第20話 リィーン、救出

ゴーレムマスター ザザ・グアルネッリの物語


 ワイン蔵の門を守る衛兵たちは、フォン・ゼークト家の家令が一人のメイドの少女を従えて、こちらへ歩み寄って来るのを認めた。

 家令とは、貴族に使える執事の長の事だ。

若い二人の衛兵は、メイドの衣装に目を留めた。静々と音を立てる事なく、家令の老人に従うメイドの制服は、フォン・ゼークト伯爵家のそれとは異なっていた。

 二人の衛兵は、家令と家令に従う少女の前の前で、槍を交差させた。

「ご苦労様です、家令殿。そちらのメイドは、どこの御家中でしょうか?」

「当伯爵家のメイドの制服とは異なっているようですが…」

 自然な威厳を以て、家令は二人の若者に答えた。

「こちらは、アイヴォリー・キャッスルにあって、第三公子ラスカリス・アリアトラシュ殿下御付きのメイド殿だ。くれぐれも、失礼のないように」

 大公家の名前は、絶大だった。

「失礼しました」

 その一言で、クロスさせた槍が解除され、槍は二人の衛兵の手許に戻された。

「さあ、参りましょう」

 家令の老人は、ザザ・グアルネッリを従えて、ワイン蔵に入室した。

長い時間をかけて発酵が進んだ匂いが、そこには漂っていた。

 甘いアーモンドの匂い、鼻腔を刺激する焦げたキャラメルの匂い… ワインに詳しくないザザであったが、フォン・ゼークト家のワイン・コレクションが相当なものである事は、十分に窺われた。

「ずいぶん、大きなワインセラーですね」

「銘柄別、年代別、産地別に十五のチェンバーに分かれています。先代様の頃から、公国のやんごとなき方々をお迎えするのが、フォン・ゼークト伯爵家の習慣でございましたから」

 家令は胸を張って、そう言った。


チェンバーが、十五。


そのひとつに、沙馮シャフーの少女、リィーンが囚われている…

 

 さて、どうしたものか…


そうしようと思えばゴーレムを起動させ、この場にいる者たちを皆殺しにして、リィーンを連れ出すことなど、容易いことだ。

 しかし、できる限り静穏に仕事をやり遂げる事が、望ましい事は、明白だった。

「メイド殿、この辺りのワインを殿下に供したいと考えるのですが…」

 家令の言葉に、ザザは完璧な少女の声で答えた。

「私などには、貴顕の方々が召し上がるワインなど、判断のしようがありません。銘柄を選ぶのは、おまかせしてもよろしいでしょうか」

 もういい年齢とは言え、やはり、男性だ。

美しい少女に頼りにされて、嬉しくないはずはない。

 相好を崩して、ワインを置いたラックに向き直った。

「それでは、これと、これ… それから、これを…」

 その時、若い男性の粗暴な怒鳴り声が、ワイン蔵に飛び込んで来た。

「さっさと通せ、馬鹿者」

 ワイン蔵の前で番人を勤めていた、二人の衛兵を従え、大柄な青年がずかずかと蔵の中へ踏み込んできた。

 ザザは、面識はなかったが、それは、ルードヴィヒ・フォン・ゼークトの弟、エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトに間違いはなかった

 エドラー・ヴォルフは、家令とともにいるメイドの少女に目を留めた。

「なんだ、その女は」

 家令が、衛兵たちに言ったのと同じ内容の返事を返した。

「ふん。大公家のメイドか…」

 エドラー・ヴォルフは、目の前にいるメイドの肉体を舐め回すように眺めた。

タイプではなかったのか、それきり、ザザには関心を失ったらしく、エドラー・ヴォルフは二人の衛兵に怒鳴った。

「あの雌ガキを他の場所へ移すぞ。お前ら、手伝え」

 そのまま、エドラー・ヴォルフは魔導ランプの温かな光の下にあるチェンバーの扉へ向かった。

 ザザは、心の中でほくそ笑んだ。


あのチェンバーに、リィーン・アフメドが囚われているのだ。

 

 ザザは、家令に言った。

「家令殿。ワゴンを貸していただければ、選んで頂いたワインを私が自分で主人の下に運びますので…」

「そ、そうですか」

 人の良さそうな老人は、尊大で凶暴な若い主人の機嫌が、いつにも増して悪い事に気を揉んでいるようだった。

 気の毒に、この老人のみならず、フォン・ゼークト伯爵家の使用人たちは、誰もがエドラー・ヴォルフの気分ひとつで、散々に痛い目を見続けてきた事は明らかだった。

 伯爵家の家令は、災厄を避けるかのように、エドラー・ヴォルフから背を向けた。

「そ、それでは、ワインを運ぶのはあなたにお任せしましょう。デキャンターやワインクーラー、オープナーなどはそこのラックにあるものを使って下さい。し、失礼しますよ」

 家令はそう言って、そそくさとワイン蔵を退出した。

ザザは、リィーン・アフメドが捕囚となっているらしいチェンバーの扉に視線を飛ばした。

 衛兵の内、一人がエドラー・ヴォルフに促され、大慌てでチェンバーの錠前に鍵を差し込んでいる。

 エドラー・ヴォルフが、覗き穴からチェンバーの中を覗き込んだ。

エドラー・ヴォルフの顔に安堵の表情が浮かぶ。

 自分の目で、囚われ人であるリィーンの存在を確認したのだろう。

エドラー・ヴォルフは、二人の衛兵に目配せで合図して、リィーンを連れ出すように指示した。

 そレから、エドラー・ヴォルフは、メイドに扮したザザに言った。

「おい、貴様。ワインを持って外に出ていろ。あまり、屋敷の中をうろうろするな」

「は、はい」

 ザザは、怯え切った少女の声を装って、そう言った。

そして、言われた通り、家令の老人が選んでくれたワインと、その他の什器をワゴンに載せてワイン蔵の外に出た。

 エドラー・ヴォルフが二人の衛兵に怒鳴った。

「俺は、兄貴の寝室へ戻る。ラスカリス・アリアトラシュ、ギデオン・グアルネッリ、ジークベルト・フォン・アインホルン… あいつら、何かを企んでやがるに違いない」

 エドラー・ヴォルフは、憤怒の表情を浮かべて大股でワイン蔵から出て行った。

その後ろ姿を見送って、ザザはグアルネッリ家伝来の技術である「隠形」を使った。 

 ザザの姿がその場の光景に溶け込んだ。

それは文字通り、溶け込んだと表現するしかないものだった。

 ザザの体が透明になった訳ではない。

カメレオンのように体色が背景と同じ色になって、保護色になったわけでもない。

 ただただ、ザザ・グアルネッリの気配が完全に消失したのだ。

ザザは、ワゴンをそのままにして、ワイン蔵に戻る。

 あの魔導ランプが点っているチェンバーの扉が開け放たれている。

ザザは、そっと中を覗いた。

 二人の若い衛兵が、緊縛された一人の少女の縄を解いていた。

白い肌に鳶色の瞳、錆色の髪、まさに沙馮シャフーの人種的特徴を備えた少女、と言うより、幼女がそこにいた。

 この子が、リィーン・アフメドだ。

リィーンは、恐怖に身を捩らせて必死に抵抗しようとしている。

「おい、大人しくしろ」

「痛い目を見たいのか、クソ餓鬼」

 リィーンの目から銀色の涙が伝い落ちた。

ザザは、視界が暗くなるような瞋恚いかりを感じた。

 ザザは、二人の男たちの間に入って、その頸動脈に手刀で一撃を加えた。

声を出すこともなく、二人の屈強な男たちは昏倒して床に沈んだ。

 リィーンの目が丸くなった。 ザザは、「隠形」を保ったまま、リィーンに声をかけた。

「君が、リィーン・アフメドだね」

 それは、少女の声でなく、普段のザザの地声であった。

「だ。誰…?」

 ザザは、「隠形」を解いた。

リィーンの眼前に、メイドの制服を着た、一人の美しい少女の姿が出現した。

「ひっ」

 ザザが唇に人差し指を当てて、「しっ」と言った。

リィーンの目がまた、大きく見開かれた。

「えっ、女の人…? で、でも、あなたの声は…」

「色々と話すことはあるのだが、今は時間が惜しい。僕は君の味方だよ。君のお姉さんであるガザーラ・アフメドに頼まれて、君を助けに来たんだ」

「えっ、ガザーラお姉ちゃんの…」

 ザザは、素早くメイド服を脱ぎ捨てた。

「これに着替えて。一緒にこの屋敷を逃げ出すよ」

「う、うん」

 姉の名前を出したのは正解だった。

ザザはそう思った。


 一人の小柄な少女が、ワインや什器を載せたワゴンを押して廊下を進んで行く。

少女が身に纏うのは、フォン・ゼークト伯爵家のメイドの制服とは、異なっていた。 それだけで衆目を集めるはずなのだが、誰も彼女に目を留める者がいない。

 この小柄なメイドは、沙馮シャフー部族ウルスの一つ、ザッタギア族の少女、リィーン・アフメドが扮しているのだ。

 ザザ・グアルネッリが大公家付きのメイドに化けて、ワイン蔵に侵入し、リィーンを救出したのだった。

 リィーンは、ザザが脱ぎ捨てたメイドの制服を素早く身に纏い、ザザと入れ替わって、今、ワゴンでワインとワインに付属する什器を運んでいるのだった。

「大丈夫、落ち着いて… 何があっても、君は僕が守るから…」

 リィーンのすぐそばで落ちついた少年の囁き声が聞こえた。

ザザが「隠形」の術を用いて、リィーンの傍に立ち、彼女を守護しているのだった。

 それは、わずか十歳の幼女にとって、まさに恐怖でしかなかったのだが、ザザの声はあくまでも温かで慈愛に満ちており、リィーンはかろうじて、心を落ち着かせることが出来た。

 そして、彼女の幼い意識にとっても、自分が今、とても危険な状況にあり、ひとつ、対応を誤ると、自分ばかりでなく、自分を助けに来てくれた人たちまで危険に晒してしまうことが分かっていた。

「リィーン。僕たちはラスカリス・アリアトラシュ殿下らと共に、この屋敷から脱出する。だから、落ち着いて行動してくれ…」

 リィーンは、黙って頷いた。

恐らくは。自分が逃げ出したからであろう。お屋敷の中は、騒然としている。あちこちから、怒りに任せて怒鳴る声や、廊下を慌ただしく走り回る兵士たちの足音が聞こえてくる。

「そこだよ、リィーン。あの部屋だ」

 少年の声が、リィーンの耳元で囁かれた。

リィーンは、その声に従って、ワゴンを押して指示された部屋へ入って行った。

「こう言うんだ。リィーン。ラスカリス殿下、ワインをお持ちしました、と」

 リィーンは、ザザの言葉に従った。

「ラ、ラスカリス殿下。ワインをお持ちしました…」

 当たり前のことだが、それは十歳の幼女、そのままのいとけない声であった。

一瞬、ザザはひやりと首筋が涼しくなるのを感じた。

 だが、部屋の中にいた者たちが、機敏に対応してくれた。

ギデオン・グアルネッリが、大袈裟な身振りで小柄なメイドを迎え入れた。

「ああ、待ちかねたよ。もう、喉がカラカラだ」

 ラスカリス・アリアトラシュもまた、小柄なメイドを手招きして言った。

「ご苦労だったね。さ、こちらへ」

 リィーンがワゴンを押し入れると、部屋の中にいた少年たちは、リィーンの身体を推し包むような形で取り囲んだ。

 ラスカリスが、メイドに扮したリィーンに囁きかけた。

「君がリィーンだね。僕は、ラスカリス・アリアトラシュ。もう、大丈夫だからね」

 リィーンの幼い双眸が、大きく見開かれた。


 ラスカリス・アリアトラシュ?


それは、お姉ちゃんが暗殺しようとした人の名前ではないか?


 姉に殺害されそうになった人が、その妹である私を助けに来てくれたと言うの?


「ザザ君。ご苦労だったね」

 ギデオン・グアルネッリが何もない空間に向かってそう言った。

「はい、兄様」

 何もないはずの空間から返事が返ってきた。

「すまないが、もう暫くそのままでいてくれ」

「心得ておリます、兄様」

 ジークベルトは、勝手にワインの蓋を開けて、琥珀色に輝く液体をグラスに注いだ。

 発酵した果物の香りがぷんと広がる。

上等な白ワインだ。

「さあ、せっかくだからいただきましょう」

 ジークベルトは、そう言ってグラスを他の者たちに回す。

リィーン・アフメドの小さな身体は、ワイングラスのやり取りをする、体格のいい少年たちの陰に完全に隠れてしまった。

 幼いリィーンにも、それが彼女の身を隠すための行動である事が容易に伺えた。


この人たちは、とてもいい人たちだ。


 リィーンは、初めて自分が安全な場所にいるのだと理解した。

邸内の騒動は、治るどころか、さらに大きくなっているようだ。

 しばらくして、あの家令が困惑した表情で、部屋に入って来た。

「失礼致します。申し訳ございません。騒々しく致しておりまして…」

「何か、あったのですか、家令殿」

 白々しく、ジークベルトがそう尋ねた。

頭髪に上品な霜を置く家令は、視線を宙に泳がせながら、憮然とした顔付きで言った。

「そ、それが… お恥ずかしい事なのですが、手前にも何が起こっているのか、皆目、見当が付かない有様でして…」

 少なくとも、この人柄の良さそうな老人が陰謀に加担していると言うことはなさそうだ。

 ラスカリス・アリアトラシュが、手にしたワイングラスをキャビネットに置いた。

「フォン・ゼークト家は、お取り込み中のようだ。ルードヴィヒ殿のお見舞いも出来たし、ここらでおいとますることにしよう」

 ラスカリスの言葉に、一同はうなずいた。

ギデオン・グアルネッリがベッドに沈む友人、ルードヴィヒ・フォン・ゼークトの顔を覗き込んで言った。

「ルードヴィヒ。これで失礼する。早く、元気になってくれ」

 ルードヴィヒもまた、弱々しい笑顔を旧友に向けた。

「今日は来てくれて、本当に嬉しかった、ギデオン… 君と過ごしたアカデミーの楽しかった日々が思い出される…」

 ルードヴィヒは、震える手を差し出した。

ギデオンがその手を優しく握り返す。

「それは、こちらの台詞さ、ルードヴィヒ…  恐れられ、疎まれ、忌避されるばかりのゴーレムマスターである僕に、普通に接してくれたのは、君だけだった…」

 ギデオンの目にうっすらと涙が浮かんでいる。

ルードヴィヒもまた、同様であった。

 二人の友人は、お互いにこれが最後の会話になることを心のどこかで予感したのかもしれない。

 そしてそれは、間も無く事実となるのだが…

その時、荒々しい靴音と共に、エドラー・ヴォルフが部屋の中に駆け込んで来た。

「どんな手を使った…?」

 エドラーの目が赤く血走っていて、その呼吸はひどく荒かった。

「何の事ですか。エドラー・ヴォルフ先輩」

 ジークベルトがそう言うと、エドラー・ヴォルフは激憤に駆られて怒鳴った。

「とぼけるな‼︎ あのメス餓鬼はどこだっ⁉︎」

「メス餓鬼? メス餓鬼とは、誰の事ですか?」

 エドラー・ヴォルフは、血管の浮き上がった双眸で、部屋中を睥睨した。

この部屋にいるのは、自分を除いて六人。

 兄であるルードヴィヒ・フォン・ゼークト、ルードヴィヒの友人でゴーレムマスター、ギデオン・グアルネッリ伯爵、ヴァルデス公国第三公子ラスカリス・アリアトラシュ、その級友ジークベルト・フォン・アインホルン、そしてラスカリスが王宮から同行させた小柄なメイド… ゲストの他は、伯爵家の家令だけ。

 この六人だ。

無論、エドラー・ヴォルフには、「隠形」で気配を消したザザ・グアルネッリの存在を探知することは出来ないのだった。


沙馮シャフーの少女、リィーン・アフメドの姿はどこにもない。


「糞っ」

そう吐き捨てて、エドラー・ヴォルフは部屋を飛び出して行った。

「家令殿、伯爵家はお取り込み中のようだ。これで失礼させていただこう」

「は、はい」

 ラスカリスとその一行は、家令に先導させて伯爵家のお屋敷を脱し、無事に玄関口まで到達した。

 ラスカリスが、家令に言った。

「楽しい時間を過ごせた。美味しいワインをありがとう」

 伯爵家の家令と数人のメイドたちは、並んで公子一行を見送った。

馬丁が馬に鞭をくれて、馬車が動き出した。フォン・ゼークト伯爵家のお屋敷が見えなくなってから、ラスカリスは改めて、メイド服に身を包んだリィーン・アフメドに言った。

「怖い思いをしたね、リィーン。でも、もう大丈夫だよ」

 リィーンの目から安堵の涙がこぼれ落ちた。

ラスカリスの言葉は、彼女がもう、完全に安全な場所にいる事を意味していた。

「は、はい… あ、ありがとうございます…」

 その時、リィーンの前の、誰もいないはずの座席から、まるで魔法のように一人の少年の姿が出現した。

 ザザが「隠形」の術を解いたのだった。

ザザは、リィーンににっこりと笑いかけた。

 そしてもちろん、リィーンもまた、ザザに笑顔を返した。


 その夜、フォン・ゼークト伯爵家の次子、エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトは、屋敷を出奔した。

 エドラー・ヴォルフは闇の中に消えて、二度と再び、その姿を見る事は無かった。それはもちろん、エドラー・ヴォルフ自身がラスカリス・アリアトラシュ暗殺計画の関係者として、当局に捕縛され、尋問を受けるのを避けるためであっただろうが、ヴァルデス公国にあって、その実情を知る者はほとんどいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る