第21話 大好きな姉、大事な妹

神穹姫 アスベル・バウムガルトナーの物語


 フォン・ゼークト伯爵家のワイン蔵から脱出した沙馮シャフーの少女、リィーン・アフメドは、ヴァルデス大公家の馬車で公都ヴァイスベルゲンのメインストリートを疾走していた。

 豪奢を極めた馬車には、大公家の紋章である「フルール・ド•リス」、つまり「百合の紋章」の旌旗が翩翻と風にはためいている。

 公都の住人ならば、その馬車の中にヴァルデス大公家の一員が乗っている事を誰もが知悉していた。

「あまり、外を見ないように」

 いかにも貴族らしい、仕立ての良い服を着た大人の男の人から、そう言われたので、リィーンは、できるだけ天蓋の窓へ顔を近づけないようにしていた。

 それでも、馬車の進行とともに、窓の外を流れて行く公都の景色に、異国の少女は瞳を輝かせた。

 沙馮シャフーは、基本的に遊牧民だ。

定住生活を送っているのは、沙馮シャフーを代表する二大部族、サイード族とハザーラ族だけだ。

 サイード族の首都名は、ジャララカーン。王宮は、アブドゥルメジド宮と言う。

ハザーラ族のそれは、バンジシール。王宮は、ドルマバフチェ宮と言う。

 いずれも、サイード族とハザーラ族が敵国を打ち滅ぼし、その住民を殺戮するか、奴隷にするかして、都市を丸ごと乗っ取り、その場へ住み着いたものだ。

 他の部族ウルスは、家畜である馬や牛、羊に草と水を与えるため、草原と砂漠を放浪して、定住することは決してない牧畜民族ノマドである。

 沙馮シャフーの少女リィーンが所属するザッタギア族もその一つであり、草の海、砂の海しか知らないリィーンにとって、ヴァルデス公国の公都ヴァイスベルゲンの街並みは、胸を躍らせるものだった。

 どこをどう通って行ったのか、土地勘のないリィーンには理解出来なかったが、短い馬車での旅が終わりを告げる時、リィーンは馬車が豪壮な邸宅のファサードへ静かに滑り込んで行くのを知った。

 リィーンは、お揃いの制服を着たメイドたちにほって、ある部屋に案内された。

さして広くはない部屋であったが、調度品の豪華さはリィーンを圧倒した。

 間違いなく、ヴァルデス公国の大貴族の屋敷であり、その屋敷の居室であった。

沙馮シャフーは、清貧を尊ぶ。

 勇敢な砂漠の戦士、草原の騎兵である砂馮シャフーの人間にとって、必要なのは、敵を殺すための円月刀と家畜を屠殺するための鋭利なナイフ、先祖伝来のコーヒーメーカーと錫製のコップ、戦友たちといくさの勝利を祝って掻き鳴らす六弦琴、魂が宿るとされる頭部を守るためのターバンと身体を包む長袖のローブ、そして、何よりも草原と砂漠、星空とオアシスを支配する、慈悲深き天帝への信仰心だけだった。

  それでも、居室の豪華な設えは、まだ10歳の少女の胸を躍らせた。

「リィーン。入っても良いかしら」

 若々しい少女の声が聞こえた。

リィーンが戸惑っている間に、彼女の返事を待たず、部屋の扉が開いて、二人の少女が入室して来た。

 リィーンは、はっと息を呑んだ。

 部屋に入って来た二人の少女が、全く同じ顔をしていたからだ。

「ふ、双子…?」

 二人の少女の嫋やかな肢体を包むのは、仕立ての良い絹のワンピースだ。

彼女たちが貴族の一員であり、この豪壮な館の住人であることは間違いなかった。

「私は、アスベル。アスベル・バウムガルトナーよ」

 磨き抜いた純金のような髪を、真紅のリボンで纏めた少女がそう言った。

「私は、マリベル・バウムガルトナー。アスベルの双子の妹だよ。よろしくね、リィーン」

 同じく、見事な亜麻色の髪を瑠璃色のリボンで纏めた少女が、人懐こそうな笑顔を見せて、そう言った。

「こ、ここは、どこ…?」

 リィーンの問い掛けに、双子は声を揃えて答えた。

「バウムガルトナー騎士爵家だよ、あたしたちのお家」

 マリベルがソファで固まっているリィーンの隣に座って、いきなり彼女を抱き締めた。

「酷い目に遭ったね。こんな小さい子が」

 アスベルもまた、リィーンを挟んで、マリベルと反対側に腰を降ろした。

「でも、もう大丈夫だよ。リィーンの身柄はこのバウムガルトナー家がしっかり保護してあげるからね」

「ほ、保護…?」

 リィーンは、不審そうに双子を見やった。

「わ、私は死刑にされるんでしょう?」

 今度は、双子が戸惑う番だった。

「なんで、リィーンが死刑になるの?:

 マリベルの問いに、リィーンは勢い込んで答えた。

「だ、だって、私は… この国の公子様を殺そうとした人間の妹だよ」

「リィーンが、ラスカリスの暗殺を企てたわけじゃないでしょう?」

「そ、それはそうだけど… ザッタギアでは、いえ、沙馮シャフーでは、重罪人の家族は、本人共々、死刑にされるが掟だから…」

 双子は顔を見合わせた。

「それって、連座制とか言うやつ…? 砂馮シャフーではそうかもしれないけど、ここはヴァルデス公国だよ。連座制とか、そんな乱暴な罰則なんてないわよ」

 アスベルの言葉に、リィーンはかぶりを振った。

「で、でも…」

 今度は、マリベルが言った。

「もしかして、ラスカリスがあなたの事を怒っているなんて、考えてるの? だったら、とんだお門違いだよ。そもそも、フォン・ゼークト伯爵家まで出向いて、あなたを救い出したのが、ラスカリス本人なんだから」

「ええっ⁉︎ だ、だって、お姉ちゃんが、ガザーラお姉ちゃんがラスカリス様のお命を狙ったんだよ。私、そのガザーラお姉ちゃんの妹なんだよ。命を狙われたラスカリス様が、わざわざ、私を助けてくださったって事?』

 双子は、また顔を見合わせてから、リィーンに向かって微笑んだ。

「だって、それが私たちの大好きなラスカリス・アリアトラシュだもの」

 リィーンは混乱した。

「アスベル、マリベル、あなた方は、ラスカリス様の事を呼び捨てにしているけど… そんな事をして大丈夫なの?」

「何が?」

「何がって…? 沙馮シャフーで、部族ウルスの長である可汗カガンのご子息を呼び捨てなんかしたら、その場で首を刎ねられてしまうわ」

 アスベルが微苦笑を見せた。

「だから、ここはザッタギアでもなければ、沙馮シャフーでもなくて、ヴァルデス公国なんだってば」

「私たちだって、公私混同って言葉くらいは知っているわよ。でも、ラスカリスは私たちと同じアカデミーの同級生なの。だから、お互いにファーストネームで呼び合おうって、決めてるのよ」

 マリベルもまた、鈴を転がすような声でころころと笑った。

リィーンは項垂れた。

「とても良い国なのね、ヴァルデス公国は… 沙馮シャフーとは大違い…」

 リィーンは、ヴァルデス公国という国家の国柄に深い感銘を覚えていた。

「私たちの国を誉めてくれてありがとう。国民の一人として、とても嬉しいわ」

 アスベルがそう言って、また、リィーンは小さな混乱を感じた。

「国民」という言葉が、沙馮シャフーには、存在しないのだ。

 沙馮シャフーは、二大部族であるサイード族、ハザーラ族を筆頭に、大小十三の部族ウルスからなる集合体である。

 サイード族、ハザーラ族が、言葉も文化も異なる複数の遊牧民族ノマドを力づくでひとつに纏め上げたのが、「沙馮シャフー部族国家連合群」であった。

 沙馮シャフーには、「国民」だけでなく、「国家」という概念が存在しないのだった。

「リィーン。わがバウムガルトナー家があなたの保護を任されたからには、絶対にあなたを危険な目に遭わせる事はないから。だから、安心してちょうだい」

 アスベルの言葉をマリベルが引き継いだ。

「ザッタギア族の元へ帰りたいなら、そうしてあげられるし、このまま、公国で暮らしたいなら、バウムガルトナー家で必要なだけ、リィーンを支援してあげられるわよ」

 それでも、リィーンの心から疑いの雲は晴れない陽だった。

「どうして、私にそんなに良くしてくれるの…? もう一度、言うけど、私、ラスカリス様を暗殺しようとした、ガザーラお姉ちゃんの妹なんだよ」

 アスベルとマリベルは、再び、お互いの顔を見合わせた。

そして、二人とも、やはり、これだけは話しておかなければならないと覚悟を決めたようだった。

「リィーン… これから大切な話をするから、心を落ち着かせて聞いてちょうだい」

 リィーン・アフメドは、すっと息を呑んだ。

「バウムラルトナー家と言う言葉に聞き覚えはないからしら」

「十年前まで、当家は、バウムガルトナー伯爵家と呼ばれていたんだけど…」

 十歳の少女は、記憶の奥底を探った。

そして、「バウムガルトナー」の名前が意味するところの意味を想起した。

「バウムガルトナー家って、まさか、『シャンプールの惨劇』の…?」

 双子は、真剣な表情でこっくりと頷いた。

亜大陸の住人で、「シャンプールの惨劇」を知らない者はいない。

 元々、エフゲニア帝国の有力な貴族であり、次の帝国皇帝インペラートルを決める選挙権を持つ選帝侯家であったヴァルデス家は、エフゲニア帝室から、「南方鎮撫」の名目で中原への転封を命じられた。

 これは、選帝侯家の権力を笠に着て帝国の国政を壟断し続けるヴァルデス家を事実上、遠方に放逐するためのものであった。

 しかし、ヴァルデス家は、この命令を受け入れ、アポリネール大河の水源である巨大な湖に浮かぶ島を開発して、ここに拠点を築き上げた。

 その後、一年に及ぶ戦争を経て、ヴァルデス家選帝侯家は帝国からの独立を果たし、ヴァルデス大公家として、自治権を持つ国家、ヴァルデス公国の建国を宣言する。

 その後、ヴァルデス選帝侯家を追放したエフゲニア帝国は拡大路線を採り、周辺の諸部族、諸国家を糾合し、強大な専制国家となって、帝国の勢力圏の更なる伸張を目論んで、南下の姿勢を見せ始める。

 一方、沙馮シャフー側でも、有力な部族ウルスであるサイード族とハザーラ族が中心となって、緩やかな連合体、「沙馮シャフー部族国家連合群」を形成し、北辺を伺い始めた。

 エフゲニア帝国にとっても、沙馮シャフーにとっても、ヴァルデス公国は最大限、重要な国家であった。

 ヴァルデス公国を味方に出来れば、それは砂漠の軍団を北上させるための前進基地とななり、エフゲニア帝国の進出を阻む防波堤となる。

 エフゲニア帝国にとっても、ヴァルデス公国の地政学的な重要性は変わらない。

南北の巨大な勢力は、ヴァルデス公国を味方に引き入れるため、数々の手練手管を尽くして来た。

 しかしながら、ヴァルデス公国は両者から有利な政治的・経済的条件を引き出そうとするだけで、一向に旗幟を鮮明にしようとしない。

 ヴァルデス公国の立場からすれば、それは当然の事だ。

どちらの味方をしても、もう一方を敵に回してしまうからだ。

 エフゲニア帝国の軍門に降れば、ヴァルデス公国は、エフゲニア帝国の南方進出の前線基地に変わる。

 そして、最前線で戦わされるのは、ヴァルデス公国の騎士たちだ。

無論、公国が沙馮シャフー側に付いた場合も同じだ。

 砂漠の戦士、草原の騎兵たちが北方の大地を脅かすための起点になり、前哨となり、補給基地になるだけの事だ。

 ヴァルデス公国の贄切らない態度が、南北の権力者たちの怒りを買った。

エフゲニア帝国と沙馮シャフーが示し合わせて、それぞれ、五万の大軍を派遣し、ヴァルデス公国に対して、「奴隷か、死か」、どちらかを選べと選択を迫ったのだった。

 ヴァルデス公国の常備兵力は、通常編成でおよそ、一万人。

衆寡敵するはずもなく、ヴァルデス公国の亡国は確実であるかと思われた。

 アスベルとマリベルの父親であり、公国の外務卿を拝命するグイン・バウムガルトナー伯爵は、大公ペンドラゴン・ヴァルデスから預かった降伏文書を携えて、公国が領域外に唯一、領有している城砦、シャンプール砦へ向かった。

 グイン・バウムガルトナー伯爵は、そこでエフゲニア帝国、沙馮シャフー双方の大使と会談した。

 会談の内容は、ヴァルデス公国が正式に北と南の大国に降伏して、その国土を二分してそれぞれ、エフゲニアと沙馮シャフーに割譲する。

 分割後、それぞれの住人が、エフゲニア、沙馮シャフーに対する絶対的な忠誠を誓う事で、奴隷の身分へ堕とされる事だけは回避したい、会談の席では、その辺りが話し合われるはずであった。

 ところが、グイン・バウムガルトナーは会談の場で、何と、エフゲニア、沙馮シャフー双方の大使を殺害してしまう。

 グインはエフゲニア軍に対しては、「沙馮シャフー側に図られた」と伝え、沙馮シャフー側に対しては、「エフゲニアの陰謀で大使が殺害された」と伝える。

 エフゲニア、沙馮シャフー、ともに激昂し、シャンプール砦の立つ平原は、両軍がぶつかり合う一大戦場と化した。

 夥しい戦士たちの血が流され、南北の軍団は、実にその七割を消失するという大打撃を負った。

 ヴァルデス公国の外務卿、グイン・バウムガルトナー伯爵は、そのまま姿を晦ませる。

「バウムガルトナー外務卿、逐電」の報によって、これが降伏を装ったヴァルデス公国の陰謀であった事に気付いた時、エフゲニア・沙馮シャフーともに、もう戦争を続行する余力を失っていた。

 こうして、エフゲニアも沙馮シャフーも、何一つ得ることもなく、傷付いた将兵たちを本国へ帰還させる他なかった。

 これが、「シャンプールの惨劇」と呼ばれる衝突の顛末である。

グイン・バウムガルトナー伯爵は、そのまま、二度と姿を現す事はなく、その消息は不明のままである。

 リィーンの父、そしてリィーンの姉ガザーラの父であるバシール・アフメドは、この「シャンプールの惨劇」で、ザッタギア族の戦士として高い、命を落とした。

 アスベルとマリベルの父、グインは「卑怯者」の汚名を着て、消息を絶った。

そして、バウムガルトナー家は、伯爵号を剥奪されて、騎士爵に降格された。

 「シャンプールの惨劇」によって、リィーン・アフメドとガザーラ・アフメドは、父親を亡くし、アスベル、マリベルの姉妹もまた、父親を失ったのだった。

「……」

 リィーンは項垂れて考え込んでしまった。

「ヴァルデス公国の外務卿だったグイン・バウムガルトナー伯爵、つまり、私たちの父が、結果としてあなたのお父さんの命を奪ってしまった… その事実は覆せない」

「だから、私たちの事を恨んでも良いんだよ。私たちはただ、まだ小さいあなたが一人前になるまで、最低限のサポートをしてあげたいだけ。それがあなたとあなたのお姉さんに対しる贖罪だと思っているから」

 アスベルとマリベルが、続けてそう言った。

それに対して、リィーンは大きくかぶりを振った。

「戦争だったのだから、仕方ないと思う… 十年前、私はまだお母さんのお腹の中にいたから、もちろん、その頃の事情なんて分からないけど… でも、お姉ちゃんが話してくれた。お父さんが、こんな闘いには正義がないって。公国の兵隊さんは、一万人位しかいないんでしょう? エフゲニアと沙馮シャフーは、それぞれ、五万人の軍団を繰り出して、公国に、『奴隷になるか、死ぬか』を迫った。そんなの弱い者いじめと同じだって… 誇り高い砂漠の戦士が、喜んで戦う戦争じゃないって…」

「リィーン」

「お父さんが死んでから、私が生まれて、お母さんは苦労して私とお姉ちゃんを育ててくれた。お姉ちゃんはお母さんの苦労を見て来たから、お父さんを奪ったヴァルデス公国を恨んでいたようだけど… でも、シャンプールの戦争は、アスベルとマリベルからも、大事なお父さんを奪ったんだよね。その意味では、おあいこだと思う」

「…あなた、とても良い子ね、リィーン」

 まだ、幼い少女から、父親の事で詰られると予想していた双子は、リィーンの年齢に似合わない分別に心を打たれていた。

「アスベル、マリベル、私はラスカリス様のお命を狙った暗殺者の妹で、二人からお父さんを奪った沙馮シャフーの人間。私の方こそ、あなた方にうとまれても仕方ないのに、こんな私の面倒を見てやろうと言ってくれてる… そんな人たちを恨むなんて出来っこないよ」

 アスベルとマリベルは、両側からリィーンの小さな身体を抱き締めた。

「心配しないで… あなたの事は私とマリベルで絶対に守るからね」

「アスベル…」

 アスベルとマリベルは、リィーンを抱擁から解放して言った。

「リィーン、あなたは微妙な立場に置かれているの。あなたをワイン蔵に閉じ込めて、あなたのお姉さんにラスカリス暗殺を強要した連中は、ヴァルデス公国の最も深い所まで入り込んでいる。だから、あなたをアイヴォリー・キャッスルに置いておくのは、危険だとラスカリスもジークも判断しているのよ」

「それで、わがバウムガルトナー家があなたの身柄を預かった訳なの。提案だけど、しばらく当家で、メイドの真似事でもやってみない? ラスカリスに敵対する連中も、まさかあなたがバウムガルトナー家に匿われているとは、思いもよらないだろうから」

 リィーンは、大きく頷いた。

「私、まだ十歳です。自分では何にも出来ない、幼い子供です。こちらからお願いします。リィーンをバウムガルトナー家に… いいえ、アスベルとマリベルの側に置いて下さい」

 マリベルが、ソファから立ち上がった。

「決まりね! 善は急げよ。リィーンの決断をラスカリスとジークに伝えて来る」

 マリベルは、そのままそそくさと部屋を飛び出して行った。

アスベルは、妹を見送って苦笑した。

「ごめんね、リィーン。マリベルってば、せっかちでさ」

 リィーンは、にっこりと笑った。

「アスベルは、マリベルが大好きなんだね。もちろん、マリベルもアスベルの事が大好きみたいだし」

「リィーン。これからは私たちの事を本当のお姉ちゃんだと思ってくれて良いんだよ」

「ありがとう」

 お礼を言ってから、リィーンはおずおずと切り出した。

「あ、あの… アスベル、お願いがあるんだけど…」

「何かしら」

「あのね… おんぶして…」

「えっ。もう、こんな大きな子なのに」

 アスベルは苦笑したが、十歳の少女の瞳に宿る光は真剣なものだった。

アスベルは、黙ってリィーンに背を向けて立った。

 リィーンはアスベルの背中に飛び乗った。

そして、アスベルの背中に顔を埋めて言った。

「アスベルは… ガザーラお姉ちゃんと同じ匂いがする…」

 アスベルは、沙馮シャフーの少女が、自分の背中で小さな寝息を立て始めた事に気付いた。

 この数日、リィーンは、彼女の年齢では耐え垂れそうにない過酷な経験を重ねたのだ。

 幼い身体には、泥のように疲労が溜まっているはずなのだ。

アスベルは、リィーンの穏やかな寝息を聴きながら、この小さな命を絶対に守り抜いてやろうと、心の中で硬く決意していた。

「良い子でおやすみ。リィーン… でないと、ソルティエッジが来るわよ」


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