第41話 せっかち

【side桃香】


 自室の扉を内側からぼんやりと眺めていた。

 物心ついたころから使っている部屋なのに、何故かその扉を見ても『自室』という馴染みは薄かった。

 私の「自室」は別にある、ということだろうか。

 まだ数か月暮らしただけの仲良し寮を、私は自分の居場所として認めているのだろう。

 そこでの数か月を思い出すと、心がざわめき立ち、不穏なもやが心中を塗りつぶした。

 今すぐ泣き喚き、暴れ、叫んでこのモヤを取り払いたい衝動に駆られる。

 それをほんの少し上回る無気力さが私をせき止めていた。

 結局は何もする気が起きず、ただ扉を見つめ続けた。


 


 仲良し寮は居心地がよかった。

 バカな後輩が4人もいるけれど、彼らの前では私は『善良な生徒会長』を偽る必要がなかった。

 今まで誰の前であっても、品行方正にふるまい、本当の自分を最下層に押しやって生きてきた。

 誰もが私を最高の生徒会長と認め、敬意を表していた。


 ただ、仲良し寮は規格外だ。


 私が生徒会長だろうとなかろうと、お構いなしに迷惑をかけてくるのだ。私が品行方正だろうと、口うるさい説教マシンだろうと、彼らにとっては関係がないのだ。

 私は私を装うことが苦痛だった。彼らといれば『善良』なんて薄っぺらな仮面は、ものの数秒ではぎとられ、有無を言わさず素の自分をさらけ出さされる。









 それが私にとってはかえってありがたかった。









 あそこにいると安心できた。








 やっと、心から安らげる自分の居場所を見つけたと思った。










 だけど——




「自分の居場所、か」


 嘲笑じみた吐息が漏れる。

 私に、そんなものを得る資格などない。

 人を追い出して得た居場所など、まがい物だ。

 決して拠り所になるものではない。拠り所にしてはいけない。そこの住人たちに迷惑はかけられない。




 私みたいなまがい物が混ざってはいけない。







 私は幼い頃から自分を持たない子供だった。

 人の顔色をうかがって、物事の是非を決めた。

 はじめは相手の望む回答を当てるゲームだった。

 正解すれば頭を撫でて褒められたし、お菓子をくれることもあった。不正解だと顔をしかめられ叱られたし、時には頬を叩かれた。


 次第にどうすれば大人が喜ぶのか、が分かってきた。

 簡単だった。相手の都合の良い方を選ぶだけ。

 自分がどうしたいか、などはあまり考えなかった。だから、何事も迷わないで判断することができた。

 大人の望む私でいること。それが私のたった一つの責務であり、信念だった。

 そうすれば、だれにも嫌われないで済む。悲しませないで済む。叩かれないで済む。




 小学校では学級委員を務めた。

 誰もやりたがらなかったから、引き受けた。

 先生の言うことはよく聞いて、いつも先生の要求以上の成果をだした。

 友達の悩みは親身に相談に乗り、絶対に否定したり、説教したりはしなかった。ただうなずいて話を聞き、「分かるよ」「つらいよね」と慰めた。

 私はいつの間にか家族、先生、友達、誰もに愛され、慕われるようになっていた。







 中学でもそうなるはずだった。





 中学ではバドミントン部に入部した。友達の誘いで入ったのに、その友達は彼氏ができたからとさっさとやめてしまった。

 そうして取り残された私はなし崩し的に、でも精力的にバドミントン部で活動していた。

 そして、初めての公式戦を控えた夏、私は彼女に出会った。




「ペア組まない?」





 そういって話しかけて来たのが椿だった。


「ぇ、え?」

「ダブルスのペアになりましょ、と言ったの」

「え、ぁ、うん。それはいいけど…………ねぇ私たち初対面で間違いないよね?」


 ペア決めの時間になるや否や、椿があまりにも躊躇なく私のところにやってきたものだから、驚いた。これまで椿の存在は知ってはいたものの、桃香の方には椿と会話した記憶がまったくなかった。

 初対面の一言目が、先のペアの申請だったのだ。


「ええ、初絡みね。でも、あなた以外わたしのパートナーは無理なの。だから仕方ないわ」

「えーっと、私そんなに上手くないよ?」

「そんなこと知ってるわよ。さっきの練習見ていたから」悪びれることなく、言い放つ椿に「えーひどい」と言ってみるも無視される。


「じゃあなんで私を選ぶの?」と問うと、椿は勝気な笑みを浮かべた。

「わたしの隣に並べる容姿はあなたくらいしかいないからよ」




 こうしてダブルスのペアとなった私たちは夏の大会を初出場にして、準優勝を勝ち取った。

 強気な性格で何をしても目立つ椿と、相手を立てるのが得意な私。

 まったくの正反対な性質をもった私たちは、意外にも馬が合い、その後も練習や試合を共にした。私はその時、人生で初の「親友」と呼べる存在を得た。





 そして忘れもしない中学3年の夏。


 その日、私は同じバドミントン部の男子、ジュンくんに校舎裏に呼び出されていた。

 嫌な予感しかしなかった。

 異性間の呼び出しで校舎裏や屋上と言ったら、もうあれしかない。



 ジュンくんは椿が想いを寄せる男子だった。

 勝気な椿は意外にも恋愛面では奥手で慎重だった。なにか、過去に恋愛関連の失敗でもしたのかもしれないが、それを確認しようものなら、瞬間湯沸かし器が沸騰を通り越して大爆発する勢いで弾けるのは目に見えていた。


 そんな椿の想い人に呼び出されるといった状況は私にとっては最悪の事態だ。

 そもそも私はジュンくんが苦手だったというのもある。

 彼は気に入った相手にはひたすら優しく気配りのできる男子だが、一度敵あるいは取るに足らない存在と認識されてしまえば最後、冷酷無比な塩対応をされることになる。

 両極端、彼の人間関係にはそういう傾向があった。

 私が冷たくされたことはなかったが、彼が後輩にひどい扱いをしているのを見たことは何度もある。

 はっきり言ってあまり気持ちの良いものではなかった。




「おう。来たな」校舎裏には何故かポケットに手を突っ込んで、ポージングしているジュンくんが待っていた。

「うん。お待たせ。私に用ってなにかな」

「おいおいせっかちだな、お前は。まぁそんなとこも可愛いがな」ジュンくんが得意げにウインクを飛ばしてくる。私はそうとバレないようにさりげなく横にずれてウインクの弾丸を避けた。


「えーと、うん。ありがと。で、用件は?」

「おーいおいせっかちだな、お前は。まっ、そんなとこも可愛いがな」


 だぁーめだ。NPC並みに同じことしか言わない。「おい」が「おーい」になったのと、「まぁ」が「まっ」になったくらいしか変化がない。

 どちらの変化も若干、人をイラっとさせる変化だった。

 何を言っても『そんなとこも可愛いがなエンド』になりそうなので、私は黙りこくった。

 それがキーだったのか、ようやくジュンくんが次の段階に入る。


「さて、桃香。本題だが、俺の女になれ」


 オぉおおおイ! 人のことをせっかち呼ばわりしておいて、自分はいきなり告るんかい! そんなに人のことをせっかちせっかち言うのなら、お前はもうちょい前置けよ。前置いてから告れよ。お前が一番せっかちだよ。そして、そんなところも全く可愛くないがな!

 心の中で一瞬のうちにこれらの罵倒を終わらせて、私はにっこりとほほ笑んだ。


「気持ちは嬉しいけど——

「——焦らなくて良い。せっかちに答えを出すな。熟考しろ」


 せっかちはお前だよ! 私の返事を最後まで聞くことすらできないせっかちだよお前は!


 またも心の中で罵倒し、表向きは当たり障りのない断りの言葉を言おうとして、不意に『せっかちはお前だよ』の『せ』が口から勝手に飛び出た。

 こんなことは初めてだった。初めての事態が起こるほどイラっとしたということだろう。恐るべしせっかちジュン。


「せ?」とジュンくんが聞き返してくる。

「せ、せっかくだけど、私今は恋愛とかは——

「——はぃせっかちィィィイイ! その発想がもうせっかちィイイイ! 早まるな桃香! 恋愛ともう一度向き合うんだ」


 うぜェェェェエエエエエ!

 なんでもかんでもせっかちと結びつけないでよ! せっかちの意味が拡大解釈されちゃってるから! なんで恋愛に興味ないことがせっかちになるのよ!


「いやでも——

「——とにかく、もう度よく考えてから『はい』と言え。分かったな? 前向きに検討したうえで「はい」と言うんだぞ」

「え?! あ! ちょっと!」


 そのまませっかちジュンは、私の既に決まりきった返答を聞くことなく、駆け足で体育館の方へ去って行った。恐ろしくせっかちである。


 私はため息をついてから、なんとなくジュンくんとは反対方向から行こうと踵を返すと、30メートル程先の曲がり角に、誰かの綺麗な黒髪が角の向こうに吸い込まれるように引っ込むのが、見えた。


 今思えば、ここから全てが狂っていったんだ。


 でもこの時の私はまだこの告白が最悪の結末に繋がっているだなんて、想像もできなかった。

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あべこべハーレム異世界に転生したはいいけど、『嘘つくの禁止』ってコレ詰んでね? 途上の土 @87268726

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