末文 三つ脚の烏 2



 軽佻な青年の口調に、鸞成皃は「くくく」と笑った。

「ああ。てい州の策で名を借りた事がどうやら伝わってしまったらしくてね。白浪はくろうと少し行き違ったが、何とか丸く収まったよ」

「どうせその辺に奴等の間諜かんちょうでも入ってたんだろ? こんな事が後々も続くと厄介そうだな。見つけてほふるか?」

 鸞成皃は困ったように口元を笑ませた。

「そうやってすぐに民の命を散らそうとするのは止めてほしいな。彼等もまた国家の資だよ。なるべく損なわずに次代へ残さなきゃ」

 鸞成皃の言葉に、青年――仙鸞が、ぶはっと噴き出した。

「さすがお優しいな、大将軍様は。数百万の民の命を散らせた奴の言う事だとは思えん」

 鸞成皃は矢張り苦笑した。



「温情と言ってほしいところだよ。こころめくらな「識」のまま、こんな彼岸にとらわれているより、新たな転生てんしょうを得てきざはしのぼった方が、余程よほどたましいのためになる」



 仙鸞は苦笑で眉根をひそめる。

「馬鹿はとっとと死にさらせとしか聞こえねぇよ」

「まあ、この国の為にも、膿は出さなきゃ。でしょ?」

「膿、か」

「大国に攻め込むには兵がいる。完全殲滅せんめつというのは中々大変な仕事だから。その為なら小事を見送ることも必要だよ」


 やや沈黙を見送ってから、仙鸞が思い出したように口を開いた。

じょえん璋璞しょうはくは?」

「今は落ち着いている。そちらこそ、『真名』は大人しく眠っているの?」

「ああ。寝息一つ立てやしねぇよ。――流石さすがにこう、何年もこいつとしか過ごしてないとなぁ……」

「厳しい?」

「飽きるんだよ」

 仙鸞の率直過ぎる物言いに、鸞成皃は笑った。

 仙鸞は、『真名』にそっと触れてから、「もうすぐだな」と小さく呟いた。

「もうすぐだ。もうすぐ逢える。――なあ、贄の儀式の前に、最後に時間を設けてくれるんだろ?」

「ああ。その為に今まで大量の麾下を動かしてきたんだ。さっき丸く収まったと言ったろう? 先程無事誤解である事が伝わった事と、こちらの謝罪を受け入れた上で、食国おすくに本人が贄の儀式に参列するとの正式な返答が来た。待たせて済まなかったね。これでやっとあんたとの約束を果たせるよ」


 鸞成皃の言葉に、仙鸞は切なげに顔を歪めた。

「なあ鸞成皃。ここまで長かったな」

「ああ」

「惚れた女と力尽くで引き剥がされるってのは――地獄の沙汰だったぜ」

「ああ。そうだろうね」

「奪われたままにしておくわけがねぇんだよ。必ず報復した上でこの手に取り返させてもらう。俺はもう、己の運命に対して腹はくくった。仲間の命も俺が不甲斐ないばかりに、多く散らしてしまった。その責任を――必ず取る」


 仙鸞は、その拳を強く強く握りしめた。


 先日、蓬莱の『かんばせ』の『かん』が外され、蔡浩宇さいこううの肉体を贄とし、葛城かつらぎの皇子みこ黄泉よみがえった。これは藤之ふじの保食うけもちげっとうともなわれて高臼こううす入りしたとの報告が既に来ている。

 えいしゅうさんぽう合祀ごうし、『りゅうぎょく』の『環』が外れた報告はまだない。この贄の任に当たる蔡水麒さいすいきが道中事故にあい、瀛洲への到着が遅れたという報せが彼の鳥であるがんによってもたらされた。しかし問題はない。彼には極秘裏に「真」を超えるほうとうの制作を依頼していた。全ては月桃の策略を阻止するためである。蔡水麒というのは責任感の強い男だ。必ず成し遂げてくれる。自分はただ静観して待てばいい。そう確信していた。


 鸞成皃は、ゆっくりと青年のかたわらに歩み寄った。手探りで『真名』の左手首に触れる。そこに細く白い物が巻き付いている。『龍玉』の『環』の尾椎である。これがここにあるという事実こそ、まだその先に繋がる『環』が贄を得ていない事を意味した。

 続いて、その首を捕らえている『環』に触れた。これこそが最後の一人、方丈ほうじょう大海人おおあまの皇子みこ頭蓋とうがい脊椎せきついである。

 そう。これ以外の『環』はみな、頭蓋で白玉を捕らえ、尾椎で『真名』に支配されている。


 しかし、大海人の『環』は頭蓋を持って『真名』を捕らえていた。


 その先の尾椎は、黒く揺らいで見えない。ここではない何処いずこかの誰かに繋がっているという事だ。つまり、この『環』が贄を得た時、尾椎の消失によって、この先にいる人物に五貴人の黄泉返りが伝わる事を意味する。

 かつて八咫が、中達ちゅうたつ師傅しふせんざんの砦で、白玉はくぎょくの「識」は『かん』を通って移動するのではと推察した事は結果事実であった訳だが、この時続けて中達が語った事を知る者は多くない。いわく、白玉の本体はここでは無い何処いずこかにあるのではないか。それはもしや本来の異地いちに留まったままなのでは――と。

 これは当たらずとも遠からずだった。異地にとどまっていたのは本体ではない。異地に留まっていたのは――その使役権、支配権だったのだ。そしてこの事実を知った者は、皆同一の見解に落ち着いた。即ち、この先の尾椎が繋がっているのは――異地の帝の手であると。

 これが贄を得て復活すれば、それはこの五百年の終結とほぼ同義になる。この為の贄に仙鸞八咫せんらんやあたが用意されて久しい。


 ――この贄が最後の犠牲となるならば、それも致し方ないだろう。


 白食国はくおすくにとの離別は最早避けるべくもない。何よりも、贄となろうという本人がそれを本懐とし、揺らがないからだ。ただ最期に一度だけあいまみえられればそれでいい――そう言い続けていた八年だった。

 鸞成皃は目の前の青年の気配を感じながら、徐寝棲じょしんせいの事を思い出していた。仙山で共に過ごした日々が脳裏に黄泉返る。


 彼の首印くびじるしをその手にかかげた日の誓いを忘れた事はない。


 この血塗ちぬられた継承を断絶する。寝棲は、ずっとそう繰り返していた。

 奴等の都合で犠牲にされた同胞の報復を為し、俺達自らの手で邑と死屍散華の力を取り戻すんだ。我らが悲願誓願に、お前達もくみするか。今ここで、選べ!

 これから反撃の狼煙のろしを上げるんだ。

 力は俺達の手に還る。

 五邑は立場を変えるんだ。

 夜見の民も月人もその配下に置いて、ゆくゆくは我等が祖を売り渡した異地の帝をも討ち果たす。

 ――それが、仙山の進む道だ。

 そのげきを、新たな者を仲間に加える度に、彼は繰り返し飛ばした。

 握られたこぶしが天をく。その背中を、何度も何度も見た。



 そしてもう一つの記憶が胸の奥を突いた。



 夕闇の中、差し伸べた手と、それを受け取る手は、視線を同じ高さでまじえていた。あれ程大きかった体格差は、一年半という短期間で二人の間を埋めていた。



「一緒に来てくれねぇか――じょばいらん



 梅蘭の目は、漆黒のひとみによって真っ直ぐにられた。

 麻硝ましょうとは違う道を、共に歩めと。

 見送りだけのはずだったその往路おうろは、梅蘭に復路を辿らせなかったのだ。

 薄暮はくぼの中、青年の手をとった梅蘭の左手首で、赤黒い柘榴ざくろ石が血凝りのように闇に呑まれてゆく。真っ直ぐな黒い眼の底に囚われる。

 その時恐らく、宿命のからすいたのだ。



 鸞成皃のめしいた目が、天を仰ぐ。



「――やっと、てんが動くよ。寝棲ねすみ






         『白玉の昊 急章』 完


          続 『白玉の昊 起章』




https://kakuyomu.jp/works/16817330657799558543/episodes/16817330657799585231

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