眠り姫の国の話。

石井 行

眠り姫の国の話。

 僕の国には眠り姫がいる。

 姫、といっても王様の娘じゃない。

 今の王様が王様になるより前から、それどころか前の前の前の王様が生まれるより前からずっとこの国にいて、ずっと眠っている。

 いつからいるのか正確に知っている人はいない。眠り姫の話はみんなお母さんやお父さんから聞いて、そして大人になって自分の子供に聞かせて、またその子が大人になって子供に聞かせて、というのをずっと繰り返してきた。

 僕も、お父さんから聞いた。

 眠り姫は王様よりも偉い。

 眠り姫はこの国でいちばん大事なもの。

 この国に生まれた人は、何があっても眠り姫を守らなければいけない義務がある。

「義務」というのが何だか嫌だなぁと言ったら、

「実際に眠り姫に会ったら、義務なんて関係なく『この子を守らなきゃ!』って気持ちになるよ。かわいくてキレイでいい匂いがして…お父さんの友達で、姫と結婚したいと本気で考えてた奴は沢山いたよ。勿論、お父さんも考えてた。」

 だって!

 お母さんが聞いたら怒りそうな話だけど、実はお母さんも姫が大好きで、しかも大好き過ぎて今では眠り姫のお城で働いている。


 眠り姫はお城で眠っている。

 お城といっても実際は大きくて四角い、窓一つない白い石のような建物だ。まるで巨大なお墓みたいだけど、静かに眠る為の場所だと考えれば同じものかもしれない。


 眠り姫にはいつでも誰でも会えるわけじゃない。

 最初に会えるのは、十二歳になったら。

 その年に十二歳になる子供を集めて、みんなで眠り姫に挨拶する日というのが決められている。それは「誓いの日」と呼ばれている。

 国民として、姫を守ることを誓う日。

 姫と会い、王様の話を聞いて誓いを立てる。「誓いの日」を終えると、十二歳達は大人になったと見なされる。それからは会いたい日と理由をお城に申請すれば個人で会えるようになる。でもその申請はなかなか通らないらしい。あんまり沢山の人が毎日毎日会いに行ったら、眠り姫が起きてしまうかもしれないからだっていわれている。

 眠り姫を起こしてはいけない。

 これがいちばん重要なこと。

 眠り姫が何故眠っているのか。

 魔女に呪いを掛けられたのか、不思議な薬を飲んでしまったのか、眠り続ける病気なのか。それは誰も知らないのに、起こしてはいけないということだけは昔からずっと伝えられている。

 眠り姫が目を覚ましたら、何か途轍もなく大変なことが起こるらしい。この国が一瞬で滅びるくらい大変なことが。

 だから、眠り姫を守るというのは眠り姫の眠りを守ること、つまりこの国を守ることなんだって。


 そして、そう!今年僕は十二歳になる。今日が待ちに待った「誓いの日」だ。

 国中の十二歳が今日一日で姫に会えるように、きっちりスケジュールが組まれている。

 僕はそわそわしながら朝ごはんを食べ、いつもより髪型を格好良くセットして、持っている中でいちばん素敵な服を着て家を出た。

 暑くもない、寒くもない、少しだけ風が強い日だ。


 眠り姫はどんな人だろう。

 どんな顔だろう?髪は長いかな?パジャマを着て寝てるのかな?いい匂いだってお父さんは言ってたけど、どんな匂いがするんだろう?

 考えながら歩いていると、同じ方向に歩く人が増えてきた。

 みんなお城へ向かう十二歳だ。

 みんなそれぞれの理想の姫を思い描きながら歩いている。


 お城に着くと受付があって、名前や顔をリストでチェックして間違いなかったら先へ進める。

 進んだ先で、レインコートのようなものを着せられた。ガスマスクみたいな大袈裟なマスクも着けられて、手袋まで用意されていた。

 格好良い髪型も素敵な服も台無しになった。

 そうして同じ姿になった十二歳達は、細長い廊下を一列になって歩かされた。

 緩やかな坂になっている廊下は、お城の下の方へ向かっていた。てっきり眠り姫の部屋はこの巨大な建物の上の方にあるものだと思っていた。これじゃ本当にお墓みたいだ。

 廊下はすごく静かだった。

 マスクは声を出さない為のものらしい。足音やレインコートの擦れる音は、床や壁に吸収される仕組みみたいだ。

 暫くすると、なんとなく空気が変わるのを感じた。列の前の方から緊張が伝わってきた。先頭が眠り姫の部屋に着いたらしい。

 やっと会える。

 進んで行くと、廊下の右側の壁がぽっかり空いているところに着いた。

 そこに、眠り姫がいた。

 沢山のチューブが繋がれたガラスの棺に入っていた。

 死んでいるのかと思った。

 でもよく見たら、姫の胸はゆっくり上下していて、息をしていることがわかった。ほっぺたもほんのり赤くて、目蓋は時折震えた。

 黒い髪は短く切られ、白いワンピースに細い手足。

 もっとよく見たかったけれど、列は止まることなくどんどん進むので立ち止まることはできない。

 ガラスの棺の前を通り過ぎても、振り向いてずっと見ていた。

 後ろの人達の頭ですっかり遮られて見えなくなったとき、急に眠り姫の部屋と廊下の間にシャッターが下り、大きな警報が鳴り響いた。

 緊急事態を告げるアナウンスが繰り返し流れ、僕達は今までの倍以上のスピードで進まされ、あっという間にお城の外に出された。


 何があったのか説明もなく、追い返されるように家に帰った。家に帰ると、お父さんもお母さんも暗い顔をしていた。

 ニュースでは、戦争が始まったと言っていた。

 丁度僕が眠り姫に会っていたとき、隣の国から宣戦布告されたらしい。

 隣の国の王様に従うか、国境の土地を差し出すか。

 僕の国は隣の国に比べたら小さい。子供の僕でも、戦ったら負けることくらいわかる。だけど大人達は戦うことに決めたみたいだった。


 僕は毎日ニュースを見続けた。

 僕の国はどうなってしまうんだろう。

 ニュースを見ていたら、今まで知らなかったことがどんどん流れてきた。

 隣の国は、僕の国だけじゃなくまわりの国みんなに宣戦布告しているってこと。

 三つの国が戦って、消えてしまったこと。

 僕の国だけじゃなく、隣の国にも、そして世界中の国にもそれぞれの眠り姫がいること。

 消えてしまったという三つの国は、眠り姫が目を覚ましてしまったらしいという噂。

 戦争というのは、その国の眠り姫を狙うものだということ。


 僕は、ほんの短い時間会うことができた姫のことをずっと考えていた。

 僕が守らないといけない。

 あんな目立つお城にいたら、近いうちに攻撃されてしまう。もっと安全な場所に移されたかな。目を覚まして、逃げることができたらいいのに。

 だけどお父さんやお母さん、大人達は怖い顔をして同じことを言うだけだ。

 眠り姫を起こしてはいけない。眠り姫が目を覚ましたら恐ろしいことが起こる。絶対に姫を起こしてはいけない。

 この国を守る為に。


 ずっと眠っている姫は幸福なんだろうか?

 静かな部屋で、ガラスの棺に入れられて、命を狙われて、それを全部知らなくて。

 青い空を見ることも、原っぱを走り回ることも、友達と話すことも、いろんなところに遊びに行くこともできない。

 国を守る為に姫が犠牲にならなきゃいけないなんて間違ってる。

 みんな姫を大好きなんでしょう?どうして大好きだ大事だと言いながら怖がっているの?


 僕は家を出てお城へ向かった。

 日はとうに沈み、人の姿はなく、薄暗い街灯だけがぽつりぽつりと立っている。

 とにかく眠り姫のところへ行かなくちゃ。

 ふと、暗がりの中に動く影を見付けた。街灯の下に出てきたその影は、僕によく似ていた。

 それは一人だけじゃない。「誓いの日」の朝のように、お城へ向かって歩く今年の十二歳達だった。

 無言で、みんなでお城を目指す。


 お城に着くと、入口の監視カメラの死角になる壁の方へ自然と集まった。輪になるように座る。

 何人いるだろう。最初は十五人程だったのが歩くうちに増えていき、今も時間とともに増え続けている。

 いちばん背の高い子が立ち上がった。

「みんな、眠り姫を助けに来たんだろう?」

 座っている子達が頷く。僕も頷く。

「大人達は姫が狙われているのに、ただ起こすな目覚めさせるなって言うだけで姫のことを助けようなんて誰も言わない。『誓いの日』を終えた大人達はみんなそうだ。でも僕達は、違う。」

 あ、と誰かが声を上げた。

 「誓いの日」…僕達今年の十二歳は「誓いの日」を終えていない。

「僕達は特別なんだ。大人達とは違う。今までの十二歳とも違う。

 『誓いの日』を終えると、姫の幸福より姫を起こさないことの方が大事になるんだ。

 でも僕達は、姫の幸福を願える。姫を助けることができる。」

 みんなコクコクと頷いた。僕も。

「僕達は十二年、同じようにずっと眠り姫の話を聞かされ、同じように憧れて、同じように姫を好きになってきた。

 今年の十二歳がみんな同じ考えになるのは当たり前なんだ。だから今日、ここに、お城に集まったんだろう?」

 お互いの顔を見る。

「今夜、僕達は眠り姫を救い出す。」

 みんなの目がキラキラと輝きだした。僕だけじゃなく、今年の十二歳みんなが考えていたんだ。

「でも、どうやって?」

 長い黒髪の子が不安そうに言った。

 それを聞いて僕は反射的に立ち上がった。

「僕のっ!僕のお母さんがお城で働いているんだ!」

 灰色のワンピースを着た子が冷めた声で言う。

「だからって子供が中に入れてもらえるわけないでしょ。」

「ううん、お母さんにお願いするんじゃないよ。考えがあるんだ。

 いちばん最初に僕一人だけお城の入口に行くよ。みんなは隠れてて。お母さんが働いているってことを利用して、きっと僕は入口の扉を開けてもらうから、そうしたらみんな一気に僕の後に付いて中に入ればいい。この人数ならそう簡単に一度開けた扉を閉めることはできないはずだよ。」

 離れたところで、身体の大きな子が立ち上がった。

「僕はこの近くに住んでいるから道に詳しいよ。姫がお城から出たら逃げられる道を教えてあげる。だから裏口で待っているよ。出口を確保する。何人か手伝ってくれるかな?」

 うん。僕達は頷き合った。

 背の高い子がゆっくりとみんなの顔を見渡した。

「いい作戦だと思う。入口と出口、二手に別れよう。一旦別れるけれど僕達の気持ちは一緒だ。

 僕達は姫が目覚めることを恐れない。

 僕達は姫を助け出す。

 特別な十二歳にしかできないことだ。」


 僕は深呼吸をしてから徐に走り出した。そして入口に着くと、大袈裟に扉に体当たりした。勿論扉はびくともしない。

 僕は監視カメラに向かって一世一代の芝居を披露した。

「お母さん!お母さん!ねぇお城の人!お母さんに会わせてよ!」

 まるで遠くから走ってきたように息を乱して、泣き顔を作って叫ぶ。

 スピーカーから係員の声が聞こえた。

 どうしました?

 子供相手だからか、優しそうな女の人の声だ。

「お父さんが大変なんだ!お母さんに伝えないと!」

 君の名前は?お母さんの名前は?お城のどこで働いているかわかる?

 全部無視する。

「早くしないと…お母さん!お母さん!やだよぅ…やだよぅ…」

 落ち着いて。私が話を聞くから。一度座って、落ち着きましょう。

 カチッ

 扉のロックが外れる音がした。僕はちらっと後ろを見て、隠れている子達に合図した。内側から開いた扉の隙間に身体を滑り込ませ、迎えてくれた係員に力いっぱい抱き付いた。

 その不意を突いて、入口組の子達が一斉になだれ込んで来た。大雨の日の川のように、通路を埋め尽くし流れていく。廊下は下り坂だから、飛ぶように転がるように勢いよく。

 僕も係員から身体を離して、その流れの中に飛び込んだ。

 レインコートもマスクも着けていない僕達は、地響きのような低い音を立てながら通路を進んで行った。


 ふと、僕の隣になった茶色い瞳の子がこの勢いに似合わない弱々しい声で言った。

「本当は怖いんだ。」

「どうして?みんなをごらんよ。僕達はきっと姫を助け出せるよ。」

「違う。聞いて。僕には一つ上の姉さんがいるんだ。去年の十二歳だ。姉さんは決まりを破ってまだ十二歳じゃない僕に『誓いの日』の詳しい話を教えてくれた。だから、僕は今年の十二歳だけど『誓いの日』を終えているようなものなんだ。

 僕は怖い。

 大人達と同じように、眠り姫が怖い。」

「一体姫の何が怖いのさ。」

「『誓いの日』、姫に会った後に王様の話を聞きながら映画を見せられるんだって。その映画は今までに眠り姫が目覚めた国の話、消えてしまった国の話なんだ。映画だから作り話かもしれない。でも作り話かもしれないからこそ僕は恐ろしい。考えるのを止められない。眠り姫が大事過ぎて恐ろしい。夜眠るのも怖いんだ。」

 十二歳達の流れの先頭の方で歓声が上がった。眠り姫の部屋に着いたらしい。

 もみくちゃにされながら、僕も流れに乗って歓声の方へ近付いていく。

 隣にいた筈の茶色い瞳の子が、僕から離れていた。どんどん追い越され、後ろの方へ逆に流されていく。流されながら、彼は僕に叫んでいた。

「ねえ!君は眠っているとき何をみる?みているものは君が目覚めたときどうなる?ねえ!眠り姫は眠りながら何をみていると思う?みているものは姫が目覚めたときどうなると思う?」

 必死な声と姿は他の十二歳達に飲み込まれ、わからなくなった。

 僕は彼の言っていたことをいろいろ考えてみたかったけれど、そんな間もなく眠り姫の部屋に辿り着いてしまった。

 ガラスの棺に群がる子供達と、それを引き剥がそうとする大人達。

 僕は人と人の間に身体を捩じ込ませ、濁流を泳ぐようにみんなの中心に向かった。

 眠り姫だ。

 また逢えたね。

 ガラスの棺に手を伸ばす。大人達の叫び声が響き渡る。

 やめろ!目を覚ましてしまう!駄目だ!

 僕は構わずにぐっと身を乗り出した。もっと姫の近くへ!

 数え切れない十二歳達の手がガラスの棺を覆う。

 棺にヒビが入った。

 やめて!僕のお母さんの声が聞こえた気がした。



 さあ、もうすぐだ。

 僕達は眠り姫を救い出す。

 みんなが見守る中、眠り姫の睫毛が微かに震え、とうとうその目蓋が開かれt

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