52 出生


         *


 八咫やあたが物置小屋に隠していた三体の道祖神を実際に目にした八重やえは、その場に膝から崩れ落ちた。


「――いややもう、ほんまにあった……」

「あったね……」

長鳴ながなき、あんた、ここしょっちゅう来てたんやろ? なんで気付かんかったんや……」

「あんな棚の裏側なんか見ないよ流石さすがに……」


 地に膝と手をついたまま顔を上げられない八重の隣に長鳴も屈みこむ。

 この夫婦は人一倍体格差が大きい。そんな彼等が共に並び地べた近くでちぢこまっている様子は、何となく見ていて微笑ましい。

 すいどろは横目で二人を眺めながら、探していたものを次々と籠に放り込んでいく。無論邑へ運ぶのは水泥ではなく、長鳴と八重だ。水泥ではやはり磯に不慣れなため運搬の手伝いを買って出てくれたのである。


 ここにどんなものをどれだけ納めておいたのか、八咫は詳細に水泥へ語って聞かせていた。道祖神は思っていたより小ぶりだったので、正直なところ三体あったのはありがたかった。

「しかしあれだね、これだけ丁寧に調合をやって保管まで完璧にやっていたのなら、お義父さんにも言えばよかったのにね、八咫は」

 帰路の最中、籠の中身に視線を向けながら言う長鳴に、八重は間髪入れず「むりむりむり」と手を横に振った。

「めっちゃくちゃ相性悪かったもん、おとんと兄々」

「そうだっけ?」

「おとん性格めちゃくちゃ細かいから、間違いとかずれとかすっごい厭がるんな。ほんで、誰も気にせんような細かい所まで決め込んで兄々に全部叩き込もうとしとったんよ。調合の一欠けらでも過不足があったら怒鳴っとったもん。ほんで、兄々もそういうん嫌がるん。で、逃げて遊びに行ってしもて夕飯の時間まで帰ってけぇへんの」

「ああ……それは厭かもなぁ」

「うちがおかんと黄師こうしの荷物見て帰ったら家中反故紙ほごしだらけになっとったんも一回や二回やあらへん。大抵兄々も逃げた後やから、おとん、えらいしっぶい顔して竈に紙まとめて放り込んどったわ。――しゃーないからせめてもと思って布の洗濯と下がりの品の整理だけは手伝わしとったんやろな」

 ふっと長鳴が笑う。

「そう言えばそうだ。そんな感じだったね、八咫って」

 と、二人の後から続く水泥が無言であるのに気付き振り返った。水泥は自身のあごに指先を当てて、何か思案していた。

「どうしました? さいさん」

「あ、いや――それだけ聞くと、ぼくが知る八咫は多分お父さん似だったんじゃないかな、と思って」

「ほんまですかー?」

 けらけらと笑い飛ばす八重は、しかしそれ以上深く聞いてこようとはしなかった。恐らく心当たりがあるのだろう。

 水泥は髪を掻き揚げながら、自身のただれた右の頬を撫でる。

 根拠あってのものではないが、あまりに気質の似過ぎた二人がいた時、両者は彼我を分けるべく、えて対極に向けて進むような気がする。

 より度合いが強い方がその特徴を伸ばし、弱い方は特徴を裏に引いて見せなくなる。近くにいればいるほど、離れられないほどに、そうなってゆく気がするのだ。

 薬師として生計を立てていた父親の八俣やまたに比べて、真似事のように関心のあるものにだけ手を染めていた八咫とでは、自然その向き合い方や真剣さ、度合いは違っていたに違いない。彼も自分の父親の事を決して嫌っていたわけではないだろうが、そういった理由で苦手にしていただろうことは察しが付いていた。

 

 そしてそれは正に、自分と浩宇こううにも当てはまる事のような気がして、少し厭になった。


 彼とはそれ程年が離れていた訳ではないが、兄のようにしたえるわけでもなく、どちらかと言えばあまり近付きたくなかった。やはり嫌っているわけではなかったのだが、保食うけもちの事もあり、お互いに深入りするのを無意識に避けていた部分はあったろう。

 八重は、八咫が方丈の贄となるという話を聞いて、すぐは言葉を喪っていたが、やがて常の様子へと自らを立て直した。これも恐らくは深く考えないようにしているのだろう。考えても何かを変えられるようなものではない。

 諦める事を知っている女性なのだ。

 それは恐らく自身の立場を理解した上で生きてきた、その成育歴に基づく。

 そして一見そうとは悟らせないのは、彼女なりの周囲に対する気使いであり、そうと知った上で敢えて口を挟まず彼女を見守るに徹している長鳴もまた、人の心に添う大切さを理解している人物なのだ。

 彼等は、相互によい配偶者を得たのだろう。そう思った。



 自由に使ってよいと用意された鍛冶場は、「西の端」のすぐそば、北西寄りのゆるい高所にあった。道具も自由にしていいという事だったので遠慮せず使わせてもらう事にした。

 結果として、制作の為に完全にその鍛冶場に籠り切りとなった。

 水泥は本来、人と関わる事があまり得手ではない。だから、物を作る事を好きになった。人目を気にせずに没頭できる事があるのは、彼の心を安らがせた。

 生来のものだが、顔面に負ったその赤黒い腫れに人の視線が集まるのは、やはり気持ちのいいものではない。年を経るにつれてそう言う事は減ったが、幼い頃は矢張り厭だった。

 遠慮なくはやし立てる同年代の子供達が、やはり好きにはなれなかった。腫れを見られて、触れられて、それが一切気にならなかったのは、保食うけもちただ一人だけだった。何の感想も含まずに、ただ静かに見つめる双眸そうぼうがきらきらと綺麗だった。

 そもそも、水泥の出生自体が特殊なものだった。

 水泥に父はない。母が一人で産んだ。故に母方の物であるさいの姓を名乗っている。周囲の誰にも父に関する心当たりはなかったが、そうなると憶測ばかりが独り歩きをする。五歳にもなれば、大人達の言う卑猥な言葉の意味もやがて理解が進むようになる。

 蓬莱ほうらいの邑長一族の出身とはいえ、実際に配偶者もなく出産をしたという事実があれば年寄り連中は口さがなくなる。母がさげすまれている事は理解できたし、邑長邸内の物置小屋のような離れで母子二人でする暮らしの意味も察しがつくようになる。守られているというよりは、外に出したままにしておきたくないという意図も読み取れた。良くも悪くも、彼は人の考えている事に察しがつくのが早い子に育った。そしてその判断はおよそ的確だった。

 状況が変わったのは、やはり五歳の時の事だった。蓬莱ほうらいでも初参りは五歳の歳に行われる。水泥は――完全に『色変わり』しなかった。そして、それから間もなくして母が亡くなった。流行り病で肺を悪くしての事だった。寝付いてからがあっという間だった。

 一人取り残され、物置の片隅で一人過ごす事が増えた水泥の下へ、突然浩宇がやってきてこういった。


「これから、この赤子の子守りをしてやってほしい」と。



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