第5話

立地的には、山の上の方に位置する研究所から、峠的なものを五キロほど下ると、ようやく市街地が見えてくる。

 普通なら車か、高校生である俺はもっぱら自転車でこの山道の行き来をするのだが、昨日は緊急事態で搬送された為、帰りは徒歩だった。

 花村は、一足先にきちんと車で家へと送られていった。

 俺も一緒に乗って行けば良かったという話もあったのだが、俺には俺でもう少しだけ研究所に用事があったのだ。それが終わる頃には、軽く二時間は経過してしまう予定だったので、先に帰ってもらった。

 日曜日、特に予定のない男子高校生にとって、山道五キロを歩くことなど、雑作もないことだ。むしろトレーニングになって良いのではないか。

 なんてことを延々と自分に言い聞かせながら、自宅へのひたすら歩く。

「……バイク、買おうかな……」

 思わず心の声が漏れる。

 研究所の任務の都合上、バイクの免許だけは持っているし、施設内では乗ったりもしているが、特別田舎の学校という訳でもなく、青春を定義のあやふやな『全国制覇』に費やすほどやんちゃでもない俺は、個人でバイクも原チャも所持していない。

 幸い、研究所からの給料は、下手なフルタイムのフリーターなどよりはるかに良いから、高校生にしては、かなり裕福だったりする訳だが、隊員としての訓練と学生としての勉強なりなんなりしつつ、UPO出現時にはほぼ無条件に出動できるよう待機状態を維持する生活の中では、金を使う時間がないというのが正直なところだ。

 そんな訳だから、貯金を叩けば、まぁまぁな性能のバイクは余裕で買えたりする訳だが……。

「いや、でもそこまでバイク好きって訳でもないからな」

 とまぁ、そういう結論にいつも辿り着くので結局のところ購入には至らない。

 しばらく歩いて、ようやく駅前の繁華街が見えてくる。

 そのまま歩みを進めて、自宅がある住宅街に差し掛かる頃になると、丁度雨が降り始めてきた。

「山道を降りた後で良かった」

 なんて独り言をつぶやきながら、急ぎ足で自宅へと向かう。

 4LDK、二階建ての一軒家。最寄りの駅まで徒歩十分弱、都心まではそこから電車で三十分という比較的便利な立地の我が家は、親父が十二年前に頑張ってローンを組んだ自慢のマイホームだ。

「ただいま」

 鍵を開けてそう告げながら、見慣れない新品らしい妹の靴を横目に流し見てリビングへと向かう。

 人の気配がするから、おそらく妹は在宅だろう。

「あ、お帰り、兄さん。遅かったね」

 ソファに座っていた部屋着の妹、楓が、マグカップをもちながら振り返ってそう言う。

 妹は俺の二歳下で、今は中学の二年生。快活で聡明な我が妹は、容姿も兄の贔屓目なしに整っているし、バドミントン部に在籍しているせいもあって、小柄ながら体も引き締まっていてバランスがいい。

 何もしなくても学校やクラスでも中心になるような人間で、深く狭い人間関係か築けない俺とは、少し種類の違う生き物なのである。

「研究所に行ってたんでしょ? またUPOがでたの?」

 俺はそれに「ああ」とだけ答えて、考える。

 UPOに関する情報は基本的に機密事項だが、UPOに関わった人間や俺のように研究所の隊員の家族には、ある程度の開示が許可されている。

 特に同じUPO保持者である場合、それは情報の共有による対応策の検討という意味で開示されることが多い。

 だが――。

「なぁ、楓……お前のUPOって、正直な話、辛いか?」

 俺が聞くと、楓はほんの少しだけ表情を曇らせた。

「……辛くないと言ったら、嘘だね。昼は夜ほど過敏ではないけど、普通に他人の血に反応することもあるから、出血を伴う怪我には細心の注意が必要だし、薬と血液の摂取で衝動は抑えていても、完全になくなる訳ではないから気が抜けない。それに、あたしのUPOの常在能力のせいで、うちの家族は別々に暮らしているわけでしょ? あたしのせいで、家族がバラバラに……」

「違うだろ。それはお前のせいじゃない。UPOのせいだ。父さんがこの家を出たのだって、父さんなりの覚悟というか、最善策としてのことだ。ある意味、親のとしての義務というか、責任というか、多分、そういうことの結果なんだよ。それだけは、勘違いするな」

 俺が言うと、楓は小さく『うん』と言って、その後で『ありがとう』と言った。

 俺と妹は今、実質二人で暮らしている。

 当然ながら、元々は両親と俺と楓の四人でこの家に暮らしていたが、二年前に楓がUPOを保持してからすぐに、父さんは家を出ることを決めた。

 UPOを保持したばかりの楓は、吸血衝動を抑えることも難しく、常に周囲の人間、特に異性を魅了する常在能力も制御が効かなかった。

 父さんは、楓から発せられる魔法のような魅力を恐れた。いや、正確にいうと、自分の娘に欲情しそうになること、そして万が一にでも間違いが起こることを恐れたのだ。

 UPO―0012の催淫ともいえる能力は、他者を無条件に魅了する効果がある。

 その能力がどこまで強く影響するかは個人差で、その人間が持つ『超常耐性』という性質の値に左右される。

 父さんは、その値が低い人間であったからこそ、自ら愛する娘と離れて生活することを早急に決めたのだ。

 隣の駅に安いアパートを借りて、そこで暮らしている。母さんも基本的にはそこで生活していて、たまにこっちの家に食事を作りに来てくれたり、掃除をしにきてくれたりしている。

 俺たちは、そうやってバラバラに暮らすことで、最善の手を打っているのだ。

「あとは、そうだなぁ。やっぱりね、恋愛とかは、怖いっていうか、より神経質になるよね。どんな形でも『愛情』や『好意』っていうのは、吸血衝動につながりやすいから……」

 このUPOの特性として、一番厄介なのは、そこだろう。

 吸血衝動が食欲と性欲の両方を司っている以上、恋愛感情は衝動が高まる可能性がある。

「周りの子がさ、あの先輩格好いい、とか、クラスの誰々が好き、とか気軽に言ってるのが、羨ましかったりするよ」

「年頃の女子にはキツイ症状だよな」

「それでもね、あたしには、兄さんがいるからマシな方だよ。兄さんにはほら、全然効かないでしょ? このUPOの魅了も、催眠も。だから、兄さんの前では……この家にいる時は、変な心配をしなくていいし、気を抜いていられるから、それが唯一の救いだよ」

「まぁ、確かにそれは不幸中の幸いというか、なんというか」

 確かに、俺にはUPO―0012の常在能力の影響がない。というか、大抵のUPOの能力や精神干渉、精神汚染なども、効果がない。

それは持って生まれた『超常耐性』がかなり高いからであり、だからこそ花村が最初に行おうとした暗示や記憶操作も、全く効かなかったのだ。

 むしろこの特性が理由で、俺は高校生でありながら、異例の対UPO部隊の隊員である訳なのだが……。

 楓が言ったように、強い『衝動』が現れたり、変身が起これば、無意識にあらゆる異性を魅了してしまうUPO―0012の常在能力にとって、それが全く効かない存在というのは、ある意味気を緩めていられる、唯一の相手だろう。

 俺は少し考えて、やはり話すことにした。

「実は……」

 花村のことを妹に話そうとしたところで、俺のスマホが着信を知らせた。

 俺は楓に手で『少し待って』とジェスチャーをしながら電話に出る。

『やぁ、武光君。もう家かい? 』

「はい、ついさっき家に着いたところですけど……」

『すまない、ちょっと大変なことになった。緊急事態ってやつだね』

 電話の主は沖崎さんだった。

『花村伊織さんが、誘拐された』

「は? 花村が? 誰にですか? っていうか、誰か監視役が付いてなかったんですか?」

『それがね、説明係として、C級隊員二人が付いていたんだけど、襲撃されてね。応戦したらしいけど、二人とも瀕死でさ。辛うじて僕の方に連絡してくれたんだけど……』

 まぁまぁヘビーな内容を、いつもと変わらなく軽い口調で言う。

 本当に、こういうところはサイコパスというか、人間味が薄いんだよな、あの人は。薄情であり、冷徹であるともいえる。

『誰にかっていうのは、そうだね。推測だが、心当たりがあるかな』

「……それは、UPO保持組織のどれかってことですよね?」

 俺が言うと、電話の向こうから、珍しく歯切れの悪い、嫌な溜息と相槌が聞こえてくる。

『おそらく〝睡蓮教団〟だろう。彼女に付けたGPSは未だ移動中だけど、方角的にも教壇の施設で間違いない』

 その名前を耳にするのは、初めてではない。

 『睡蓮教団』――。

 いわゆる新興宗教の一つであり、独自の思想と教えと理想を掲げるカルト教団だ。

 ただ違うのは、その教えのベースとなる部分に、不老不死へと追及があり、それを超常の未確認生命体、つまりはUPOに求めて居るというところだ。

 幹部と狂信的な過激派は、UPOの存在を認識していて、不老不死につながりそうなUPOを無理やり捕縛しようとする節がある。

「でも、睡蓮教団は、楓の一件でUPO―0012には不老不死の意味合いは薄いことを知ってるはずでしょう?」

 そう、睡蓮教団は、二年前、楓がUPO―0012に干渉を受けた時、楓を強引に勧誘してきたばかりか、そのUPOに不老不死性があると勘違いしたヤツらは、今回と似たような誘拐まがいのことまで行った。

 楓に危害は加えられなかったことと、警察と連携した対UPO部隊が早急に駆けつけたこともあり、事なきを得た結果、一応和平協定的なものを結んでいるのだが……。

『ああ。でも、それを知ってるのは、教祖と一部の幹部連中だけだ。僕ら、UPO研究所とも一応の協力関係を正確に把握してるのもね』

「下っ端の過激派が、勝手に動いたってことですか」

『その線だろうね。ただ解せないのは、花村さんがUPO保持者であるという情報をどこで掴んだのか、というところだ』

「沖崎さん、それは後です。今はまず、花村を奪還しないと……」

『そうだね。何よりそれが第一だ。こちらからも出動させているけど、急行できる隊員の中で、超常耐性が高い人間が少なくてね。それに正直UPO―0012の制御にもっとも適しているのは、異常な耐性を持つ君だから』

「わかってます」

 俺は電話を切ると、急いで自室の金庫からテーザー銃とホルダーを取り出して装備する。

「すまん、話の続きは後で。俺が保護したUPO保持者がさっそく誘拐されたらしい」

「え? それって……」

「ああ、楓の時の同じケースだ。とりあえず行ってくる」

 帰って来たばかりで一息もついていないのに、そのまま出動する羽目になる。

 シティサイクルから、セミオフロードまでカバーできる人力二輪の愛車にまたがり、全力を注ぎ込んで発車する。

 教団の施設は何か所かあるが、そのほぼ全部を研究所は把握している。そして、GPS情報は端末を通してこちらにも送られてくるので、どこに行けばいいかは明確だ。

「第四支部の隔離施設……やっぱりか」

 楓の時の同じだ。

 睡蓮教団は実に宗教色というか、思想優位の強い組織で、そこには殆ど理論的な部分や

科学的な介入をよしとしない。

 教祖であり責任者でもある『リー・クァンシー』と四人の幹部、さらにその直属の『花弁』と呼ばれる支部長十一人の、計十六人のみがUPOを含む、科学的で現実的な会話ができる比較的まとも(カルト集団を組織している時点でまともかどうかは分からないが)な人間である、というのが俺たちUPO研究所の職員、隊員が知らされている睡蓮教団の内部事情だ。

 つまり、それ以下の信者は、リー・クァンシーたちが掲げる宗教的思想を盲信して疑わない、狂信者たちだ。

 信仰する心が考え方を過激にしていき、一般的な常識の範囲での善悪判断すらできなくする。

 俺は自分が無神論者なこともあるが、信仰がもたらす精神的な救いや安定よりも、その裏にある麻薬的部分に強く恐怖を感じざるを得ない。

 それはまぁ、それでなくとも科学万能のこのご時世に、殆どの超常的現象を『UPO』という形で証明しつつある組織に所属しているだけでなく、かつては妹を新興宗教組織に誘拐されかけたなんて経験をすれば、こんな考えにも辿り着くって訳だ。

 自転車で十五分ほど走ると、何の変哲もない四角い建物が見えてくる。それはまるで市が規模の小さい役所や、運営する図書館などにありがちな、質素で小奇麗な四階建ての建造物で、マンションや民家というよりも『施設』感が強い。

睡蓮教団の第四支部――この町を中心に近隣の他県にまで支部を持つ教団の支部の一つで、集会や会合、合宿などを行う場所だ。

 ああ、そうだ。合宿で思い浮かんだが、部活の合宿先に使われる建物も、こんな感じ者が多い印象だ。

 調理場があって、宿泊できる場所があって、一応生活ができる設備が整っていて、広場や体育館的な場所もある。

 支部になっている建物は、その条件が揃っているところが殆どだ。

「はぁ……」

 俺は自転車を近くの駐輪場に止めて、施設のインターホンの前に立ち大きく深呼吸。

 楓の時は、まだ俺は正式な隊員じゃなかったし、UPOも初めてだったし、なにより無我夢中だった。

 この第四支部に突撃をかまして、手当たり次第に施設内を捜索している途中で、一部の信者を『魅了』の能力で操っていた楓が自ら隔離場所から出てきたり、A級隊員率いる部隊が介入してゴチャゴチャになったから……。

 つまり、あんまり覚えていない&何が何だかわかっていなかったっていうのは、前にここに来た時の記憶だったりする。

「いや、何も暴力団とか半グレ集団の事務所に突撃かける訳じゃないんだ。大丈夫」

 俺は口に出してそう言い聞かせる。

 確かに俺は、訓練は受けているし、正式なUPO対策部隊員ではあるが、経験は圧倒的に少ない。いや、怪しい宗教法人の施設を訪ねるというのは、すでにUPOがどうのを抜きにしてそこそこ難易度が高いのではないか。

 それも、『クラスメイトでUPO保持死者の女子を誘拐してますよね? おとなしく返してくれませんか?』なんて聞こうとしているのだから、尚更だ。

 なんてビビっていたのは、自転車を飛ばしてきて上がった息を整えるまでの十数秒で、俺は意を決してインターホンを押す。

『はい』

「あの……ここって、その……教団の施設ですよね? あの、僕っ……ちょっと誰にも言えない悩みがあって……誰に相談したらいいかわからないんです……それで……」

 俺は口から出まかせを迫真の演技に乗せる。

 まずはなにより、施設内に入ることが先決。

『あなたも、救いを求めているのですね』

 インターホン越しの女性は、そう言って鍵を開けてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

UPOレポート 灰汁須玉響 健午 @venevene

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ