紅き寵愛
館が激しく燃えていることは遠目からでも分かった。あれだけ炎の勢いが強くとも、周りの木々にまで燃え広がらないのは不自然だった。恐らく、魔女の魔法によってあの炎は操られていて、館だけを燃やすようにしているのだろう。
館へ近付いていくと、煙が濃霧のように立ち込めて視界を遮ってきた。目と肺が痛むが、白い世界の中で力強く燃え続ける炎を目指して走り続けた。その赤い道標は更に僕を拒み、肌を焼くような熱さを放ってきた。
僕は襲い掛かってくる全ての魔手を正面から受け止めて、体の内側と外側を削られながら進んでいった。焦げた臭いが強くなり、白煙の中に人影がいくつか浮かび上がってきた。
赤いローブを着ている女たちが、巨大な炎の柱を囲うようにして立っている。彼女たちが魔女であるのは間違いない。その魔女たち六人は煙と、館が燃える激しい音のおかげで、近くにいる僕の存在を認識していなかった。
炎に焼かれ、崩れていく館には面影が残っていなかった。先生が僕とマーニを養い、育ててくれた大切な場所が無情に燃やされてしまった。僕たちの大切な思い出があるその場所が形を失っていくのを見るのは苦痛だった。
魔女たちは眉一つ動かすことなく、炎を見つめていた。感情のない彼女たちに対して、怒りが込み上げてくる。この怒りは血の刻印によって齎されたものではない。正真正銘、僕自身の中から生まれてきた、正しい感情だった。
それ故に、制御は容易かった。怒りを闇雲にぶつけようとは思わず、それを胸に留めて、炎の中に飛び込む決意の源へと変換した。辺りにマーニの姿はなく、魔女たちに捕まった様子はない。ならば、まだ館の中にマーニは取り残されているはずだ。全てを食らい、消し炭にしようとする炎から、マーニを救い出さなければならない。魔女の間を掻い潜って館へ飛び込もうと走り始めた瞬間、一人の魔女が静かに振り向いて僕を見た。
その魔女は僕を指差して、何かを呟いた。すると、小さな火が魔女の指先に灯り、それが勢いよく僕の方へと飛んできた。小さな火は僕の足元に落ちると、地面から炎が噴き出し、壁となって歩みを阻んできた。
すぐにその炎の壁は治まったが、開けた前方の視界では魔女たちが全員、僕の方を見て近づいてきていた。
「白いマント? どこの魔女だ、こいつ」
「よく顔を見ろ、男だろ。だが……」
最初に僕を視認した魔女がそう言いながら、睨んできた。
「その白いマント、スモウブルフで報告されていた魔女が身に着けていたものと同じだ。この館に住んでいるという魔女と魔女に飼われている子供の話と合算させて推察するに、この小僧がその魔女に飼われている子供で、こいつを飼っている魔女は先日スモウブルフで王城に侵入したそれであると考えられる。小僧、お前を飼っている魔女は何処にいる? どうやらこの館にはいないようだが。それにラメラもだ。あの魔女を捕らえる任を受けた奴は、忽然と姿を消した。正直に答えろよ。リンネの園を欺こうなどと考えない方が身のためだ」
凄みを利かせた声で言うと、その魔女はじりじりと僕に近付いてきた。沈黙を続けることも、嘘を吐くことも利を生まない。正直に話したとしても、死の原因を深堀りされるであろう。そうなれば嘘をついた時と変わらない結末が待っている。無意味な選択を迫られる間にも、マーニはあの炎の中で苦しんでいる。激しく燃える館を背後にして、魔女たちは威圧するように僕を見つめていた。
僕たちが生き延びる道はないのか。魔女たちを蹴散らして、マーニを救い出す。そんな難題を解く方法は、一つしか思いつかなかった。ローブの中に隠した右腕に宿る、血の魔女の力なら、解決できる。しかし、その力を使えば、マーニの体を血の魔女に渡すことになってしまう。自分が守りたかったものを諦めてまで、生きようとする必要があるのか。
炎の熱と肺を侵す煙の所為で思考が徐々に鈍っていくのを感じる。正常に働く僅かな思考は、マーニのことだけを考えていた。魔女たちの姿が曖昧になっていき、視界すらもまともでなくなっていった。
ゆらめき、ぼやけて、歪んでいく世界。まるで夢の中にいるような気分でいると、強い耳鳴りが走った。頭を貫かれるような痛みを感じ、それから逃れようと瞼を閉じた。
耳鳴りと痛みが過ぎ去っていくのを待ち、完全に消えたと確信してから再び目を開いた。すると、さっきまで燃え盛る館を前にしていたはずなのに、見覚えのある部屋の中に立っていた。
柔らかい風が少し開いた窓から吹き、春の匂いを運んでくる。窓の傍らにあるベッドでは、マーニが体を起こして木々に埋もれた外の景色を見ていた。
「変わらないなあ」
マーニは溜め息を吐いて、そう言った。
「お父様やお母様と暮らしてた時と変わらない。ずっと、ベッドの上。外に出ちゃ駄目、大人しくしてなさいって。みんな、そう言うの」
僕はマーニの方へ歩き出していた。ベッドの横で膝を折り、マーニを間近で見守る。マーニは僕を見ることもなく、独り言を続けた。
「もし、私の体が強かったら、今すぐに外の世界を見に行くんだけどなあ。色んな所に行って、沢山の人に会って、綺麗なものとか、不思議なものとか、お父様が話してくれたものとかも全部、自分の目で確かめたい。でも、無理なんだよね。体が弱いのは、どうしたって治らない。先生が色々してくれるけど、それでもすぐに病気に罹っちゃう。私は弱いまま。死ぬまで病弱な体で生きなきゃいけない。だったら、もうこの体のまま、旅に出てもいいんじゃないかな。治る、なんてないんだから、弱っちい体で、見たいものを見に行って、それが叶わなくて途中で死んじゃっても、私は後悔しない。だって、やりたいことをしたんだもん。このままベッドの上で外の世界を見たかった、って嘆きながら死ぬより、全然いいよ」
マーニはふと、僕に視線を移した。
「それにさ、旅してる間に治っちゃうかもしれないしね。何かが起こるのを待つより、自分から何かを迎えに行く方が、なんとなくだけど希望があるもん。だから、いいでしょ? 今日はお出掛けに行っても」
自分から迎えに行く、だなんて、マーニらしい言葉だ。やっぱり、マーニは僕が辿り着けない境地にいる。体を襲ういくつもの病に耐えながら、その心を一度も挫けずに希望を抱き続けている。最後の瞬間、死に至る直前まで、マーニは希望に満たされて、未練なく逝くのだろう。
僕は絶対に、マーニのようにはなれないと思っていた。希望を抱くことも、打ちひしがれず前を見据え続けることも出来ない、と。マーニのためにと気を張っても、絶望に何度も襲われて、その度に俯き、涙を溢した。マーニは病に侵され続けて、苦しさを表情に見せても決して弱音は吐かず、自分のしたいことと、現状の不満を溢すだけだった。
マーニは強い子だ。誰よりも強い心を持っている。僕はその強さを信じるべきなのだろう。
マーニの小さな手を取り、ベッドから起き上がらせた。マーニは嬉しそうに微笑み、僕を見上げて言った。
「ありがとう」
視界に赤いもやがかかり始めた。部屋がもやに溶かされるようにして消えていき、マーニも微笑んだまま徐々に薄くなって消えていった。
焦げた臭いと体に纏わりつく熱が戻ってきた。暫く夢の中にいたはずだが、魔女たちは焦れた様子もなく、僕を睨んだままだった。
僕はただ一人、近付いてきていた魔女に狙いを定めた。僕をただの人間だと思い、油断しているだろう。あの魔女の心臓を食らえば、贄は足りる。マーニは血の魔女になってしまうが、それで終わらせはしない。血の魔女になったとて、マーニの心はその中にあるはずだ。それを呼び覚まし、血の魔女に打ち勝ってしまえば、マーニは帰ってくる。例え災厄齎す血の魔女であっても、何にも屈することのない、眩しいほどの希望を持つマーニには勝てない。僕はそう信じていた。
「炎に焼かれて燃え滓になりたくないなら、知っていることを洗いざらい吐け」
善人ぶらずにいてくれるのは助かる。この魔女がどんな正義を秘めていようと、僕は殺さなくてはならない。でも、殺した後に自分を責める材料が少ない方が引きずられずに済む。
後ろめたいことばかりしてきた。正しくないことをさせられてきた。それを全て血の魔女の責任にしてしまえればどんなに楽だろうか。でも、間違いなくその中に僕の私欲が混ざっている。血の魔女に唆されて、気持ちよくなっている自分がいた。
負うのは僕だけでいい。血の魔女にも負わせない。マーニにも当然、何の罪もない。僕は一生、償いきれない罪を負い、死しても罰を受け続けていくだろう。
魔女は手の届く距離に接近してきていた。大きな瞳が僕を捉えていたが、緊張を抱かせるような圧力は感じない。彼女は僕に迫った時点で勝利していると思っている。余裕を見せてしまっている彼女の体に触れるのは、とても容易かった。
ローブの裾から出る手を血の刻印が宿る右手で握った。掌が疼き、激しく脈打つ。魔女の手からも同じような拍動が伝わり、次第にそれは早くなっていく。血の刻印は啜るようにして心臓を呼び寄せる。魔女の顔が歪み、体が強張っていく。抗おうと空いている手で掴みかかってくるが、力は全く籠っていなかった。
異変に気付いた魔女たちが何かを唱え始めた。舞っていた火の粉が一か所に集まり、大きな火の玉へと変化していく。
心臓はまだ血の刻印に取り込めていない。掌からは心臓の鼓動が伝わっていたが、中々、近付かずにいた。もどかしさを覚えても、自分ではどうにも出来ない。血の刻印に流れる血の味だけは途切れることがなく、御馳走を求めて啜り続けてはいた。あの、どうしようもなく空腹だった時の貪り方とは違い、血の一滴をも堪能しながら、食事をしているように感じた。
巨大化した火の玉は魔女たちの頭上から、ゆっくりと動きだした。少しずつ速度を上げて、此方へ迫ってくる。仲間の魔女諸共、僕を殺そうとするほどに、彼女たちは僕に恐れを抱いているのか。それとも、リンネの園の魔女たちにとって、仲間の犠牲は些細なことなのか。真意は分からないが、僕への殺意は確かだった。
心臓の気配を掌に感じた。漸く、血の流れに乗るようにして心臓が僕の中に下ってこようとしている。勢いは増していく。火の玉が近付く速さよりも遥かに速く、掌に到達した。
甘美なる肉の味が伝わってくる。掌の内側で蠢く肉塊を舐り回し、その感触を歯を立てずに楽しんでいる。禁断の美食に狂わされそうになる。これが最後の晩餐であることが惜しいと思ってしまっている。永遠に、この肉塊を舌の上で転がしていたい、と。
だが、それは僕の意思に反して、心臓を体内ではない何処かへと連れていってしまった。同時に、喉の奥から何かが込み上げて、口から溢れ出した。
魔女の灰の上に赤黒い血を吐き出した。止め処なく溢れる粘り気のある血で息が出来ずに、血の澱の中に倒れた。気付けば、火の玉は目前に来ている。凄まじい熱を感じるのに、体は異様な寒気を覚えていた。
火の玉はいつまで経っても、僕を飲み込まなかった。大きな球体を維持していたそれは、どういうわけか萎んでいっていた。
小さな灯ほどにまで小さくなった後、弾けて消えた。奥に見える館の炎も、急激に沈静化していっている。魔女たちは僕と焦げ朽ちた館を交互に見て、動揺していた。
何かを打ち付けるような衝撃が空気を震わせた。一定の間隔を保って何度も起こり、次第に大きくなっていく。まるで心臓の鼓動のように、力強く打っていた。
館の残骸が鼓動の度に崩れる。木々の枝葉は揺れて、森全体がざわめきだす。一切乱れないこの鼓動とは反対に、僕の心臓はどんどん早く打ち始めている。
ひと際大きな鼓動が鳴った。同時に、残骸が吹き飛んで、周囲に散らばっていった。館の跡を中心にして、生温い風が吹き荒ぶ。木々がそれに当てられると、逞しい幹が黒ずんでいき、葉は枯れ落ちて、枝が力なく垂れていった。地面は一瞬で乾き切り、砂塵が風に舞って視界を奪った。
砂塵が落ち着くまで、目を閉じた。風が止んだのを感じると、息を整えて静かに立ち上がる。ゆっくりと目を開くと、館の跡地に立つ人影が見えた。
焼けてボロボロになった衣服を着ている、その少女はやせ細った体をふわりと宙に浮かせた。目を閉じたまま煤けた顔を手で拭うと、不健康に白い肌が露わになる。その白さを邪魔するものはなかった。
「あいつだ、あいつをやれ!」
魔女たちは慌てながらも、多様な魔法を駆使して浮遊する少女を攻撃する。だが、そのどれもが、少女には届かない。少女に届く直前で、勢いを無くして消え失せてしまっていた。
猛攻を受けている間も、少女は目を開けなかった。魔女たちが力尽き、攻撃の手が止まった後、辺りを見回すように顔を動かしていたが、それでも目を開けることはなかった。
魔女たちは魔法が通じないことを悟ったのか、示し合わせたかのように一斉に逃げ出した。
足元に違和感を覚えた。視線を下げると血の澱が不気味に蠢いていた。魔女たちが森の中に散り散りに逃げていくと、澱が弾けて魔女たちの方へ正確に飛んでいった。
澱が命中すると、肉が焼けるような音と共に魔女たちがけたたましい叫び声を上げた。檻は魔女たちの体を飲み込むようにして広がっていき、すっぽりとその中に収めると少しずつ小さくなっていって、最後には跡形もなく消えてしまった。
魔女たちは一人残らず消えてなくなった。不自然な静寂が空気を支配し、僕は凍り付いたように動けなくなっていた。
少女がゆっくりと此方に向かいながら、降りてくる。近づいてきて、はっきりと見え始めたその愛しい顔に、複雑な気持ちを抱かされる。少女の足が地面に着いた時、僕は喉を無理矢理振るわせて、声を出した。
「マーニ」
少女は静かに目を開いた。瞼の裏に隠れていた瞳は、懐かしい輝きを放ちながら僕を捉える。その瞳の中に僕が見える。こんなに弱々しい男だっただろうか。惨めな気分になり、目を逸らしてしまった。
「約束、覚えてる?」
マーニは僅かに口角を上げながら、そう尋ねてきた。僕はなんのことか分からず、首を振る。
「そう。でも、もう終わった話。お兄ちゃんが頑張ってくれたから、私は新しい命を得たの」
何を言っているのか、理解できない。新しい命、なんて奇妙な言い回しをする。マーニはただ、血の魔女の魔法から解き放たれただけなのに。
余程、間抜けな表情をしていたのだろう。マーニは僕を見て、けらけらと笑い出した。
「あはは! お兄ちゃんって本当に頭が硬いよね。そんなんだからお父様とお母様の言いなりだったんだよ。ああしなさい、こうしなさい、って口うるさく言われても、はい、分かりました、って二つ返事で言われたことをする。凄い素直で、つまらない人。まあ、私を救ってくれたのは、そういう素直な性格があったからなのかもね」
マーニの口から辛辣な言葉が飛んでくる。冗談を言うことはあっても、これほど酷いことを言う子じゃなかった。マーニが僕にくれるのは感謝の言葉だ。病弱な自分を世話してくれる兄を労う優しい言葉を、マーニはいつも僕にくれた。
僕の中に疑いが生じた。目の前にいる、このマーニの姿をした少女は本当にマーニなのか。それが間違いであることを祈りながら、問いかけた。
「マーニ、なんだよね? 血の魔女じゃ、ないんだよね?」
マーニは不敵な笑みを浮かべて、僕の反応を楽しむように焦らした後、答えた。
「先生は、とても賢い人だった。エリュティアの復活を予見し、それを防ぐために知識を得ようと手を尽くした。血の刻印が転生の魔法だと思うのも仕方ない。エリュティアもそれを叩き台にしてこの魔法を作ったんだから。でも、違う。血の刻印はエリュティアになるための魔法じゃない。私が生まれ変わるための魔法だったの。エリュティアが持つ、血の魔女としての力と記憶。それを解放するために、お兄ちゃんには頑張ってもらってたんだ。おかげで、私はとんでもなく元気で、なんでも出来るようになって生まれ変わったの」
マーニが人差し指を軽く振ると、それに呼応して足元に残っていた血の澱が浮かび上がった。澱は細かく分裂し、魚のような形に変わると、本物の魚と遜色ない動きを見せながら僕の周りを漂った。マーニがもう一度、指を振ると血で出来た魚たちは形を失い、地面にボタボタと落ちた。
「私は魔女としての力を得たの。それも凡庸な魔女とは違う、全てを超越した存在である血の魔女の力を。これだけの力があれば、私に出来ないことなんてない。ずっと欲しかった何にも縛られない自由を、エリュティアが私にくれたの」
マーニの両足が地面から離れた。見上げるくらいの高さにまで浮かび上がり、そこで踊るようにして自在に飛び回った。その内、館の跡の方へ飛んでいくと、落ちていた焦げた木片を、壊れることなく残っていた二つの墓石の隣に突き刺した。それを終えると、また僕の方へとゆっくりと飛んできた。
「やっと、叶う。世界を見る、って夢が。誰にも邪魔されず、何にも阻まれず、世界を知る旅が出来る。私の人生に、ようやく始まりが告げられた。お父様から色んな話を聞いたけど、エリュティアの記憶にはどれもなかった。それがとても嬉しい。大陸を自由に飛び回ったエリュティアですら、知らないものがあるだなんて。私が絶対にその全部を確かめる。お父様の話だけじゃない。色んな伝説、伝承が真実かどうかを、この五体で調べ尽くしてやるんだから」
マーニは僕の背後に回ると、マントを強引に剥ぎ取ろうとした。僕は抵抗することもなくマントを明け渡すと、マーニはそれを着て、少しずつ上昇した。
「今まで面倒を見てくれて、ありがとう。このマント、お兄ちゃんだと思って大事にするから。じゃあ、元気でね」
言葉を掛ける暇も与えてくれなかった。マーニは言い終えると、一気に天高くまで飛び、夕闇の空に紛れていなくなってしまった。
唖然としたまま、僕は膝を折った。腕が地面につくと、右腕に残った血の刻印が目に付いた。掌を見る。刻まれた赤黒い花の中に開いた口から不気味な瞳が覗き、完成された美しい紋様となっていた。
幸せを齎す魔法なんて、ありはしない。先生やシャマールは何かを犠牲にしなければならない魔法の在り方に抗い、誰しもが幸福を得られるような魔法を見つけ出そうとしていた。しかし、それを証明できずに死んでいった。僕はそんな都合の良いものはありえないと、今とても強く実感している。他者に損を背負わせ、自分が得をする。それが魔法なのだと。
マーニは至上の幸福を得た。対して僕は損をしたかと言われれば、そんなことはない。そう断言できる。それを被ったのは僕が積み上げた屍たちだ。僕とマーニは、血の魔女エリュティアによって救われてしまったのだ。なぜ彼女は僕たちにそのような行いをしたのか、それを知ることも想像することも僕にはできない。血の魔女の記憶を受け継いだ、と言ったマーニなら知っているのだろう。多分、それはもうマーニにとっては些細な事でしかないのかもしれない。それもそうだ。終わったことなど、覚えていても枷にしかならない。自由を得るには、振り返らない強さが必要なのだ。
マーニの瞳の輝きを思い出す。痛みや苦しみ、自分を縛り付けるもの全てから解放され、マーニは濁りのない完璧な存在として生まれ変わった。あの姿こそ、僕が求めていてものだったのではないか。内に秘めた輝きが発露し、目を潰されるほどの光を放っている。これがマーニの正しい姿だ。僕もやっとマーニの抱く光の強さの全容を知ることが出来たのだ。
僕が見たかったものの何もかもが集約されたひと時だった。もう充分だ。僕に残されたものは一つもない。たった一つ、縋り続けていた希望の存在が、僕を必要としない遥かな高みへと飛び立っていった。
掌を胸に当てる。心臓は滞りなく、鼓動を打っている。静かに、ゆっくりと、落ち着いたままだった。
魔女の証明 氷見山流々 @ryurururu
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