第55話 あの日の黒歴史

 徒労極まる新聞部との戦い……でいいのだろうか。とにかくやり取りが穏当に収まったことが収穫といえば収穫だが、貴重な昼休みが削れたのは確かなことだ。

 健気にも弁当に手をつけず、俺を待っていてくれた祈里もようやく蓋を開けて、相変わらずカラフルな中身に箸を運び出す。

 諸々の手間暇を惜しんでいる俺と違って、ちゃんとした弁当を用意しているんだから祈里はすごいな。と、ぼんやりした考えを脳裏に浮かべておにぎりを齧る。


「……こ、九重君……」

「……わかった」

「あーん……えへへ……」


 デミグラスソースがかかっているハンバーグを箸で切り分けた祈里は、公衆の面前であることも気にせず、いつも通りに「あーん」を要求してきた。

 すっかり昼休みの定番になってしまった光景だが、なんだかこのやり取りも懐かしいと感じるのは、ここ最近は色々と立て込んでいたからだろうか。

 白雪希美に仕掛けた戦い、祈里の看病、その他諸々。色々、という言葉で片付けるには重いものばかりだが、その一言で括らないと、心のキャパシティを超えそうなのも確かなことだ。


「……え、えっと……どう……です、か……?」

「……ん、そうだな。いつも通り美味い」

「……えへ……ありがとう、ございます……き、昨日の……残り物、ですけど……」


 残り物や冷凍食品の類を弁当に使うことを親の仇のように嫌っているやつもいると聞くが、残り物だろうが冷凍食品だろうが弁当として仕上がってるなら文句をつける筋合いはない。

 自炊というのはとにかく手間暇がかかるんだ、弁当をちゃんと作ってもらっているだけありがたいと思え。

 と、誰とも知れない仮想敵に脳内でシャドーボクシングをしつつ、俺は祈里が分けてくれたハンバーグの味を噛み締める。


「残り物だろうとなんだろうと、美味いものは美味い。それに、祈里が自分で作ってるんだろう」

「……は、はい……一応、ですけど……」

「なら、立派じゃないか」


 俺なんか、他にもあるが、結局は面倒だからという理由で結局おにぎり二つで食い繋いでいるんだからそれと比べれば本当に偉い。

 祈里を見習って自炊でも始めるべきか。もっとも、俺が作った弁当なんて彩りの欠片もない茶色なものだろうが。

 適当に冷凍食品のミックスベジタブルでも添えればそれっぽくなるんだろうが、未だにあれの正しい食べ方がわからないんだよな。ソースとか醤油とかかけて食べるのが正解なんだろうか。


「……そ、そんなこと……ないです……えへ……」

「謙遜することじゃない」

「……え、えっと……そう、ですね……なら、その……よ、よかったら……」


 俺とおにぎりへと交互に視線を向けながら、祈里はなにかを言い出そうと息を呑む。

 よかったら、なんだろうか。

 提案の中身にそれとなく期待を寄せつつ、続きを促すように首を縦に振った、まさにその瞬間だった。


「はろーやーやー、元気してる? 京介、しーちゃん!」

「……藤堂、学食にいたんじゃないのか」


 いつの間にか教室に戻ってきた藤堂が、謎の挨拶と共に俺たちが使っている机の脇にしゃがみ込む。

 藤堂が学食に行ったときは、大体昼休みが終わるギリギリの時間まで帰ってこないのがデフォルトだったはずだが、今日は帰りがやけに早い。

 俺が時計でも読み間違えたのかと思って教室の壁を見れば、昼休みの時間にはまだ余裕があった。


「まーなんて言えばいいのかな、皆勉強の話ばっかしてたから、頭痛くなりそうで帰ってきちゃった」

「……ああ」


 藤堂は茶目っ気を出したつもりか、こめかみの辺りに拳を軽くぶつけながらウィンクを飛ばしたが、むしろその話は聞いておいた方がよかったんじゃないかと思いたくなる。

 なんだかんだで補修組にその名前がなかった辺り、藤堂も中間試験の国語は突破できたようだったが、こいつの場合及第点ギリギリをいつも試験の一週間前ぐらいに詰め込んで取っていくのが基本だから、見ていて危なっかしいんだよ。

 三木谷曰く全教科難易度の底上げがされるらしいから、難しくなるのは英語に限った話じゃない。例えそれが噂だとしても、警戒しておくに越したことはないだろう。


「……と、藤堂さん……は……」

「いやー、廣瀬先生にも困ったもんだよね! って、どしたのしーちゃん」

「……い、いえ……その……今日は、お弁当……持ってるんです、ね……」


 祈里は恐る恐るといった具合で藤堂が手に持っていた、赤いポケットバッグを指差した。

 なるほど、確かに気にも留めていなかったが、藤堂が弁当を持ち歩いているのは珍しいな。

 いつもは大体駄菓子棒か菓子パンだからな。それにしても祈里もよく気づいたものだ。


「それは……あー、ここ最近粗食気味なのを両親に叱られまして」

「ここ最近どころかいつもだろうが」

「うっさい京介、とにかく体壊すよってことでお弁当持たせてくれたんだよね」


 それは俺も危惧していたことだから、藤堂の親御さんが心配するのも頷ける。

 他の友達からおかずを分けてもらっているから大丈夫とは他でもない藤堂が言っていたことだが、普通に考えたら駄菓子と菓子パンだけで一日の栄養が賄えるわけがない。

 それに加えてバンド活動までやっているんだから、いつぶっ倒れてもおかしくなかっただろうよ。


「……本当によく体がもってたな」

「一応練習終わりの打ち上げとかでファミレス行くとき、メンバーに奢ってもらったりもしてたからね」

「ならいいんだが」


 いや、厳密にはよくないのかもしれないが。

 とにかく、藤堂が突然ぶっ倒れる心配はなかったようで一安心だ。

 健康はなによりも大切な資本だ。バンドマンに限らず、生きていく上でな。


「……ぁ、ぇ……そ、その……藤堂、さん……」

「しーちゃん?」

「お、お話し……してる、ところを……ごめんなさい……あの、その……ポケットバッグの、キーホルダー……」


 祈里は緊張からかそうでないのかはわからないが、ぷるぷると震えながら、藤堂が手にしていたポケットバッグにぶら下がっているキーホルダーを指差して言った。

 キーホルダーか、それも大して気にしていなかったが……なんというか、小学生か中学生が修学旅行で買ってそうな、ドラゴンを模った剣型のそれが、藤堂のポケットバッグにはぶら下がっている。

 センスが完全に終わっているが、どこかで見たような気がするのは単にそれが土産物屋でありふれたものだからか?


 俺がそう首を捻っていると、藤堂はあっけらかんとした表情を、どことなく不穏な笑顔に染めて、祈里に言う。


「これね、しーちゃん。京介から小学生時代に修学旅行のお土産……っていうかプレゼントでもらったやつ」

「……なんだと?」

「えっ、覚えてないの? だって京介がくれるって言ったやつじゃん! なんなら翔も持ってるでしょ、お揃いのやつ!」


 いや、そんな記憶はどこにもない。

 だが、藤堂が選びそうなセンスかといわれると全くもって違うわけだから、覚えていないだけで俺が……俺がプレゼントしたのか、このキーホルダーを?

 冗談じゃない、と心は否定したがっていたが、三木谷の名前が出てきたその瞬間、無情にも過去の記憶が脳裏に明滅する。


 忘れたかったから記憶の底に封印していただけで、確かにあれは俺が贈ったものに間違いはない。

 なぜそんなものを買った。そしてなんでそんなものを贈ろうとしたんだ、過去の俺は。

 そしてなぜそんなものを後生大事に持っているんだ、藤堂は。せめて机の中にしまっておくとか、こう、ないのか。


 押し寄せる絶望感に、俺は思わず頭を机にぶつけていた。

 本当になにを考えていたんだ、当時の俺は。なにも考えてなかったんだろうな。

 他人のことならいざ知らず、俺の所業なのだから、皮肉にも手に取るようにわかるわけだ。


「……確かに俺が贈ったやつだ……」

「でしょ? まあキーホルダーだし、なんかの記念ってことでつけてたんだよね」


 このポケットバッグを持ち出すのもいつ以来かわかんないし、と藤堂は笑っていたが、笑いごとじゃない。


「……むぅ……」

「……どうした、祈里?」

「……なんでも、ないです……」


 そして、祈里はあからさまな不機嫌を描いたかのように頬を膨らませてそっぽを向く。

 一体俺がなにをしたというんだ。いくらなんでも、今日は巻き込まれ事故が多すぎるだろう。

 そう嘆きたくもなるが、この黒歴史極まる一件については俺自身の責任なのだから逃げ場などどこにもない。なんて世の中だ、ちくしょう。


 にまにまと笑っている藤堂と、頬を膨らませている祈里を交互に見遣って、俺はただ頭を抱えることしか、できなかった。

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美少女双子姉妹の誰も見向きもしない「余り物」の気弱で巨乳な妹を助けたら、俺にだけやたらと懐いてきた上に色々と距離感がバグってた件 守次 奏 @kanade_mrtg

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