Tack ska du ha

 燻らせたパイプの向こうに、人形が見える。

 なんとも美しい。


「そこの若い紳士さん」


 ある日立ち寄った、とある胡散臭いガラクタ屋。

 造りの古さに誘われて足を踏み込んだその店内の、一角にあるそれに、長い間視線を注いでいた。

 そのせいか、ボロを着た店主がそれまで読み耽っていた新聞を畳んで、とうとう店のカウンターから話し掛けてきた。


「お前さん、それが気になるのか?」


 普段ならばそんなことをされたら、煩わしくて仕方がないというものだ。

 だが、この時は何故か口を利く気になって「ああ」とだけ答えてみた。

 すると、店主は枯れて皺まみれになった顔をますます気難しく歪ませた。


「売り物じゃない」

「馬鹿を言うな。こちらから願い下げだ。こんなもの」


 店を出ればよかった。

 店主の言葉に無性に腹が立って、即座にそう跳ね返した俺に、店主は度肝を抜かれたような顔になり「金持ちは皆欲しがるんだがな」とこぼす。


「見目がいいから部屋に、とまあ……同じ事を言う。だがこれは譲れん。愛玩具にされて汚されるのは虫が好かんのだ。そう思って――お前さんもてっきりその口かと思っていた」

「綺麗に作れば綺麗に仕上がる。見目だけ欲しいのなら、こんなものにわざわざむしゃぶりつかなくとも、その辺にうじゃうじゃ居る」


 一緒にするな、と一蹴すると、店主は俺の身なりと目を、じろじろと見つめてきた。

 なんとも感じの悪い店主である。

 俺は視線を振りほどくように、もう一度人形に目をやった。

<br> ショーケースの中に横たえられた、大人の女ほどの大きさのそれは、息遣いすら感じさせるような見事な仕上がりで、まるで本物の女が眠っているか、又は死んでいるかしているように見えた。


 ふわりと柔らかそうな肌。

 それを隠す白いドレス。

 星の色をした長い髪。

 閉じた瞼に影を差す睫毛。

 そして、人形らしく整った目鼻立ち。

 そうだ。人形だ。

 これは人形だ。

 ただ美しいだけの、それだけを求められて誂えられただけの、まがい物でしかない存在だ。


 見つめているだけで、夢の中にいるかのような現実味のない空気の中に、ゆっくりと閉じ込められてゆくような感覚が迫ってくる。

 同時に、現実とも重なる。

 きっとこの人形が、こんな顔をしているせいだ。

 言い知れぬ憎らしさが込み上げてくると、店主が「それなら」と前触れもなく口を開いた。


「お前さんにこれを預けよう」


 今度は俺が度肝を抜かれる番だ。


「俺は要らないと言ったが」

「だからこそお前さんにやりたい。なあ、貰ってやってくれんか? 金ならいらん。元々商品じゃあないからな」

「だから、要らん。何度も言わせるな」

「不憫な人形なんだ。欲がないお前さんにこそ相応しい。老い先短い年寄りの頼みだ。貰ってやってくれ」

「……不憫とはどういう意味だ」


 思わず眉を潜めると、頑固さを噫に出し始めた店主は、促されるまま、ぼそぼそと話した。


「お前さんがさっき言った通りだ。これは見目良く作られた悍ましい代物だ。生きているかのように作られたのは、これを辱める為。様々なはけ口にして、そうして傷つける為。儂がこれを偶然に拾った時もそんなわけで、無惨な姿だった。……この通り、これはただの人形だが、あまりに惨い扱いを受けているとは思わんか? 人形はただ、そこにいるだけではいかんのか? 相手はただの人形。ただの人形だ」

「随分と、これに傾倒しているな。……仮にだ。俺がこれを譲り受けるとして、もし同じように汚したらどうする?」

「お前さんは手を出さんよ」


 あっさりと店主は断言した。


「儂も最初はこれが嫌いだった。嫌で嫌で、そこに入れた。しかし嫌で堪らんかったのが、今では見ての通りだ。お前さんも儂も、きっと本当はこれに惚れ込んどるんだ」

「馬鹿馬鹿しい」


 踵を返して言い捨てると、俺はずんずんと出口まで歩いて、その時はそのまま店を後にした。

 数日後。

 また、店の前を通り掛かって、なんとなく足を踏み入れた。


「いらっしゃい」


 すると、すぐに愛想のいい声が迎えてくる。

 驚いてカウンターを見ると、そこには例の老人はおらず、いい年の男が雑巾とランプを手に、椅子に腰掛けていた。

<br> よく見れば、人形が入っていたショーケースもない。

 人形も、店内のどこにも無く、それどころかガラクタまみれだった店は、商品が殆ど失せ、さらっさらに片付けられていた。

 おかしい。

 きょろきょろと辺りを見回していると、男は何やら閃いたような声を出して、やがてにこやかに尋ねてきた。


「もしや、綺麗な女の人形をお求めですか?」


 なんだそれは。

 ここの合言葉か?

 苛々として「要らん」と一言言い放つ。

 すると、男は嫌な顔をするどころか、非常に嬉しそうにその場を離れて店の奥に引っ込むと、直ぐに戻ってこちらまで歩み寄り、こう言った。


「店の奥へ。父に貴方が来たら渡すようにと言われたんです。是非、お受け取り下さい」


 言うが早いか徐に握らされたものに視線を落とせば、細かな装飾が施された金色の鍵が、きらきらと手の上で光っていた。

 そうして、半ば追い立てられるようにして店の奥へ行くと、無数に鍵を取り付けられた部屋へ案内される。

 そうして、時間をかけてそれはひとつひとつ外され、扉が軋んだ音を立てて開く。

 すると、その向こうに、薄暗い部屋があった。

 カーテンは厳重に閉め切られ、しかし家具はない。商品もない。

 ただ一つのショーケースと、ただ一つの人形がそこにあるだけで。


「私にとって彼女は、姉のような存在でした」


 男が思い返すようにそう語る。


「今でも覚えています。無骨で、人付き合いも悪くて、お愛想もない父が、ある日の真夜中に珍しく大声を上げてこれを抱えて帰ってきたんです。仕事でこの店に篭っているんだとばかり、その時の母も私も思っていたものですから、それはもう驚いて……。父は、これを何処かからか盗んできたんですよ」


 昨日知りましたけど、と男はからから笑う。


「感極まったんでしょうね。詳しくは話してくれませんでしたが、父はその日からこれを大切に大切にしてきていました。並々ならぬ感情を抱いていたに違いないんです。私もそれに影響されて、妹達とよく、この人形も混ぜておままごとなんかしていたもんですよ」

「……俺は、要らんと言った」

「要らなくともいいんです。置いてやってくだされば、それで」

「父上殿が傍に置けばいいことだろう」

「父は死にました」


 やんわりとした口調で男は告げた。


「私と妹達のおままごとも、もう終わりました。これが最後に行き着くのは、火の中か、不逞な輩の腕の中です。しかしもう一つ、望まれた場所がこれには与えられている。……後生です。どうか、貰ってやってください」


 客が去りゆく事を告げるベルが、扉に揺られて鳴る。

 馭者が軽く息を乱して定位置に戻るのを見とめると、俺は見送りに出てきた男を振り返った。


「美味いシフォンケーキを知っている。甘いものは好きか」


 尋ねると、男は少しきょとんとして、それから微かに微笑んだ。


「はい、まあ」


 でも私ももう歳ですからね、と男が言うのを無視し、馬車に乗り込む。

 馭者は馬車の扉を閉めると、しばらくして馬に鞭を振るった。カラカラと進む。男はまだ店の前にいた。


「……姉、か」


 ぽつりと呟き、そろりと手を伸ばす。

 触れたのは自分のものではない。

 傍らに座らせた女の頬に、俺は触れていた。

 眠りつづけるそれは、重心を俺の肩に預け、ただそこに居る。

 ただ、そこに居る。穏やかな顔で。


「名前でもつけるか」


 もう苛立ちもなにもない。

 あるのは鍵を開けたことにより得た清々しさと、温かさだ。

 傍目には狂気にも見えるであろうこの想いは……なに、俺のせいではない。


 ふわりと柔らかそうな肌。

 それを隠す白いドレス。

 星の色をした長い髪。

 閉じた瞼に影を差す睫毛。

 そして、人形らしく整った目鼻立ち。

 そうだ、人形だ。

 これは人形だ。


 感情のないこのただの人形に、感情を与えるのは、愚かかもしれないが、恐らく罪ではない。


「別れを告げる声くらいは、欲しかっただろうな」


 女の髪を撫でて、馬車の後ろにある小さな窓から店を振り返る。

 店は、街と夕日に溶けて見えなくなってしまっていて――。

 例え授かることがあったとしても、もう声は届かない。

 あの店のままごとも、恋も終わったのだ。

 幾月かして再び店の前を通り掛かった折、クローズの札も、扉も、外壁もない整えられた瓦礫の中で、一つ転がったドアベルが、そう、通り過ぎる俺に告げてきたような気がした。



Tack ska du ha  了

2012.07.16

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コミヤ読切劇場 小宮雪末 @nukanikugi

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