第23話 午後の日だまりの中で
戦略家 ジークベルト・フォン・アインホルンの物語
「皆様、本当によくいらして下さいましたね」
アインホルン侯爵家のご令嬢であるメーア・フォン・アインホルンは、血の繋がらない弟、ジークベルトの級友たちをお茶会に迎えて、溢れんばかりの笑顔を浮かべた。
それは、まさに女神の微笑みであった。
ヴァルデス公国の宰相兼財務卿の重責を任されているアインホルン侯爵家の権勢と財力そのままに、植栽によって複雑な幾何学模様を描く整形式庭園は、公国でも指折りの豪華さを誇っている。
本日のゲストである公立魔導アカデミー高等部の新入生たちは、お茶会の主催者である二つ、年上の少女の美貌に圧倒された。
美の女神の恩寵を最も多く受けた女性が、この地上に存在するとしたら、それはまさにこのメーア・フォン・アインホルン侯爵家第一公女であっただろう。
「噂には聞いてたけど、ジークのお姉様ってこんな凄い美人だったのね」
マリベル・バウムガルトナーが、ため息をつきながらそう言った。
「メーア様って、アカデミーの中等部にいらした頃からもう、伝説でいらしたものね」
アスベル・バウムガルトナーが、双子の妹の言葉を引き継ぐ。
「あなたたちこそ、ご自分のお可愛らしさついて自覚をお持ちでないようね」
クスッと笑って、メーアがそう言った。
本当にその通りだ。
ヴァヌヌは、そう思っていた。
アスベルとマリベル、バウムガルトナー元伯爵家の双子の姉妹もまた、本当に美しい少女たちだ。
まだ幼さを残す、優しい
ヴァヌヌは傍に座るアデリッサ・ド・レオンハルトの横顔に目をやった。
その出自を北方エフゲニアに持つ事を表す象牙色の肌とペールブルーの双眸。
バウムガルトナー家の双子が燃えるような、明るい金髪をしているのに比べて、アデリッサの髪の毛の色は、穏やかな
楚々として上品なアデリッサの雰囲気によくマッチしていた。
このお茶会の場にいるのは、女主人であるメーア・フォン・アインホルンの他、アスベル・バウムガルトナー、マリベル・バウムガルトナー、アデリッサ・ド・レオンハルト。そして、初見の少女がもう一人である。
ヴァヌヌには初対面であったが、この大人しそうな少女は、ポーレット・リコリスである。
ジークベルトにメーアの身に迫る危険を警告してくれた人物であった。
少女の制服の袖を飾るのは、「三本線」のラインだ。
この少女のまた、貴族階級に属する人間であるという事だ。
ヴァヌヌは、自分の制服の袖のラインが、「一本線」である事の意味を改めて噛み締めた。
この場にいる者たちが自分をのぞいて全員が貴族であり、平民は自分だけだという事だ。
ヴァヌヌは、どうしても身構えてしまう自分を感じていた。
それは、ただの引け目ではない。
ヴァヌヌは、これまでこのような場所で際限のない身分上の差別を受け続けてきたからだ。
ただ、身分の違いばかりでなく、このように美しい少女たちに囲まれているのは、ヴァヌヌにとって、居心地の悪い事、この上ない状況だった。
「ヴァヌヌさんだったかしら? 紅茶はいかが?」
メーアが、ヴァヌヌに紅茶を勧めて来た。
「あ、有り難うございます、メーア様」
メーアのほっそりとした白い指が、ティーポットを保持して、皿に置かれたティーカップに香気に満ちた琥珀色の液体を注ぐ。
メーアも当然、ヴァヌヌが平民である事を分かっているはずだが、ヴァヌヌに向ける貴賓のある笑顔は、貴族である彼の級友たちと何ら、変わるものではなかった。
それが、自分は身分差別などしない、善良で意識の高い人間なのだと主張するための、偽りの笑顔でない事も、ヴァヌヌは敏感に察知していた。
「ラスカリスとザザも来れたら良かったんだけど…」
アスベルが小さな吐息を吐いた。
「仕方ないわよ、姉さん。ラスカリスは、アイヴォリー・キャッスルの大公会議に出席しなければいけないし、それにザザって、華やかな場所が苦手ってぽいしさ」
その時、回廊の方から快活な声が聞こえた。
「苦手な事は、克服できるものだよ。何事も慣れというものだ」
この場の女主人であるメーアを初め、少年と少女たちは、声のした方向を振り返った。
ジークベルト・フォン・アインホルンが、一人の少年を従えて、ティーポットとティーカップ、ソーサーを載せたワゴンを運んで来ていた。
アスベルの弾んだ声が、二人の少年を出迎えた。
「ザザ、あなたも来てくれたのね」
均整のとれた長躯のジークベルトの陰に隠れるようにして、小柄な少年がおずおずとした表情で、お茶会の出席者たちを見詰めていた。
ヴァヌヌはすっと立ち上がって、片手を胸に当てて貴人に対する礼をとった。
「ジークベルト様、ザザ様」
ジークベルトは苦笑した。
「畏まらなくてもいいよ、ヴァヌヌ。ここは親しい友人同士で語らう場所だからな」
ザザは、美しい少女たちが集結している場に、クラスメートの顔を見付けて、安堵した表情を見せた。
グアルネッリ伯爵家という、公国でも指折りの名家の一族なのに、ザザは平民であるヴァヌヌが訝しく思うほどに、内気で引っ込み思案な性格をしている。
ジークベルトは、ポーレット・リコリスに会釈した。
「ようこそ、おいで下さいました。ポーレット・リコリス嬢、アインホルン家の一員として、ポーレット様を心から歓迎いたします」
「過分なご挨拶、恐れ入ります、ジークベルト様。本日はご招待、ありがとうございます」
ジークベルトは、ポーレット・リコリスが、メーアの身辺に迫る危機を報じてくれた事をメーアには伝えてはいなかった。
ポーレットが恐怖に耐えて、エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトらの企みをジークベルトに伝えてくれたからこそ、メーアは何も知らないまま、こうやって薔薇のように微笑んでいられるのだ。
「お口に合うといいのだけど…」
ジークベルトがソーサーに載ったティーカップを少年と少女たちの前に並べ、メーアがティーポットを取り上げて、カップに紅茶を注ぐ。
ティーカップに満たされた琥珀色の液体から、真っ白な湯気とともに芳醇な香りが立ち昇った。
マリベルがティーカップを手に取って、優雅な仕草でそれを口に運んだ。
今は、騎士爵家に落魄しているとはいえ、元は、ヴァルデス公国の外務卿に任じられるバウムガルトナー伯爵家の人間だ。
マリベルの仕草はとても優美で、自然な気品に満ちていた。
ヴァヌヌは、純白のボーンチャイナのティーカップ、ティーポットに、「勇み立つ一角獣」の紋章がデザインされているのを見た。
アインホルン家がまだ、主君であるヴァルデス大公家とともに、エフゲニア帝国の大貴族であった頃から用いられてきた旌旗の意匠だ。
これこそが、貴族だ。
ヴァヌヌは、ただ圧倒される思いだった。
それより困った事があった。
平民である自分には、貴族の作法というものが分からない。
ヴァヌヌは、ソーサーの上でカップの取手が左側を向いているのを見て、左でカップの取っ手を掴もうとした。
すかさず、アスベルがヴァヌヌに耳打ちする。
「ヴァヌヌ、ティーカップは右手で持つのよ」
「あ、あ、はい。ですが…」
今度は、マリベルが反対側からヴァヌヌに耳打ちする。
「ティーカップの取手が左側を向いている時は、右手でお砂糖やミルクを入れ易いようにという意味。お砂糖やミルクが要らない時は、取手を右側に回して、右手で取手を掴むのが、貴族の作法なのよ」
「わ、分かりました」
ヴァヌヌは、左手でカップの取っ手を右へ持って来て、右手で取手を握ってカップを持ち上げた。
ザザ・グアルネッリが、ヴァヌヌに目配せした。
「ヴァヌヌ、持ち方だけど…」
ザザは、ヴァヌヌにティーカップの持ち方を示してみせた。
「取手に指を入れたりせず、親指と人差し指、中指で両側から取手を挟むようにして、カップを持ちあげるんだよ」
「こ、こうですね…」
ヴァヌヌは、なんとか貴族の作法通りにややってみせた。
ジークベルトが太陽のような笑顔を見せた。
「上出来だよ、ヴァヌヌ。俺なんか、最潮はこうだったからな」
ジークベルトはティーカップを鷲掴みにして、そのまま口に運んで、豪快に紅茶を飲み干した。
アスベルやマリベル、アデリッサらが声をあげて笑った。
メーアが目を細めて、血の繋がっていない弟を見詰めた。
「ジークったら、本当にそうだったものね… 貴族らしく降る舞えるのに、何年かかったことか…」
「全ては、姉様のご指導の賜物です。まあ、そんなものだから、ヴァヌヌ、礼儀作法などあまり気にせず、お茶会を楽しんでくれ」
「はい、ありがとうございます、ジークベルト様」
ジークベルト初め、友人たちがどれだけ言っても。ヴァヌヌはアカデミーの級友たちに敬称を使う事をやめない。
それは、平民であるヴァヌヌの貴族たちに対するけじめであり、彼なりの処世術であるらしかった。
あのチェーザレ・ヴァンゼッティのような、傲慢を絵に描いたような貴族の子弟の従者として、ヴァヌヌがこれまでどれだけの屈辱と労苦に耐えて来たか、それを思うと胸の奥が刺すように痛むのを、ジークベルトは感じていた。
「姉様は、ワインの方がよろしいですか? ワインセラーの方から軽いものを見繕って参りましょうか?」
メーアが頷いたので、ジークベルトは椅子から腰を浮かせた。
ポーレット・リコリス男爵家令嬢が、立ち上がって言った。
「ジークベルト様、お手伝いいたします」
ポーレレットの思惑を察して、ジークベルトは彼女に微笑んだ。
「お願いできますか、ポーレット様」
アインホルン家のワインセラーに通じる、薄暗い回廊でポーレットはジークベルトの背中に声をかけた。
「あ、あの、ジークベルト様…」
ジークベルトは、自分の肩の高さしかない少女の正面に向き直った。
「姉のことを懸念しておられるのですね、ポーレット様?」
ポーレットは、こっくりと頷いた。
「姉メーアに不埒な行為に及ぼうと画策していた連中のうち、主犯格のエドラー・ヴォルフは、フォン・ゼークト家を出奔し、行方が知れません。アカデミーにも、それきり登校していません。少なくとも、学院の中で、姉に危険が及ぶ事はもうないと思われます」
「ですが、エドラー・ヴォルフ様以外にも、計画への賛同者がいます」
「アルトゥール・クライン、フェリクス・リヒター、リュディガー・シュワルツ… こいつら、エドラー・ヴォルフの舎弟どもは、いずれも小物ばかりです。エドラー・ヴォルフがいなければ、何も出来はしません。近いうち、我が父ユルゲンが手を回し、何かしらの理由をつけて、こいつらを放校処分にするでしょう。奴ら、素行は悪いし、成績も最低ですから」
「はい」
ポーレットは、ようやく安堵の表情を浮かべた。
「ポーレット様、ずいぶん、恐い思いをされたでしょうに、それを押して姉メーアの危機をお知らせいただいた事、弟として心から感謝の言葉を申し上げます。アインホルン公爵家としても、貴家リコリス男爵家に対して、最大限の御礼をさせていただきます」
しかし、ポーレットはジークベルトの言葉に大きく被りを振った。
「報奨を求めて、やったことではありませんので… 私は、大切な友人であるメーア様の窮地をお救いしたかっただけですから」
「失礼な事を申し上げたかもしれませんね… 改めて、あなたのような素晴らしい女性が姉のご友人であった事を名誉と思います。どうか、これからもメーアと仲良くしてあげて下さいね」
「はい、ジークベルト様」
「ジークとお呼び下さい。友人は俺の事をそう呼びます」
ポーレットは、莞爾と笑った。
「はい、ジーク様」
「では、ワイン選びをお手伝いいただけますか、ポーレット様」
「はい、ジーク様、喜んで」
数日前、アカデミーの裏庭を臨む回廊を一人、佇んでいたジークベルトは、いきなり、首筋に銀色に輝く刃が押し付けられた事に気が付いた。
「声を出さないでいただきたい、ジークベルト・フォン・アインホルン殿…」
ジークの耳元で、低い声がそう囁いた。
「…人違いではないようだな」
おそらくは、超一流の「レンジャー」か、「暗殺者」をジョブに持つ工作員だ。
その「
「あの方があなたにお会いしたいとおっしゃってます… ご同行をお願いいたします…」
物言いは丁寧だが、有無を言わさない口調だった。
「心得た」
「失礼ながら、視界を遮らせていただきます…」
途端にジークベルトの視野が、月のない夜のように暗くなった。
こんなスキルもあるのか。
わずかな驚きと恐怖が、ジークベルトの心を冷たくした。
その部屋に入ると、顔の産毛がちりちりと逆立つのをジークベルトは感じていた。
部屋の中が強力な静電界で満たされている証拠だ。
「録音」「録画」「位置の特定」「盗聴」など、あらゆる魔道具の機能を使用不能にする仕掛けだ。
ジークベルトを連行した男が、彼の目に目隠しをした。
「手荒な真似をして、すまなかったね、ジークベルト・フォン・アインホルン」
それは、ジークベルトが公立魔導アカデミー高等部に進学してまもない頃、三人の男によって拉致された部屋にいた男性の声だった。
「…今回は、手錠と
闇の中で男が苦笑した。
「君が、おかしな魔道具を所持していない事は、チェック済みだよ。悪いが、目隠しだけはさせていただく… 君の事を、ジークと呼んでもいいかね?」
「ジークベルトとお呼び下さい」
俺のことを「ジーク」と呼んでいいのは、友人たちだけだ。
「では、ジークベルト。乱暴な招待の仕方で気の毒だったが、いくつか確認したい事があって、急遽、会見の場を設けさせてもらった」
「今回は、もうお二人の方たちは、この会見の場とやらに出席されないのですか?」
前回、ジークベルトがこの部屋に連れ込まれた時は、この声の持ち主の他に二人の人物が同席していた。
その二人は、決して声を発する事はなかったが…
「…さすがだな、ジークベルト。あの二人はずっと沈黙を守っていたはずだが、君は彼らの気配を察していたわけだ」
頭から袋を被せられ、視界を完全に奪われた状態であっても、二人の息遣いで彼らがジークベルトとさほど変わらぬ若者である事は確実だった。
あの二人が、一言も声を発しなかったのは、もしかすると、ジークベルトと実際に会話を交わす機会のある人間であり、声を覚えられる事を嫌ったためではないかと、ジークベルトは踏んでいた。
「…フォン・ゼークト家で何があったのか、訊きたい」
「ゼークト伯爵家の当主、ルードヴィヒ・フォン・ゼークト様のお見舞いに行っただけですが…」
「それを信じろと言うのかね」
「ルードヴィヒ伯爵は、公国の内務卿、ギデオン・グアルネッリ伯のアカデミー時代の友人でいらっしゃいます。そして、俺の級友であるザザ・グアルネッリは、ギデオン伯の実弟。その関係で、このジークベルトもフォン・ゼークト家へお邪魔した次第です」
「ヴァルデス公国の第三公子で有らせられるラスカリス・アリアトラシュ殿下も、一緒にルードヴィヒ伯のお見舞いに行かれただけだと主張するつもりかね?」
「ラスカリス・アリアトラシュ殿下もまた、このジークベルトの旧友の一人です。次期大公位を襲う可能性のある貴人が、有力貴族の病床を見舞うのが、そんなに不自然でしょうか」
大きな吐息が吐き出されるのを、ジークベルトは闇の中で感知した。
「このまま、議論を重ねても堂々巡りなだけだな… 掛け値なしで言おう。フォン・ゼークト家から、何か持ち出したりはしなかったか?」
あの「鍵」の事だな。
ジークベルト・フォン・アインホルンとラスカリス・アリアトラシュ・ヴァルデス、ギデオン・グアルネッリ伯爵、そして、メイドに化けたザザ・グアルネッリが、病床見舞いと称して、フォン・ゼークト家を訪い、
リィーンは現在、アスベルとマリベルのバウムガルトナー騎士爵家で匿われている。
リィーンの身柄を奪われ、身の危険を感じたであろうエドラー・ヴォルフはそのまま、伯爵家を出奔した。
病床にあるルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵は、「自分の身に何かあったら」という条件付きで、親友であるギデオン・グアルネッリ伯に「鍵」を託したのだった。
それは、ヴァルデス公国の公都ヴァイスべルゲンにあるクリスタロス銀行の貸金庫の鍵であり、金庫の中には一通の「文書」が収められているという事だった。
声の主が言う「何か」とは、ギデオン伯がルードヴィヒ伯から受け取った鍵の事であり、その鍵によって開錠される金庫の中に収められた秘密の「文書」の事に違いなかった。
「いいえ、何も」
「……」
闇の中で、男は沈黙した。
その声は自然な威厳が備わっていて、この男が日々、他者に対して威圧的に命令する地位と立場にある人間であることが推測された。
「…まあいい、そう言う事にしておこう。ジークベルト、もう一つ、聞きたいことがある。フォン・ゼークト家から、第二子エドラー・ヴォルフが出奔した事は知っているかね?」
「アカデミーでも話題になっていますから、無論です」
「彼の他には?」
「他?」
もちろん、これはジークベルトらがフォン・ゼークト伯爵家から脱出させた
「他とは誰の事でしょうか? エドラー・ヴォルフの他にフォン・ゼークト家から蓄電した者がいたとでも仰るのですか?」
「……」
闇の中で、男はまた、黙り込んだ。
鍵の事、その鍵が守る秘密の「文書」の事、そして、リィーンを人質にとって、その姉ガザーラにラスカリス・アリアトラシュ暗殺を決行させた事、一連の謀略の主こそが、まさに目の前にいる男なのだと、ジークベルトは再認識した。
そして、暗殺失敗と人質奪回によって、大きく計画を狂わされ、そしてその事について、ジークベルトがどのように関わっているのか、この男は判断に苦しんでいるらしかった。
ジークべルトは、自分の方から問いを発した。
「伺ってもよろしいでしょうか」
「何だね、ジークベルト・フォン・アインホルン」
「エドラー・ヴォルフらが計画していた、我が姉、メーアを襲って陵辱すると言うプランはどうなりますか?」
闇の中で、男が鼻を鳴らした。
「そんなものは中止だ。元々、アインホルン家の令嬢に勝手に懸想して振られたエドラー・ヴォルフが無理やり、我々の計画に捩じ込んできた話だよ。エドラー・ヴォルフは、国家を謀る大計と、己の個人的な肉欲との区別がつかない獣でしかない」
それについては、完全に同意できるがね。
ジークベルトは、メーアの薔薇のような微笑を思い描いた。
とりあえず、あの笑顔を守れたようだ。
「新しい計画は、もうスタートしている。君はまだ、我々の味方だろうね、ジークベルト・フォン・アインホルン?」
「もちろんです」
「荒っぽい真似をして、済まなかった…」
男が何か、合図を送ったようだった。
扉が開いて、ジークベルトをこの部屋に連行した男が入室して来たようだった。
男がジークベルトに起立を促した。
部屋を退出しようとするジークベルトの背中に、男が声をかけてきた。
「また、連絡する、ジークベルト」
「こちらから、あなたにコンタクトする事は出来ないのですか?」
「…君の事を本当に信用できるとなったら、連絡手段を教えよう」
「……」
部屋を出る間際、ジークベルトの背中に声が降ってきた。
「君を見ているぞ、ジークベルト・フォン・アインホルン」
ああ、こっちも同じさ。
いつか、あんたの正体を確かめてやるさ。
その時が、あんたの最期になるだろうよ。
ジークベルトの背後で、部屋の扉がわずかに軋む音を立てて閉まった。
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