太陽と月の呪い愛

ましろ

前編



 太陽の温かい光がすべてを包み込んで、緩やかな風がそっと寄り添う、そんな穏やかな昼下がり。


 こんな日は部屋にこもって魔導書を読み漁りたい気分になる。自分を取り巻くすべてのものを忘れて、魔導書に没頭することはとても幸せなことだった。


 現実から目を背けて幸福な夢を思い描いている魔法使いのモネの体に、この国一の美女といわれるお姫様のソレーチェがぴったりとくっついていた。

 柔らかくてほっそりとしている彼女の腕は、まるで逃がさないというようにモネの腕に絡みついている。そうしてモネを見つめると花が咲くような可憐な微笑みを浮かべて、


「モネ、大好きよ」


 そんなふうに愛を語りかけてきた。

 うっすらと紅潮した頬に、潤んだ瞳。上目遣いの視線は甘えるようでいて。全身全霊で、モネに擦り寄っている。


「……本当に何でこうなった?」


 この国の家臣たちは、呆然としている魔法使いの男と恋する乙女のような表情を浮かべるこの国のお姫様を交互に見て、ひたすらに困惑していた。どうしたらいいんだろう、と顔に書いてあるのを見て、自分こそどうしたらいいんだとモネは叫びたかった。


 この状況に一番困惑しているのは他でもない自分だ。


 なぜなら、


「僕はただお姫様を呪い殺したかっただけなのに」


 ぽつりとつぶやいた言葉は、空気に溶け込んで虚しく消えていく。


 モネは言葉通りに、ソレーチェを呪いで殺そうとしたのだ。

 その結果がこれというわけで。


 本当に、どうしてこうなったんだろう?




 ▶ ▶ ▶




 ――それは一週間前の出来事だった。


 ルフエヴァス王国のこの時期は比較的穏やかな気候が続く。今日も清々しいまでの快晴。輝く太陽の光が大地に降り注いで、王国で生きる人々を明るく照らしていた。けれど、晴れ渡った空の下では、この青空には似つかわしくない不穏さが漂っている。


 魔法使いルネとお姫様ソレーチェの日常は、いつもこうだった。


「本当にあなたは陰険で大嫌い」

「僕もうるさいことばかり言う君のことが大嫌いだ」


 お姫様と魔法使いという地位に壁はなく、顔を合わせた瞬間それが宿命と言わんばかりにお互い剣呑さを隠すこともなく挨拶抜きの暴言を叩きあう。


 お互いがお互いを嫌っていた。


 それは周知の事実であり、本人たちもそれを認識しているため、誰も二人を止める者はいない。


 どうしてそうなったのか?


 きっかけはモネの『人間嫌い』のせいだった。


 この国には『太陽』のお姫様と、『月』の魔法使いがいた。


『太陽』のお姫様はいつもにこにこと笑みを絶やさずに、分け隔てない優しさや子供にしては大人びた聡明さを持ち、その場にいるだけで人々の心を明るくする――そんな光のような存在の彼女は、この国の人々にとってまさに『太陽』そのものだった。


 対して『月』と呼ばれる存在の魔法使いのモネは、その存在自体が廃れてしまったこの国最後の魔法使い。

 かつてこの国は魔法使いの魔法と圧倒的な知識と知恵によって栄光を築き上げたのだが、国が発展したことにより魔法使いの力は徐々に衰退し、一人また一人と消えていった。

 魔法使いの師である大魔法使いが亡くなってからというもの、もともと『人間嫌い』だったモネのそれはさらに酷くなり、目が合っただけでも睨み付けられ、さらには声をかけようものなら聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられた。

 かつて栄光に輝いていた魔法使いという印象をかき消してしまうほどに、モネという存在は人々の心を不快に乱した。

 モネは闇夜に浮かぶ月――ただし、人を惑わす禍々しい『月』と呼ばれた。


『太陽』と『月』という正反対の性質と性格の二人。


 そんな二人の出会いは、まだ二人が幼い時。


 王様はソレーチェを、大魔法使いは後継者であるモネを連れて、顔合わせをしたのだ。国のさらなる発展のために、互いを支え合うパートナーとして認識させようとしたのだろう。当時の大人たちの目論見など知る由もなく、モネは好奇心に満ちた大きな瞳で見つめてくるお姫様をひたすらに警戒していた。


 ソレーチェはゆっくりとモネに歩み寄ると、


「こんにちは、お友達になってくれますか?」


 幼いお姫様は拙くも、王族らしく優雅に微笑んだ。愛らしい天使のような笑みを前にすれば、誰もが彼女の可愛らしさに心奪われるだろう。だが、幼いモネはそれを拒絶した。


「君、誰? にこにこして怖いから僕に近寄らないで」


 拒絶の言葉に、その場の空気が凍り付いたのは言うまでもなく。彼女はもちろんのこと、王様と大魔法使いまでも固まっていた。


 仕方がない。


 魔法使いはこの世に生を受けたときから、誰からも嫌われていたから。


 生まれた瞬間から強大な魔力を持っていたモネはその魔力を抑える術をまだ知らずに魔力を暴走させ多くの死傷者を出した。魔力暴走を起こした我が子を恐れた親は、まだ幼いモネを遠い孤児院へと置き去りにした。


 モネは孤児院にいれられたものの魔力のせいで当時の院長に利用され、さらには孤児院全体で虐待され、人への不信感を募らせていた。強大な魔力を有するモネを孤児院で見つけた大魔法使いは、虐待されているモネを孤児院から連れ出し、後継者として育て始めた。


 大魔法使いとモネの間には親子という愛情はなく、目的のためにお互いを利用するという人情の温かみからかけ離れたものだったのだ。ただ、この大魔法使いに出会わなかったらモネはここにはいなかっただろう。むしろ大魔法使いと出会うまでよく生きていられたものだった。


 ただ、この師もまた自分を利用としているということをわかっているため、自分を生かしてくれていたとしても感謝こそすれ信頼というのは全くなかった。


 信頼や愛とは無縁の過去。


 ――そんな人生を送ってきた魔法使いの自分は誰からも嫌われる。

 愛されることなんて、一切ない。


 そう思っていたモネは「友達になりたい」というソレーチェのことを到底受け入れられるはずもなく、警戒心をむき出しに拒絶したのだ。


 そこからだった。


 自分たちが顔を合わせる度に、憎まれ口を叩き合う仲になったのは。

 それはもう出会ってから数十年経っても続き、二人の間にある深まった溝を周囲も何とか改善しようとしたが、いつまで経っても修復されず、すでに諦められていた。


 でもそんな険悪な仲は、ある日突然終止符が打たれる。


 いつもの嫌悪感むき出しの罵り合いはいつにもまして過熱に苛烈になっていって、ソレーチェは言ってしまったのだ。


「王国最後の魔法使い? そんな古びた存在であるあなたがいたところでいったい何になるの?」


 その一言だった。


 自分にとって、それは『禁忌』の言葉。

 モネの存在意義への疑問と――心からの否定。


「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ!?」


 気付けばモネはソレーチェに怒鳴っていた。いつもは嫌味を返すはずの陰険な魔法使いが激高したことにソレーチェは目を見開いている。


『あなたがいたところでいったい何になるの?』


 それはモネにとっての禁忌の言葉であり、致命的な欠点だった。


 自分の存在意義?

 それこそ、自分がもっともわからないことだ。


 平和になっているこの王国には無用とされる魔法使いという存在。

 生まれたときから周囲に不幸を撒き散らした自分。

 意味もわからない、目的すらなく、ただ単調に無為に生きる日々。


 自分は一体何のために生きている?

 自分は一体何のために存在している?


 自分で自分をそう追い詰めるのは構わない。けれど、他人に――特に世間知らずでのほほんと生きているお姫様に言われたことに、モネは生まれてと初めてといっていいほどに憤激した。


 同時に、どす黒い感情が頭の中を、心を染め上げる。


 それは、確固たる殺意、だった。


「死んだ方がマシだと思える呪いをかけてやる」


 自分でも初めて聞く殺気に満ちた低い声色に、お姫様は初めて怯えた表情を見せた。少しだけ落ち着きを取り戻したものの、でも、ダメだ。到底、許せるものじゃない。


 そうして、怒りのあまりに我を忘れたモネはソレーチェに恐ろしい呪いをかけた。


「――――――――――!!!!」


 魔法使いの中で恐れられる、最悪と呼ばれる『呪い』。呪いをかけられた相手はどうなるかはわからない。どの文献にも呪いをかけられた相手は『最悪』な状況になるとしか綴られていなかった。


 そして、この呪文は相手だけではなく、呪いをかけた本人にも代償が与えられる。

 呪文を口にするだけでも体に精神に、そして魂にも大きな負担がかかる。実力と見合わなければ、呪いをかけたほうが死んでしまうのだ。


 何もすることもなく持て余した時間を禁書と呼ばれる魔導書に手を出していたのが良かった。


 こうして、憎い相手を呪い殺すことができるのだから。


 身体が軋む。精神が悲鳴を上げている。魂が崩壊する。モネという存在が、壊されてしまう。そんな激しい痛みと恐怖がこみ上げて、気付けば口から、鼻から血が伝っていた。


 苦しい。

 死んでしまうかもしれない。

 でも、このまま死にきれない。

 あのお姫様を呪い殺すまでは。


 モネという存在が崩壊しかけたとき、ようやく呪文を唱え終わった。モネの体はボロボロだったけれど、辛うじて生きていた。息も絶え絶えに霞む視界には、俯いたお姫様の姿が。


 呪いは、どれほどの苦しみをお姫様に与えてくれるのだろうか?


 わずかな緊張と、大きな期待で呪われたソレーチェを見守る。哀れにも呪われてしまったお姫様は俯いたままで何も反応がなかった。


 失敗した?


 一抹の不安がモネの胸を過る。


 不意に彼女が顔を上げた。呪われたソレーチェは一体、どんな不幸に――『最悪』に見舞われるのか。モネはどんな些細な変化も見逃さないよう注視していると、ソレーチェと目が、合った。


 その瞳は『最悪な呪い』を受けて絶望しているはずが、何故か、きらきらと輝いていて。


 思っていたのと違う反応にモネが「あれ?」と困惑していると。


「魔法使いってこんなに素敵だったのね!?」


 ソレーチェは苦しむどころか頬を染めてモネに擦り寄ってきた。

 苦しむ影なんかどこにもない。あるのは、モネがぞっとするほどの輝きに満ちた感情――『好意』と思しき言葉だった。


 は? 何が起きた?


 ソレーチェのあまりの変貌ぶりに、心も体も引いてしまう。


「魔法使い……ううん、モネ、大好きよ」


 そんな言葉を吐きながら、ぴったりと体をくっつけてくる。彼女の柔らかな体を感じて、ぞわり、と怖気が背筋を這い上がった。


「ひ……!!」

「あら、どうして逃げるの?」

「どうして、くっついてくるの!?」

「それは、あなたを……愛しているからよ」


 何故かそこでお姫様は照れる。体をすり寄せるほうが、愛の言葉よりも恥ずかしいのではないのだろうか?


「モネ、あなたのことを誰よりも愛しているわ」


 怖い。

 怖すぎる。

 一体、どうしてしまったのだろうか?


 呪いをかけた負担で、意識が遠くなる。

 目覚めたら、いつもの日常に戻っていますように。

 そう願いながら、モネは意識を暗闇へと手放した。


 願いも虚しく――その日から、モネの戦いが始まった。

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