第54話 昼休みの戦い
「失礼しまーす! ここに九重京介君って生徒がいるって聞いたんですがー!?」
これでようやく落ち着いて飯が食えると思っていた矢先のことだった。
三木谷とちょうど入れ違いになる形で、この前図書室の入り口に張り付いていた三人組のリーダーと思しき、眼鏡をかけた女子生徒が大声と共にエントリーしてくる。
一体なんなんだ。今日は厄日なのか?
知らないやつなら知らないを貫き通して飯を食うつもりだったが、向こうは俺に用がある以上、いかにしらばっくれようと絡まれるのは容易に想像できる。
確か、あの三人組は新聞部だったか。
藤堂からそんな感じの話を聞いたことを思い出す。図書室前に張り込み続けるより、ネタが新鮮なうちに教室へ乗り込む方が早いと判断したのだろう。
なんというか、プロ根性だな。
特ダネを逃すまいと目を光らせるその前向きな姿勢自体は誉めて然るべきなんだろうが、それを俺相手に発揮しないでほしかった。
というか、中間試験の結果なんて別にスクープでもなんでもないだろう。ニュースだというなら、期末のハードルが跳ね上がったことの方がよっぽど重要だ。
「……こ、九重……君……」
「……放っておいて居座られても厄介だな。とりあえず俺が話をつけてくるから、祈里は先に食べててくれ」
「……は、はい……その……頑張って、ください……!」
なにをどう頑張ればいいのかはわからんが、その言葉だけで十分だ。祈里が送ってくれた激励を背中に受けつつ、椅子から立ち上がる。
「九重京介は俺だが」
「おお、貴方が噂の! 初めまして! 私は新聞部部長の河瀬あさひと申します!」
部長かよ。差し出された名刺を受け取りながら、俺は引きつった笑みを浮かべる他になかった。
いや、精々新入部員がスクープというよりはただの噂話に飛びついているのかと思いきや、まさか部長が直々に張り込んでいるとは思ってもいなかった。なんの冗談だ。
仮に俺たちの噂が本当だったとしても、校内新聞に載っけるにはもう旬は過ぎただろう……と、言いたいところだったが、だからこそわざわざ教室までやってきたところもあるのかもしれない。
「……ご丁寧に、どうも。先輩」
「いえいえ! 取材を申し込みにきたのは我々ですから! さて……と、いうことは本題についてはもう既にお分かりであると?」
「察しはついていますが」
「なら話は早い! 是非とも中間試験で最難関といわれた国語を満点で突破して、学年次席をも超えた点数を叩き出した噂のカップル! その真相と関係性について取材させていただきたい!」
わかってはいたが、案の定それか。
白雪希美が敗れたことはそれほどショッキングな話題だったのか、それとも単純に一年生の間でホットだった話題を記事にしたいのかはわからない。
だが、どちらにせよ、白雪希美は先輩たちからも注目される存在だということだ。
「取材もなにも、話すことならなにもないですが」
「いきなり断られた!? いや、そこはこう……なんかあるでしょう! 貴方が一年生の首席だということは調べがついていますが、白雪祈里さんについては我々も全く注目していなかったダークホースなんですから!」
ダークホース、か。
普段は見向きもしないのに、少しショッキングな話題があると途端に飛びついてくる野次馬根性を俺が非難したところで、祈里の鬱憤が晴れるわけでもないだろう。
それでもどことなく頭にくる、というと穏当じゃないが、胸に引っかかりを覚えるのは確かだった。
「祈里がベストを尽くした結果であって、俺はただその手伝いをしただけです」
「手伝いとはどのような? 具体的にお聞かせ願えますか?」
「……それより、今は期末試験の難易度が上がることの方がホットな話題ですよ、先輩」
俺から言いたいことはそれだけだ。
とっくに賞味期限が切れた噂にこだわり続けるよりも、新鮮な話題を追いかけた方が、身も蓋もない言い方だが校内新聞を見られる確率は上がるだろう。
それに六月は部活もインターハイに向けて忙しくなってくる時期だ。うちの学校はそこまで強豪というわけじゃないから、話題になるかどうかでいえば微妙なところだがな。
「そ、それは……そうなんですが! 一度掴みかけたスクープを逃すなど、新聞記者として一生の不覚! せめてなにか一言……!」
「コンコルド効果って知ってますか」
「ぐふっ……!」
河瀬……で合ってたかどうかは知らんが、俺の一言を受けて新聞部の部長は銃弾を喰らったかのようなリアクションで膝から頽れる。
流石に新聞部であれば知っているだろう、という目論見は当たっていた。
単純に解説するなら、事業から引き返そうにも、既に投資した額が惜しくてついつい継続してしまうという心理のことだ。今は、引退したいが、課金額を考えたらなんだかんだでズルズルと続けてしまうソシャゲといった方がわかりやすいかもしれん。
そんな話はともかくとして、先輩たちがやっていることは、まさにコンコルド効果の典型例だろう。
例えその日はスクープであったとしても、次の日にはまた別のトレンドが現れるのが世の常だ。
確かに見つけたスクープを手放すことは惜しいかもしれないが、そこで見切りをつけてさっさと「次」を探した方が賢明に違いあるまい。
「か、河瀬部長! 君、言葉はもう少しオブラートに包んでだね……!」
「大丈夫よ、赤羽根副部長……! 私は鋼のメンタルと面の皮を持つ女! 特ダネがある限り何度でも蘇るさ!」
割と最悪なアンデッドだな。
瀕死だった河瀬先輩がよろめきながらもなんとか立ち上がったことで、赤羽根と呼ばれていた副部長と、もう一人、カメラを持った部員がほっと胸を撫で下ろす。
新聞部では割とこんな光景が日常茶飯事なのだろうか。退屈はしなさそうだが、色々と大変そうだ。
「九重京介君……つまり君は私たちのインタビューを受けるつもりはない、と解釈していいんだね?」
「そう答えたら、どうなりますか」
「ふふふ……それは……! 特になんもないです、あっはい……」
てっきり縛ってでも新聞部の部室に連行して、インタビューという名の尋問でも始めるのかと危惧していたが、どうやらそんなことはなかったらしい。
流石に一線を超えない、というか取材対象が拒否の意思を見せたらそれを尊重する辺り、この部長は妙に人間ができている。
マスメディアと違って営利目的じゃないというのもあるんだろうが、パパラッチの連中には是非とも見習ってほしいぐらいだ。
「しかし部長! それでは!」
「心配ご無用だよ、副部長! 確かに今回は特ダネを逃してしまったが……今は六月だ、いくらでもスクープは眠っている!」
「おお……流石は我らが部長!」
「お騒がせしてすまなかったね、九重京介君! 白雪祈里さんとなにか進展があったら是非とも新聞部にご一報を!」
河瀬先輩が、ではさらばだ、と言い残したのを合図に、新聞部の三人組は一年一組の教室をあとにしていく。
前言撤回……とまではいかないが、最後の一言さえなければ普通に尊敬に値する先輩という評価で終わってたんだろうが、なんというかこう、諸々が台無しだ。
祈里となにかこれ以上仲が深まる、というのは想像できないが、仮にもし先輩の言う通りになったとしても、新聞部には絶対に知らせないでおこうと心に誓った。
時計を見てみれば昼休みの時間は残り半分ぐらいに迫っていて、凄まじい徒労感が鉛のように全身にのしかかってくるのを感じる。
一体俺はなぜこんな時間を。無駄だとまでは言い切れなくとも、確実に自分にとってなにかメリットになるものがあったとはいえない。
一応、無許可かつ憶測で記事を書かれるよりはマシだったのだろうか。部員が先走ってそんなことをしようとしたら、多分河瀬先輩が止めるんだろうが。
「……お、終わりました……か……?」
「……なんとかな。待たせて悪かった」
「……い、いえ……っ……!」
まだ手がつけられていない弁当箱を見たことで、祈里にとっては気の毒な時間だったな、と、改めて新聞部とのやりとりに対する虚しさが募ってくる。
悪党でなかったのは救いかもしれないが、それはそれとして俺と、我慢して待っていた祈里の十数分を返してほしいところだ。
空腹は最大のスパイスというように、ようやくありつけた弁当、というかおにぎりの味は格別というわけでもなく、ただ虚しさの味がするだけだった。
なんというか、得るものも、勝利者もいない戦いというのは、きっとこのことを指すんだろうな。
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