第17話 随伴士稼業も楽じゃない。

   ***

   

 ルドルフが神獣として覚醒したこと、そしてわたしが随伴士として契約がなされていることが、王室から正式に発表された。

 王宮にいるわたしには分からないけれど、城下は神獣の帰還に沸き立っているそうだ。

 わたしが城内を歩けば、


「随伴士様、おめでとうございます」

「行方不明になったセオドア殿下を、随伴士様が特殊能力で探し出したそうだ」

「神獣様も、随伴士様にはそれはそれは従順でいらっしゃるそうだ」


 などという声があちこちから聞こえてくる。

 でもやっぱり、どこの馬の骨かも分からないわたしが随伴士であることに反発を示す人たちもいる。

 三大公爵家の各派閥に所属する、高位貴族たちだ。

 王宮や神殿などで時折、まるで親の敵のように睨みつけてくる人たちがいて、すごく居心地が悪くなることがある。

 でもルドルフと一緒にいると、面と向かっては言ってこないのだから、神獣を敬う心は持っているらしい。

 そのルドルフと言葉を交わせるようになったことで、レオンハルト殿下から、行方不明の二十五年の間に何があったのか、本人に聞きたいと言われた。

 殿下の執務室を訪れたわたしとルドルフ、そして傍らにはアルダとエルマーさん。


「ルドルフ殿、二十五年前の皆既月食の日からこれまで、どういう日々を送ったのですか?」


 レオン殿下が話す言葉は、もちろんルドルフには通じている。ただルドルフからの意思伝達はわたしを介さないと叶わない。

 つまりわたしは通訳だ。


『あの日、目の前が歪んで、気づいたら知らない山奥にいたんだよ。母上はいなくて、人間もいなくて淋しかったなぁ』


 ルドルフが過ごしてきた二十五年間はこうだ。

 彼が飛ばされたのは、北海道の山奥。真夏だったので、山の実りを食べて暮らしていた。

 周囲の動物を見て自分の姿は目立つと思ったルドルフは、溶け込みたいと願った。すると簡単に変化できたので、時にはクマ、時にはシカなど、その時々で臨機応変に姿を変えた。

 そうして日本全国を旅していった。

 神獣としての本能なのか、次にアーフェンドへ帰れるのは二十五年後だと理解していたので、自分の身を守りながら機が熟すのをひたすら待った。

 そうして二十三年近く経ったある日、通りかかったとある施設から、獣の匂いと、そして妙に惹かれる匂いがした。

 そこが、東雲警察犬訓練所だった。

 獣の匂いは警察犬のもの、そして惹かれたのは――わたし、有坂倫だった。

 その日、たまたま訓練所のスタッフが訓練をしていたのが、ジャーマンシェパードだったので、シェパードの仔犬に姿を変え、訓練所の前で待ち構えていた。

 そのルドルフを見つけたのが、わたしだったというわけ。

 ルドルフ本人も、何故わたしの匂いに惹かれたのかは分からないという。

 二年後の運命の日――皆既月食の夜、見事にルドルフは帰還を果たしたのだった。

 彼の話を聞いたレオンハルト殿下は、細く長い息を吐いた。


「――よくぞ二十五年もの間、生き延びてくれました。そしてリン殿、よくぞ我が国の神獣殿を慈しんで守ってくれた。心からお二人に礼を言いたい。ありがとう」


 頭を下げた殿下に、わたしは慌てて両手を突き出した。


「レオン殿下、頭を上げてください! わたしなんて、仕事をしただけで、大したことはそれほどしていません!」

「リン殿は謙虚なのだな。……本当に、そなたが随伴士でよかった。この国の民は幸せだと思う。……もちろん、王家もだ」


 レオンハルト殿下が、柔らかく笑って言った。


「……っ、」


 破壊力!

 こんなに穏やかな笑顔なのに、眩しすぎる。

 ほんと、心臓に悪いんだから、もう。


「――ところでルドルフ殿、一つお聞きしたいことがある」


 少し低めに紡がれた殿下の言葉に、ルドルフは耳をひくひくさせた。


「――二十五年前、あなたと一緒に、異世界に飛ばされた人間はいませんでしたか?」

「え……」


 わたしは目を見開いた。慌ててルドルフの方へ向く。


『少なくとも、僕と一緒の場所に飛ばされた人間はいなかったよ。匂いもしなかった』


 ルドルフの言葉をそのまま伝えると、レオン殿下はほぅ、と息をつき「そうですか……」と呟いた。

 なんだか深刻そうな表情なので、深く突っ込んで聞けなかった。

 


 そんな中、祝祭の開催日が二十日後に決まった。

 これでもかなり過密スケジュールだ。何せ夜会には国内のすべての貴族が招待されるのだ。

 遠方の家なんかは、王都に来るだけで五日もかかる。

 加えて、貴族なら衣装や宝飾品の新調もしなければならない。

 パーティ一つ出席するのも、かなりのお金がかかるのだ。

 わたしはと言えば、神獣と随伴士の就任儀式の練習をするため、毎日のように神殿に通っている。

 祭祀の手順は煩雑で、順番を覚えるのだけでも一苦労だ。

 今日も今日とて、祭壇に向かって祈りを捧げる練習をする。

 彩狼神様の像に何度か礼をし、祈りを込めた白い帯でくくった花束を頭上に掲げ、祝詞を奏上する。

 今日で練習も三度目なので、なんとかつっかえずにできている。

 花束を両手で支え、頭の上に掲げようとしたその時――


『リン! 気をつけて!』

「いたっ」


 ルドルフの声がしたのと同時に、左の手の平に痛みが走り、花束を取り落としてしまった。

 そのすぐ後、花の上にぽたぽたと赤い雫が落ちていく。


「リン様!?」


 ミヒャエルさんが、慌てて駆け寄ってくる。

 手の平を見ると、真一文字に傷が入っていた。そこから血が流れ出している。

 傷自体は深くはないものの、切り傷の幅が広いので、なかなかの出血だ。


「大丈夫ですか!?」


 彼がそばにあったさらしのような布を、わたしに握らせた。

 その間に、他の神官が救急箱のような箱を持ってきた。


「リン様、手を」


 布を取ると、まだ血は滲んでいる。ミヒャエルさんが消毒液を染みこませたきれいな布で、傷をきれいにしてくれた。


「っつ……っ」

「沁みますよね、今、軟膏を塗った布を当てて包帯を巻きますね。この軟膏は止血によく効きます」


 てきぱきとした手つきで、わたしの傷を手当てする神官たち。

 あっという間に手に包帯を巻かれ、なんとか事なきを得た。


「大司教様、これを……」


 神官の一人が花束をそっと持ち上げ、大司教様に見せた。


「なんという……」


 見せてもらうと、花束の茎の間に、剃刀の刃が仕込まれていた。


「随伴士様に悪意を持つ者の仕業でしょうか……」

「滅多なことを言うものではありません」


 神官が呟くと、大司教様がたしなめた。


(でも、絶対そうよね……)


 わたしのことをよく思わない貴族の誰かが、嫌がらせで仕込んだに違いない。


「やれやれだわ……」


 ため息をつくと、少し遠くにいたはずのルドルフがいつの間にかそばにいて。


『あと少し早く伝えていれば……ごめんね、リン』


 しょぼんとした声音で言うものだから、思わず苦笑い。


「ルドルフのせいじゃないでしょ。大丈夫だからね」


 逆に私が励ますことになってしまったのだった。

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警察犬訓練士のわたしは、異世界でも銀狼様のお世話係に任命されました――三食昼寝とおやつ、それからもふもふと溺愛もついてきます。 沢渡奈々子 @Nanako_Sawatari

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