余りものたちの行方

やまおり亭

余りものたちの行方

 引っ越し前日の夜はいつも寝る場所に困る。

 ボイスチャットで通話しながらの宅飲み中にそうぼやいたら、友人が寝袋を貸すと言い出した。

 登山を趣味とする彼が「雪山でもぐっすり眠れる」と太鼓判を押す防寒性に優れた一品は、某有名通販サイトによると販売価格五万と八千円。そんな高いもん借りられない。いや高いシュラフを知らない初心者にこそあの寝心地を体験してほしい。でも汚したり破いたりしたら。いやいや、予備があるから問題ない――等々の押し問答の末、我が家の狭いベランダで、キャンプごっこじみたお泊り会が開催される運びとなった。

 何故よりにもよって引っ越し前夜にと思いはしたが、友人が翌日はそのまま引っ越し業者の作業立ち合いに同伴し、新居での荷ほどきまで手伝ってくれると言うので、二つ返事で承諾した。

 春には新社会人になんなんとする男二人、師走の始めのことである。



 ついでにいろいろ揃えてきた。

 引っ越し前日、約束していた午前十時ぴったりに俺の家のインターホンを押した友人を出迎えると、彼は開口一番そう言った。

 彼の手には濃い緑色をした化繊かせんの袋が提げられていて、こまごまとした銀色のツールや小ぶりなオレンジの合間から、紙パック入りのワインの頭が覗いている。

「ワイン、赤?」

「キャンプで飲むなら赤だろう」

「だよなあ」

 俺が後ろ手に隠していた紙パック入り赤ワインを見せれば、彼は「メーカーまで被った」と歯を見せて笑った。



 越冬のために渡来した鴨たちで、井の頭公園の池が賑やかになってきたらしい。荷造りのとき緩衝材代わりに使ったフリーペーパーの残りを片付けるつもりが、いつの間にか読み込んでしまっていた。

「何読んでんの」

 友人が、インスタントコーヒー片手にベランダへと出てくる。

「鴨の引っ越しの話」

 そう返し、俺は熱いコーヒーをありがたく受け取った。



 しみる寒さが僅かに和らいだ十三時頃。ほとんどからっぽになった部屋で、二人いそいそと昼食の支度をした。

 小さなフライパンで、ベーコンと食パン、それから四角いスライスチーズを一緒くたに焼く。

「IHコンロ、アパート備え付けでよかったな」

 そうでなければキャンプ用のガスコンロを抱えてくるところだった、とは友人談。

 この男ならやりかねない。

 出来上がった食パンのベーコンチーズ乗せにケチャップをかけながら、火力にとぼしく今まで出番の少なかった我が家のIHコンロに、俺は最後にして初めての感謝を捧げた。



 前日の、しかも飲酒中に急遽決まったキャンプごっこであったものだから、たいした打ち合わせもせず今日を迎えてしまった。そうぼやく俺に友人は肩をすくめる。

「こんなのに打ち合わせも何もないだろう」

「でも報連相は社会人の基本だろ」

「内定おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 深々を頭を下げ合えば、どちらからともなく忍び笑いがこぼれた。

 必要以上にたっぷりと用意された安い赤ワインを温めて飲みながら、ワインと同じく二人揃って買ってしまい余ったベーコンをかじる。面倒だからと火を通さず噛みちぎっているが、これはこれで冷えた脂身が旨い。

「お前が今度入る会社、もしクビになったらさ、すぐ連絡してくれよ。スカウトしに行くから」

 何でもないことのように言って、友人はワインにしこたまシナモンを振りかけた。

 俺の隣に座す、この適当な男――大学在学中に会社を立ち上げそれなりの軌道に乗せた、新進気鋭の若手社長なのである。



 夜も更けつまみは食べ終えて、明日のためにも宴はお開きに。

 いくらキャンプごっこといえども、流石にうちのベランダで並んで横になるのは無理があったため、大人しく屋内の、がらんとした床で眠ることになった。

 友人イチオシの寝袋は、なるほど確かに寝心地がいい。なんなら俺が普段使っている布団よりも柔らかだ。

「ワイン、やっぱ余ったな」

 隣の寝袋に収まった友人の呟きは、酒のせいか普段より掠れていた。

「お前、持って帰るか? ちょっと重いけど」

 意外にもゆとりのある寝袋の中で身体をよじり、友人のほうを向く。彼は天井を見たまま、小さく息を吸い込んだ。

「よかったら、引っ越しの荷物に入れといてくれよ。それで、あっちでもまた飲もう」

 その一言を告げるため、いかに勇気を振り絞ったか――それを隠せていない友人のすこし引きつった横顔を眺めながら、俺はにやけそうになるのを必死で堪えた。

 別々の道を行くことに寂しさを覚えていたのは、どうやら俺だけじゃなかったらしい。

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