅れて気付いた。
あ、と思った時にはもう遅い。
あろうことかお姫様は自分の首筋へとナイフの切っ先を向けた。
「先に逝くわね。待ってるわ」
――何を、言っているんだ?
モネよりも先に逝く?
待ってる?
『あなたが死ぬというのなら私も死ぬ』
もし、その言葉通りであるならお姫様は死ぬ――それはそれで良いことじゃないか。モネが死のうとしたのは、彼女がこの世界にいて、自分の傍にいて、愛など囁くからだ。
死んで、いなくなるのなら、それでいいじゃないか。
ナイフの鋭利な切っ先が、彼女の首筋の薄い皮膚へと突き立てられる。
ああ、本当に死のうとしている。
――嫌だ。
ソレーチェが本気で死のうとするのを見た瞬間、モネの体は無意識に動いた。
ソレーチェが持っていたナイフを叩き落として、モネは彼女の手首を掴む。衝動的に掴んだ手首を強引に引き寄せて、彼女の体を抱きしめた。
「モネ……?」
彼女の戸惑いが、耳をくすぐる。初めて人を抱きしめた。温かくて、柔らかくて、――すごく安心する。
「僕は、君が怖い」
「……」
「でも、君が死ぬのは、もっと怖い」
自分のことを思って死のうとした人なんて初めて見た。たとえ呪いの誤作用による偽りの『愛』でも、こんな温かい感情を向けられて――手放すことなんて、できるはずもなかった。
『愛』が怖かったんじゃない。
本当は、その『愛』を受け入れるのが怖かっただけだ。
それを受け入れた途端、突き放され、また、独りになってしまうのだろうと思っていたから。だから『愛』を受け入れることができなかった。
彼女から与えられる『愛』を見て見ぬふりして、受け入れようとしなかっただけだ。
「モネ、死ぬのやめる?」
「……うん」
そう、これは偽りの『愛』。
それに縋るなんて、どうかしている。
でも、偽物でもいいから、その『愛』を手に入れたかった。
彼女の呪いが解ける、その瞬間まで、騙されたかった。
自分はまだ、『愛』に飢えている。
「僕は、君の傍にいる」
自分は『愛』されかたった。
『月』は『太陽』が存在するからこそ輝ける。
「私も、ずっとあなたの傍にいるわ」
モネに抱きしめられたソレーチェはクスッと――妖艶に微笑んだ。
終
太陽と月の呪い愛 ましろ @mashiro_uni
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