アネモネの憂鬱

@kky09yoin20

第1話

アネモネの憂鬱



「これがあいつにとっての天罰になるだろう」


 私は薄れゆく意識の中で『呪いの言葉』を言った。誰かが毒を盛ったらしい。あいつがくる頃には杯すら持てないほど感覚が麻痺しており数刻前に口に含んだ葡萄酒が床に溢れている。こうして、いかにも無防備という状態の私とその自室にあいつが現れたのだ。


「実に無様だ。貴様の最期に相応しい」


 あいつはそういうと私の項垂れた体を無理やり椅子に座らせる。最早、何をつらつら語っているのかすらも聴きとれないが私に対しての恨みつらみなのだろう。あいつは腰に差した剣を抜くと、その切先を私の顎に突きつける。口角が弓形になった直後、鋭い痛みと鈍い音がこだまして私のすべては闇に包まれた。


 アレイスめ…。私は私の生きたい道を選んだのに、どうしてこんなことに…愛されたから?嫉妬されたから?他人の一方的な感情に振り回されて命すらも花を摘みとるように脆く儚い。私が死ぬことで何かが変わるとでも?嫌だ。私は何も残せず退場するなんて、絶対嫌だ。 


 私の闇の中で、色とりどりのアネモネの花が咲いている。目も耳も口もきけないがせめて、この世界だけはどうか私を誰のものにもならないで欲しい。私は私の為に生きたい。このささやかな願いがどうか届きますように__







 カーテンから薄らもれる朝日に重い瞼がひらいた。目が霞む。指も動くし窓の外から聞こえる小鳥の囀りの音もはっきりわかる。毛布をゆっくり動かすとそこから腕が伸びて私の手を止めた。


「ん…」


 なるほど。どうやら私は寝ていたようだ。相席の人物はすっぽり毛布を被りながらも抵抗している。私が動こうものならその反動でこちら側に引き摺り込もうとするのだろう。ならば、言葉で訊かせるまで。


「起きて。朝だよ」


 ねぼすけに言っても無駄か?と思ったがこちらの言葉を聞き逃すまいと毛布からその素顔を見せ始めた。その整った顔をみて私は思わずベッドから転げ落ちる。ベッドの淵からもう一度その端正な顔をみたが、私が殺された相手を忘れるはずがない。


「アレイス…」


 息が苦しい。手が震える。どうして、あいつが私と一緒に寝ているんだ。あの時の、私を殺す憎悪にまみれた空気が鮮明に甦り目眩と吐き気がする。彼は私の感触がないことに気づいて飛び起きた。まずい、殺される。


「アド?」


 彼は不思議そうに私を見つめた。あろうことかベッドから手を差し出している。私はその手を握ることはできなかった。そして彼は確かに私のことを「アド」と呼んだ。彼は私を愛称で呼んだことは一度もない。というか、憎んでいる相手には呼ばない。


「どうしたの?」


 その場でへたりこむ私を優しくベッドへ誘導するとまじまじと見つめられた。彼と目を合わせることができなかった。


「体調悪い?」


 手を額に伸ばした瞬間、私は無意識にその手を振り払っていた。


「やめて…」


 震える体から精一杯絞った声で拒絶すると、彼はしばらく黙り込んだ。小さく「ごめん」と呟くまで何が起こっているのか分からず動揺しているようにも感じた。私だってどう形容していいか分からない。私を憎み、私を死へ誘った相手がまるでいままでの出来事が嘘だったかのように私の隣で寝ていたなんて誰が信じるのか?私はこいつに殺されたのに。


「アド、ごめんね。具合が悪いのに無理させちゃったんだ…ええと、水とか飲む?」

「…いらない」

「そっか…嫌なことがあれば言ってほしい。何も知らないまま俺のせいできみだけが傷つくのはかなしいから」


 どうしよう。言ってしまおうか?言った方が楽になるのか?何かがおかしい世界で妙に優しくなった彼に。いや、まだ信じきれない。ある程度会話を交わして本当にアレイスなのかそれともアレイスに似た顔の男なのかはっきりさせなければいけない。


「夢を…みちゃって」

「夢?」

「私が…あなたに殺される夢」

「俺が、きみを殺す…」


 そう言うと、彼は目を見開いて口を噤んだ。そして気まずそうに俯くと手で顔を覆った。


「それは、怖かったよね。ありがとう、ちゃんと話してくれて」


 彼の手も震えている。


「どうか、今の俺は夢のなかの俺ではないことを信じてほしい。名前で…呼んでくれる?」

「なまえ…」

「セラって。なんだかきみの記憶が抜け落ちてしまったみたいで」

「セラ」

「うん」

「セラ…」


 名前を呼ぶと、セラは優しく背中をさすってくれた。久しぶりに感じた他人からの気遣いと安堵に私は涙が止まらなくなってしまった。それをみてセラは何も言わず、片方の手で私の手を握った。まだ、全てを信じるには早計すぎると思う。でも、私は今こうして生きている。だが、前世で殺された瓜二つの相手に愛されている。もし、これが呪いだとしたらきっとこれがあいつにとっての天罰になるだろう。







 安曇川 百音(あどがわ もね)。この世界での私の名前だった。前世のアドニスだった時と同じ年齢で今は会社員として勤めている。朝から晩までの労働で昔私がどうやって過ごしていたのかも疲労で記憶が薄らいでいた。この忙しない日々というのが私の余計な思考すらも忘れようとしている。そして何の気なしに隣に佇むのが猪狩 世羅(いかり せら)という男。この男は前世で私を殺した当事者なのだが、その記憶はすっぽり抜けているどころかどうやらこの世界では恋人のような扱いを受けている。前世の出来事は朧げになりつつあるもこのことは私だけが知っているということになる。私は殺された相手に愛されているのだ。いつか彼が記憶が戻ってしまったらと思うと虫唾が走る。だからこそ、セラとして話す彼の慮った言動も私にとってはとても複雑に感じて素直に受け取ることができずにいた。

 そうして数日経ったある日、気を遣ってお出かけの提案を出したのだがいまいち彼の好みも分からずにいた。


『俺はどこでもいいけど、アドが行きたいところでいいよ👍』

『いいの?』

『どこまでもお供しますぜ、旦那!😎』

『ありがとう😊』


「で、ドライブにしたと」

「ここに行きたいっていう欲求もあんまなくて…」


助手席に乗ったセラは口ごもった私のことは気にせず嬉しそうに外の景色を見つめた。なんかもう行く宛てもなく車でさまよう方が何か発見がある気がして。人目もつかず、話がしやすいかもしれない。


「ところで、この前の夢のことなんだけど…」

「うん」

「あれからまた同じような夢は見てない?」

「うん…」

「アド…?」


まだ、本当のことは話せない。話してもセラを傷つけるだけかもしれない。


「あの夢をみた日のこと覚えてる?」

「うん」

「あの日から…やっぱり怖がってるんじゃないかってずっと思ってて、嫌われたと思って」

「そんなこと、ないよ。ただあまりにもリアルな夢で、びっくりしちゃって。起きた時夢か現実か分からなくなっちゃって。私こそごめん、優しくしてくれたのにあんな態度とって」

「いいんだよ。気にしないで」


運転中ではっきりとは分からないが、彼が微笑んでいる気がした。私にはもったいないほど優しかった。その優しさが胸を締めつけた。


「じゃあ、キスしてもいい?」


私の急ブレーキが思わずドラレコの衝撃録画に切り替わる。後続の車がいなくて良かったし対向車もいなくて良かった。ふたたびエンジンをふかし手汗で湿ったハンドルでコンビニの駐車場へ無言でウィンカーを出す。大型トラックが何台も入れるような広大な駐車場で、あえて店から一番遠いところへパーキングへ入れるまで沈黙が続いた。流れる曲だけが元気だった。


「心臓に…わるいから」

「そ、そんなつもりじゃ」

「あっ」


肩で息をする私に彼は助手席からシートベルトをしたまま身を乗り出そうとするが肘置きがセーフティーバーのような役割を果たしてしまい、彼のみぞおちにヒットした後、震えてつむじが項垂れる。そのドジな姿に思わず笑いたかったが、この衝撃で彼が前世の記憶を呼び覚ましふたたび私に襲いかかろうとするかもしれないという恐怖で不気味な笑い声を出してしまった。我ながら気持ち悪い。いっその事このまま彼が私に失望してしまえばいい。


「うぇへへへ…ひひ」


彼も涙目になりながら、私の気持ち悪い笑い方をマネする。そのマネも絶妙に似ていて、もうお互いよく分からなかった。


「…御手洗行ってコーヒー買ってくる。」


このまま奇妙な空間にオチをつける勇気もなく、車の鍵を取り出す。


「一緒に行くよ」

「煙草は?」

「いい、吸わなくても平気」


セラが隠れて外で煙草を吸っていることは知っていた。私に気を遣って部屋では絶対吸わなかった。アレイスの顔で気を遣われているといつか報復がくるのではないかと慄いたが、ここ数日は何事もなく過ごせていたのが現状だ。


「ん」


カップコーヒーで塞がれた手からセラは器用にふたつのカップをとりあげる。カップはレギュラーサイズなのに彼が持つだけで一回り小さく見えた。剣や槍を持って暴れまわっていた当時からは想像できなくて、体が震える。


「…なに?」


セラの眉間にシワが寄った顔もますます滑稽で自動ドアの前でケラケラとした笑いが止まらなかった。変なの、と言わんばかりに車の鍵も取られて尻ポケットに無骨につっこまれていった。彼の尻から私の好きなキャラクターのストラップが陽気に揺れている。


「てんばつかあ」


呪詛の言葉も忘れてしまいそう。前世の暴力的な面も単純なところも、唆されて頭に血が上るところもその全てがフィルターにかけられてドリップされたように私の水面には彼が面白人間に映った。





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