2 八咫と食国、怪我をした男と遭遇す


 

 「村」と「西の端」――村の連中は、そう言ってことさらにこの二つを分けて扱おうとした。それは恐らく、自分達は「西」とは違うと言いたいからなのだろう。

 それが八咫やあたにはとても厭だった。

 双方の境界となるはずの、柵と垣根は随分前から崩れかけている。一先ず場を区切ってはあるが、それも形だけだ。一応、門に値するような切れ間もあるにはあるが、そこここが朽ちていたり穴が開いていたりするので、どこからでも侵入できる状態にあった。

 いつもの柵の切れ間から身体を「西」の側へ滑り込ませると、八咫はすぅと息を吸い込んだ。


「おおい、おすくにぃ! いるかぁ⁉」


 いらえが返らない事は重々承知しているが、それでも名を呼ぶ。自分がここへ来た事を早く伝えたくて。

 通り抜けざま触れた垣根の柴は、少し肩が触れただけでぼろぼろと抜け落ちる有様だったが、まだ倒れはしない。以前無理に板を押したら、柵の一塊がそのまま倒れた事もあった。あれに比べれば余程ましである。

 柵を完全に抜けると、とたんに全身に触れる何かが変わった。しんと冷えた空気が、そこに満ちているのが分かる。

 八咫は目を閉じて再び息を吸い込んだ。

 「西の端」は村の連中が思うよりも、はるかに居心地がいい場所だ。八咫はここが気に入っていたし、何なら村の連中といる時などよりも余程八咫らしく居られた。村人の「西」に対する扱いは気に入らなかったが、確かに「村」と「西の端」とは、何かが明白に分かたれている気がする。それは例えば空気の匂いや温度差などといった、肌で実感できる差異のせいなどもあるだろう。しかし、そんな上辺の事に留まらない、何か目には見えない異質が、きっとこの「西の端」にはあるのだ。

 何か、まとわりつくような違和が。

 瞼を開く。八咫は、じっとその何かを見極めようと中空に目をらした。

 

 己でも薄々判っている。八咫は、村の中に自分の居場所を見つけられないのだ。


 両親からは落胆と同情が向けられているし、妹の八重やえからは一切のにごりがないまなこで「兄々にいにいはお荷物だ」と断言されている。兄妹故に遠慮も容赦もない。八咫自身自覚はしているので怒るに怒れない。いや、昔は八重の物言いに取っ組み合いの喧嘩をした事もあるが、それももう遠い事だ。八重が初めてお参りを済ませたのは五つの歳の事になる。兄が未だお参りを為し得ていない事に気付くと、彼女は屈託のない笑顔で「兄々は、只飯食らいやな」と言い放った。気付くと妹の顔面を殴っていた。当然八重は泣いたし、父には妹にこぶしを挙げた事で同じように殴られ、母には泣かれた。後々その場に居合わせた近所の姉さんから事情を聞いて、母は更に泣いたし、父からは、バツが悪そうな顔で「それでも、殴ってはいかん」とさとされた。もう踏んだり蹴ったりだ。後で一人になってから八咫は泣いた。

 すう、ともう一つ息を吸い込み「食国ぃ」と再び名を呼んだ。


「やぁた」


 ささやくような声が、さらさらと葉擦れの音がする樹上から零れ落ちてきた。見上げると、すぐ傍らにある樹の上にいた線の細い少年がにこりと笑った。

「なんだよおすくに、そんなとこにい――」

 「たのか」と続けられるはずだった言葉は途切れた。破顔していた八咫の表情が、見下ろす少年の顔を見るなり曇る。

「おい、お前それどうした」

 樹上の少年は、困ったように微笑みながら、すとんと重さを感じない動作で地面の上に降り立った。ゆっくり八咫に歩み寄ると、笑みを浮かべたまま目の前に立つ。その目線は、八咫よりわずかばかり高い。

 仄白い肌に華奢な手足。その指先と爪先だけが紅を刷いたように赤い。ばさばさと長い睫毛に大きな二重の猫目。鼻は僅かに上向いており、唇は薄く小さい。ともすれば少女のような顔立ちの少年だ。そんな彼の左頬に、赤黒い傷跡があった。見ればこちらも八咫同様、あちこちに生傷をこしらえている。纏う物は八咫と大差はない。

 八咫は手にしていた菜と瓜を食国の手に押し付けながら、頬の傷の様子をうかがった。

「またかじ長鳴ながなきか」

 問うと、食国はこっくりとうなずく。その応えに八咫は眉を曇らせながら下唇を噛んだ。

 二人は八咫より二つ三つばかり年長の男子だ。彼等もまた、八咫とは違った理由でこの「西」によく立ち入る。当然ながら諸手を上げて歓迎できる連中ではない。特に梶火のほうが。

 食国はこの「西の端」で、母一人子一人で暮らしている。母親が一人で彼を産み育てたようだが、八咫はその姿を見た事がない。身体を悪くして随分経つらしく、大抵せっているそうだ。父は誰か食国自身にも知れぬという。そして食国は――耳が聞こえなかった。

 病身の母親と、耳が聞こえず話す事もままならない少年の、たった二人きりの世帯だ。立場の弱さは語らずとも推し量れる。不当な狼藉ろうぜきを働かれようと、苦情を村の方へ申し立てるのは難しいのだろう。それを良い事に、あの二人は食国へ乱暴を働いているのだ。赦せないのは山々だが、残念な事に八咫の出る幕はない。お参りもろくこなせぬ者に、この村で発言権などあろうはずもなかった。

いしつぶてか?」

 食国はじっと八咫の顔を見ながら、再びこっくりとうなずいた。

 食国は唇をよく読む。大きく口を動かして話せば、言葉の通じない事はなかった。

「かじほに、なげられた。ちょっといたいけど、へいき」

 言葉の発声は少々甘いが、慣れれば何を言っているのか十二分に判る。お互いの顔をきちんと見ていさえすれば、その思いや考えは容易たやすく拾い上げられる。寧ろ言葉すら必要ないかも知れない。

 それが、信頼と言うものだろう。

 言葉にするのは面映おもはゆいので無理だが、自分達の間には、確かにそう言ったものがあると八咫は思っていた。

 と、あまりに長く視線を合わせ過ぎているのに気付き、八咫は目をしばたたいた。決まりの悪さを払拭すべく、八咫は食国の肩をつかむと、その頬の傷をべろりとめた。

 あまりに唐突な事に、「ひ」と食国は身体を引こうとしたが、肩を掴まれているから離れられないし、腕には菜と瓜を押し付けられているから八咫を押し返す事もできない。ただただ固まって舌を頬に受けるしかなかった。

「やぁた。いやだ。きもちわるい」

 くすぐったさと気色の悪さで、食国は身をよじりながら、けたけたと笑った。彼が笑ったのを見て、八咫も、にいっと笑った。

「舐めときゃ直ぐに治るさ。顔は自分じゃ舐められねぇだろ」

 二人はけらけらと小気味の良い笑い声を立てた。

 早朝に相応しい一時の事だった。



 そもそも村でも「西の端」への軽率な出入りは禁じられている。勿論八咫やあたも父からそうきつく言い含められていた。

 大体、「西の端」に住まうのは、白い玉様へのお参りが難しいほど身体に難がある者だ。その集住地への出入りを控えるというのは、彼等の暮らしぶりを軽率に脅かさぬためである。考えずとも当然の戒めだろう。しかし、実際にはかじ長鳴ながなきのようなやからが出ている。配慮が徹底されているとは言いがたかった。


 思い返せば、おすくにとの出会いにも梶火達が絡んでいた。少なくとも二年――いや、三年は前の事になる。月日の流れる速さには驚くばかりだ。

 あれもまた、梶火と長鳴から「参りのできない役立たず」とき下ろされはやし立てられた後だった。諦観ていかんをもって沈黙に努めてきたが、しつこく続けば、さすがの八咫も我慢の限界がくる。元々硬い髪質が、憤怒をはらんで怒髪となり天をく目前だった。どうにかして一泡吹かせてやろうと、こっそり二人の跡をつけた。するとどうにも様子がおかしい。

 辺りの様子をうかがいながら、二人がこそこそと向かっていったのはまさかの「西の端」だった。八咫はその行動の意味に気付き背筋が凍った。こいつら、「西の端」に忍んで行っている! 人の事を散々虚仮こけにしておきながら、自分達は平気でとがに値する事をしているじゃないか!

 冷や汗を垂らしながら、二人が姿を消した柵の切れ目の辺りをしばらくの間様子見した。やがて、そこから笑いながら梶火が飛び出て来た。その後を長鳴が追い、二人は木々の中へと走り去っていった。

 中で一体何をしていたのか――怒りを差し置いて興味が湧いた。

 どきどきと胸が早鐘のように五月蠅うるさいのを感じながら、八咫は恐る恐る柵の内側へと足を踏み入れた。それが初めての「西の端」への立ち入りだった。

 「西」に立ち並ぶ家々もまた、柵と同じように、どれも古く崩れかけていた。ごくりと生唾を吞み込み、恐る恐る一歩を踏み出した。

 ふいに小鳥が鳴きながら飛び立つのに悲鳴を上げかける。びくびくと辺りを見回しながら歩みを進める。虫の羽音を耳の横で聞いて、暴れたつもりが盆踊りもどきになる。――最初の内はそんなようにして、鬼が出るか蛇が出るかと肝をつぶしていたが、誰も何も出て来ぬので、瞬く間に平気になった。

 平気になるとあたりがよく見えてきた。

 静かだった。崖沿いにある上、木立に囲まれているから、湿度が高く空気はしっとり冷えていた。木漏れ日が差し込み、地面を光が揺れながら濡らしている。さあっと吹き抜けた風には花の香がふくまれている。頭上で枝葉がざわざわとその身を震わせる。見上げれば、木の葉と共に枝葉の隙間から日の光がちかちかと降り注いだ。まぶしくて綺麗で、八咫は目をすがめた。

 意図せず脚は先へと進んだ。何かに招かれているような気さえした。

 枝葉の揺れるのが八咫を手招いているように見える。奥へ、奥へといざなわれる。ざあっと、一際強い風に背中を押され、つんのめる様にしてその茂みを抜けた。


 ――その最奥で、木の幹にくくりつけられた食国を見つけたのだ。


 あの時の食国も、顔に傷をこしらえていたように思う。無論やったのは梶火達だ。思い出すだけで腹が立つ。

 八咫は、自分の少し後からついてくる食国のほうへと視線を向けた。気付いた食国がにこりと笑う。八咫も笑って手を差し伸べた。そこへ食国の白い指先がかかる。ぐっと力を込めて握った。

「そこ、滑りやすいから気をつけろ。苔生こけむしてる」

 足元を指すと、食国は大きく頷いて見せた。今の二人は沢を登っていた。

 「西」の崖沿いに海の方へ向かって進むとやがて小さな磯に着く。巨岩の影に隠れて村の漁場からは丁度見えない位置だ。村の連中は「西」には来ないから余計に知る事もない。少々足元が険しいが、美味い貝に、冬から春にかけてはあおさも獲れる穴場だ。この磯を更に西へ向けて行くと、やがて、まだ身の小さな子供だけが潜り抜けられる大きさの穿うがあなにたどり着く。そこを抜けて更に奥へ行くと、然程幅はないが、十分な水量のある川に辿り着ける。今沢登りしているここがそれだ。

 二人は毎日のようにここにくる。誰の目も届かないからだ。静かで穏やかで、誰からも害される恐れのない、本当の意味で安心できる場所だ。魚を釣ったり、泳いだり、隠れ家のようなものを真似事で作ってみたり、誰も困らないような悪さをしてみたり、とにかく自由でいられる。

 だから絶対に手放せない。

 無論バレたら大事だ。何せ、「西の端」から向こうへは行き来ができないはずなのだから。

 気に入りの大岩まで登り切ると、八咫は汗を垂らしながらごろりとうつぶせに寝転がった。もうこれくらいの刻限になると、岩は日に照らされて熱くなっている。身が焼けそうなこの感覚が好きで、八咫はしばらくそのままでいた。吹き渡る風の心地よさ。岩にあてた左頬が、じりじりと焼けた。

 八咫が寝転がったすぐそばに、食国も仰向けに横たわった。二人とも息を切らして、何度も大きく息を吸い込んでは吐いた。やがて食国に倣い、八咫も天を向いた。太陽の鋭い光が目を射るので、八咫は左手を高く伸ばして視界から日をさえぎった。

 指の隙間からこぼれる白光。その光に透かされて、赤く縁取られた手指を見ていると、自分とは、一体何という存在なのだろうかと、不思議な心持ちになった。ひどく心許なかった。

 と、右手の指先に何かが触れた。それはそのまま八咫の手を握った。見ると、食国が八咫の手を握っていた。

 食国の大きな目が、じっと八咫の目を見ている。

「――きょうも、やえが、おまいりだった?」

 静かな問いかけに、八咫の胸がつきりと痛む。

「ああ。今日もあいつだ」

「それ、むらおさが、きめたんだよね?」

「そうだ。今月は全部あいつがやるんだ。父さんも母さんも、一度もお参りに行ってないし、行かない」

 無論自分も――。言葉にも出せなかった事実に、ふいと涙が出そうになる。ぎゅっと食国の手を握り返すことで、それが零れるのを防いだ。

 一度もお参りに上がれた事がない自分と、村長に決められて、一戸に課せられた一月の課の全てを任ぜられる妹。その大きな違いに対して、何も思うところがない訳がなかった。

 おすくにわずかに上体を起こした。心配そうな顔で、じっと自分の事を見下ろす。そんな彼に、八咫は力なく笑って見せた。

「ありがとう。俺は平気だよ」

 しかし食国はかすかに首を横に振った。言葉と心がかみ合っていない。そうその目は指摘している。

 食国の目には、強い力がある。いつも、言葉よりも雄弁に八咫の心をほぐし、岩より強く温めてくれる。それが何故だか今日は辛くて、八咫はさっきまで日に透かしていた左手を、自身の目元にぐっと押し付けた。

「――俺は、がんばれる。がんばれるんだよ。だから大丈夫だ、食国」

 と、何かがそっと八咫の左耳朶に触れた。手をどけて見ると、その耳朶を食国の指先がつまんでいた。耳朶の先端には裂けた傷跡がある。その傷痕を撫でながら、食国は八咫を静かに見下ろしている。そして、ゆっくりと、八咫の頭をその細い腕で抱きかかえた。

 その腕は、白く、そしてひんやりとしていた。

 熱い物が喉の奥からせり上がる。堪え切れない思いがあふれて、八咫は食国の胸に顔をうずめた。

 誰の目にも届かない、誰からも害されないここで、食国は八咫の口惜くやしさ、不甲斐なさに対する怒り、計り知れない悲しみを、涙と共に胸に受け止めてくれる。ここでしか、八咫が本音を表には出せない事を知っているからだ。

 八咫にとって、村は、思いをありのままにこぼせる場所ではなかった。


 ――それからどれ程の時間が過ぎたろうか。うとうととしていた気はするが、然程の長さではなかったはずだ。まだ太陽もそんなに動いていない。

 ふいに食国が八咫を胸から放して上体を起き上がらせた。すん、と鼻を鳴らしながら、視線を目まぐるしく動かす。と、ある一点でその視点がまった。その目が唐突に鋭さを増す。

「やぁた」

「どうした」

「あれ、みて。なんだろう」

 起き上がりながら食国が指さす方に目を向けると、川を黄色い何かが流れていた。よくよく目を凝らして見てみると、どうやらそれは紐状の布らしかった。

「なんだありゃ。……血か?」

 鼻をすすり上げつつ顔をぬぐってから改めて視認する。

 その布はただ黄色いのでなく、茶黒く汚れ、揺蕩たゆたいながら周りの水をにごらせていた。

 八咫は口元に指を立てて、食国に黙るように仕向けた。あたりの音を聞こうと目を閉じ両耳に手を当てる。鳥のさえずりと川のせせらぎばかりだ。――が、次の瞬間、その狭間に、微かな人の呻き声らしき物が混じった。

 八咫は声のする方――上流に向かって歩き出した。姿勢は低く保ち、足音を立てぬよう細心の注意を払う。なるべく息も殺した。自分の心の臓の立てる音だけが、うるさく耳の奥で響く。

 ふいに視界に何かが触れた。それが何かを視認して、ぞくり、と背中が総毛だった。慌てて食国のほうへと振り返る。

おすくに! 人だ!」

 八咫は、川に身体を半分浸したままのその人影に駆け寄ると、そのかたわらひざまずいた。男だ。年嵩は三十そこらに見える。

「あんた! 大丈夫か? 生きてるか?」

 八咫が大声で呼びかけると、その男はぐうっと喉の奥を鳴らしながら眉間に皺を寄せた。意識はある。

「やぁた! いた?」

 追いついてきた食国が、その男を目に留めて「うぐっ」と妙な音で喉を鳴らした。顔をしかめながら、恐る恐る八咫の隣にしゃがみ込む。

「い、いきてる?」

「ああ、生きてる。意識もあるみたいだ」

 八咫は男の全身を見た、額を少し切っているらしいのと、どうやら右足が折れている。

「食国、こいつ見ててくれ、添え木にする枝を探してくる」

「わかった」

 八咫は、ちらと上を見上げた。

「あそこか」

 男が横たわっているその場所の真上には張り出した崖がある。どうやらそこから足を踏み外して落ちたものらしい。周りを見回せば、男のものと思しき荷物が散乱していた。

 八咫は立ち上がり、手頃な枝を求めて近くの茂みに分け入った。一本手頃そうなものを見つけて掴んだ。――その時だった。

「うわあっ‼ はなせ! やぁたっ!」

 けたたましい食国の叫び声に、八咫が慌てて茂みから飛び出ると、肩で息をしている男が、食国を羽交はがい絞めにして、首元に小刀を突き付けていた。男の左手首でらんぎょくの数珠がぎらと光る。

 男の目がこちらに向く。ぎりと険しさを増す。その唇が音も発さずに微かに動いた。そして、ぐっと苦し気に眉間を更に険しくすると首を横に振った。

「お、おい、やめろ。やめろよあんた」

 男の息は荒く、顔色は青かった。

「あ、あんた、血の気が引いてんだろ。顔色めちゃくちゃ悪りぃぞ。あんたの脚、そう、右脚折れてんだよ。い、今、添え木になるもん探してきてやったから、とにかくそいつを放してやってくれねぇか」

 男は凄まじい眼光で、ただただ八咫を睨みつけている。

「嘘じゃねぇぞ。あと、そいつ耳が悪いんだ。聞こえねぇんだよ。わかるか? 他にも身体に悪りぃとこがあるんだよ。それにすげぇ怖がりだから、黙れって言っても聞こえてねぇからわかんねぇぞ。わかんねぇから叫ぶぞ。叫んだら村の奴らが来るぞ。なあ、頼むから、その刀だけでも首から外してやってくれよ。あ、あんたの事言いつけに行ったりしねぇから。ほんとだぞ。俺達だって村の奴らにここの事知られたくねぇんだよ。ここは俺達だけの縄張りなんだ」

 八咫が必死に言い募った甲斐があってか、男はふっ、と息を吐いた。

「――ほんとうだな」

「ほ、本当だ! 俺達は騒がない。村の奴らも呼びたくない」

 ふぅっと男は息を吐くと、再び鋭い眼差しを八咫に投げて寄越よこした。ゆっくりと刃物が下ろされ、食国を羽交い絞めにしていた腕がわずかにゆるんだ。

「いいか、お前等、絶対騒ぐな――よっ⁉」

 その瞬間、男の視界が大きく、ぐにゃりと歪んだ。瞬間、何が起こったのか男には一切理解ができなかっただろう。

 ごっ、と鈍い音が響いた直後、男の身体はかしいで岩の上に沈んだ。

 食国の後ろ回し蹴りが、男の左こめかみに入ったのだ。

 にやり、と笑った八咫の顔が、気を失う前に男が見た最後のものだった。失神前に辛うじてその言葉も届いたようだった。

「――な? 他にも身体に悪りぃところがあるっつったろ?」

 足癖というのだが。


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