白玉の昊 序章 ①

珠邑ミト

序章

序文

序文 白い玉様



 じゃり、じゃり、と草履ぞうりの下で、未明の闇が音を立てる。

 長く急な石段を、娘は独りのぼってゆく。その一足が伸びるたび、細い足首のけんが浮く。息が切れる。喉の奥で血の味がにじむ。真夏の森の呼気が、ねっとりと重く肌にまとわりつく。暑さに汗がく。


 気が、滅入る。


 夜明け前は、深夜よりもいっそう闇が深く暗くなる。

 あまりに暗いから、石段の終わる先にあるはずのほこらは、闇の中に沈んでまだ見えない。足下の感覚だけが、この道行みちゆきの確かな頼りだ。石段の両脇にてんてんと続く石塔が、なぜだかほんのりと明るい。

 そでの中の荷を抱え直す。


 溜息が出た。


 海と山にはさまれたこの村はせまい。外とはほとんど行き来がなく、常にひっそりと閉じている。ただ、昼夜を問わず常に海鳴りがする。風が荒れれば山も騒ぐ。前後から生まれる二つのざわめきは、村の内へと流れ込み、どこかで必ずぶつかりあう。それは畑であったり、村長の邸の軒先であったり、または大切な保管小屋の扉の前であったりした。ぶつかりあったそれは確かな衝撃を起こして空気を散らし、そこかしこに重い不穏を残してゆく。この娘のとおの体にも容赦なく前後から打ち付け合っては、ざわん、ざわん、と、心臓の音と共鳴りをし、やがて、その胸の底へと沈んでゆくのだ。

 ふいに、ざん、と樹々が騒いだ。枝葉がまどうのを見上げると、ようやくその目が祠を捉えた。その更に奥で、山のきわが闇夜の境にうごめいている。まるで異形かけだものだ。


 祠には、しろたま様が祀られている。


 白い玉様は村の守り神だ。村の後背を護る山は中央付近が一番高くなっていて、その中腹にある祠で白い玉様は祀られている。そこで村の五穀豊穣と、漁の安全を見守って下さっているのだ。

 白い玉様に村をお守りいただく代わりに、村人は毎日お供え物を持って白い玉様にお参りをする。これは責務だ。何があろうと一日も欠かしてはならない。村には百ほどの家があり、家毎に一月ひとつき間の当番を割り振って参拝を続けている。

 それは、酷く気の滅入る、恐ろしい責務だった。

 恐ろしいから、参拝する者の顔はいつも強張こわばり陰鬱としている。参拝には決まり事が多く、また手順もはっきりと定まっていた。そして何があろうと絶対にその手順を間違えてはならなかった。


 ――参拝に失敗すれば、白い玉様に命と体をられるからだ。


 迷信ではない。三十年前にも娘が一人行き方知れずとなっている。その時の事を知る者も減ったが、そも、玉様にられた人間について声高に語る事は重大な禁忌とされていた。

 石段を上り切り、祠の前に立つ。息を吸う。

 三拝。それから三拍手。すると、ちりん――と鈴が鳴る。鈴音は開扉を赦された証だ。観音開きの格子戸に手をかける。その時にわずかだが、必ず、ぴり、としびれが走る。

 再び、深く息を吸い込んだ。



「白い玉様、白い玉様、白い玉様。本日のお参りを申し上げます」



 村は、そうして密やかな犠牲を押し殺して、穏やかな日々に守られてきたのだ。

 五百年もの長い間。





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