1 東瀛

1 お参りの出来ぬ少年


 婆いわく、そもそもふるい参拝作法では五拝五拍だったのだそうだ。それが、今のような三拝三拍へと転じたのは、割と近年の事なのだという。近年と言っても、婆の正確な年齢を知らないので、それがどれ程の近年なのかの見当は付かない。少なくとも、婆が生まれた当時は四拝四拍だったそうだ。

 いつもと同じその話を、胡坐あぐらをかきつつ欠伸あくびを噛み殺しながら聞いていたら、見咎みとがめた婆にぽかりと杖の先で頭をやられた。

「いてぇな婆! 何すんだよ⁉」

 殴られたばかりの頭を押さえて文句を言うと、更にもう一発食らった。

「これ八咫やあた! 人の話はちゃんと聞かんか!」

 しかり付けてくる婆を八咫は睨み返す。

「婆の話は毎日同じ事のくり返しじゃねぇか!」

「じゃあ儂が今何と言うとったか言うてみぃ!」

「ぐっ」

 八咫が言葉に詰まると、婆は「はあ」と深い溜息を吐いた。

「全くお前は――もうすぐ十三にもなろうと言うに、一向にしっかりとせんな」

 婆が歯の抜けた口を動かしながら悪態を吐くのに、八咫は唇をひん曲げて「悪かったな!」とぷいとそっぽを向いた。

 夜明けからはまだ然程さほど時が過ぎていない。薄明はくみょうに温められた鳥共とりどもさえずりもいまだに止まない。まだまだ薄暗い最中なのだから、欠伸の一つや二つ見逃せよと、八咫こそどくきたいところだ。

 大体、婆が毎日同じ話をするのがいかんのだ。そんなのを聞き続けるのは退屈に決まっている。それでも毎日一応黙って話が終わるのを待ってやっているのだから、寧ろ褒められてもいいくらいだ。

 まあそれもべつに、敬老精神やらでやっている事ではない。早朝の畑の水遣りを一段落させた後の一服の時が婆と被るという、ただそれだけの事だ。婆の畑は、八咫の家の畑のすぐ隣にあった。話し始めれば最後まで聞くくらいの事はする。覚えはしないが。

 婆はむにゃむにゃと口を動かしながら、再び同じ事を繰り返し始めた。勘弁してくれと、今度は違う意味で頭を抱えたくなる。

「――白い玉様のお参りに関する約定が変わるのは、商人の来村が契機となる。この村には余所よそとの行き来がないが、商人だけは別じゃからな」

 それはいくら八咫でも知っている。

 商人達は、東の崖沿いにある狭い道を、年に四度程渡ってくる。外との行き来ができる道は、この東の一本に限られていた。

 その昔、婆がまだ多少は若い婆であった時に、畑にくための水をんでいたら、偶然村長と商人が話しているのが耳に入ったのだという。その時の一説がこうだ。


 「カイノタイヨハツイエテヒサシイ。

  カワゴロモノインキョウマデモガ。

  シイギャクヲハカルナド。

  ヨモヤセンチョウノイシンガマダ。」


 ――この訳の分からぬ一行ひとくだりを、婆は毎朝まいちょうきょうのように繰り返すのだ。八咫でなくとも欠伸あくびが出るというものだろう。

 村長と商人が一体何の話をしていたのか、恐らく婆自身も意味は分かっていないに違いない。だからしゃべり口も経のようになるのだと、八咫やあたは密かに当て推量していた。

 きっとここ以外にも、白い玉様を信仰している村が幾つもあって、国の偉い方々が何かしらの理由で作法の変更などの取り決めをしているのだろう。そして村長は、商人伝いにそれを伝聞しているのだ。こんなさびれた村だもの。お偉い方々が、わざわざ直々にお達しに来られるとも思えない。

 ただ、それだけの話なのだ。婆と八咫の頭では内容が理解できないだけで。

 「むぅ」と唇を曲げながら、八咫は腕組みする。

 しかしだ、毎日毎日飽きもせずに同じ話を聞かせてくるが、どうやら婆がこの話を口にするのは、この畑の水遣りの後に限られた事らしい。つまり八咫以外にはこの話を聞かせていないという事だ。

 せぬ。なぜ自分なのだ。

 取り立てて婆と親しくしてきたようなつもりはないし、そんな記憶もない。一体何を見込まれたというのか。こんな意味の分からない難しそうな話ならば、婆も自分ではなく父にするべきだ。父は――村で唯一の薬師だ。彼は自分と違って頭の出来がとても良いのだから、あの婆の不可解な繰り言の正体も容易に言い当てられるだろうよ。

 そう思って、八咫は微かに自嘲の笑みを口の端に浮かべた。それは正しい言い回しではないな。その言い方では、自分は父には及ばないがそれなりではあるように聞こえかねないではないか。それは事実に対して誠実ではない。


 ――自分の頭の出来は、村の他の誰よりも悪いのだから。


 何故だか、八咫は生来人の話が耳に残りにくく、また頭にも残り難いタチで、自分が関心のある事以外に対してはそれが更に顕著だった。

 聞いてはいるが頭に残らない。

 流れてしまうのだ。

 だから婆の言葉も経のように上の空で流れてしまうのだろう。関心がないから流れてしまう。流れてしまうから毎日聞き流せた。それだけの話だ。

 毎日毎日、あらゆる事が惰性で流れてゆく。朝が来れば日が昇るように、風が吹くように、――今日も誰かが、白い玉様のお参りに石段を上がっていくように。

 八咫は、ぼうっとした眼でそらを見上げた。

 淀みなく雲が流れてゆく。まるで変わらぬ日々の象徴のようだ。

 何もかもが、ただただ流れて行く。村の毎日は変わる事がない。代わり映えがしない。同じ事の繰り返しでできている。これでまぬはずがない。

 ふと気付くと婆が黙ってじっと八咫を見ていた。いつの間にか話は終わっていたらしい。

 うむ、と一つ背伸びをして、八咫は跳ね起きた。

「婆、俺そろそろ行くわな」

「おう、気をつけてな」

 どうやら今度は解放してくれるらしい。

 ほっと一息吐くと、八咫は婆と石段に背を向け「西」に向かって歩き出した。畑から離れがてら、菜を一株引き抜き、瓜を二つばかりもいだ。

 まだやや暗いが良い天気だ。日の光に目を細めながら、八咫は再び、くあ、と欠伸をした。ついでに、そこにあった石ころを蹴飛ばす。石は勢いよく飛んで、道の端に鎮座せらるる石彫の、小ぶりな道祖神の一つにがつんと当たった。

 ふいと視線を山に向ける。山には長い石段がかかっている。そこを下る人影が一つある。今日の参拝を終わらせて、もう帰途に着く頃なのだ。

 今日の石段を下ってくるのは、まだ幼い少女だ。八咫はその人影から視線を外してきびすを返した。早くその場から離れたかった。焦燥に押され自然脚は早くなる。その小さな人影が自分の背中に向けて視線を投げかけているような気がする。八咫は表情を硬くしながら、遠ざかるように「西」へ向けて歩いていく。



 この村は、翼を広げた鴻鵠こうこく海原うなばらかいないだいた、その翼下に落ちる影のような形をしている。

 大海から寄せる波頭はとうに削られた断崖絶壁の翼は猛々しい。左翼は北東、右翼は南西に向けて薄く内に湾曲してび、波のとどろきを受けて止む事がない。尾根の中央には鳥の首部の如く突出した山頂が一本屹立し、全体は海にのぞんでうずくまり、じっと湾を囲んでいた。村そのものは、その足元に包まれるようにしてそこにあった。

 山から落ちた肥沃な土砂と、海から寄せられた堆積物でできた、わずかながらも豊かで、ささやかながら傾斜のある平地は、田畑を作る事を最優先に整地されている。その間隙かんげきを縫うようにして、ぽつりぽつりと百戸程の家が点在する。

 全体の中心には村長邸がある。長邸より山へ向け直進した先からは、山頂の中腹に向けて、あの長い石段が掛けられていた。

 白い玉様を祀る小さな祠は、その石段の先にあった。

 八咫やあたが足の先を向ける「西」の方に、通常村人は近付かない。

 村の「西の端」は、岩肌が剝き出しになった崖裾に張り付くようにして、わずかな集落を形成している。崖に面した日当たりの悪いその辺りを、腐り落ちかけた板と隙間だらけの柴で無理やりに垣根をこしらえて囲ってあるのだ。そこは昼間でも薄暗く、日が差さず、しんとしている。その空気を思い出しながら、八咫は進む。

 胸に湧いたかすかな焦燥は、すでに消えていた。

 八咫の心は、もう「西の端」の中にある。

 鼻歌を歌いながら、そこここから漂う米の炊ける匂いをいだ。

 八咫は、赤銅色によく焼けた肌と、ひどく硬い髪質の少年だ。

 身に纏うのは、擦り切れた麻の単衣の着物である。そではなく、たけも膝までしかない。代わりに腕には肘までの手甲てっこうと、膝下はきゃはんが着けられている。成人前の村の少年の身形そのものだ。

 齢は十二。つまり間もなく成人と見なされる十三を迎える訳だが、未だに、幼い立ち居振る舞いが散見された。周りの大人から言わせれば、天真爛漫てんしんらんまんを絵に描いたような暴れん坊で、タチの悪い拘泥や屈託がない代わりに、いくつになっても、とんと頼りにならぬのだった。

 振り返れば――そもそも、幼い頃から後先を考えぬ突飛な行動が目立った。ほうきを持たせれば岩と戦って折り、屋根に上っては板を踏み抜く。実を採ろうと木に登れば枝が折れて本人が海に落ちるし、かえるを捕まえれば籠に捕らえたまま餌を与えず殺してしまい、泣く。それでも半時も過ぎれば全て忘れて破顔している。幼い時分から常に生傷が絶えず、育てばましになるかと思いきや近年の方が悪化する始末。親の使いなどは十二分に守れたためしがない。やりたい事があればそれだけに夢中になり、他がもう耳に入らない。こっぴどく叱られても、角を曲がれば忘れる。そんなような少年である。

 家人は、父母と、三つ下の妹、彼の四人である。

 父とはことほか相性が悪かった。互いに嫌い合っている訳ではないのだが、とにかく性格が違い過ぎた。厳密を良しとする父親と衝動性の高い息子とでは、そもそも馬が合うはずもない。

 母には――叱られる事ばかりだ。泣かせてばかりでもある。まれに笑わせる事もあったが、溜息をかせる事の方が多かった。

 妹の事は、努めて考えないようにしている。これも嫌っている訳ではない。ただ――どうしても上手くいかない事はあるものだ。

 八咫は、人の話が耳に残りにくい。何事においても物覚えが悪く、一つ事を覚えるのに人の五倍は言い聞かせなければならなかった。そして、何かに取り掛からせるにしても、何度もうながさねば腰が上がらなかった。

 それが次のような日々にちにちの事であるとしよう。

 飯の前に着替えて顔を洗え。外に行く前に土間のおけに水を入れておいて手ぬぐいを持て。外から帰ったら上がる前にあしすすぎをしろ。脱いだ着物は衣紋掛えもんかけに掛けろ。――それぞれは些末な事象だが、夜寝て朝が来ればもう全てからりと忘れているのだ。それをまた一から言い聞かせねばならないのだから、しつける側の労力は並々ならない。何せ日々の事なのだから。

 母親などは、あまりにも何度も繰り返さねばならぬので、これはよもや耳が聞こえていないのではないかともうたぐったものだ。

 八咫としても、わざとやっている事ではない。勿論悪意もない。本人なりに努力は尽くしているのだが、残念な事に結果は全く付いてこなかった。不幸な事にはたから見ると、あらゆる取り組みに対して八咫は真剣にのぞんでいるようには見えなかったらしい。そのため、一層周囲からは「何をやらせてもいい加減で身につかない少年だ」と誤解を受ける事になる。

 違うのだ。単純に出来ないのだ。がんばるのだけれど覚えられないのだ。


 そしてそれは、白い玉様のお参りに関しても例外ではなかった。


 八咫は、人の話が耳に残り難く、また頭にも残り難いから、お参りの手順がどうしても覚えられなかった。覚えられないまま今に至り、ついには祠に近寄る事も父から禁じられた。結局父と母、さらには妹が、彼の分のお参りを代わりに受け持っている。責任の単位は戸毎だ。故に、家人に彼の分の荷物を預ける他なかった。

 参拝ができないというのはつまり村の責務の一端を担えぬという事だ。畢竟ひっきょう村では疎外、白眼視される事に繋がる。

 それは、八咫にとっても、とても心苦しい事だった。

 八咫の場合、今はまだ家人があるからいいが、それも何時までもあるというものではない。人員は必ず減る。そして、その戸に住まう者が誰も参拝できなくなった時に、いよいよその戸の住民は、村における立場を失うのだ。


 手足が利かぬ者。

 口が利けぬ者。

 覚えが悪い者。

 そして――耳が聞こえぬ者。


 「西の端」の垣根の向こう側では、そういった者達が散住していた。否、有体に言って捨て置かれているのだ。

 口には出さずとも、父母も、そして八咫自身も予感している。否、予感ではなくすでに確定だろう。八咫の未来は「西」に向かって流れているのだ、と。



 その頃、石段を下る幼い少女の影が、視線を眼下に向けていた。

 その目は、「西」へ向かう八咫の背中を捉えている。

 肩口で切り揃えられた黒髪はからすの濡れ羽色。鈴を張ったような、黒目勝ちで、どこか濡れたような眼。その眼で八咫の背中を見送ると、少女は再び山を下りだした。名を八重桜やえおうと言う。

 これが、八咫の妹だ。


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