3 寝棲、白玉の祀りについて語る


「――お前ら、だましやがったな」

「お、おっさん、起きたか」

 パチパチと火がぜる音の向こう側から、赤銅色の肌の少年が顔を上げてこちらを見た。身動ぎすると左側頭部にがつんとした痛みが蘇る。眉間に皺を寄せながら、男はゆっくりと起き上がった。起き上がりながら辺りを見回す。もう一人の少年は近くにはいないようだった。

 少年は男へ警戒を見せる事なく、平気な顔で火を眺めている。ふと男が違和に気付いて自身の額に手を当てると、そこには布が巻かれていた。見れば、折れた右脚にも添え木が充てられている。

 思わず苦笑が漏れた。

「身体が悪りぃが聞いて呆れるぜ。何なんだよあいつは。兵士並みの蹴りだったぞ」

 少年の片頬が皮肉に歪んだ。

「だろうな。俺もあれは二度と食らいたくない。あと騙しちゃいねぇ。あいつが悪くないのは手癖だけだ」

「随分と手当に慣れてるな」

「だろ? おすくにがやったんだぜそれ。あいつ飲み込み早いから、一回教えたら何でもすぐモノにするんだよ。今じゃ俺がやるより上手くてはえぇや。あいつが戻ってきたら礼言えよ、おっさん」

 己の手柄でもないのに誇らしいような言い方をする。それで少年達の関係性が何となく垣間かいま見えた。

「その、食国ってのが、俺の頭蹴り飛ばした餓鬼の名前か」

「ああ」

「全く礼儀がなってねぇな。初対面の年長者、しかも怪我人を蹴り飛ばすなんざ、育ちが知れるってもんだぜ」

 八咫は顔をしかめて、べえと舌を出した。

「こっちは親切で助けてやろうとしてたんだろー? だのに、初対面の子供とっ捕まえて刃物向けるなんざ外道はどっちだよ。恥を知れ糞爺」

 男はぶすくれて、背後の岩に背中をもたせ掛けた。

「悪かった。追手だと思ったんだよ」

「は? 俺がか?」

「いや、お前じゃなく――」

「やぁた!」

 声がして、二人は川上の方へと顔を同時に向けた。

 


 食国が戻って来た。魚を五匹程肩先にぶら下げている。

「とれたよ」

「おう。なかなかの釣果ちょうかじゃねぇか」

 破顔しながら食国から魚を受け取ると、八咫は手際よく指先で腹を開き内臓を抜く。川の水ですすいでから、用意してあった竹の串に刺して火にかけた。次々とさばいていく八咫を見て、男は感心したのか馬鹿にしたのか少し笑った。

「上手いもんだな」

「おっさん海の者じゃねぇのか」

「ああ。内陸だ」

「河もないのか」

「それはさすがにある。俺が屠殺にしか縁がなかっただけだ」

 八咫の傍に腰を下ろした食国が、男のほうをじっと見た。

「おきたね」

「――お前が手当てしてくれたんだってな」

「うん」

「助かった。礼を言う」

「われてない?」

「ん? 膝がか?」

「こっち」

 言いながら、食国は自分の左こめかみをとんとんと指差した。それを見た八咫が噴き出し、男は苦笑いする。

「多分な」

「で、おっさんナニモンだ。商人じゃねぇんだろ?」

「ああ。こんな極東くんだりまで態々わざわざ商いしにきた記憶はないな」

 最後の一尾を串刺して火にかけてから、八咫は真面目くさった顔をした。

「商人は必ず東からくる。というか俺達は、余所よそから人が渡って来られるような道は西側にはないって聞かされてきた。だから、村の一番端っこを無理やり超えたここなら絶対に誰も来ないから縄張りにしてきたんだよ。俺達に取っちゃ唯一居心地よく過ごせる場所なのに、急にあんたみたいな怪我人が落ちてんだもんよ。度肝も抜かれるわ」

「なんだ、お前等もしかして村八分食らってんのか」

 男がニヤニヤと厭な笑いを浮かべる。図星に八咫は顔をしかめた。勘が良くて感じの悪い男など最悪だ。むかりとした怒りが腹から湧いて、八咫が「おっさんさぁ」と声を発するや否や、食国が男の後頭部に一発重い回し蹴りを入れた。

 男が再び倒れ込む。しばらく待ったが動かない。どうやらまた気を失ったようだ。

「食国ぃ、お前別の怪我増やしてどうすんだよ」

 情けない声を漏らす八咫に、食国は無表情のまま視線を火に向ける。心底どうでも良いと言わんばかりの顔だ。

「てかげんはした。つぎはわるけど」

 すたすたと八咫の隣に戻ると、食国は、すとんと岩の上に腰を落とした。白い腕で自身の両膝を抱えこむ。そこに小さな木の葉が一つ付いていた。八咫は嘆息しながら食国の膝へ手を伸ばし、それをつまみ取って火の中にくべた。

 胡坐あぐらをかいている八咫の爪先に、食国のかかとが触れている。爪先でつつくと、食国はちらと視線を寄越し、目を細めて軽く蹴り返してきた。ふっと笑いあう。

 初めて食国と出会った時、彼は木の幹にくくりつけられていた。状況から見ても、やったのは明らかに梶火達だった。あとで確認したら実際そうだった。

 食国を見つけた八咫に続き、彼もまた八咫の存在に気付いた。途端、食国はぎっと鋭い眼光を投げつけてきた。その鋭さに八咫は胴震いした。この目なら視線で人を殺せるんじゃなかろうかと本気で思った。

 視線の強さに反して、その容姿は儚げだった。色白で華奢で、今までに見た事がないくらいに綺麗な顔をしていた。そしてその顔に傷を負っていた。だから余計に――気の毒で痛ましかった。

 助けてやろうと恐る恐る八咫は近付いた。縄を解いてやろうと手を伸ばした。その手が届く距離に至った途端、食国はこのかかとを振り上げて八咫の脳天をかち割ろうとしたのだ。

 食国の踵はすんでの所で八咫の鼻先をかすったに留まったが、あの空を切り裂く音を自分は終生忘れないだろう。それよりも何よりも、間近で浴びた、あの軽蔑の極みのような冷淡な眼差しは、失禁しそうな程に恐ろしかった。

 その目が、今は小首を傾げ微笑みながら八咫を見詰めている。

 パチパチと火が爆ぜている。

 あの時自分が手に入れた食国との縁は、今では決して失えないと思うほどの物に育っている。食国にとっても、それが同じであるならば、嬉しいと八咫は思う。



 次に男が目を覚ますまでに、そう多くの時間はかからなかった。目覚めを待つのにいた食国が、男の襟首を掴んで両頬を打擲ちょうちゃくし続けたからだ。

 頬と後頭部を交互に撫でさすりながら、男は再び「悪かった」と謝罪を口にした。

「俺は寝棲ねすみという。商人じゃねぇ」

「俺は八咫やあた。こっちはおすくに。そこのすぐ裏側にある村に住んでる」

「お前達、エイシュウの者なんだな」

「エイシュウ? なんだそれ?」

「お前等自分のむらの名前も知らんのか……まあ、この当たりにあるむらと言ったら一つ切りだからな、間違いないだろう。ハクギョクを祀っている邑の名前だ。祀っているだろう」

「ハクギョク? なんだそれ」

白玉はくぎょくだ。白い玉と書いて白玉」

「ああ、白い玉様の事か。毎日のお参りは欠かしてないぞ。村の奴らはな。なあ、白玉っていうのか? 余所よそでは」

「ああ。大抵は白玉と呼ぶ」

「へえ。俺、字は習った事がないからわかんねぇんだが、一つの文字でも読み方が色々あるんだな?」

「そうだ」

 食国が横から「えいしゅうとは?」と口をはさんだ。

 男は、川の水に指を浸して、するすると字を書いた。

えいしゅうだ。こう書く。白玉は、こうだ」

 書かれた後、すぐに岩に吸われて薄くなっていく水文字を八咫はじっと見つめる。そして、にっと笑みを浮かべた。

「ありがとう。おぼえたよ」

 食国が八咫を見て、わずかばかりに目を見張った。それに気付いてか気付かずか、八咫はあごに手をやりながら、じっと文字が消えた辺りに見入っていた。

「――にしても、この村に名前なんてあったんだな。他の村との付き合いなんかないから、皆村の名前なんて口にする事がないし、そもそも村長一族以外に文字が読める奴なんて……まあ、ほとんどいないもんな」

 男は、眉間に皺を寄せて、「だろうな」と苦々しく笑った。

 顎をいじりながら文字を凝視していた八咫の目が、つと男の目を射た。

「で、おっさんは誰に追われてんだ?」

「……お前、ぼさっとしてるように見えて肝心な事は聞き逃さないねぇ」

「俺、どうでもいい事はほとんど頭に残んねぇタチなんだけどさ、自分の連れ合いに関わるかも知れねぇ事なら話は別だろが」

「やぁた、なに?」

 怪訝そうに問う食国に、八咫は焼けたばかりの魚を手渡す。

「おっさん、お前が追手だと思ったんだとよ。だからその理由を聞いてる」

「おわれるようなことしたひとなの?」

「まあ、違うとは言わねぇがな」

 苦い物を吐き捨てるように、寝棲はそれを認めた。

「マジでおっさん何やったんだよ」

「お前達、何でも聞けば簡単に教えてもらえると思ってんのか。見てくれより餓鬼がきなのか頭がおめでたいのか、どっちだ」

 魚を頬張っていた食国が、それをごくりと嚥下えんげしてから、魚を刺した串で寝棲の方を指し示した。

「やぁた。こいつ、しばってむらにつれていってつきだそう」

「いや、このおっさんでかいから、さすがにあの穿うがあなは通れねぇだろ」

「あとでやくにんにみつかってむらにとがめがあったら、こまる」

「ああ、それは困るな。この場所も知られちまうよな」

「めいわくだよ」

「まぁな」

「しばってうみにしずめたらかくせる」

「おいおいおい。本人を前に物騒な相談すんじゃねぇよお前等」

 八咫は次に焼けた魚を「ほらよ」と寝棲に差し出して渡した。なんの含みも気負いもてらいもない動作に、寝棲は毒気を抜かれた。「はああ」と深い嘆息を漏らす。

「いただく。ありがとうな」

「おう。おっさん残りは焼けたら全部食っていいぞ。俺達そろそろ家に帰るから。どうせ脚が治るまでは動けねぇだろうから、ここにいていいよ。でも村の連中にこの場所知られたくねぇから、黙ってじっとしててくれよな。またなんか食いもん見繕みつくろってきてやるからよ」

 言いながら、よっこらせと立ち上がった八咫に合わせて、食国も腰を上げる。

「おいおい、お前等、俺が何者か聞かなくてもいいのかよ」

 食国が鼻白んだ顔で寝棲を見下げた。

「いわないっていったから、あんた」

「うん。そもそもあんたが何者かなんて、別にどうしても知りたいわけじゃねぇんだよ。食国の害にならなきゃなんでもいいし、答える気がねぇならもういいや。ここで役人に見つかったなら、そりゃおっさんの運だ。俺達には関係ねぇよ。そこまでの縁だ」

 寝棲は目を閉じたまま、くつくつと喉の奥を引きらせるようにして笑った。

「おっさん、よく笑うよな。その大怪我で」

「きもちわるいね」

「お前達、気に入ったよ。その言い草含めてな」

 閉じていた男の目が、ぎらりと少年二人を射抜いた。

「――なあ、お前ら、なんで自分達の村が白玉を祀ってるのか、知りたくねぇか?」

 にやりと、仄暗い笑みが男の口角に浮かぶ。

「八咫っつったか。お前、物覚えが悪いなら参拝ができてねぇだろ。えいしゅうは参拝作法をやたらと煩雑にしてやがるからな。だから白玉を見た事がねぇ」

 ぐっと八咫は寝棲を睨んだ。受け入れてきた事実には違いないが、初対面の男にこう何度も土足で踏み込まれて愉快な事柄でもない。

「食国、お前は耳が聞こえないから、やっぱりえいしゅう式じゃ参拝ができねぇ。だからお前等、村八分食らってんだよな。そうだろ」

 食国が手にしていた竹串をぐっと握りしめたのが分かった。だが、八咫にもそれをいさめる事ができなかった。無性に腹が立って腹が立ってたまらなかった。

 憎かった。目の前の怪我人の男が。

 憎らしくて腹が立って悔しくて、悲しかった。

 八咫は一つ大きな溜息を吐いて、食国の手首をつかむと「行こう」ときびすを返した。ここにいてまで気持ちを消耗したくない。

 今日はなんて厭な日だろう。

 二人が歩き出しかけたその背を追うようにして、寝棲が「全く、ひでぇ話だよなぁ⁉」と突然気炎を上げた。

「たかが! 昔からあるってだけの! 意味もよく分からねぇもんへの参拝を揃いも揃って後生大事に守り続けやがって。なんでこんな事やってんだって誰も疑問にも思いやしねぇ。そんなもんの為に邑中の奴等から虚仮こけにされるだけの人生だ! ――お前等そんな不合理を甘んじて受けて一生終える気か?」

いやでも何でも、ここはそれが決まりの村なんだよ。仕方ねぇじゃねぇか」

「情けねぇなぁ。お前それでもタマ付いてんのかよ!」


「タマがあろうがなかろうが、お参りの役には立たねぇんだよ‼」


 八咫の叫びに食国がびくりと震えた。掴んだ手首が掌の内で震えたのだ。いつの間にか力いっぱい握り締めてしまっていたのに気付き、慌てて手を緩める。

 しくじった。唇を噛みながらうつむく。

「しょうがねぇじゃねぇか。俺は――村の役に立ってねぇから、だから皆に軽く扱われるんだ」

 絞り出すように言った言葉が、川のせせらぎの中に紛れて流されてゆく。吐息を零すと、今度こそ一歩を踏み出そうとした。

「――なぁおい、お前、食国!」

 立ち去ろうとしている八咫達に向かって尚も言い募る寝棲に、八咫はついに静かな焦燥を覚えた。今はこれ以上こいつの話を聞きたくない。「食国、もう、早く行くぞ」と急かしたのだが、食国は振り返って彼の顔を見ている。見れば、寝棲が食国の足首を掴んでいた。

「おっさん放せよ。おい――」



「お前、つきの民だろ」



 食国が、はっとした顔で寝棲の目を見た。その表情から何かを察したのか、寝棲の口元に厭な嗤いが浮かんだ。

「なんだ、お前、まさか知らなかったのか?」

「――なに、いってるんだ、おまえ」

 寝棲の目がすがめられる。

「お前のその髪、元は白いのを染めるか何かして隠しているだろう。だがな、髪は誤魔化せても目が白いのは隠せない。間違いない。それは月人つきびとの色だ」

 黒い重い色が、寝棲の目の中に浮かんだように見えた。

「気が変わった。――お前等、俺の話が聞きたくなったらここに来い。お前達の人生と天地がひっくり返るような話を聞かせてやる。まあじっくり考えてみろや。この脚が治るまではここに居座っててやるからよ」


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