カリオペイラの魔法。
美澄 そら
「みなさんこんばんは。今夜も始まりましました、まどろみさんのミッドナイトラジオの時間です。パーソナリティはわたくし、
『まどろみさんのミッドナイトラジオ』は、週に一度、地方局のやっている小さなラジオ番組だ。
小さいながらも八年続くご長寿番組で、真宵がオーディションを勝ち抜いてDJになってからは約三年となる。
ちなみに真宵の前のDJは、ご成婚ご懐妊とおめでたいことが続いて辞めることになり、その前は地方局の局アナが勤めていたけれど、テレビ番組のメインキャスターに抜擢され辞めている。
そうした事例もあって、この番組のDJを勤めると望みが叶うというジンクスがまことしやかに囁かれている。
――あくまでジンクスで、真宵は三年平凡に毎日を送っているのだが。
「さて、今夜の一通目のお便りは――ラジオネーム『ピックスター』さんからです。ピックスター、とはなんでしょう。名前の由来を聞いてみたいですね。
えー、『真宵さんこんばんは。こうしたラジオ番組にお手紙を送るのは初めてなので、作法とかあったら教えてください』
作法ですか……ウチは特に無いですね。みなさん好きに送ってくださってますよ」
真宵はふふっと笑みをこぼすと、手紙の続きを読み上げる。
「『私は冴えないバンドマンです。と言っても、日中はちゃんとリーマンやっています。営業をしていて――って脱線してすみません。担当はヴォーカルとアコギです』
ピックスター……ひょっとしたら、ピックってギターのピックから来てるのかな?
なるほど、ギター弾きながら歌っていると。『真宵さんは好きなバンドとかありますか。あと思い出のライブとか』。
んー、そうですねー。バンドは学生の頃からラルクがずっと好きで、ライブもよく行ってますよ。……思い出のライブ、か。ひょっとしたらピックスターさんの質問の主旨とズレてしまうかもしれないんですけれど、私高校生の頃に好きな人がいて――」
真宵は少しだけ蓋を開けた。
思い出す度に傷付いていたので封印していた、苦い思い出の蓋。
★ ☆ ★ ☆
村田 真宵十七歳は、ラルクに熱狂的で妄信的なちょっと痛いファンだった。
聴く曲はラルク一択。好きな男性を訊かれればハイド様一択。
ペンギンが目立つ黄色い看板のお店に行って、ちょっと恐めなヤンキーのお兄さん達を掻い潜り、こっそり買ったピアッサーで耳朶に穴を開けた。
ちょっとの罪悪感と、痛みが抜けたあとの謎の感動。
先に手に入れていた、ハイドの着けてるものと同じデザインだと言われてたピアスを、休みの日にこっそり着けて楽しんでいた。
優等生ではないけど、かといって不良でもない。
手はかからないけど、大人の目の届かないところでこっそり悪いことをする。
そんなわりとどこにでもいる高校生だった。
高校最後の文化祭。体育館のステージは催し物でタイムスケジュールを埋め尽くしていて、忙しなく人が変わる。
真宵はコーンの上に遠慮がちに座るバニラアイスを片手に、友人が来るまでの暇潰しでその光景を見ていた。
気が抜ける漫才が終わると、次はスリーピースバンドだった。
ヴォーカルがアコギを弾きながら歌い、エレキギターとドラム。
正直、上手い下手のレベルではなかった。
真宵が常日頃ラルクを聴いていて、耳が肥えているからという訳ではない。一席向こうの男子学生から「ドヘタクソ」と苦々しく呟いたのが聞こえた。
ヤジこそなかったけれど、不満ですと言わんばかりのため息がそこかしこから聞こえてくる。
そうだよね。と共感するけれど、たったひとつ。
たったひとつ、真宵の心を打ち震わせるものがある。
「声が好きだったんですよ」
バニラアイスが溶けて、手に纏わりついた。
それでも、目を逸らせなかった。
鼓膜を震わせる、彼の声。
その音をひとつでも聞き漏らさないように、全身で聴いていた。
「ギリシャ神話に声の女神様がいらっしゃるんですけど、ひょっとしたらその神様の仕業かなって思いましたね。心臓鷲掴みされちゃって。
一目惚れって生憎したことないんですけど、一番近い例えがそれかもしれないです。
そのあとすぐにステージから捌けた彼らを追いかけて、声をかけた」
なんて声をかけたかは忘れてしまったけれど、必死だったのは覚えている。そして、返ってきた言葉が、
――悪いけど、興味無いから。
そう言ってギターをケースに丁重に仕舞うと去っていった。
まだ、バクバクの心臓。アイスがまとわりついてベタベタの手。
頬には余熱がわだかまっていて、「そっか」と何度も繰り返しながら涙を拭った。
☆ ★ ☆ ★
「彼らはその日限りのバンドだったみたいで、高校卒業する前に解散してしまったみたいです。甘酸っぱい思い出も込みで、忘れられないライブのお話でした。
それでは、ピックスターさんのリクエスト曲。尾崎 豊さんの『forget-me-not』をお聴きください」
曲が流れ始めて、真宵はもう一度手紙に視線を落とした。
そういえば、あの時彼が歌っていた曲はなんだったろうか。
「みなさんこんばんは。今夜も始まりましました、まどろみさんのミッドナイトラジオの時間です。パーソナリティはわたくし、
明後日雪の予報がありましたけど、リスナーさん雪の準備は大丈夫ですか?
ドライバーさんはスタッドレスタイヤやチェーンの準備を忘れないでくださいね」
今日は天気予報の話題から入り、頂いたメッセージを読んでいく。いつもの流れ。いつも通りの進行。
「それでは、二つ目のメッセージ読みますね。ラジオネームゆかこママです。あら、ゆかこママ、お久しぶりじゃないですか。
えっと、『真宵さんこんばんは』。こんばんはー。『前回真宵さんが学園祭のお話をしていたのを聞いて、懐かしくて久しぶりに学園祭の写真見返しちゃいました』。
写真があるのは羨ましいかも。『真宵さんみたいに、わたしも学園祭で先輩に告白してフラレた思い出ありますよー』そっかぁ。なんかね、お祭りのあとでうまくいきそうな気がするのにね」
「では、本日はコンちゃんからのリクエスト曲。メイジーピーターズちゃんの『PSYCHO』です。どうぞ」
曲が流れてしばらくしてから、次の進行を確認し、ペットボトルのミネラルウォーターで喉を潤した。
聴こえてくる洋楽は、ポップで可愛らしい声とは対象的に歌詞は切ない。ミュージックビデオはなかなかにホラーテイストだった記憶がある。
――あ。
近くに置いていた自分のスマホに手を伸ばす。
彼が歌っていた曲、思い出したかもしれない。
番組が終わり、来月から始まる新しいコーナーの打ち合わせもして、さあ帰ろうとラジオ局のある雑多ビルの玄関口へ出た。
朝日が射し込んできて新しい季節を感じさせる。
明後日の雪は今シーズン最後の雪かもしれない。
「はようございまーす」
警備員の影からひょこっと顔を出したのは、見覚えのない男性だった。真宵は険しい表情で相手の様子を伺う。
長い前髪から覗く目元の隈。ジャケットの下には皺の寄ったネルシャツ。パッと見小綺麗にしてはいるけど、疲れきって見える。
「どちら様、でしょう」
真宵がそう答えると、不審に思った警備員のおじさんが真宵と男の間に立った。
男は誤魔化すようにへらっと笑い、壁のように立つ警備員のご機嫌を伺う。
真宵はうんうん唸りながら、記憶の隅を片っ端から浚うが該当する人物がいない。
ずいぶん馴れ馴れしく話してくるのだから、知り合いかとは思うのだが――。
「俺だよ。
その瞬間、高校生の頃の彼の姿を思い出した。
ギターケースに、丁寧にギターを仕舞っていた、彼の背中。
興味無いから、と言った、あのときの困惑した表情が写真でも見たかのようにくっきりと記憶に蘇る。
面影は、あるようなないような。
「山路くん」
「ちょっと話せない? そこのファミレスでいいからさ」
道の反対側に、有名なチェーン店のファミレスが見える。
警備員のおじさんが真宵を心配そうに窺うので、真宵は笑顔で答えて、武純の後ろに続いてファミレスへ向かう。
武純とは、クラスが違ったのもあって、あの学園祭以来話をしていない。
あれから十年近く経つ。今更、何を話すのだろう。
テーブルに対面に座り、適当にメニューを開く。しかしメニューを見ているのは真宵だけで、武純は真宵から視線を逸らさない。
「あのー」
「なに?」
「……山路くん、なんの用?」
視線が気になって、とてもご飯どころではない。
問いかけると、武純は落ち着かない様子で、後頭部を掻いてみたり、指先を弄ぶ。
「……俺、二年前くらいに村田さんがラジオのDJしてるの知って、ずっと聞いてたんだ。メッセージも読んでもらって」
「え。ゆかこママ?」
「ちげーよ。ピックスター!」
「ああ、先週の。それで?」
「その……覚えてて貰えて、嬉しかったっつーか」
学園祭の話だろうか。まさか本人に掘り返されると思わなくて、胸の奥がチクチク痛む。
「俺さ……俺、村田の言葉、ずっと引っかかってたんだ」
私、なんて言ったっけ。そう聞き返したかったけれど、今は武純の話を静かに聞くことにした。
★ ☆ ★ ☆
山路 武純二十歳は、就職先に悩んでいた。
都会の大学に行くでもなく、県内のスポーツ界ではそこそこ有名な大学に進学したのはいいけれど、何かに打ち込むこともなく遊んでばかりで、OBのツテもなかった。
今、就活の際に言えるような自分のアピールポイントは、新卒ってことくらいしかない。
早く就活を終わらせたい。
気持ちばかりが急いて、何もカタチにならない。
バイトして、試験勉強して、このままではダメだということは十分わかっている。
わかっている、けれど。
スマホを見れば飲みの誘い。
武純は鬱憤を晴らすという名目で、二つ返事をした。
就活を真面目にしていない連中といると、感覚が麻痺して気持ちが楽だった。
二次会のカラオケまで流れて、ふいに誰かが俺が歌っているのを聴いて「上手いな、お前」と賞賛してくれた。
「俺さ、褒められたの、村田に褒められて以来だったんだ」
「私に?」
「あー……お前、忘れてるんだっけ。俺はプロポーズかと思ったよ、あれ」
――私、あなたの声が好き! もっと、もっと歌ってほしい!
まだ梅雨の気配が残るジメっとした体育館。カメムシでも見つけたかのような観客の視線。
そんななかで、真宵だけが武純をまっすぐに見ていた。
あのときは、二度と人前で歌うかと頑なになっていたから、真宵の言葉は傷口に塩のようだった。
けれど、時が経って、こうして他の人に褒められてから、歌ってほしいと言っていたことが彼女の真意なんだと気付いた。
人からしたら、逃げ道かもしれないけれど、武純は就活をすっぱり辞めた。
卒業するとともに、決して安くない片道切符を買って、東京に転がり込んだ。
安いボロアパート。風呂無し、共同トイレ。台風が来れば雨漏りするし、備え付けのエアコンも古くて全然涼しくない。
それでもカツカツで、ひたすら毎日バイト漬け。
「最初はさ、目新しい歌詞とかで注目されてたんだ。新人シンガーソングライターって枠で、音楽誌のめっちゃ小さいコマに載せてもらった。それから先輩に誘って貰って、何曲か引っ提げて
でも、売れたって感覚はない。ひたすらバイトして、たまに箱で歌わせてもらって。そんなんがずっと続いて……気付いたらもう三年経っててさ。
もう、俺に歌ってほしいのお前だけだったんじゃないかって思って、心がポキって折れた」
そこで、バイトを上がってすぐ、レンタカー借りて地元に帰ろうと思った。オフシーズンだから高速は空いていて、行きはとても楽だった。
なっがいトンネルを抜けて県境に来たとき、すでに深夜を回っていて、付けっぱなしだったラジオからまどろみさんのミッドナイトラジオが聞こえてきた。
一瞬でわかった。あれ、これ村田の声じゃねって。
「高速下りて、近くのコンビニでコーヒー買って、車の中でお前のラジオ聞いてたらなんか涙が止まらなくなってさ。
なんてことない、日常のあーだこーだを話してるだけなのに、堪らなく沁みたんだ。それで、俺、自分のことダサくなって、挫けてる場合じゃねーなって引き返したんだ」
東京戻ってすぐにバイトを辞めた。
とりあえず、ツテを辿ってなんとか就職して、慣れない営業で毎日駆けずり回りながら、たまに小さな箱で合同でライブをする。
バイトの頃より多少余裕は出来たけど、相変わらずズタボロの毎日。
でも、生活にひとつだけ潤いが出来た。
深夜、ラジオアプリを開いて、イヤホン越しに村田の声を聞く。
――私、あなたの声が好き! もっと、もっと歌ってほしい!
あの時の村田の『声が好き』って意味が、やっとわかった気がした。
☆ ★ ☆ ★
「やっと貯金が目標金額に達して、自分でミニアルバム作ることにしたんだ。
それも先週の話だ。
レコーディングが一通り終わって、やっと決心がついて、番組宛にメッセージ送った。
まさか採用されるなんて思ってなかったから、今日なんとか休みもらってきたんだ」
武純はばしっと両膝に両手を叩き付けて、テーブルにぶつけそうな勢いで頭を下げた。
「昔、あんな態度で村田の告白を蹴って……本当にすみませんでした」
「いやもう、昔の話だし頭上げて」
「昔の話にして欲しくないんだよ」
真宵の言葉を遮って、武純はまだ頭を下げたまま続ける。
「俺、お前の声が好きだ。ずっと、ずっと心の支えにしてきた。暫くは遠恋になるかもしれねーけど、俺と付き合って欲しい」
言ってしまいたかった。私はあなたのせいで、あの思い出に傷付いてきたんですけどね、と厭味ったらしく。
けれど、あの告白が、彼の心を支えてきたと言うのなら、私が勇気を出したことは決して間違っていなかったと思える。
この心のわだかまりは、いつか笑って許せるようになることだろう。
真宵は身を乗り出して、ファミレスの大きなテーブル越しに彼のつむじにキスをした。
「みなさんこんばんは。今夜も始まりましました、まどろみさんのミッドナイトラジオの時間です。パーソナリティはわたくし、真宵がお届け致します。
いつも、ご拝聴ありがとうございます。私事ではありますが、この春、なんと結婚することとなりましたので、ご報告申し上げます。
リクエスト曲の前に、私の思い出の曲をお届けさせていただきたいと思います。
Kenoさん、『おはよう。』」
カリオペイラの魔法。 美澄 そら @sora_msm
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