第15話 運命を切り開く鍵(2)

 その後、男児が生まれた。

──あなたが、私の運命? この鍵を渡すべき相手なの?

 寝顔を見つめながら考えた。


 両手を握り、バンザイをした体勢で無防備にすやすやと眠る。誕生から間もない新生児は、壊れそうなくらい小さい。

 子どもだけでなく夫も大切で、ふたりとも心から大事で、ほかと変えようもないくらい愛している。


 無条件に必要とされる。互いを尊重し合う、新しい家族となる。その存在の確かさは、ここにいていいと言われるよりも平穏をくれる。

 あんなにも生きているのがつらいと感じ、消えてしまえたらどんなに楽かと思っていたのに、いつのまにか頭から消え去っていた。

 

 夫にうながされ、結婚の報告と孫の誕生を電話で告げた。時間が経って、家族もさまざまな過程があったのかもしれない。両親は思いのほか明るく受け応えて、電話口で祝福を口にした。


 自分も母となって、ふと考える。

 親ひとりで子を抱え、育てて生活を維持する大変さは理解できるようになった。許せるかと問われれば、たぶん完全には無理だろう。でも、寂しさと悲しみは癒えるように思えた。


 息子は健康に恵まれ、夫ゆずりの優しい子に育った。


 あのとき作った鍵のアクセサリーが、私の運命を変えた。どん底に思えた生活からすれば、夢のような日々を手に入れた。

 幸せに満ちあふれた人生を送っている。それは間違いない。


 でも、心のどこかで待ち望んでいる相手とは違うように感じる。





 そんなある日、息子が進級して、だいぶ暖かくなったころだった。


「お母さん!」と帰ってくるなり、玄関口から大きな声で息子に呼ばれた。遊びに出て行ったはずなのに、ずいぶん早い帰宅だった。

「お母さん! ねえ、お母さん!」


 何度も呼んでくる。


「なに、どうしたの?」

 慌てて玄関へと顔を出す。息子はすっかり息せき切って、はあはあと荒い呼吸を整えていた。走って帰ってきたらしい。


 両腕に、なにかを抱えている。

 玄関先に座り込み、息子は大事そうに抱えていたものを慎重に床へとおろした。


「猫拾った! 赤ちゃん猫!」


 私は、そこにいるものを見て、大きく息を飲んだ。

 子猫。オレンジ色の小さなトラ縞の猫。いつかどこかで見た気がする。


 子猫は生まれてしばらくは経っているだろうか。臍の緒は取れており、目も開いている。

 拾ったと言うわりに、汚れては見えない。気になって訊ねた。


「どうしたの、この猫」

「公園で遊んでたら、大きな猫が置いていったの」


 息子の説明で、私は目を丸くした。まさか猫が人を選んで、運んできたとでもいうのか。

 作り話をしているようにもみえない。信じられない思いで子猫を見つめる。


 お腹が重たそうな姿勢で子猫は床の上にふんばって立ち、みゃあと鳴いた。きょろきょろと周囲を見回す。


「ねえねえ、飼っていいでしょ?」


 息子が頼んでくる。

 息子の目が私を見ている。楽しそうに、嬉しそうに。その顔に不安はない。


 子猫がまた、みゃあと鳴く。見上げる子猫特有の色の目が、私をとらえる。

 見覚えのある光景。遠い過去の再来。私は記憶の中に封じ込めていた、悲しい感情を思い出した。


 あの子猫と同じ毛色、同じ目の色の子猫。あのときの自分と息子が、あのときの子猫と目の前の子猫が重なる。奇しくもあの頃の自分と、息子の年齢もたしかに同じだった。


 時を超えて、邂逅する。こんなかたちで。

 ああ、と無意識に声が出た。やっと会えた。


 ずいぶんと時間がかかっちゃったんだね。


「そうね、でも……まずは病院で診てもらわなくちゃ」


 そう言って私はしゃがみこみ、子猫を抱き上げた。

 子猫は大人しく私の胸元に収まった。私がいつも首にさげているペンダントを見つけ、好奇心たっぷりの瞳で見つめる。


 揺れる鍵の形をしたペンダントヘッドに子猫が手を出す。ちょいちょいとつついて、じゃれている。

 私は懐かしい思いで、子猫を見つめた。あのときの経験は、このときのためにあったんだ。


 大丈夫、今度こそ守れる。今度こそ、大切にする。


 この鍵が、運命を変えてくれたから。理解ある夫と子ども、きちんと面倒をみられる家族と環境がある。今だから、安心して迎え入れられる。


「お帰りなさい」


 私は泣き笑いで、息子と子猫に言葉をかけた。


                   <了> 

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早朝に鍵を拾ったら、夢路で異界への扉が開く 内田ユライ @yurai_uchida

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