末文

末文 三つ脚の烏 1


         *


 初夏の頃、無月なづきも末。

 こつり、こつりといしどこたたきながら進む音がする。剣のさやの先が叩く音だ。帝壼宮ていこんきゅう外殿の最奥さいおうである太陰たいいん殿でんでは、すでに耳慣れて誰も気に留める事がない。それは、黒い影が訪れる先触れだった。

 まとかわよろいは上級の武人には相応ふさわしからぬ装具に思われるが、機動力を優先する性状が現れ、不気味に黒銀こくぎんに照り輝く。その肩からはやはり漆黒の革製の外套がいとうが羽織られていた。外套には、ぎょくを手にした龍の文様が金糸によって縫いつけられている。それだけでその人物の本来の身分が知れる。



 の人こそが、異例の抜擢ばってきでその地位にき、今や簒奪さんだつを成し遂げた革命の旗手――禁軍大将軍らん成皃せいぼうであった。



 帝壼宮ていこんきゅうは広大な敷地を持つ宮城である。その全体を城牆じょうしょうで取り囲み、全ての建物と隔壁かくへきの屋根には白銀のかわらが乗せられている。

 帝壼宮ていこんきゅうはその全体を、南の極を背後の護りとして構成されていた。

 宮を囲む城壁の最北に位置する北玄門ほくげんもんがその表の役を果たす。そこから見てせいげつ殿でん釈天しゃくてん殿でんの二つの外殿が続き、謁見の広場を挟んでその更に奥に太陰たいいん殿でんはある。

 右後方には禁軍の兵舎、左後方には文官の官舎、更にその背後には、五邑ごゆうの民である方丈ほうじょう住処すみかとして旧ほう壺宮こぐう――かつては後宮として機能した――がひかえていた。方丈はその性質上、更に城牆じょうしょうで囲われていた。

 太陰たいいん殿でんは外殿の中でも特殊な意義を持つ宮だった。上空から見下ろせば、他の二つが『一』の形を有しているのに対し、広大な広場をはさへだてた先で太陰たいいん殿でんのみが『玉』の形状をとっているのが分かる。

 玉座の間があるのは、その太陰たいいん殿でんの中辺だ。中辺だけ建物が高くもうけられており、玉座はその上階に設置されている。そのため、窓越しに座したまま謁見の広場を見渡せる造りになっている。そして上中下辺を正中せいちゅうつらぬき、各建物のぐるりを取り囲む回廊を渡り、中辺の右棟半ばから北へ向けて伸びるきざはしを抜け、点の字の位置に向かうと、そこには他と同様白銀の屋根をいただいた石造りの宮がある。



 それは、巨大な不死石しなずのいしで出来ていた。



 その宮の内にこそ、白玉のかなめたる『真名まな』が収められている。つまり、玉座から白玉はあまりに近い場所に安置されていたのだ。


 名を、つきの宮と言う。


 らん成皃せいぼうが歩みを進めていた場所こそ、まさにこの月の宮に向かうきざはしなのであった。

 姮娥こうが国皇帝であるげつ如艶じょえんが玉座にす事はこれまでただの一度もなかった。それが何故なにゆえであったのか、如艶の真意を知る者はない。只一つ確かなのは、今後も彼がそこに身を置く日は決して訪れないという事だ。の堕ちた皇帝が禁軍右将軍である璋璞しょうはくと共に現在幽閉されている場所こそがこの月の宮であった。


 簒奪という大政変が起きたのは卯月。今から二ヵ月前の事になる。

 本来、在籍年数も浅い新参の一武人に過ぎない彼が、ここまでの偉業を成し遂げるなど到底あり得ぬことだ。何故こうも容易たやすく事が運ばれたか。それは矢張り、彼の経歴がその要となった。

 らん成皃せいぼうが禁軍に下る前に所属したのはせきぎょくいただきである瓊高臼にこううす黄師こうし。加えて彼はその頂点に座す大師長のかたわらはべっていた。その大師長よりの推挙により、彼は帝壼宮ていこんきゅうくだったのである。


 たい輿姮娥こうが――これは露涯ろがいの出身である事を婉曲えんきょくに説く時に使われる表現なのだが――の混血という当人からの説明の通り、その容姿はほぼゆうそのものだった。ただ黒髪だというだけでも人目を引くというのに、総髪にしたそれを長く背後に垂らした様はいっそ不気味で武人としては相応しいものだったかも知れない。きたえ抜かれた六尺二寸という巨躯もまた、その威圧を増す一役を買った。


 更にその心象を強めるのが彼の両眼だ。


 一直線に刃でぎ払われたとおぼしき傷が、その双眸そうぼうを繋いでいる。両眼共に完全に損傷し、眼球全体は白く染まり、元来のひとみの色を判別する事はできない状態にあった。完全なめしいである。

 こつこつと剣先が石床を叩くのはこの為であった。

 まぶたも切られているため、これを閉ざす事もできない。故に光がひどく染み、頭痛の元となる。これを緩和する為、特に日差しの強い日は黒布で眼部をおおった。更にこれを安定させるためその上から革製の黒い仮面を当てる。只でさえ異様な風体ふうていが、更にその異様を増す。


 からす――という文字の語源は、全身の黒さから目の在処ありかが知れぬ、というところにる。まとうものと頭髪の黒、それから失われた眼光と杖代わりの刀から、彼もまたそれに並び称される事があった。



 ――いわく、三つ脚のからす、と、



 らん成皃せいぼうの姿をみとめた月の宮の警備兵が姿勢を正したのが音で分かる。手を軽く上げて見せた。

 中の様子を聞く。異常はない。げつ如艶じょえん璋璞しょうはくも、各々の部屋に囚われたまま沈黙を守っているとの報告を聞く。

 鸞成皃は警備兵に少し下がるよううながした。

 扉の前で、鸞の頭が三度下げられる。次いで三拍手が打たれる。

 柏手を打った右手首には、血の赤黒く凝り固まったような色をした数珠が巻かれていた。その手が打たれるたびに、表面がぎらりとにぶい輝きを放つ。

 すると、ちりん――と鈴が鳴る。

 鸞は両開きの扉に手を掛けた。僅かに、ぴり、と痺れが走る。



「白い玉様、白い玉様、白い玉様。本日のお参りを申し上げます」



 言い終わるや否や、鸞成皃の身が飴細工のように引き伸ばされ、その場から姿を消した。警備兵の眼にはそのように映る。しかし彼等は既に何の感慨もあらわさない。五邑の民がそうして宮に入る様を、この四百年ずっと見守ってきたのだ。彼等は引き続き自らの任に注力した。


 月の宮へ入る方法は二つある。

 一つはそのまま開扉する。

 この方法でならば、じょえん璋璞しょうはくが繋がれている間に入れる。


 もう一つが――白玉の参拝作法で開扉する。

 この方法でならば、『真名』が繋がれている異空に入る事ができる。



 後者の方法で宮に入ったらんめしいた目の前にいたのは、『真名』だけではなかった。『真名』のかたわらに、純白の直衣のうしまとった二十歳前後と思しき青年が立っていた。



「やあ―――――仙鸞せんらん



 鸞成皃らんせいぼうが声をかけると。年若きその青年が「ふっ」と笑った。

 直衣姿の青年は赤銅しゃくどう色のよく焼けた肌をしていた。髪質は酷く固く、その双眸そうぼう共々底が見通せない漆黒の色をしていた。


「よぉ、鸞成皃閣下。その様子だと、どうやら順調に進んでるみたいだな」




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