第五話

 盛大にこぼしたスープはちゃんと掃除をした。

 木椀と木べらを返しに行ったらおかわりはどう?と言われたけれど、さすがにあのキノコ(?)の姿を見たあとでは食べる気にならない。私もキコと同じようにパンとチーズをもさもさかじり、麦酒エールをちびりちびり飲んでお昼ご飯にした。

 今は三人並んで欄干らんかんもたれて濁った川面を眺めている。

 視線の先では堀川ほりかわが市壁の隙間を通って市の東側へ抜けていく様子が見える。その先はヴァークシュ川との合流点だけれど、今は水門が閉じられている。

 市壁の手前の階段では半裸の男たちがえっさほいさと川底の堆積物を右から左へ受け渡して、泥まみれになりながら働いていた。

「ねぇねぇ、ニンカ」

「んー?」

「ああいうゴミとかってさ、魔術でざばーっと持ち上げたりってできないの?」

 キコの指さす先では、今まさに一抱えもありそうな丸太を二人がかりで水底から持ち上げているところだった。

「んー……。私は火以外だとへっぽこだからなぁ……。魔力を純粋に押し引きの力として使うのが得意な人だったら、あれくらいの丸太は多分大丈夫。一度触って魔力を通せば、だけど」

「あ、触んないとダメなんだ。この橋の上からってのは難しいのね」

「ここからだとキツイねぇ……。触れてないものに魔力を作用させるのってめっちゃ難しいんだよぉ? 私だって手元で作った火花を飛ばしてるじゃん?」

「ん、確かに」

「そういえばそうだねー」

 プラタは頷きながら、手元でかちかちと火打石を合わせるような仕草をしている。

「手元で作った火を飛ばすのは、溶けてるチーズを地面に着かないように頑張って伸ばす感じなんだけど、そもそも遠くに火を作ろうとすると……なんだろう、こう、遠くの地面に刺してある針めがけてチーズを飛ばして、その針穴を通す感じ?」

「それ、チーズの大きさおかしくない? 通ったらびっくりするんだけど?」

「あっ、わかった。すごい速さで投げればいいんだよー。ほら、めり込めば針穴はチーズまみれでしょ?」

 プラタの解決策が力技すぎて若干ひるむ。

「……めり込ませるのはダメね。全力で飛ばしても魔力がどっか行っちゃうだけだから。……うん、というかチーズが余計だったよね。単純に遠くにある針穴目掛けてぷらぷらしなる細い棒を通すような感覚って言えばよかったよね」

「あー、それならなんとか……いや、距離によるかな」

「んー、慣れればできそう……かなー?」

 キコもプラタも自信なさそうに言うけれど、そのあたりの才能は私よりもよっぽどある気がする。

「二人ともそういうのは得意そう。出来る人は出来るんだよねぇ、これ。私は無理。チーズを伸ばす方のはかなり上手いんだけどなぁ」

「遠くから針に糸通せたって、そもそも魔力が使えないじゃん」

 言いながらぷくっと膨れるキコ。

「いやいや、何が切っ掛けで出来るようになるかわからないから、常日頃から試しておくといいよぉ? 私の杖とか精霊銀せいれいぎん使ってるから、魔力を通す練習に使う? 二本あるから二人に貸せるよ?」

 魔力は大抵の生き物が持っている。キコもプラタも間違いなく持っているし、プラタあたりは無意識かもしれないけれど、魔力による肉体強化をかなり有効に使っていると思う。

 魔術師かそうじゃないかを分けるのは、自身の魔力を自分の身体の外で行使できるかどうかだ。これはひとえに才能によるところが大きく、出来る人はかなり限られてくる。さらにその魔力での働きかけの力の大小や対象にするものの得意不得意があって、魔術師として生きていけるかどうかが決まる。

 魔力の行使の才の多くは先天的なものだそうで、後から出来るようになったという人は大抵の場合はずっと気づいて無かっただけということらしい。私も恐らく気づいていなかった類の人間なのだろう。ただ、魔力を通しやすい精霊銀などの素材をいじくっているうちに気づいたら出来るようになっていた、なんて話を聞いたりもするので、後天的に出来るようになる可能性もゼロというわけではないようだ。

「私は大丈夫だなー。荷物よく預かるからニンカちゃんの杖も持つ機会多いけど、握ってもただの地味でざらざらした棒だなーとしか感じないからねー。才能は無いみたい」

 地味でざらざらした棒。

「私も同じ。あれ持っても使いづらそうなやすりだなとしか思えなかったし」

 使いづらそうな鑢。

 私の杖、結構な言われようなのでは?

 芯に使ってる高純度の精霊銀は超がつく高級品で、周りを覆った炎生鉱えんしょうこうなんてのもこれまた結構な希少鉱物なんだよ?すごいんだよ?

 まあ、見た目に関して言えばその通りなので何も言い返す言葉が無いのだけど。

「あ、そういえばねー」

 と、プラタ。

 人差し指で頬をぽんぽんと叩きながら、何かを思い出すようにちょっと上を見上げながら、

「ついこの前、ちょっと小耳に挟んだだけなんだけどねー、精霊銀って今は言わないんだって? なんだっけ、マドウコウとかなんとか、新しい名前があるとかなんとか」

「あ、すごいねプラタ。良く知ってるね」

 これはびっくり。

 魔導鉱まどうこうなんて名前をプラタの口から聞くとは思いもよらなかった。

「いろんなお客さんがいるからねー。割と変な話も入ってくるんだよー」

 へへんとちょっと得意げに胸をそらすプラタ。

「……で、何で名前が変わるのー?」

「んー、正しく言うなら名前が変わるわけじゃなくて、呼び名が二つあるって感じかな? まぁ、これには深いわけがあってねぇ……精霊って言葉が一部では非常に嫌われてるんだよねぇ」

「え、なんで? 精霊って、それ、好いたり嫌ったりするようなもん?」

 キコの怪訝そうな声。

 気持ちはわかる。これはあくまでも魔術師の問題なので、この界隈の事情を知らないとさっぱり意味が通らないのだ。

「んーっとねぇ。むかーしむかしの話だけど、精霊というのが居て、それぞれが火、水、土、風とか属性を司っていて、魔術師はその力を借りたり使役しえきしたりして魔力を行使してたってのがわりと信じられてた時代があった、ていうのはわかるよね」

「おとぎ話とかそんなんだよねー。火の精霊はとかげの形をしててーとか」

「そうそう、今はもうおとぎ話の世界なんだけどね。そういう話が生きてた時代に、魔力を良く通す銀に似た金属ってことで精霊銀ってのが名づけられたわけなの」

「ふむー」

「で、今現在、魔力の源というのは諸説あって定まってないんだけど、『精霊起源説』っていうのはもうまともに検討されてないのね。ま、そりゃそうだよねぇ。魔術は属性とかで括れるもんでもないし」

「あー、なるほど。精霊なんていないんだから名前も変えるべきだってことー?」

「それだけじゃないんだよぉ。居ないだけだったら別に忌避きひされたりはしないじゃん? そうじゃなくてねぇ……。さすがに私の行ってた士官学校には無かったんだけどさ、各地の魔術系の訓練学校には大抵精霊魔術研究会って集まりがあるらしいの」

 精霊魔術研究会。

 ゆるーい学校の学報とかでやってる『現役魔術師100人に聞きました、関わっちゃいけない魔術師の特徴100』とかの企画で真っ先に出てくるのがこれ。精霊魔術研究会出身者。

「それ何の研究をする会なのー?」

「だから、精霊魔術を研究するんだよ。……私も噂でしか知らないけど、『精霊は居まぁす! 私の炎は私の中の火精霊が形を持って降りてきた結果でありまぁす!』みたいなことを血走った目で叫んでるような人の集まりなんだってさ」

「やべーヤツじゃん」

「そうだよ。やべーヤツらだよ。恐ろしいことにそういう集まりが一つじゃなくて色んな学校にあって、一定の勢力を持ってるんだよぉ」

 こういう会は世間的に黙殺されてるせいか横のつながりが妙に強いところがあって、むしろ世の中に様々ある研究会の中ではかなり活動が活発な部類に入ってしまう。

 一度、そういう会の論文集のようなものを怖い物見たさで目を通したことがあるけれど、どれもなかなかの切れ味で私のような素人がついていける内容ではなかった。

 一番まともだったのが『火山性火蜥蜴ひとかげの進化の可能性としての火精霊論』みたいな題の論文で、溶岩トカゲといういかにも熱に強そうなトカゲを何十匹も燃えたぎるかまどの中に突っ込んで、生き残っているのがいたらそれが火精霊に違いない、という悪魔的な実験を行っていた。結果として大量のトカゲの黒焼きが出来上がったのだけど、著者は今度はこの黒焼きを食べさせて育てた溶岩トカゲこそ火精霊に近づくであろうと言って論文を締めていた。控えめに言って地獄だと思う。

 このトカゲ地獄の論文以外はそもそも『水精霊との一体化を超えて』とか『うちの精霊がこんなに可愛いわけは明瞭至極』とかもはや詩か小説かといった体裁で、こんなものを印刷して配るだけの活動力と財力と精神力に若干の恐怖を覚えたものだ。

「そんなこんなで一部の真面目な人たちは精霊って聞くと『はぁ? 精霊なんてのは頭お花畑の連中がその空っぽなおつむのお花畑で飼ってるだけなんだけど?』って反応になるわけなんだよね」

「うん、まぁ、そうなるだろうね。同じにはされたくないだろうし」

「だよねぇ。で、ずっと慣習的に呼んでた精霊銀って名前も、そもそもこれ精霊でも銀でも無いじゃんって言い出した人が居て、それに賛同する人が居て、じゃあ魔力を通しやすい金属だから魔導鉱でどうか、となったのが……たぶん2、3年前の話だった気がするなぁ」

 うろ覚えだけど、それくらいの時に何かの会報か論文集かで読んだ記憶がある。

「そうなんだー。あれ、でもニンカちゃんは精霊銀って言ってるよね?」

「いやー、魔導鉱って名前もいくつかの頭のお堅い研究会が勝手にこう呼ぶぞって宣言しただけだから世間的には全く通じないのよね。王都の大きい店ならともかく、そういう研究会と取引が無い田舎だと魔導鉱なんて言っても、何言ってんだこいつみたいな目をされるし」

 それに精霊銀の方がかっこいいし。

「だからプラタの口から魔導鉱なんて単語が出てきたからびっくりだよ。魔術師でも他人の研究に興味無い人とかだと知らないからね」

「……というか、プラタのとこのお客さんってほとんど顔見知りじゃないの? そんなこと言いそうな人、ニンカ以外に居たっけ?」

 確かにキコの言う通りで、アクバリクここでそんなことを話題にしそうな人はそうそう思い当たらない。カイラさんなら知ってるだろうけど、カイラさんがプラタの店にお客さんとして行くことはまず無い。

「洗濯じゃないよー。炭を買いに来たお客さんだって。私は帳場にいなかったからどんな人かは見てないんだけどねー。なんでも、その人がすごい仕立ての良い服で、見たことも無いくらいきらきらしてるのを着てたもんだからお母さんが聞いてみたんだって。それ、どんな服なんですかって。そしたら、服の中に例のマドウコウ?精霊銀?を織り込んであるって教えてくれたんだってさー」

 プラタの家は洗濯屋だけじゃなくて炭を売ったり灰を買い取ったりもしている。

 炭なら旅行中の火熾しに使うだろうから一見いちげんさんが買いに来てもおかしくない。

 でも、ちょっと気になる。

「それ結構……というか本気ですごい服だけど、そんなの着てるような人がアクバリクに来てたんだ?」

 精霊銀の純度と量にもによるけれど、服に編み込めるような細さと薄さに加工して居る時点で並みの魔術師が買えるような価格では収まらない。それこそ、カイラさんみたいな高位貴族でないと手が出せない代物しろものだ。

 そしてそんなものを着ているということは、それなり以上に魔術に造詣ぞうけいのある人だろう。少し会ってみたかった気もするし、会わなくてよかったという気もする。

「うん。というか、まだ居るんじゃないかなー。これ、昨日の話だから」

 ――昨日。

 カイラさんに会ったのも昨日だ。

 なんだか不吉な予感がする。そして、こういう予感は得てして当たる。

 橋の欄干に身を凭せたまま考え込んでいるところに、かららんがららんと頭上から賑やかな鐘の音が降りてきた。遅い昼を告げる六番鐘ろくばんがねだ。

「あっ、しまった」

 そして思い出す。リーナさんから六番鐘で保安ギルドに集合という言付けがあったことを。

「そういえば、六番鐘でギルドだったっけ。鳴り終わる前にはつかないけど、そんな遅刻じゃないからいいんじゃない?」

「そうだねー。ちょっと早足くらいで行こうかー」

 昼の鐘は長い。かららんがららんかららららんとまだ鳴り続けている。

 歩き出したキコとプラタに続こうとして、私はちょっと足をもつれさせた。危うく転びそうになってまた欄干に手をついて身体を支える。実を言うとさっきから足が覚束ないのでずっと身を凭れかけて体重を預けてたのだけど、まだ治っていないらしい。

 ――慎重に歩けばなんとかなるかなぁ。これ、見られてないといいけど。

 と思って顔を上げれば、振り向いていたキコとしっかり目があってしまった。

「ニンカ、大丈夫? 足、どうかした……あっ、ひょっとしてさっきの……」

 思い当たってしまったのだろう、キコの顔から表情が消えてすっと血の気が引いていくのがわかった。

 いやいや大丈夫だよぉ、と言う間もなくキコが身体を寄せて、私の脇を持って抱え上げようとする。

「ごめん! ごめんね! 私が変なの持ってきちゃったから……ほんとにごめん……」

 涙目のキコ。その後ろでプラタも不安げに私を見ている。

「わーっ! 待って待って。キコ落ち着いて。大丈夫だから。大丈夫だから!」

 そのままお姫様だっこされそうになるところを必死に両手で押しとどめる。さすがに抱えられてギルドまで行くのはちょっと恥ずかしい。

「大丈夫大丈夫。ちょっとふらっとしただけだよ。歩けるから、ほら。平気平気」

 私に抱き着く格好になっているキコの苔色の髪を撫でながら、その場で軽く足踏みして見せる。

「でも……」

 まだキコの瞳から不安の色が消えない。魔力が、とか、足が、とかごにゃごにゃと呟いている。プラタもじっと私たちの様子を見守っている。

 私のためにそんな顔をしないで欲しい、と思う。私はその方がよっぽど心苦しい。私に関わることで気に病む必要なんて無いのに。むしろ私が謝らないといけないくらいなのに。

 でもそんなことを言えば、二人とももっと悲しそうな顔をするに決まっている。

「そんなに強く魔力を通したわけじゃないから、すぐ治るって」

 右手でキコの頭を撫でながら、左手でぽんぽんと背中を叩く。

「でも、ちょっと早足で歩くのは無理そう。……だからさ」

「……だから?」

 キコと目を合わせて、私はにへっと笑う。

「だから、思いっきり遅刻して、……一緒にリーナさんに怒られてね?」

「……あ、……うん」

 私の言葉に一瞬きょとんとした後に、キコも口元で少し笑った。

「いいよ。……ほら、私、言い訳は得意だから。任せてよ」

 うん、知ってる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔術師ニンカの随想録 筥崎俊朗 @hkzktshr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ