50 蓮華掌


 八重やえがひゅっと息を呑んだ。

「にいにい、が、ですか」

 すいどろは眉間に深い皺を刻むと、ゆっくりと首肯した。

「そうです。ああ、でも誤解はなさらないでくださいね。確かに仙山せんざんの行程は月桃げっとうの意図する筋道と一部合致はしました。ゆえ提携ていけいもした。しかし最終的に目指す物は違います。我々はこの国を焦土としたいわけではありません。それは八咫もそうです」

 その言葉に、長鳴と八重はようやく安堵の吐息をもらした。流石に兄が自らそんな策に身を投じたなどとは考えたくない。

 だから――八重はやっと口を開けた。

「あの――さいさん」

「はい」

「さっき、後回しにしたお話なんですが」

「ええ」

「その、天照の男児いうんは――」

「はい」

「それは、うちの姓の、天照と関係がありますか」

「あります」

 間髪を入れぬ断言に、我知らず八重は力み、その首の筋を浮かせた。

「つまり、天照の家系に連なる男性、という……」

「恐らくは」

 八重が声もなく悲鳴を上げた。

「それはっ、兄もそれに該当する、という事でしょうか⁉」

 水泥は、眼を閉じた。

「――ここへ至る前に、ぼくはかじくんと出会い、彼に送られてここまできました」

「え?」

 長鳴が目を見張る。

「彼と話して、確認がとれました。さっき、天照の男児というのは男性かと問われましたが、恐らく外観上の問題ではないのでしょう。恐らくお二人もご存知ですよね? ――ゆうくんもそれに該当していることを」

 二人は確かに熊掌本人から聞き知っている。彼が白玉はくぎょくに拒絶され、瓊瓊にに自らによって、その顕現けんげんしうる唯一の子孫であると言われている事を。

「熊掌くんのお母上は、八重くん、あなた方のお母上と姉妹関係でいらっしゃるそうですね」

 八重は、小さくこくりと頷いた。

「本人たちから直接そうやと聞いたわけやありませんが――かじとおばさまが南方みなかたの養い子やいうのと、母達の会話から、そうなんやないかなって……薄々」

 八重はゆっくりとうつむき、その顔を両手で覆った。彼女の肩を長鳴が引き寄せる。

 水泥が深く重い溜息を落とした。

「――本来であれば、恐らくは八咫がその天照の男児に該当するところだったのでしょう。しかし、彼は事情があって『神域』に入れなくなった。つまり瓊瓊杵を顕現する格を喪失しているそうです。だから八咫は瓊瓊杵の顕現たり得ることはない。そして、彼ではなく熊掌くんがこれに該当することになった」

 水泥はその傷だらけの両掌を合わせ、指先をすうと胸の前へ突き出した。

「熊掌くんの身に八年前に起こった何かによって、天照の命令と許諾は成立し、黄泉比良坂は道が「繋がった」。しかし道を「開く」にはまた別の要因が必要になる」

 ふわり、蓮華れんかしょうに開かれる。

「――熊掌くんは、自らがすでに瓊瓊杵の顕現の器、形代の子と化しつつある自覚をもっている。これは、彼が継承以前からすでに『神域』の者としての自覚をもっていたことを意味しています。――ぼくにもはじめ意味がわからなかった。木花之このはな佐久さく姫の継承の現れ方とはあまりに違ったから……」

 水泥は、そこで一息吐くと、おもむろに茶を一口すすった。

 喉が痛いほどに乾いていた。

 水泥自身も、こうして長鳴達に向けて話す事でようやく情報を整理できたような有様だった。そして言葉に出した結果、それが示す事を理解し、愕然とした。


 事態は全て、梶火が望まぬ方向へ向かっている。


 長鳴は――背筋を伸ばした。

「お話は大体理解できました。何が問題であるのかも、今どういった状況下にあるのかも」

「はい」

「それでは、こちらもお話ししておきます」

 つい、とうつむけていた顔を長鳴は表に挙げた。

「兄は――」

 長鳴の表情は、とても静かだった。


「寶刀に分割されません」


 暫時間があってから、水泥はようやく口を開いた。

「それは」

「承知の事です」

「長鳴くん」

「兄は全て承知の上で参りました。彼は、自身が瓊瓊杵の顕現としてその力を継承し、分割される事なく掌握下に置くつもりです」

「可不可も分からぬまま、お覚悟をなさった上で、敢えて、と言う事なのですね」

「はい」

 水泥は瞼を伏せた。

 分かっていた。それが可能な選択であるという事を。しかし前例がない。分割をしない事で何が起きるかは誰にも分からないのだ。それでも敢えてその道を選ぶという、蘇熊掌という人の心を思った。そしてその人物が白玉に獲られる事を望んでいなかった梶火の心を思った。


 瓊瓊杵を顕現しうる天照が既にそこにいる。

 ならば、自分もまた、覚悟を決める時なのだろう。


 例え全ての積み重ねを瓦解させる危険性があろうと、この道を選ばなければ後悔する。自分の命と体の使い道は自分で決める。決めろと保食うけもちにも自分が言った。これを看過しては、自身の命に対する冒瀆になってしまう。



「――決めました、長鳴くん。ぼくはここではにえにはならない」



「え」

「ここからは僕の独断です。仙山せんざんも、八咫やあたも関与していません。どうかご協力を願いたい」

 深く頭を垂れた後、ゆっくりと表に挙げた水泥の顔は覚悟に満ち、その目は――鋭くぎらりと光ったように見えた。柄にもなく、蘇熊掌の覚悟に自分も類してみようと思ったのだ。



げっとうは、藤之ふじの保食うけもちを殺すつもりなのです」



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