巡礼

押田桧凪

●REC

 観覧車のサブスクができる時代に、いつどんな時に何周でも楽しめるようになった世界で日付と時間、号数を指定して、個室を貸切にする。もし死んだ人間だけが乗れる観覧車があったとするならば私は今、その段差に足を掛けたような気が、そうすることでその聖域に足を踏み入れることができたような気が、なんとなくするからだ。


 やっほー見える? コウくん。私だよ。今年もこの日がやって来たね。でも、今日は自撮り棒は用意してないんだ。去年の夏にスタッフの操作ミスで閉園後までゴンドラ内に家族が数時間取り残されるっていう事件があってね、中に監視カメラを付けるよう義務づけられたから、今はそのモニターをネットと繋いで生配信をしてるんだ。だから、かなり上からのアングルでおかしいなって思っただろうけど、そういうことで。今日も一緒に観覧車、楽しもうね。


 とはいっても、三年前にコウくんと乗った時はもうすぐ頂上って時に泡を吹いて倒れちゃって、それから……ううん何でもない。高所恐怖症だったよね。だから、景色はなるべく写さないようにするから、ね? 画面に映る私だけを見てればいいよ。でもあの時、乗りたいって言ったのは私だけど、人生で初めて観覧車に乗る決断をしたのはコウくんだからね? 私のせいじゃないよ。


 あっ段々同接数も増えてきたみたい。私たちのカップルチャンネル更新をまだ楽しみに待ってくれてる人もいるんだね。


〈あれは放送事故だったなぁ〉

〈幻覚?www 妄想彼氏こわすぎ〉


 うん変なコメントは無視しよ、コウくん。別に湿っぽい話がしたくてここに来たわけじゃないんだから。もっと楽しまないとね。ほらあの日、「人生は観覧車と同じ。一度乗った以上は降りることもできない」って鼻にかかるような台詞を口にしたのはコウくんだったっけ。うん別に私は気にしてないよ。この1周を大事にしようね。でも私は「それなら、メリーゴーランドでも良くない?」って言ったのにコウくんは全然聞き入れてくれなかったのを覚えてるよ。コウくんのことを思って言ったつもりだったのに、憐れんだ調子に聞こえてしまったのだとしたらごめん。そういう配慮とか、嫌いだったもんね。まぁ、コウくんは勝手に私を残して人生から降りちゃったんだけど。……もう、ここ笑うとこだよ?


「水族館と遊園地どっちがいい?」「え〜遊園地とか行くの初めて!」「じゃあ、遊園地にしよっか」という流れで私たちはここに来たよね。勿論、それは「初めて」じゃないことを分かっててお互いそういうことを言える仲だったよ、私たち。


 あと、これもう時効だと思うから言うけど。私ねコウくんの裏アカ、知ってたんだ。コウくんから直接教えてもらう、ずっと前からね。勿論、携帯のパスワードを生まれるはずだった娘の誕生日にしているところも知ってたし、憎らしくて、そういうところも好きだった。裏アカって言うか、いわゆる『闘病アカウント』だよね。プロフィールに余命半年であることと症状の進行具合を記入して毎日、架空の日記を投稿する。「きょうは再度マンモグラフィー検査をしました。」とか「尿とりパッドをつけないといけなくなりました。」とか「胃にチューブで栄養を送って生活してます。」とか「放射線治療の副作用で口内炎になりました」とか。一切の不純物を取り除いたような柔らかい声で、コウくんはその裏アカを副業と呼んだ。


「みんなが祝福してくれて、励まし合うっていうか安全圏から苦しんでる人を見ていたい人たちからどんどんフォローされるわけよ。自分よりも下に人を作りたい風潮ってこんな形で稼げるんだって俺も最初びっくりしたけど」


 コウくんは笑った。ただ食べていくだけなら動画投稿だけでお金に困らなかったのに、承認とは別に誰かから哀れんで貰いたい欲求が芽生えたみたいだった。煙突がなかった。オートロック錠だった。怪しい訪問販売お断りステッカーをインターホンに貼っていた。そういう防犯意識の高揚という名目でサンタクロースが一度も家に来なかったと嘆くコウ君は大人になった。大人になって、顔を知らない誰かから投げ銭される世界にコウくんは出会ってしまったから、コウくんはもう恵んでもらう必要は無かった。その代わりに、恵まれたい誰かを演じることに熱をあげた。


 私は当然の流れだと思った。例えば、被害者のアルコール摂取量が近頃増えただとか、直前に大量に現金を引き落としただとかをストレスの増加、怨恨による他殺の可能性ありと安易に結びつけるミステリードラマを見たときのような虚しさがあった。そうやって逃避行動の一つに類型化して、生きていてその程度の想像にしか及ばなかった人間の浅い感じが見てて嫌になったのだろう。どうせなら善人ぶってる奴らから搾取してやる。そういうスタンスだったんだと思う。


 名前も知らない花が枯れるときには「みんなで守りたい」とか「種を植えよう」とか保護動物みたく本気で言える人たちが、地震の募金に参加してるんだと私は思ってるし、コウくんもそういう人間が嫌いなんだって私は知っていたから。


 例えば、ちょっと小綺麗なレストランを私が予約して一緒に行った時「この店、元カノと来たことあるわあ」と何の悪気もなく嬉々とした表情で言うコウくんを見て、ああこの人はそういう愛され方をしたんだなって思う。


 夏の暑い日に公園の階段に広がるミミズの死体を蹴散らしていく中学生の姿を見て、コウくんは趣味わりぃなって笑う。多分、それは本心じゃなくて「踏まれる」側になった視点で喋っている。いたいいたいと声を上げることのない悲鳴をコウくんは知っている。水族館に行った時に「ペンギンは飛べないんじゃなくて、飛ばないんだ」と訂正してくるコウくんの底の見えない考え方も私は好きだった。……って、恥ずかしいな。こうやって無意識に過去形で話していたことに私は気づいて、同時にいなかったことに、空気になっていくコウくんを私が受け入れていることに怖いなと思った。それが、私の中で正しく受理される。まとめて幸せな記憶に位置づけられる。「コウくんは死んだんだよ」って誰にも言わせたくなかった。


 コウくんのアカウントの更新が止まって、フォロワーが何かを察したのか一斉に最後のツイートの返信欄に「ご冥福を」とか優しい言葉が寄せられる一方で、事実上、二人の最後の撮影になった私たちの動画には心ないコメントで溢れかえった。匿名性ってこういう時に発揮されるんだなと私は知った。醜かった。同じ人間の所業とは思えなくて、笑っちゃうよね。ねぇコウくん。私はあれ以来、人を信じれなくなったよ。


 夢を見る。私たちは夫婦で、子供を連れてチェーンの牛丼屋に行く。でもその子、笑っちゃうくらいコウくんに全然似てないの。おかしいよね。でも、コウくんは娘のためにキッズサイズの牛丼を頼まない。自分の分を大盛りで頼んでからそれを子供用によそうの。わざわざ。夢の中でもコウくんのそういう卑しいところは変わらなくて、つゆだく・つゆぬきとは別に、ネギだく・ネギぬきをタッチパネルで選択できるけど、「ネギだくにしたら載せる肉の量少なくなったりする?」とか言って、結局ネギぬきを選ぶ。それから牛丼を食べ始めて、「最後にご飯が少し余ったんだけど。これって俺の食べ方のバランスが悪いの? それともよそった店側が悪い?」と文句を言いながら完食する。「クレーム入れよっかな。てか、俺らが動画で炎上させられるくね?」とコウくんは笑う。そんな父親の姿を見て、娘は育つ。彼女は皮肉にもコウくんから望まれなかった子どもで、私が望むことができなかった子どもだった。


 行った遊園地で、「ジェットコースターの安全レバーが悪いんだって」と窘めるようにコウくんは私に言った。私の胎内には既にもう一つの心臓があって、でもコウくんは「まだ公表する時期じゃないよね? 結婚もしてないしさ。登録者50万人を達成したタイミングで発表するって決めたじゃん」と駄々をこねるように言った。私にだって、排卵日タイミングがあった。大切な数字があった。私はごめんねと言った。誰に対してでもなく、ごめんねと言った。コウくんに言われたらそれ以上は何も言えなかった。まだ私に歩みを合わせてくれる人がいるんだ、と知って嬉しかった。誰にもコウくんを奪われなくて嬉しかった。


 VRゴーグルを付けてジェットコースターに乗っている映像を見ながら抜歯する痛みを紛らわすように、私はコウくんと初めて行った遊園地で緩やかに堕胎した。私が好きな人間は、私なんかを好きにならないとずっと信じていたから、コウくんに出会えて本当に良かった、と思った。私はいろんな痛みに耐えた。観覧車に乗ったのは、二回目に訪れた遊園地だったことを私たちは知っていて、でもそれは私たちにとっての「リセット」だった。そうやって自覚的に傷つきたいところは似てるよね、私たち。


 私は、長年連れ添った老夫婦が「お前だったからよかった」と声をかけた時のような浮き足立つような台詞が欲しかったわけじゃなくて、コウくんから必要とされている印のようなものが欲しかった。そこに綺麗にはまるピースが私である保証があれば良かった。


 そういえば、あの時「死ぬなら観覧車がいい」ってコウくん言ったの覚えてる? あの後ネットミームにされて、散々ネタにされたけどコウくんは見てないだろうから。「なんで?」って私が訊いたら、「数え方がお墓と一緒だから」と答えたから、「何それ。屁が出るくらいの理由かよ」と言いかけて(いけないいけない。女の子がそんなこと言っちゃ)と発言を自粛しながら、「それなら、エレベーターでも良くない?」って私は言った後で、あーそうじゃないなとすぐに思った。一基。古墳と同じ。それから、「こんなきれいな景色を見て死にたいと思う人なんているのいるの?」と言い返しそうになった時にはもうコウくんは顔面蒼白で、それから。うん。ごめんね、ずっとこんな狭い場所に閉じ込めちゃって。ごめんね、コウくん。


 言うのが遅くなったけど、ねぇコウくん。「ゴンドラ葬」って知ってる? 私がここに来たのはその一環で、あー勿論、今日はコウくんの命日で。乗り物型の墓碑が認められるようになってから、事故車両を解体する人も減ったみたいだよ。コウくんと一緒にお墓に入りたいって思ったから、私がそっちに行く時はこれに乗って行こうと思うんだ。その時は、コウくんも迎えに来てくれるよね?


 でも、東京タワーが見えない場所を東京と呼ばない人がいるのなら、景色を楽しめない観覧車は観覧車とは呼ばないのかもしれないね。まあそんなことは私には関係がなくて。だって、ただ私が乗るだけだから。いや視聴者を含めたら「私たち」かな。


 内装リフォームで窓一面にコウくんの写真を貼ったこの17番のゴンドラは文字通りの「イタ車」でしかなくて。でも、安心して。マジックミラーにして貰ったから、外からは見えないよ。さっき、「景色は映らないようにする」なんて言ったけど、見れるはずはなくて。でももし、コウくんがゴンドラの外側から私を覗いてくれてるのであれば、外の景色を楽しんでほしいな。ねえ、だから私だけを見ないで。私はコウくんだけを見るけど。


 うん。予算は勿論、収益だけじゃ足りなかった。でもYouTuberとコラボしたら儲かるからって園の方が言ってくれて。「私たち」のゴンドラは一緒に回りながら、みんなが乗せて夢を運ぶ。


 明日から17番は予約でいっぱいだよ。みんなコウくんに会いたいんだって。だから安心してコウくん。みんながコウくんを待ってるんだよ。私も、すごく嬉しい。でも多分、黒い枠で縁取っていない写真を見るのはみんな初めてだろうね。


 ここは誰かにとっての祝福の場所で、青春の場所で、私が50万人記念でコウくんプロポーズするはずだった場所だったから。事故車両が人に愛された例は少ないだろうし、コウくんがいなくなった後で、伸びた動画も沢山あって。でもそれをゴッホと同列で表現することはさすがに私はフキンシンだと思ったけど、でもありがとう。コウくんも喜んでるはずだから、私も嬉しいです。それから、視聴者様のおかげで、今日この日を迎えて、ゴンドラ葬を執り行うことができたので感謝しかないです。本当にありがとうございます。


 また帰ってくるよ。おやすみ、コウくん。

 私は静かに観覧車を降りる。

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