第19話 「フォン・ゼークト文書」

戦略家 ジークベルト・フォン・アインホルンの物語


 その日、ヴァルデス公国の名門貴族のひとつ、ゼークト伯爵家は、時ならぬ賓客を迎えて騒然となった。ヴァルデス公国太公位を襲う第三位の継承権を持つラスカリス・アリアトラシュ殿下が、「伯爵家の当主、ルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵の病床を見舞う」という名目で、突然、ゼークト伯爵家の邸館を訪うたのだった。

 ラスカリス・アリアトラシュ殿下は、ルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵の公立魔導アカデミー時代の友人であるギデオン・グアルネッリ伯爵と、自らのアカデミーの同級生であるジークベルト・フォン・アインホルンという少年を伴っていた。

 ラスカリス自身は、ヴァルデス公国の第三公子であり、ギデオンは次期公国内務卿を拝命するグアルネッリ伯爵家の現当主、そして、ジークベルトの父親は、公国の重鎮中の重鎮、宰相兼財務卿に任じられているユルゲン・フォン・アインホルン侯爵だ。

 いずれの家門も、フォン・ゼークト伯爵家より、はるかに上位の存在である。

もちろん、貴人の訪問に際し、宮廷の使者による事前の連絡はあった。

 しかし、フォン・ゼークト伯爵家の家令が、「流石にこれは、何かの違いであろう」と判断してしまったため、ラスカリス・アリアトラシュらの訪問は、何の前触れもない、唐突なものになってしまった。

 フォン・ゼークト邸の玄関先で、責任者の家令を初め、伯爵家の家中の者たちは、恐懼して、ラスカリス・アリアトラシュ一行を迎えた。

 これに対して、ラスカリス・アリアトラシュは莞爾と笑って答えた。

「こちらの都合でいきなり、押しかけて来たのだ。堅苦しい礼儀など無用に願おう」

 公国公子一行は、四人。ラスカリス・アリアトラシュ、ギデオン・グアルネッリ、ジークベルト・フォン・アインホルン、そして、メイドの少女である。

 一行をフォン・ゼークト邸まで運んだ馬車には、馬丁の他には人はいない。

公子たちを守る騎士や衛士の姿はない。公国の貴人の移動にしては、随分と無用心に思える。だが、ギデオン・グアルネッリ伯爵の存在が、絶対的だ。

 「グアルネッリのゴーレムマスター」、または「ゴーレムマスターのグアルネッリ」は、ヴァルデス公国において、全ての悪を粉砕する「守護者」であると同時に「破壊」と「恐怖」の象徴であったから。ゼークト伯爵家の家中の者たちは、ギデオン・グアルネッリの右手の薬指に嵌められた銀色の指輪に、恐々と視線をやった。

 四つの魔神器のひとつ、「エメスの指輪」である。


「強いのは、クリューソス」「怖いのは、月影ムーンシェイド」「恐ろしいのは、アルギュロス」「おぞましいのは、エメスの指輪」と謳われる神々の武器である。


「ルードヴィヒは息災か」

 ギデオン・グアルネッリが、伯爵家の家令である初老の男性に問うた。

「ご主人様は、寝室で伏せっておられます。当主自ら、お出迎えも出来ず、恐縮いたしております」

「何の。ともにアカデミーで机を並べた仲だ。過分な遠慮など無用の事」

「恐れ入ります。では、邸内にご案内いたしますので…」


「よく来てくれたね、ギデオン」

 少女のように優しい顔立ちをした青年が、ベッドから身を起こして言った。

「無理をするな、ルードヴィヒ。前に会った時より、顔色が良いようだね」

 だが、ルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵は、そのままの体勢で身体を保持し、アカデミー時代の級友の同行人に挨拶した。

「初めまして、ラスカリス・アリアトラシュ殿下。ゼークト伯爵家の当主、ルードヴィヒとも申します。殿下を拙宅にお迎えできて、光栄の至りでございます」

「ルードヴィヒ殿。ギデオン様がおっしゃったように、どうぞ、そのままで… 手前如き若輩者に、過分な気遣いは必要ありません」

 ラスカリスがそういうと、ルードヴィヒは弱々しい笑顔を見せた。

「そちらは、アインホルン侯爵家のジークベルト殿ですね。あなたの姉君、メーア殿は、アカデミー時代、我々、上級生の間でもそのお美しさで名を馳せておられた…」

 ジークベルトは、微笑した。メーアの事を賞賛されるのは、ジークベルトにとっても、とても嬉しい事だった。

「姉が聞いたら、気恥ずかさに頬を染めていたでしょう。さあ、ルードヴィヒ様。本当にもう、おやすみ下さい」

 ルードヴィヒは、「失礼」と言って、ベッドに身体を沈めた。その額に脂汗が浮かんでいる。しとねから身を起こすだけでも、今のルードヴィヒには辛い作業であるように見えた。

 ラスカリスに同行したメイドが、ルードヴィヒに手を貸して、彼が仰臥するのを助けた。ルードヴィヒが、メイドに小声で礼を言う。

 美しい少女だ。しかし、少女の顔から視線を外しただけで、次の瞬間には、彼女がどんな容貌をしていたのかが記憶から消えてしまい、いかなる印象も残らないような、そんな気妙で不自然な感じがした。

 当然だ。

このメイドは、グアルネッリ家のもう一人のゴーレムマスター、ザザ・グアルネッリが扮しているのだから。行動の際、性別を偽るのも、ゴーレムマスターの技術のひとつであった。

 ルードヴィヒは、アカデミーの友人であるギデオンに弱々しく笑いかけた。

「情けない限りさ… これがフォン・ゼークト伯爵家の現当主の、ありのままの姿と来た…」

 ルードヴィヒは、ギデオンの顔をまっすぐに見詰めた。

その顔にはもう、笑顔は無かった。

「弟が… エドラー・ヴォルフが何かしたのか…?」

「何の事だ、ルードヴィヒ」

とぼけなくてもいい。内務省の仕事が、閑暇という訳ではあるまい。次期内務卿を襲う君が、態々わざわざ、時間を割いて拙宅まで足を運んできたのは、僕の病気見舞いのためではあるまい。しかも、ラスカリス殿下やアインホルン家の方まで伴って…」

「……」

「弟がまた、何かしでかしたのか」

ギデオンは、衷心から旧友への友情を込めて言った。

「弟殿の事は聞き及んでいる。あまり、褒められた素行の持ち主であるとは言えないようだが、今回の事は弟殿とは関係ない」

「しかし」

「なぜ、弟殿の事をそんなに気にかけるのだ。ゼークト家の当主は君だろう」

 ルードヴィヒは、大きくため息を吐いた。

「すまない。失礼して静電界を張らせて頂く」

 ルードヴィヒがベッドのコンソールボックスに手を伸ばした。ラスカリスを初め、彼の同行者たちは、頬や首筋の産毛が逆立つのを感じた。盗聴や盗み聞きを防ぐため、この部屋全体に強力な静電場が張り巡らされたのだった。

 ルードヴィヒが、胸のつかえを吐き出すように言った。

「…僕は、弟が怖いんだ」

「ルードヴィヒ」

「子供の頃から、エドラーは体が大きく、性格も粗暴そのものだった。僕のように、心身ともに虚弱な人間とは、完全に真逆だ。エドラーは巨軀に恵まれ、膂力も凄まじい。肉体的なパワーばかりばかりでなく、豊富な魔力と魔法の才能にも恵まれている。剣の腕前も、少年時代に剣術師範を易々と打ち破ってしまう程だ。あの膂力で、大身の槍も軽々と扱えるし、魔法にも長けているから、魔導兵器の扱いにも不足はない。本当ならば、長男ではあるが、病弱な僕が廃嫡されて、弟のエドラー・ヴォルフがゼークト伯爵家の家督を継ぐのが正当と言うものさ…」

「ルードヴィヒ」

「いや、本当にそうしてくれれば、どれほど良かったことか… そんな具合だから、エドラーの奴は、僕の事を兄とも肉親とも思っていない。先代ゼークト伯爵である父上が、家督を僕に譲り、母上とともにさっさと隠居してしまわれたのは、エドラーが次期伯爵家の当主となった時、あいつがどれ程、横暴な振る舞いを始めるかを危惧されたのだろう。そして、これ以上、弟に関わる事を嫌ったからだと想う…」

「ルードヴィヒ、しかし…」

「情けない話だが、僕は本当に弟が怖いんだ。あいつは人を人とも思わぬ傲慢な性格をしている… あいつは使用人たちを平気で虐待する… 些細なミスを捉えて、暴力を振るう。相手が女であれ、躊躇いなく打擲する… 美しい少女が新しくメイドとして雇われたら、立場を利用して関係を迫る… 飽きたら、金をやってお払い箱だ… 貴族に傷物にされた若い娘は、村へ戻っても結婚相手を見つけることなど出来まいに… アカデミー高等部に進む前から、あいつは取り巻きを引き連れて、盛り場で遊びまわって喧嘩に明け暮れていた… 娼館で遊んで、指名した女が気に食わないなければ、容赦なく叩き出して金を払わない… 地回りのヤクザどもと揉めたら、伯爵家お抱えの傭兵や冒険者たちを押し出して、そいつらを血だるまに変えてしまう… あいつはどうして、あんなひどい事が出来るのか…」

「……」

「だが、それだけならまだ良い。僕が本当に怖いと思うのは、あいつの権力に対する、ひりつくような渇望だよ。あいつは、自分より偉い人間が存在する事が、我慢がならないらしい… ゼークト伯爵家より格上の名門貴族たちを心から憎悪しているし、ラスカリス殿下の前で恐縮だが、あいつには大公家さえ、自分の頭を抑える重石位にしか思っていない…

ギデオン。先ほど、君は今回の訪問は、弟の事とは関係ないと言ったが、まるっきり、関わりがないという訳ではあるまい… 何か、アイヴォリー•キャッスルで大きな事件があったのだろう?」

 身体も精神も虚弱と自嘲しながらも、ルードヴィヒ・フォン・ゼークトは決して、暗愚な人間ではないようだった。だが、この屋敷は、言わば敵地だ。ラスカリス・アリアトラシュ公子暗殺未遂事件があった事をここでるルードヴィヒに明かす訳には行かなかった。

 ギデオンがどう答えようかと思案している間、ルードヴィヒはベッドサイドのキャビネットに手を伸ばして、小さな箱を取り出した。

「ギデオン。これを預かって置いてくれないか」

「この箱は?」

 ルードヴィヒは、箱の蓋を開けた。中から現れたのは、一個の鍵だった。

「鍵?」

 ギデオンは鍵を取り出し、それをひっくり返した。真鍮製らしい鍵の反対側には、数字が刻まれていた。

「クリスタロス銀行ヴァイスベルゲン支店の貸金庫の鍵だ。数字は金庫のナンバーだよ。そこにある文書が入っている…」

「どんな文書だ?」

 ルードヴィヒは、喉の奥でくくく、と笑った。

「いわば、フォン・ゼークト文書さ。その文書があれば、ヴァルデス公国の最も深い闇の中に潜む者たちを炙り出す事が出来る」

「フォン・ゼークト文書…」

「僕に何か、異変が起こったら、貸金庫からその文書を取り出して確保するんだ、ギデオン。それはきっと、君の役に立ってくれる…」

「異変とは、穏やかじゃないな」

「異変さ… この僕が何の前触れもなく病死したり、行方不明になったり、自殺したりとか、そんな不自然な事態が起こった時の事だ…」

「ルードヴィヒ」

「言っておくが、クリスタロス銀行とは、生死不明に関わらす、このルードヴィヒ・フォン・ゼークトの存在が消滅した時に発動すると言う契約内容になっている。つまり、この僕に何かあった時に初めて、その鍵で貸金庫を開錠できる仕組みになっているという事だ」

「私たちがこの屋敷を辞して、その足でクリスタロス銀行へ赴いても、貸金庫を開ける事が出来ないと言う事だな」

「すまないな、ギデオン… 君が私に全てを明かす事が出来ないように、私にもまた、相手が君であれ、今は秘匿しておくしかできない事があるのだ」

 ギデオンは、鍵を胸の内ポケットに入れた。

「この鍵は、君の命と同じと言う事だな。了解した、ルードヴィヒ。君の命、このギデオン・グアルネッリが確かに預かったぞ」

 ギデオンの言葉に、ルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵は、白い歯を見せて笑った。

「今日は来てくれて、本当に良かった… 大きな胸のつかえが降りた気分だ…」

 ルードヴィヒは、再び、コンソールに手を伸ばして、スイッチに触れた。

ルードヴィヒの寝室を満たしていた静電界が、たちまち、消滅した。

 ルードヴィヒは、不自然に華やいだ声で叫んだ。

「やあ、随分と話し込んでしまったな。楽しい時間がすぎるのは、本当に早い物だ。喉が渇いたのではないか? わがゼークト家は、ワインの蒐集家としても公都で名高い。賓客に秘蔵のワインを供しようではないか」

 まるで、誰かに聞かれているのを前提としてかのような、わざとらしい口調だった。その場にいる者は、それに合わせるのが正しいと瞬時で悟った。

「そう言えば、私も唇を潤したいと思っていた所だ… 軽いスパークリングワインでもいただけるとありがたい」

 ラスカリス・アリアトラシュが、そう言った。そして、臣下の間で、公国を支配する公族の言葉は絶対だった。ルードヴィヒ・フォン・ゼークトが、キャビネットの上に置かれていたベルを鳴らした。すぐに部屋の扉の外から、ノックの音が聞こえた。

「入れ」

 ラスカリスたちを門前で迎えた初老の家令が、姿を現した。

「お呼びでございますか、ご主人様」

「久しぶりに旧友と話し込んで、喉が渇いた。ワイン蔵から、適当なワインを見繕ってくれ。あまり濃厚でない、軽めの銘柄が良い…」

「承知しました」

 一礼してこの場を辞そうとする家令を横目に、ギデオン・グアルネッリがメイドの少女に言った。

「お前も行きなさい。家令殿のお手伝いをするのだ」

 メイドの少女は、無言で頭を下げた。ゼークト家の家令が、少女を振り返る。

「いや、お手伝いには及びません」

 だが、ラスカリス・アリアトラシュが言った。

「家令殿。そのメイドは、私の毒味役でもあるのだ。公族とは、色々と窮屈なものでね。理解を賜れば、ありがたい」」

「これは… ご無礼を致しました。では、お嬢さん、こちらへ」

 初老の家令の言葉を聞いて、メイドの少女が優雅に頭を下げて言った。

「恐れ入ります」

 その声は、蜜のように甘い乙女のそれだった。言うまでもなく、このメイドは。ザザ・グアルネッリが扮装したものだ。声色までも完璧に対象になり済ます、この驚くべき絶技もまた、ゴーレムマスターたるグアルネッリ伯爵家家伝の技術であった。

 アカデミーの同級生であるザザ・グアルネッリが、メイドに扮した後、最初に放った、透き通った少女の声を聞いた時には、ラスカリスもジークベルトも驚嘆したものだった.

 そんな二人の様子を眺めて、ギデオン・グアルネッリは愉快そうに含み笑いをしていた。

 ゼークト家の加齢に続いて、ルードヴィヒの寝室を出るザザの背中に、ジークベルトが声をかけた。

「頼んだぞ」

 ザザは、振り返らず、無言で小さく頷いた。


ーーまず、ワイン蔵の場所を確認して…


ーー続いて、リィーン・アフメドが囚われている部屋を特定する…


ーーそして、隙間風のように部屋へ侵入し、少女を救出する…


 出来れば、荒事は避けたかった。ゴーレムマスターの戦い方は、10歳の少女の正視に耐えられるものでは無かったから。


 その時であった。

ジークベルトは、フォン・ゼークト邸の門前で何者かが怒鳴り声をあげているのを遠く聞いた。ゼークト伯爵家の当主、ルードヴィヒの顔色が一変した。

「弟だ… エドラー・ヴォルフが屋敷に帰って来た… まだ、アカデミーの授業中だろうに…」

 ルードヴィヒの顔から血の色が引いていた。ルードヴィヒが、「僕は弟が怖いんだ」と告白したことは、全く事実であるようだった。

「エドラー・ヴォルフ・フォン・ゼークトとは、面識があります。ギデオン様は、ここでルードヴィヒ様を守って差し上げて下さい」

「ジーク君」

 ジークベルトは、黙ってルードヴィヒの寝室から廊下へ歩み出た。

大股で凶意に溢れた足取りが近付いて来る。

 エドラー・ヴォルフであった。

エドラーは、兄の寝室の前に立つジークベルトを認めて、その青灰色の目を丸くした。

「貴様、アインホルン家の孺子… こんなところ何をしている?」

「エドラー・ヴォルフ殿。あなたこそ、授業の真っ最中ではないのですか」

「家中の者が慌ててやって来て、ゼークト家にとんでもないゲストが飛び込んで来たと御注進に来たのだ」

「ギデオン・グアルネッリ伯爵閣下が、アカデミー時代の友人であるルードヴィヒ・フォン・ゼークト伯爵閣下の病床をお見舞いにいらしただけですよ」

「ラスカリス・アリアトラシュ殿下とジークベルト・フォン・アインホルン、その二人がおまけで付いてきたとても言うのか」

「エドラー・ヴォルフ先輩。何をそんなに慌てておいでなのですか」

 エドラー・ヴォルフはジークベルトを威圧するように凝視した。気の弱い人間ならば、それだけですくみ上がってしまうような恐ろしさだった。

「…貴様、どこまで知っている、孺子?」

「何の事ですか」

「とぼけるな‼︎」

「だから、何の…」

 エドラー・ヴォルフは出し抜けに、ジークベルトの制服のネクタイを掴んで、ジークベルトを空中に吊り上げた。驚くべき膂力であった。

「お互い、掛け値なしだ。これには俺たちの運命がかかっている… アイヴォリー・キャッスルで何があった?」

 ジークベルトは息を詰まらせながら、辛うじて言葉を絞り出した。

「ラスカリス・アリアトラシュ殿下が暗殺者にそのお命を狙われた件ですか…?」

 エドラー・ヴォルフの青灰色の双眸が、大きく見開かれた。エドラー・ヴォルフの腕から力が失われ、ジークベルトは床に足を下ろす事が出来た。

「顛末を聞かせろ、孺子」

「…ゴホゴホッ。エフゲニア人に化けた沙馮シャフーの暗殺者が、毒入りのワインでラスカリス・アリアトラシュ殿下のお命を弑し奉らんと計った… そして…」

「そ、そして、どうなった」

 ジークベルトは、クスッと笑った。

「エドラー・ヴォルフ先輩。ラスカリス殿下は、こうやってあなたの屋敷へ、あなたの兄上をお見舞いにいらしているのですよ」

 エドラー・ヴォルフの表情に動揺が走る。

「そ、それで、女はどうなった? 殺されたのか、自害したのか、それとも…」


ーー語るに落ちるとは、この事だ。


 ジークベルトは、そう思った。

ジークベルトの唇に皮肉な笑みが浮かぶ。

「エドラー・ヴォルフ先輩…」

「な、なんだ、孺子。その眼は」

「先輩。僕は、エフゲニア人に化けた沙馮シャフーの暗殺者と申しました。でも、暗殺者が女性であるとは、一言も言っておりませんよ」

 エドラー・ヴォルフの顔が凍り付いた。

「ここにいろ、孺子。ここから一歩でも動いたら… 殺す‼︎」

 エドラー・ヴォルフは巨躯を翻して、廊下を駆け出して行った。

エドラーの行き先は間違いなく、暗殺者ガザーラ・アフメドの妹、リィーン・アフメドの監禁場所であろう。ジークベルトはメイドに扮したザザ・グアルネッリの細い肩の線を思い出していた。エドガー・ヴォルフの乱入は、ジークベルトの作戦にとって、完全なアクシデントだった。後は、ザザの機転に任せる他にはなかった。

 ジークベルトは、拳を固く握り締めた。


ーー頼んだぞ。ザザ。


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