大団円
意識が戻る。体に痛みはもうなかった。目を開けるとそこには真っ白な世界が広がっていた。白いといっても無機質な白さではなくて、温かみのある白さだ。直観的に、私はここが天国なのだと思った。
「紗香」
聞き覚えのある声だった。いつだって私のことを思ってくれていて、でも最期まで報いることができなかった、私の大切な人の声。
「……麗」
振り返ると、麗が笑顔で立っていた。私は堪えきれずに飛びついた。そして泣きだしてしまう。私はずっと後悔していた。最後の最後まで麗の言うことを聞いてあげられなくて、麗を笑顔にもしてあげられなくて。
でも今、麗は笑ってくれている。
それがあまりにも嬉しくて、私は懐かしい呼び方を試そうと思った。
「麗、お姉ちゃん」
すると麗お姉ちゃんはなおさら嬉しそうに私を抱きしめてくれた。
「頑張ったのね。紗香」
「うん。頑張ったよ。麗お姉ちゃん、みててくれたの?」
「うん。ずっと見てたわ。大変だったよね。死んじゃってごめん」
麗お姉ちゃんは涙を流していた。
「謝らなくていいよ。そもそもあのとき私が飛びだせてたなら……」
「もしも紗香が死んでたら、きっと私は一生自分を呪ってたと思うわ」
私は麗お姉ちゃんを見上げる。
「大切な妹を助けるのはお姉ちゃんである私の役目。なのに犠牲になったのが大切な大切な紗香だったなら、私は耐えられなかった。だからあれが最適解だったのよ」
私は麗お姉ちゃんをもっと強く抱きしめた。麗お姉ちゃんは本当に優しい。だからこそ、私はずっと後悔していた。でもこれからはずっと一緒にいられるのだ。
だけど、これから楓は、お父さんは、お母さんは、そして千波はどうしていくのだろう。お父さんはお母さんに刺された。恋人の私だって、殺されてしまった。そんな状態で千波は幸せになれるのだろうか?
考え込んでいると、麗お姉ちゃんは小さく微笑んだ。
「大丈夫。紗香はまだ死んでないわ」
麗お姉ちゃんは優しい表情で、涙をぬぐいながら告げた。
「ほら、耳をすませてみなさい。聞こえてくるはずよ。みんなの声が」
私は麗お姉ちゃんの言う通り、耳をすませてみる。するととても小さな声が聞こえてきた。なんといっているのか聞き取れないくらい小さな声だ。
でもその声は次第に大きくなってくる。
「おい! 紗香! 俺を打ち負かせてくれるって約束したよな? お前、テスト二位だったぞ。俺が一位だった。まだ死ぬなよ。おい! 本当に死ぬんじゃねえぞ!」
宮城が涙声で叫んでいた。
「お姉ちゃん。だめ。私を一人にしないで。お姉ちゃんまで死んじゃったら、私、私っ」
楓が泣き崩れていた。
「紗香。お前までいなくなったら俺たちは……」
「頑張って。紗香。頑張るのよ!」
お父さんとお母さんがささやいていた。
「死んじゃダメよ。紗香。私と幸せになるんでしょ? ね? なのにこんなところで終わらないで。みんなを変えた紗香なら絶対に大丈夫。私は信じてるわ。だからっ」
千波が私を信じてくれていた。
「目を覚まして!」
みんなの声がこだまする。麗お姉ちゃんは私を力強くみつめて告げた。
「私への未練を断ち切れば、きっと紗香は目覚められるわ」
〇 〇 〇 〇
「……どういう、こと?」
私は困惑しながら問いかけた。
「紗香。あなたは私のようになることを目指して頑張ってくれた。それは嬉しいことよ。でも私のことを考えるあまり、あなたは少しずつこちら側に引き寄せられていた。こんな話を聞いたことはない? 死者に感情移入する人は憑りつかれやすいって」
麗お姉ちゃんは真剣な表情で告げる。
「生者としてぴんぴんしている間は問題ない。でも生と死の境に差し掛かったとき、死者に執着しているというのは大きな問題になって来るのよ。私と紗香がこうして再会できてしまったものそのせい。私が、あなたの私への思いが、あなた自身を死へと導いているのよ」
麗お姉ちゃんは涙を流しながら告げた。
「だから、私のことは、忘れなさい」
「……嫌だ。そんなの絶対に嫌だよ!」
「忘れなさい! このわからずや!」
麗お姉ちゃんはみたことがないくらい、怖い顔をしていた。だけどすぐに目を閉じて、私を抱きしめてくれる。
「最期くらい、私のいうことを聞いてちょうだい。あなたには大切な人がたくさんいる。悲しむ人がたくさんいるのよ。私は戻れなかった。でもあなたはまだ間に合う。どうか、私を忘れて。……お願いだから」
目を閉じると、私の頭の中を数々の思い出がよぎる。
宮城の前で一位になると誓った記憶。私の上で涙を流す楓を抱きしめて麗のようになると誓った記憶。お父さんとお母さんに信じてもらえて、家族が少しずつ明るくなっていった記憶。千波と恋人になって過ごした甘い時間の記憶。
そして、麗お姉ちゃんのあとを子鳥みたいについていった記憶。
「麗お姉ちゃん。私、いつか絶対に麗お姉ちゃんみたいになるからねっ!」
「待ってるよ。紗香ならきっと私を追いこせるはずだから」
「うん!」
私は目を開ける。白い世界が戻ってきた。私はぼやけた視界で麗お姉ちゃんをみつめる。
「……分かったよ。私は死なない。あの日、約束したから。いつか麗お姉ちゃんを追い越すって」
私は最期にめいっぱい麗お姉ちゃんを抱きしめた。あふれる涙は止まらない。それでもずっとこうしているわけにはいかない。そろそろ戻らなければ。
私はずっと麗お姉ちゃんを目標に頑張ってきた。でもこれからは道しるべなんてない。自分の足で道をつくっていかなければならない。
でも大丈夫だ。
たくさんの人が隣で手を握ってくれているから。
私を待ってくれているから。
「さようなら。麗お姉ちゃん」
「さようなら。紗香」
白い世界が暗く消えていく。
麗お姉ちゃんの温もりも失われていく。
麗お姉ちゃんは最期の瞬間まで、笑っていた。
やがて完全に感触が失われる。麗お姉ちゃんの笑顔がなくなってしまう。
「またいつか会おうね。八十年後。いや、もっと長く幸せに生きるんだよ。紗香」
その言葉を最後に聞いて、私は目を覚ました。
目を覚ましたそのとき、私はもう何も覚えていなかった。
千波が抱き着いてきた。顔を涙でぐしゃぐしゃにして美人が台無しだ。
私も力の入らない体で抱きしめ返した。
「誕生日、おめでとう紗香」
私はきょとんとする。
「長い間寝てたのよ? ずっとずっと生と死の境をさまよってたのよ? 本当、心配させないでよね。紗香」
そう告げて、紗香は私の小指に銀色の指輪をはめた。
「私とお揃いよ。いつかは、薬指にはめようね?」
高校生のうちから、結婚の話。本当に千波は私のことを愛してくれているのだ。こんなに愛されているなんて、私は誰よりも幸せ者だ。多幸感を味わっていると、お父さんとお母さんがやってきた。
「紗香!」
「本当に、本当に良かった」
お父さんもお母さんもボロボロと涙をこぼしていた。しばらくすると宮城もやって来た。そして成績表を見せびらかしてきた。どうやら私は宮城に勝てなかったらしい。
もっと頑張らないと。
そこでふと私は異変に気付く。いつもなら目指すべき人として麗のことを思い浮かべるはずなのに、今は少しも麗のことを考えなかったのだ。死者を忘れるのは普通悲しいことだ。でも不思議とそんな気持ちにはならなかった。
むしろ、心から安らぐような感覚だった。
みんなの話を聞いていると、千波のお父さんは一命をとりとめたらしい。千波のお母さんは刑務所に入ることになったけれど、千波はそれでも気丈に振る舞っていた。
これまで支えてもらった分、これからは私が支えてあげないと。
私は窓の外に広がる青空をみつめる。これから私は長い時間を生きるのだろう。苦しいことも嬉しいことも沢山経験すると思う。それでもきっと大丈夫だという確信があった。
だって私にはたくさんの大切な人がいるから。
不良扱いされている私が妹を救うために悪役になったあと、理解者(女)が現れて救われるまでの百合 壊滅的な扇子 @kaibutsu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます