遠い光

 書斎には数えきれないほど沢山の本がある。机の周りにはシャマールがスモウブルフから持ってきたであろう本が積まれていて、何本もの塔を形成している。床に散乱している本は、癇癪を起こして積んでいた本を薙ぎ倒した跡だろうか。


 落ちている本の中から一冊を拾って読んでみた。恐らく、魔法について書かれているのだが、聞いたことのない言葉や知らない言語が説明もなく書き並べられていたので、全く理解が出来なかった。


 他の本を見ても、やはり専門的な書物らしく、魔法に関する知識のない僕には何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。


 以前、僕が魔女や魔法を知ろうとした時、シャマールは無意味な知識だと一蹴したことがある。シャマールがいなくなった今、知る必要のない無意味な知識を得なければ、マーニを救えなくなってしまった。


 僕は魔法を使えないかもしれない。マーニのために魔法を使ってくれる魔女も、もういない。でも、このままマーニが静かに死んでいくのを黙って見ていられない。最後まで足掻かなければ。血の刻印が消えてしまう、その瞬間まで諦めてはいけない。失ってしまった命や奪っていった多くの命を無駄にしてはいけない。


 屍で築いた山の上で、雲間から射しこむ光明に手を伸ばす。届かない、という言い訳は出来ない。届かせなければならない。手を伸ばし、雲を割り、その奥で輝く希望を掴み取る。それが僕に課せられた使命だ。


 使える時間は限られている。血の刻印は無数に枝分かれして肩にまで根を下ろしていた。今はまだ鮮明に映り、空腹も感じない状態に戻っている。次に血の刻印が薄くなり、心臓を求めて飢え始めたら、それは最後の通告となるだろう。もう血の魔女は寸前にまで迫ってきている。もう絶対に心臓を食らってはならない。あと一つでも心臓を食ってしまったら、マーニは血の魔女へと変貌してしまう。根拠はないが、そういう確信があった。


 血の刻印に気を取られて、その欲望に支配されないためにも、本を読み漁り続けた。机の上にいくつもの本を広げて、片時も書斎から離れず、眠気に襲われて目を閉じる時以外は常に本と向き合った。


 シャマールの残した本は、どれだけ読み進めても理解はできなかった。得た知識の全てを統括しても、魔法という未知の力の、ぼんやりとした輪郭がなんとなく分かっただけでしかなく、そこに記されている何某かの効力や行使に至るまでの過程などは専門的な言葉に阻まれて頭の中で具体的な想像すらも構築できなかった。


 苛立ちを抑えきれず、机の本を全て床に払い落とした。ごちゃごちゃとしていた机が一瞬にして綺麗になり、心が落ち着きを取り戻していく。


 立ち上がって本棚に向かい、目ぼしい本を探す。先生が集めていた本に魔女や魔法に関係するものはなかった。植物、特に薬草に関するものが多く、他には人の体の構造について書かれた本も疎らにあった。


 難解なものから僕でも理解できるものまで手広くあったが、どれもマーニに掛けられた魔法を解くには役に立ちそうもなかった。全ての本棚を見終えた後、床に落ちた本をまた調べるが、同じことだった。


 書斎にある本ではマーニを救う手掛かりは得ようがない。館の中で他に本がありそうな場所といえば、先生の寝室だろう。思いつくや、籠りっぱなしだった書斎から飛び出して、小走りで其処に向かった。


 朝になるとドアを三回、軽く叩いてから呼びかける。声が返ってこなければ、中に入って熟睡する先生の耳元で再び呼びかける。そうまでして起こさないといけないときは大抵、前日に夜更かしをして本を読んでいた。僕が寝る前に書斎へ様子を見に行くと、先生は机の上に小さな灯りを点けて、熱心に本を読み耽っている。お休みになられたらどうかと言うと、「もう少し、もう少しだけ」と言って聞かなかった。偶に、どうしても読み終えたかったのか、寝室に本を持ち帰って夜通し読んでいたこともあった。


 そんな日常があったのはどれくらい前だっただろうか。今はもう、この寝室のベッドで先生が眠ることはない。皺一つなく綺麗に整えられたベッド。先生自身がやったものだ。死ぬことを決めた先生は、最期の朝に今まで体を休めてくれたこのベッドを、自分の痕跡を消すようにして改めたのだろう。部屋の中も、暫く放置していて埃が積もってはいたものの、乱れたところは全くない、生活感が完全に死んだ状態になっていた。


 ベッドの横にある机の上には羽ペンとインクの詰まった小瓶があるだけだった。机に備え付けられた引き出しが気になり、取っ手に指を掛けて静かに開く。中には、何枚もの便箋が重ねて仕舞われていた。


 分厚い便箋の束をまとめて取り出して机の上に置いた。一番上にあった手紙の差出人が目に付いた。バルト、という人物が書いたもののようだ。手紙に書かれた文字を始めから追っていくと、バルトは先生の使いで行ったことがある町の裏通りにある雑貨屋の店主だということが分かった。


 他の手紙もバルトとのものがほとんどだった。先生から何かしらの注文を受けていて、その希望に沿う品物が手に入った、というようなことがどれにも書かれている。他愛のない話も添えられていたが、その中に気になる文章があった。


「貴殿の望みを叶えられる品物かどうかは、只の人間である私には判断できかねます。ましてや異国の魔法の書物となると、偶発的にしか入手できません。近頃は取り締まりも厳しくなり、特に魔法書は王国に持ち込むのすら一苦労。王は軍に属さない魔女への対応も考えているとの噂も流れてきています。貴殿も充分に気を付けてください」


 記された日付を見ると、ちょうど季節が一巡りするくらい前に書かれた手紙であることが分かる。やはり先生は血の魔女の復活を見越して、対抗策を講じようとしていたらしい。それと『軍に属さない魔女への対応』という言葉も気に掛かる。


 初めて雑貨屋に行ったときも、バルトは先生をよく知っている人だと感じた。魔女ではないが、魔法に関する知識も僕よりも持っていそうだ。


 これが本当に最後の希望だ。扉の横に掛けられた白いマントに目を遣る。続いて窓の外を見ると、まだ明るいが日が落ち始めていた。


 マントを羽織ると、体がすっぽりと隠れた。フードを被ってしまえば、正体は誰にも分からなくなる。


 僕は急ぎ足で館を出て、町へと向かった。霧氷を纏った木々の間を抜けて、霜の降りた地面を踏みしめながら歩く。鳥も囀りも獣の息遣いも聞こえない、時間が止まったかのような世界で、僕だけが白い息を絶えず吐いて動き続けている。一人だけでしかない僕に、辛さを感じるようになると、癒えることのない傷口が疼き始めた。


 今、町の様子はどうなっているだろうか。カイルたちが館に来たこと、消息を絶ったこと、それを町の人は把握しているだろうか。もしそれが周知されて、バルトの耳にも届いていたら、僕が現れた時にどう反応するだろうか。


 いくら考えても、悪い想像だけしか出来なかった。風の一つでも吹いて、木々の枝葉を鳴らしてくれれば気を紛らわせられるのに、そよ風すら吹いてくれなかった。


 町が見えてくると、憂いが更に増した。其処にある生命の息遣いを感じ取って、血の刻印が熱くなっていった。僕を陥れようと飢えも顔を覗かせてきた。


 フードを深く被り、右腕が絶対に見えないようマントを内側から巻き込むようにして握りしめながら、町の中に入っていった。人の行き交う気配を感じつつ、足元だけを見て目的の場所に向かう。


 大通りは人も多く、様々な声が聞こえてくる。自分が怪しまれていないかと気になってしまい、雑踏の中に潜む声に耳をそばだてていた。


「うちの子、またレスターさんのとこで粗相をして……」


「……が来てさ、いいもんやるよ、ってくれたのが……」


「……みたいで、可笑しかったのよ。流石に目の前で笑ったり……」


「そんで猟の帰りに狼に囲まれて……」


 声と声が邪魔しあい、聞こえてくる言葉は断片的なものしかなかった。ただ、自分に対して向けられた言葉はないように感じ、少し安堵した。


 それでも目立たないように人混みに紛れながら、裏通りへの道を流されるようにして進み、小さな横道を見つけると素早くそこに体を滑り込ませた。建物に挟まれて影が落ち込む細い通りには人はおらず、閑散としていた。


 たった一度しか来たことがなかったが、雑貨屋の場所ははっきりと覚えていた。くすんで読めない看板を見つけると、その真下にある店の入り口のドアをゆっくりと開けた。店内は前に訪れた時と同じく、埃が酷くて咳き込みそうになった。


 店の中のどこを見ても、店主の姿は見当たらなかった。奥の方で休憩しているのだと思い、恐る恐る呼び掛けた。


「バルトさん、いますか?」


 まだ憂いが消えたわけではない。バルトが僕を見て、どんな反応を示すか。それによって僕とマーニの命運が決まるといっても過言ではなかった。


 店の奥から見覚えのある店主が姿を見せると、僕は彼に歩み寄った。


「貴方がバルトさんですよね?」


 フードを脱ぎながらそう問いかけると、店主は驚いた様子を見せながら小さく頷いた。


「ハク殿はどうしていますか? 最近は手紙も送られてこないですし、町の至る所でハク殿に対する嫌な噂が流れています」


 僕は覚悟を決めて、今まで起きたことをバルトに話した。自分とマーニに血の魔女の恐ろしい魔法が掛けられたこと、その魔法を解くために先生が命を賭してくれたが、何の効果もなかったこと、先生の弟子が助けに来てくれたが、事故に遭って死んでしまったこと。バルトの同情を引くために、余計な情報は省いて説明をした。


 先生の残した手紙の中にバルトに宛てたものがあり、バルトなら解決策を持っていないかと思って此処に訪れた、と言うと、バルトは鼻から大きく息を吐いた。疑心を抱かれて人を呼ばれても対応できるように、マントに隠れた左足を一歩分下げて逃げる準備をした。


「そうですか、亡くなられたなんて……」


 バルトは悲しみを堪えるようにしてそう呟き、暫く沈黙した後、平常の声に戻して話し始めた。


「ハク殿は貴方たち兄妹のことを自分の子のように思っていたのでしょう。だから、自分の命を僅かしかない可能性に賭けて捨て去ることが出来たのです。私の手紙を読んだのでしたらお分かりでしょうが、ハク殿とはとても懇意にさせてもらっていました。手紙のやり取りでも、ハク殿からは注文以外に沢山のお話を伺っておりまして、貴方たち兄妹が来てからはハク殿の文の量が増えました。妹のマーニは体が弱いからと健康を維持できる食事について助言を求められたり、体調を良くする薬はないかと尋ねられることも多くなりました。それでいて、自身の体が悪いことや親を亡くしたことも感じられないくらいに前向きで明るい性格をしていることに驚いておられて、そうした心の強さを自分も見習いたいと仰っていました」


 バルトは僕の目をじっと見て、言葉を続ける。


「貴方のこともマーニさんと同じくらい気に掛けていらっしゃいました。兄のアリルはとても真面目で勤勉だが、恩義を感じているのかとにかく働きたがりなので、肩肘を張らずに楽に過ごしてほしい、私は師ではなく親となってアリルを導きたいのに、彼はどうしても遠慮していまう、と」


 先生から貰った何気ない言葉を思い出した。親の代わりだ、と言ったそれを僕は否定し、恩人という立場の人間に留めさせた。僕はきっと先生に辛い言葉を突き刺してしまっていたのかもしれない。焦土の中で死にかけていた僕たちに手を差し伸べてくれたのは、血の魔女に代わって罪滅ぼしをしようという義務から生じたものかもしれない。死の間際まで、僕たちを救った理由をそれだと言い切った先生の心の中には、僕たちへの愛が隠されていた。それを口にしてしまえば、僕が先生を殺せなくなると思ったから、本当の思いを告げずに死んでいったのかもしれない。


 尚更、後悔が増していく。先生への感謝の気持ちが間違いなくあったのに、僕が先生の愛を拒んだ。そのせいで、先生は自分の命を捨てるのに躊躇いがなくなったとしたら、僕は大きな過ちを犯してしまった。


「僕は、なんてことをしてしまったんだ」


 思わず、声を漏らした。悉く、僕の弱さが事態を悪い方へと向かわせてしまっていた。ただ無力なだけだったら、不幸になる人たちがこれほど多くはならなかっただろう。こうして大切な人たちを失い、無関係な人々さえも死に追いやり、自分の立場を苦しめて、結果、マーニを救う手段を失くしてしまったのは僕に原因があった。


 故に、血の魔女の手先としてこれ以上ない人選なのだろう。不帰の森で血の魔女は一目で僕の心を見抜いて、この遍く万物を底のない泥沼に沈める才を利用しようと考えた。マーニが選ばれたのではない。僕が血の魔女に選ばれたのだ。マーニはただその場所にいて、加えて僕の妹であったから、血の魔女の器になったに過ぎない。この残酷で醜悪な悲劇は初めから僕を中心にして作られていたのだ。


 肩に温もりを感じて、顔を上げた。バルトが近付いてきていることに今、気付いた。彼の固い手が僕の肩を擦ってくれた。


「悔やむ気持ちは分かります。あの時こうしていれば、と考えても、今を変えることは不可能です。私たちは夢想の中に生きていません。過酷でも現実を生き続けなければならないのです。今、貴方に必要なのは、亡くなられた方々のために先へ進む勇気です。辛くとも、前を見なければなりませんよ」


 バルトの慰めの言葉は少しだけ落ち着きを取り戻させてくれた。バルトの言う通り、過去を悔やんでも仕方がない。僕はマーニを救う役目を、先生とシャマールから担わされている。それを全うするまで、足を止めるわけにはいかない。


 すっぽりと抜け落ちていた此処に来た理由を思い出した。僕はバルトに改めて、こう聞いた。


「先生に報いるためにも、マーニを治す方法を探さないといけません。どうでしょう、何か良い案を持ってないですか?」


 バルトは肩から手を離し、そのまま自分の顎に持っていった。顎を擦りながら、くるりと反転し、元の位置に戻ろうとする。その最中に、言葉が聞こえた。


「私がハク殿のように魔女でしたら具体的に道を示して差し上げられたのですが、残念ながらただの商人でしかありません。ですから、私に出来るのは可能性を提示することだけです」


「構いません。なんでもいいので、情報をください。お願いします」


 頭を深く下げて頼んだ。一拍置いた後、勢いよく頭を戻して、じっとバルトを見つめた。


 バルトは小さく頷いてから、天井に見上げた。言い淀んでいるというより、どういう風に伝えようかと、頭の中で言葉を組み立てているように見えた。バルトがそれを完成させるのを、背筋を伸ばして待っていると、バルトの固く結んでいた口元が僅かに開いた。


「ハク殿は、血の魔女が死んでから、彼女の復活を危惧しておられました。あの魔女は、この世に比肩するものはいないほどに魔法の才を持ち、それを発揮するのに一切の躊躇いも犠牲も厭わない、恐ろしい存在だ、と。血の魔女ならば、未だ誰も編み出せなかった、死から生へと戻る魔法を使えるとハク殿は推測されたのです。私はハク殿に頼まれて、大陸各地から魔法に関する書物を取り寄せました。隣国のクィルチとパストラルだけでなく、諸部族が暮らすリミラナ地方、北方の小さな国スルツ、西方に浮かぶ島国マスティヤからも、それらしい書物を手に入れることが出来ました。しかし、そのほとんどはハク殿も既知の魔法が書かれているだけで、復活の魔法に繋がるようなものは見つかりませんでした。お得意先の方から譲り受けた、あの紙束を除いて、ハク殿が興味を惹かれたものは一つもなかったのです」


 バルトが向けた視線の先を見ると、壁際の本棚にぎっしりと本が詰められていた。あれがバルトが各地から取り寄せた魔法の書物たちなのだろう。それらが先生の頭の中に入っているものだとしたら、先生はこの世にある魔法の全てを網羅していたのではないかと思えてしまう。


「私の知る限り、ハク殿ほど魔法に精通しておられた方はいません。そのハク殿でも、古代の魔法については全く知識を持っておられず、それを求めてらっしゃったのです。ですから、血の魔女に対抗する魔法は何処かにあると思います。まだ発見されていない古代の魔法もそうですが、私たちが知らない、まだ誰も到達していない地に、それはあるのではないでしょうか」


「え?」


 思わず声が漏れてしまった。バルトはあたかも僕の気持ちを汲み取ったかのように何度も頷いて、言葉を続けた。


「例えば、スルツ王国から更に北に行けば、人や獣すらも暮らせない凍土があります。スモウブルフの東にはいかなる冒険者も越えられない高く険しい連峰があって、その先に何があるのか、見た者はいません。他にも、南に広がる大海の先とか、灼熱の大砂漠、猛獣が跋扈する樹海、まだまだ私たちが開拓できていない土地は沢山あって、そこにはハク殿も知らない独自の魔法を操る魔女が住んでいるのではないかと思うのです」


 感情を飲み込まなければならなかった。悪いのは僕だ。マーニに残された時間はないということを伝えていなかった。そんな父のほら話に出てくるような場所に、あるのかも確かでないものを探しに行く時間は存在していない。


 バルトの示した道は確かに希望を持てるものだ。この世界は限りなく広く、全てを把握できていない。その不透明な、何かがあるかもしれない未解明の場所に可能性を見出すことは間違っていない。でも、それに手を伸ばすには、あまりにも遅すぎた。僕はマーニとは違う。世界が如何に小さく、それだけで完結させられるものだったらばと考えてしまう。現実に突きつけられた世界の広大さを、ただただ恨むばかりだ。


 僕はシャマールのように常軌を逸した移動手段を使える魔女ではない。右手に命を奪う力を宿していることを除けば、ただの人間と違いはない。それも僕の意思に従うことなく、それが欲するままに殺していく。僕はその力に操られるままの、血の刻印の、いや、その奥で眠る血の魔女の手先でしかない。


「しかし、大きな問題があります。誰も踏破できていない場所に、小さな子供が一人で向かうというのは無謀です。そこに辿り着くには普通の人間ではなく、腕の立つ魔女からの力添えが必要になるでしょう。王国軍に属する魔女たちに協力を願えれば良いのですが、もうそれも困難な状況になってしまっています」


 バルトの手紙に書いてあったことを思い出した。そこには軍に属さない魔女への対応が考えられていると書かれていた。バルトが仄めかした言葉がどういう意味なのか、気になった。


「困難だというのは、僕たちが血の魔女を復活させてしまう恐れがあるからでしょうか」


「それが本質に関わっているために、異常な事が起きてしまっているのです。今、イィルス王国では国の管理下にいない魔女たち、野良と名付けられた彼女たちを排除する動きが見られてきているのです。血の魔女による惨劇を繰り返さないために、王に従わず、奔放に生きる野良の魔女たちは、いつ人々に危害を与えてもおかしくない危険な存在だと見做されて、有無を言わせずに殺されているようです。魔女の気配や民の情報を得て、軍属の魔女たちは野良の魔女の討伐に奔走しています。ですので、軍属の魔女たちからは手を借りられませんし、野良の魔女たちも、貴方たちに手を貸す余裕もないでしょう」


 イィルス王国は大きな変革の時を迎えているようだ。もしかしたら、他の国でも魔女を排する動きは起こっているのかもしれない。血の魔女は大きな爪痕を各地に残している。無辜の民も数えきれないほど殺された。魔女という異質な生き物が、災害を凌駕する破壊を起こせることを血の魔女は世界に示してしまった。


「血の魔女狩りは、魔女への恐怖を再確認させる出来事でした。この町でもハク殿への風当たりは日に日に増して、近頃は貴方も町に来ることがなかったがために、疑念が更に強くなっていったのです。もう亡くなられたとはいえ、軍属の魔女たちが噂を聞きつけて調査に来るのも遅くありません」


 ぞわぞわと寒気が襲ってきた。血の刻印に与えられた時間よりも遥かに早く、終わりが迫っていると感じた。もう四の五の考えている暇はない。マーニを連れて、館を出よう。例え希望が翳っても少しでも長く、マーニのままでいてほしい。


 屈しかけている感情を振り払えないまま、店の出口に向かった。


「お話、ありがとうございました。マーニが心配になってきたので、帰ります」


「私からはこれ以上、貴方たちにしてあげられることはありません。貴方たち兄妹の無事を祈っています」


 頭を軽く下げて、逃げるようにして出ていった。影に満ちる裏通りを、全力で走り、すぐに表の大通りに出た。フードを被ることすら忘れていたが、誰も僕に目を向けてはなかった。そこにいた人たちは皆、一様に同じ方向に視線を向けていた。


 彼らに倣って其方を見ると、遠くの方で白い煙が上がっているのが見えた。その方角に嫌な予感が芽生える。


「火事よね、あれ」


「もしかして、王国軍の人が来たんじゃない? 魔女の噂を聞きつけてさ」


 僕はなりふり構わず駆け出した。危惧すべきことがこんなにも早く、それも僕が留守にしている間に起きてしまった。マーニは館の中に取り残されてしまったのか、それとも魔女たちに囚われてしまったのか。どちらにせよ、マーニを助け出さなければならない。もう誰にも頼ることの出来ない、最後の戦いへと向かっていった。

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