51 誰も困らないような悪さをしたりした


「なんやて?」

 口を開いたままの八重やえに、すいどろはうすく微笑む。

げっとうは、藤之ふじのの娘を殺したいのです」

「待ってください蔡さん。あの、それは、器の候補の方の事ですよね? 蓬莱ほうらいの」

 長鳴ながなきの愕然とした顔での問いに、すいどろは首肯によって答える。

「はいそうです。やはりこの問題を後に託すのは、ぼくには無理だったようで。今そう自覚しました」

「今、ですか」

「はい。保食うけもちを救えなければ、ぼくが贄に志願した意味はなくなってしまう。人任せにはできない」

 水泥は、自身の心臓に右の拳を打ち付けた。

「今、贄の儀式の術を身につけているのは月桃と保食の二人だけ。ぼくにあるのは知識だけです。もしぼくがここで贄となり、予定通り死ねば、あと残るのは方丈の贄の儀式だけになります。これは月桃自らが行うと宣言しています。もし長鳴くんが儀式を執り行えなければ、瀛洲に保食か月桃自らが儀式の為に訪れなくてはならなくなる。故に今はまだ保食は殺せない。勿論月桃自らが瀛洲へ赴き、僕を贄にする事に難があるわけではない。ですが、何よりも、月桃は保食に耐え難い苦しみを与えてから最後にほふりたいのです。儀式を執り行う者として保食を指名したのは他でもない蔡浩宇さいこうう本人でしたが、これを月桃が認め、彼女に贄の儀式の作法を教えたのは、親しく関わった身内を自らほふるという地獄を保食に味わわせたいがためです」

「――狂っとるやん」

 吐き捨てるような八重の言葉に、水泥はうなずいた。

「正しく。――だから、このほうとうが折れた事は、ぼくにとっては幸いだったのです。寶刀がなければ贄の儀式はできないので。まあ、刀のしつが悪かったから失敗した、でもよかったのですけどね」

「それ、職人としては業腹ごうはらとちゃいますの?」

 と、八重が問えば「そりゃ、かっ腹は立ちますよ」と、水泥は真顔で返した。

 そんな二人を見る長鳴は、裏の裏を掻きあう策略の仕掛け合いによって、すでに頭痛がしている。

 ここ数日に披歴ひれきされた数々から頭をなんとか整理してみようと試みた。


 やはり、に恐ろしきは鸞成皃らんせいぼうの周到である。

 長鳴ながなきは、見も知らぬ姮娥こうがの軍人の為人ひととなりを思い、戦慄せんりつした。


 彼はまず、最たる難敵沙璋璞さしょうはくの力をぐことに注力した。この策のために利用したのが蓬莱ほうらいだ。右将軍とそれが率いる騎馬中隊を分断させ、別個撃破を実現。後に手薄となった璋璞の下へ偽報ぎほうを流した。すなわち「妣國ははのくにと結託した白浪はくろうてい州州城をとした」と。これによって八重の殺害危機が近いと璋璞に自ら想起せしめた。となれば、えいしゅうから帝壼ていこんきゅうへ璋璞自らに移送をたくらませるのは道理である。そして彼はそのように動いた。結果は八重の代わりにをという事になったが、後に璋璞を待ち受けていたのは自らの捕縛と月如げつじょえんの投獄である。からの禁軍大将軍による玉座簒奪だ。

 振り返るだに身の毛がよだつ。齟齬そごの少なさは即ち、実施までに積み上げた歳月と仕込みの綿密さを表すものであろう。この一連の全ての布石は彼が打ち、彼が計画し、彼がみちびいたのだ。

 己の身をこの国の頂点へ置かんと。


 ――否、違うのか。


 そうだ、彼はゆくゆくはおすくにを玉座にえると言っている。その玉座は預かりのものに過ぎぬのだ。つまり――



 現在この国の最高権力を握ったに等しい鸞成皃らんせいぼうと、

 異地との誓約の実現に最も近い手札を有しているげっとう

 この両雄が並び立ち、各々の本懐を達成すべく鍔迫つばぜり合いをしているという状態なのだ。



 長鳴の肝が冷える。考えるだに恐ろしい頂点の地獄絵図である。ぶるりとひとつ身震いした。月如艶の残虐におびえていた日々が、すでに遠い過去のようだ。

 水泥は険しい顔でその黒い蓬髪ほうはつを掻き揚げた。

「予定通りに進んでいれば、保食は今頃『環』で月桃に繋がれているはずです」

「え、なんで?『環』て貴重なものなんちゃうの?」

「保食が贄の儀式を行うためには天之尾羽張あめのおはばりを貸与しなくてはならないからです。貸与中に、何かしらの難が発生すれば、月桃は『環』を使って保食をすぐさま自分の手元に呼び戻す事ができる」

 「ああ」と長鳴のに落ちる。

「保険として藤之さんの捕縛が必須だということですね」

 水泥は目を向け首肯する。

「そうです。ぼくが儀式に失敗したと分かれば、月桃は間違いなく天之尾羽張あめのおはばりもろとも保食をこちらへ送り込む。それだけ彼女の命は担保される。また、ぼくが到着したことが知らされていない現状が、すでにそれと同等の価値をもっているのです」

「ああ――なるほど、そうか」

「ぼくは、ここで白玉を解放する。でもそれはぼくが贄になる事ではありません。「真」の寶刀であれば、『神域』の力が及んでいるほこらの方を断ち切る事ができます」

「ほ、祠をですか?」

「はい。あれもまた神の一部。「真」の寶刀であれば切れるのです」

 喜色満面で水泥は目を細めた。

「祠が断てれば『かん』を維持したまま、さんぽう合祀ごうし白玉はくぎょくえいしゅうから解放する事ができる。僕は彼女と、新たに打つ寶刀を持ち、高臼こううすへ向かう。長鳴くん、八重くん、君達には、そのための時間稼ぎの協力を願いたい」

 八重もまた居住まいを正した。

「それは、保食さんを助けるために、なんやな」

「はい」

 二人は顔を見合わせると水泥を見て頷いた。

「わかりました。ご協力させていただきます」

 水泥は――ゆっくりと床に掌をつき、頭を垂れた。

「ありがとうございます」

 長鳴が、ほっと胸を撫で下ろす。

「正直、贄にしてほしいから頭蓋骨と脊椎を引っこ抜くための儀式をやってくれと頼まれるよりも余程気安いですよ……」

 確かに、と水泥は顔を上げつつ、ふわりと微笑んだ。

「「真」の寶刀を打つには、純度が高くけがれの付着していない不死石しなずのいしがどうしても必要になります。だから、不死石の品質を見極める為にぼく自らがこちらに足を運ばざるを得なかった」

 水泥は、そこで一旦区切ると一口茶を含んだ。

「御承知の通り、不死石はもう随分と貴重な品になり、外ではまともな量が手に入らないのです。満足な寶刀を打つには、死屍しし散華さんげに汚されていない不死石がどうしても必要で」

 水泥の言葉に、八重が「あ」とやや大きな声を上げた。それに釣られたのか、長鳴の表情もはっとする。

「どうなさいました?」

 長鳴と八重は顔を見合わせ難しい顔をした。

「確かに、瀛洲は他に類を見ない量の不死石を貯蔵している事で知られていましたが、これは八年前の火災による粉塵と延焼で、大多数が死屍散華に汚され、もはや使い物にならないのです」

「無理矢理手に入れようと押し入ってきた姮娥こうがの人がそれで水を飲んで死んではるんや」

「ああ、それは勿論聞き及んでいます。問題ありませんよ」

 水泥はふわりと微笑んで、「西」の方へと人差し指を向けた。



「あの川傍の物置の中に、昔八咫がこっそり失敬した道祖神が数体あるはずなんです」



「え」

「え?」

 水泥は苦笑して頷いた。予想していた反応である。

「ちょ、ちょっと、今、なんて言わはりました?」

「「西の涯」の物置小屋に、邑の中央に置かれていた道祖神を数体くすねて隠しておいた、と、八咫から伝え聞いている、と言いました」


「「はああああ⁉」」


 声を重ねて絶叫した夫妻に、水泥は笑うしかなかった。

 ※――と、言っていましたね」

「ああああああの馬鹿兄貴はほんまに何をしくさっとんねん……おっ、おとんが生きとったら卒倒しとったわ……‼」

「こんな事、お義母さんに聞かせても倒れるよ。と言うか、誰にも聞かせられないよ」

 文字通り頭を抱えてしまった二人に、水泥は苦笑して見せた。

「誰も困らないどころか、ぼくにとっては大金星でしたよ」

 夫婦二人をほほえましい思いで見つめながら、水泥は眼を細めた。

「本当に、八咫には頭が上がりません。彼がいなければ我々の歩む道は存在し得なかった。――なにせ」



「彼が『真名まな』の贄を買って出てくれなければ、頭数が満たなかったので」



 かちゃん、と、八重の手前の茶托が引っ繰り返った。

「なに――それ」

 水泥はかすかに俯いて答えた。

「これが、八咫からの伝言です。自分は贄になるから瀛洲には帰れそうにない。それでも必ず守るから、皆息災でいてくれ――と」

 そしてやはり、水泥はふうわりと微笑んでしまった。



「勝手ばかりを言いますが、八咫を差し置いて自分だけ生き残るつもりはありません。僕も贄にはなります。――それで、万一ぼくが月桃を殺しそこなったら、』を使って、月桃を捕らえてほしいんです」





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※『白玉の昊 序章』第一節 東瀛 「2 八咫と食国、怪我をした男と遭遇す」 参照

https://kakuyomu.jp/works/16817330649431115461/episodes/16817330649431644239

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