第22話 矛と盾

神の盾 ヴァヌヌの物語


「ダメだ。全く、お話にもならない」

 公立魔導アカデミーの理事長、ヴァラカ・シャヒーンは大きく被りを振った。

「理事長先生、聞いて下さい」

 一人の小柄な少年が、ヴァラカ・シャヒーンに食い下がった。

「私からもお願いします。前例のないことだとは、私たちも十分、理解しています」

 少年に続いて、栗色の髪をした可憐な少女が、ヴァラカに真剣な表情で訴えた。

少年は、ヴァンゼッティ家の住卒、ヴァヌヌ。

少女は、公国の名門、レオンハルト家の次女、アデリッサ・ド・レオンハルトであった。

 ここは、ヴァラカ・シャヒーンの執務室である。

大きな窓に施されたステンドグラスが、室内に虹色の光を投げかけていた。

 ヴァラカ・シャヒーンは、大きなため息をついた。

ヴァラカ・シャヒーンは、元々、S級の冒険者だ。

 平民出身でありながら、冒険者という実力の世界でトップのS級まで上り詰めた、生きる伝説と呼べる人物である。

 平民出身で元冒険者である彼女が、ヴァルデス公国の貴族と騎士の子弟を教育する公立魔導アカデミーの責任者に上り詰めるのは、ほとんど奇跡と言っても良い事だった。

「要するに、こう言う事だな、ヴァヌヌ。『魔核』ボアズを破損している君は、攻撃魔法が使えない。逆に、『魔核』ヤキンを失ったアデリッサは、防御魔法が使えない。それで、お互いの欠陥を補うため、二人でペアを組みたい… そうしたいと言うのだな」

 少年と少女は、小さく頷いた。

「僕が防御魔法を使って、アデリッサ様を守ります、そして、アデリッサ様が攻撃魔法で敵と戦えば、健全な『魔核』を二つとも備え、攻撃魔法と防御魔法、その両方を使える壱人前の魔術師マージと変わらない事になります」

 ヴァヌヌがそう言った。アデリッサが言葉を続ける。

「お願いです、理事長先生。私たちから、魔術師マージとしての未来を奪わないで下さい」

「二人で一人前という事かね。論外だな。良いかね? 攻撃魔法と防御魔法は、騎士の剣と盾に例えられる。騎士は剣で敵を攻撃し、敵の攻撃を盾で防ぐ… これが基本中の基本だ。私は、冒険者出身だが、冒険者の中には、大楯を専門的に用いて、魔物やモンスターたちのヘイトを一心に集めるタンカーというジョブを持つ者たちがいる。ヴァヌヌ、もしかしたら、君はそのタンカーとして冒険者の道を目指す事は可能かも知れない。だが、魔術師マージは無理だ。魔術師マージは、剣で攻撃し、盾で身を守る騎士と同じように、攻撃魔法と防御魔法の両方を駆使して、戦うジョブなのだよ。例外などない」

「理事長先生、お願いします」

「アカデミーでも、魔術師マージは、一対一の戦闘を基本としている。攻撃魔法で敵を撃ち、防御魔法で敵の攻撃魔法を防ぐ… 優秀な魔術師マージとは、相手の防御魔法を打ち砕く程強力な攻撃魔法を発射できて、また、相手の攻撃魔法を余裕で防げるほど強力な防御魔法を展開できる術者の事だ」

「……」

「アカデミーの訓練で、一人の相手に君たち二人で立ち向かうのか? 相手がそんな戦い方を受け入れると思うのかね?」

「だ、だったら、相手も二人組にすれば良いと思います。それなら、二対二で対等な条件で戦える事になります」

「攻撃魔法と防御魔法、その両方を使える魔術師マージが、君たちと戦うためにわざわざ、ペアを組んでくれるのか? そんな事をして、彼らに何のメリットがある?」

「……」

「仮に、一対一ではなく、一対二であっても、君たちが一人の術者相手に勝てるとは思えない。防御魔法を張っている間は、攻撃魔法が撃てないから、素早く、攻守の魔法を切り替えて戦う事ができる術者こそが、真に優れた魔術師マージと言える。君たちがどれだけ巧みにコンビ技を駆使したとしても、攻守両方の魔法を一人で駆使できる者ほど自由自在には行かないだろうよ… 悪いが、君たちの主張には、無理があり過ぎる」

 ヴァヌヌとアデリッサは、肩を落として項垂れてしまった。

まだ、ほんの少年と少女である二人が悄然としている様は、ヴァラカ・シャヒーンの心を掻き乱した。


 おかしな組み合わせだ。

 

 ヴァラカ・シャヒーンは、そう思った。

ヴァヌヌの制服の袖を飾るラインは、「一本線」、つまり、「平民」の証である。

 ヴァヌヌは、ヴァンゼッティ男爵家の嫡男チェーザレの従者に過ぎず、あくまでチェーザレのお供として、特別にアカデミーで学ぶ事を許されているだけだ。

 一方、アデリッサの制服の袖のラインは、「三本線」、「貴族」を意味している。

アデリッサが属しているのは、ヴァルデス公国でも名門中の名門であるレオンハルト伯爵家である。

 レオンハルト家は、代々、公国の軍務卿を拝命し、四つの「魔神器」のうち、「デスサイズ 月影ムーンシェイド」を預かる大貴族であった。

 「デスサイズ」とは、死神の鎌という意味だが、レオンハルト家の人間以外、その真の姿を見たことがないとされていた。

 月の影など、誰が見たことがあるというのだ?

「金の魔導弓 クリューソス」「銀の魔導弓 アルギュロス」「デスサイズ 月影ムーンシェイド」「エメスの指輪」、四つの「魔神器」がその恐るべき威力を発揮したのは、三百年前の独立戦争の時だ。

 ヴァラカ・シャヒーンは、ヴァヌヌの細い首筋や痩せた肩に目をやった。


この少年は、もしかすると…


 伯爵家の令嬢であるアデリッサに好意を抱いているのだろうか…


 だとすれば、これほどの悲劇はなかった。

平民の少年が、貴族、それも「魔神器」を預かる大貴族、レオンハルト伯爵家のご令嬢に懸想してどうなるというのだ。

「二人とも、手を出しなさい」

 ヴァラカ・シャヒーンが、少年と少女にそう言った。

ヴァラカの意図を測りかねて、ヴァヌヌとアデリッサは、顔を見合わせてから、おずおずと片手を差し出した。

 ヴァラカ・シャヒーンが両手を伸ばして、二人の手を握った。

ヴァヌヌの制服の袖口には、「一本線」、そして、アデリッサのそれには、「三本線」。

「ヴァヌヌ、アデリッサ・ド・レオンハルト、二人ともよく聴きなさい。君たちの人生は、偶々たまたま、このアカデミーで、長い人生のほんの一瞬だけ、交わっただけなのだ。ヴァヌヌ、君は平民で、アデリッサ、あなたは伯爵家の御息女だ。二人とも、この意味が分からないほどの子供ではあるまい」

「理事長先生」

「君たちは今は、同じ制服を着て、同じ学舎で学んでいる… しかしな、ずっと一緒に居られるわけではないのだぞ」

 ヴァラカ・シャヒーンの言葉は、二人の少年と少女、特に立場の弱いヴァヌヌの胸を抉った。

 ヴァラカ・シャヒーンは尚も続けた。

「ヴァヌヌ、君が大いなるハンデを乗り越えて、見事、魔術師マージとなることができたとしよう。平民出身の君は、帝政エフゲニアか、沙馮シャフーと対峙する最前線へ配置される事になるだろう。そこで際立った功績を上げることができれば、もしかしたら、騎士の称号を得ること位はできるかもしれない」

 

 実際には、ヴァヌヌが魔術師マージとして、前線へ配備される可能性は、ほぼゼロだ。


 攻撃魔法が使えない術者など、そもそも、魔術師マージと名乗る資格さえない。


 内心に苦い想いを抱きながら、ヴァラカ・シャヒーンは、言葉を続けた。

「一方、伯爵家の息女であるアデリッサは、その身に危険が及ばぬよう、最初から参謀本部などの後方勤務となるはずだ」


 そう、防御魔法を使えない半端者であっても、貴族とはそういうものだ。


「お互いに任地が遠く隔たったとして、それでも、学生時代と同じようにペアが組めると思うのか?」

「……」

「君たちがそうやって、肩を並べて一緒に歩いていられるのは、今だけなのだ。過分な夢を思い描いた挙句、そのせいで深く傷付くのは、君たち自身なのだぞ」

 ヴァヌヌは、項垂れた。


君たちか…


事実上、傷付くのは僕だけだって事だな…


「では、どうしても…」

 アデリッサが尚も食い下がる、

「どうしてもだ。報告によれば、アデリッサ、君はアリーナの模擬戦闘で爆裂魔法の余波を受けて、軽傷を負ったそうではないか。これが実戦だったら、どうする? 防御魔法を使えない君は、命を落としていたかもしれないのだぞ」

「そうなったとしても、私の自己責任です」

「自分の身分や立場を考えることだ、アデリッサ・ド・レオンハルト。大貴族の一族の生死は、当人一人だけの問題では済まないのだ」

 アカデミーの最高責任者に、こうまで言われては、アデリッサも弾き下がるほかなかった。

 ヴァラカ・シャヒーンは、少年と少女の腕を解放した。

「私も、君たちの個人的事情は聞いている。魔術師マージとして、最初から大き過ぎるハンデを背負っている君たちが、それでもアカデミー高等部の四年間で、大切な何かを掴めるよう、私も心にかけておくことを約束しよう」

「理事長先生」

 ヴァラカ・シャヒーンは、ようやく慈母のような温かい笑顔を見せた。

「会見はここまで… 二人とも教室へ戻りなさい」

 ヴァヌヌとアデリッサは、お互いに顔を見合わせた。

是非もない事だった。

 少年と少女は、ヴァラカ・シャヒーンに一礼して、声を揃えて言った。

「失礼しました、理事長先生」


 公立魔導アカデミーのカフェ、白い丸テーブルに少年と少女が着席している。

アデリッサ・ド・レオンハルトは、紅茶のカップを取り上げて、それを口に運んだ。

 その仕草は、一幅の絵画のように優美で、ヴァヌヌの胸を高鳴らせた。

「…やっぱり、最初から無理だったのかしら」

「そうですね…」

 ヴァヌヌは、周囲の好奇心と困惑の視線が自分たちに突き刺さっている事に、否応なく意識させられていた。

 どうして、「一本線平民」の餓鬼が、「三本線貴族」のご令嬢とカフェで同席しているのだ?

 二人に集中する眼差しの半分は、そんな偏見と反感であったろう。

そして、残りの半分は、どうしてあんな可憐な少女が、何の取り柄もなさそうな、貧相な少年とテーブルを共にしているのだろうという疑問であったに違いない。

「ご迷惑をおかけしました、アデリッサ様」

 ヴァヌヌは、両手をテーブルに置いて。アデリッサに頭を下げた。

「理事長先制のおっしゃる通りです。身分や立場や考えたら、僕なんかがアデリッサ様とパートナーを組めるはずがなかったのです。身の程知らずでした」

 恐縮するヴァヌヌの手を、両手で握り締めた。

「お願いだから、ヴァヌヌ。そんな事を言わないで」

「ア、アデリッサ様」

 ヴァヌヌは、狼狽した。

同年代の異性に手を握られた経験など、これまで一度もなかったからだ。

 ましてや、大貴族のご令嬢で、これほど美しい少女なら尚の事だ。

 ヴァヌヌは、自分に突き刺さる視線に更に鋭さが増した事を感じ取った。

「ヴァヌヌ、よく聞いて。あなたと私の立場は同じ。お互いに失ったものを残っているもので補っていくしかない身上なのよ。だから、私に謝ったりなんか、絶対にしないで」

「アデリッサ様」

「あ、ごめんなさい」

 アデリッサは、慌ててヴェヌヌの手を離した。

ヴァヌヌにとって、アデリッサの手の温もりは心の奥底に染み通った。

 平民である自分がヴァルデス公国の公立魔導アカデミーに進学し、アデリッサに知遇を得るだけでも、これまでのあらゆる苦痛と屈辱に耐え続けて来た甲斐があったとさえ感じた。

 アデリッサの琥珀色の双眸が、真っ直ぐにヴァヌヌを見詰めていた。

「理事長先生のおっしゃった事は、全くの正論。私たちは余りに大き過ぎるハンデを抱えている… それでも、私は人生を諦めたくない」

「それは… 僕だって同じです」

「ヴァヌヌ、私はあなたを必要としている… あなたも私の事を必要だと思ってくれたら、これほど嬉しい事はないわ」

「アデリッサ様…」

 アデリッサは、莞爾と笑った。

その笑顔は、まるで本物の女神のようだとヴァヌヌは思った。


 この笑顔を守るためなら、僕はいつでもこの命を捧げよう。


 ヴァヌヌは、心の中でそう誓った。

後の「三年戦争」で、「神の盾」と「氷姫」と呼ばれ、それぞれヴァルデス公国最大の戦力と賞賛される事になる少年と少女は、この時はまだ、茫洋たる未来に惑い。思い悩み、怯えるちっぽけな存在でしかなかった。

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