第四話

 透明な食べ物というものは、ある。

 丸葱だって薄く切れば向こう側は透ける。魚の中には骨が見えてるような変なのがいるというのも聞いたことはある。実物を見たことはないし、その魚が食べられるのかどうかもわからないけれど。

 今まで食べたことのあるものの中では、フサスズウリの果肉はかなり透き通っていた。四角く切り出してもこれくらいの透明度はあるかもしれない。でも、あの柔らかい果肉がぐつぐつ煮込まれて形を保つとは思えないし、こんなぷるぷるとした弾力も無い。ひょっとして、さっき底さらいで見かけたあの淀んだ半透明のぶよぶよとか? あれなの?

「ニンカちゃん、……大丈夫? 匂いがダメだったら無理して食べることないからね?」

 透明のぷるぷるを木べらの上に乗っけて硬直している私を見て、プラタが心配そうに声をかけてくれた。

「あ、いやいや、違うの。匂いとかじゃなくて、その、これがわかんなくて。これ、何? この透明のやつ」

 木べらをプラタに向けると、プラタは木べらの上に乗ったぷるぷると私の顔を見比べて、

「あれ、知らない? ミズキノコ。ニンカちゃん食べたこと無かったっけ?」

「ミズキノコ?」

 なにその怪しそうな名前。初耳。

「私、それも苦手。味無いのになんか渋いし」

 顔をしかめて舌を出してるキコ。

「というか、パンとチーズだけだと喉が渇く……飲み物取ってくる」

 そのまま立ち上がって炊き出しをしている空き地の方へ向かっていく。

 私は相変わらずぷるぷるとにらめっこ状態である。

「渋いの……?」

「んー、そんなでもないよー。山菜のあく抜きがちょっと足りなかった、みたいな感じ?」

 それってダメなのでは?感がしなくもない。

 まあでもこのスープは行事の炊き出しなので、多人数が食べることが前提だ。そんな突飛な味のわけがないし、変な具材を使うわけがない。味もまっとうなはず。――いや、既に臭いはかなりアレなんだけど。

 意を決してぷるぷるを口の中に放り込む。

 ひやっとしてぴたっと張り付く感触。冷たいのはまあ、冷めてしまったからだ。

 噛むとぐにっと抵抗感があって、そのぐにっを突き破ると一気にぷるるるっと裂けていく。味はスープの塩味が目立っていて、ぷるぷる自体の味というのはわからない。わからないけれど、飲み込んだあとで舌の付け根に残るような渋みは確かにある。

「んー……。不味くはない……かな? 食感は嫌いじゃない」

「私は食感が好きだなー。味は、ほら、ほとんどスープの味になっちゃうから」

「そういえば、スープ、思ったより味普通だね。匂いはキツイのに」

「気になる人は全然ダメみたいだけどねー。キコみたいに」

 確かにこの匂いは人を選ぶけど、口にしてみるとそこまで気にならなくなる。燻製肉ベーコンの味が強いし、ごろごろ入った野菜の味も出てる。壺煮ポトフと比べるとほのかな苦みと若干のクセを感じるものの、嫌な感じじゃない。むしろ、この苦みと風味には馴染みがあるような気がする。

「うん、うん、このスープ悪くないかも。でも、なんだろこれ。この味というか雰囲気というか。何か覚えがあるような気がするんだよ」

 ほろほろに煮込まれた蕪や丸葱を食べながら首をひねる。

「ふふふー。普段からニンカちゃんもお世話になってるものが入ってるんだよー」

 お世話になってるもの……?

 改めて木椀の中をじっと見つめ、おもむろに木ベラで燻製肉をすくって口に運ぶ。香ばしい燻製肉の後に残るスープの独特な感じ。確かに、どことなく覚えがある味わいなのだけど。

 と、そこに、

「あっ、ニンカ普通に食べてるじゃん」

 頭上からちょっと拗ねたような声。顔を上げると、手にカップを三つ器用に抱えたキコが立っていた。

「うん、意外と食べれた。キコも鼻つまんで食べてみればいいよ」

「無理無理。匂いだけじゃなくて変な薬みたいな後味もダメだから。……っと、はい、飲み物、これニンカとプラタの分。麦酒エールか水しかなかったから二人の分は麦酒にしたけど、いいよね?」

 キコはカップを一つ置いて、それから残った二つを差し出してくれる。

「あ、キコありがとねー」

「さすがキコ、気が利くねぇ」

 カップの中では濁った黄褐色の液体がぷくぷくと泡を浮かべている。最近は葡萄酒が続いていたけど、私は麦酒も全然嫌いじゃない。むしろ諸手を挙げて歓迎する。

 早速口をつけると麦の香りがふっと鼻に通り抜けて、その後を良い意味で青臭い苦みと、軽い炭酸の刺激が追いかけていく。

 うんうん、悪くない悪くない。

 と、そこで不意に気づいた。

「あーっ! わかったわかった! 麦酒だ、これ! 麦酒! 麦酒のおり! そうでしょ?」

「おおおおー! すごーい! あったりー。そう、この焦げ茶の元は麦酒の澱でしたー。すごい、さすがニンカちゃん」

 椀を膝の上に置いてぱちぱちと手を叩くプラタ。

 思わずどやぁっと胸をそらす私。

 千切ったパンを齧りながら、何が楽しいのかという風な視線をよこすキコ。

「よくわかったねー。この味って、麦酒自体の味とはだいぶ離れてると思うんだけど」

「それはねぇ、麦酒は子供の頃から飲んでるからね」

 北国では麦酒は水と同じ扱いで、樽の底に残ったあのどろどろとは古くからの付き合いだ。身体に良いとかなんとかで、混ぜこんだパンやチーズも食べさせられた記憶がおぼろげにある。ひょっとしたらこういうスープも食べたことがあったのかもしれない。

「でも、こんな人を選ぶのを炊き出しにするってどうなのって気はする。栄養があるから?」

「なんかね、身体が温まるとかなんとかで好評らしいよー」

「好評というか、年に一度、働いた後に変なスープが振舞われる日として定着したって感じ」

 苦々しげに言うのはキコ。

「へぇー」

 麦酒を置いて、今度はスープを一口、二口。

 うんうん、まぁ、悪くはない。根菜はしっかり味が沁みてて、このクセもまた一興。私はわりとこのスープを楽しめる方だ。

 でもあまりに透明感のあるミズキノコはまだ慣れる気がしない。

「というか、このミズキノコってなにもの? キノコなんだよね? こんな透け透けなキノコ、王都の市場でも見た記憶ないんだけど」

「キノコだよー。保存がきかないから市場には出回らないんだと思う。スープに入ってるのはそこの堀川ほりかわで取ったのだから新鮮だよ」

 プラタの言葉に思わず口の中のぷるぷるを吹き出しそうになる。

 ――堀川で取れるの?え、そこで取っちゃうの?で、スープにいれちゃうの?

 頭をよぎるのは朝に見た半裸の男性が抱えていた真ん丸のぶよぶよだ。

「ちょっと待って、プラタ。……ひょっとしてミズキノコって真ん丸くて、人が抱えて持つくらいの大きさになったりしない?」

「真ん丸……? 人が抱えて持つ? んー、真ん丸ってことは無いし、そんなに大きくは……。あっ、わかった、ニンカちゃんが言ってるのはウスラヨドマルマリだよ。ちょっと濁った色した丸い玉でしょ?」

「あ、そうそう、ちょっと濁った色した真ん丸のぶよぶよ。ウスラ……、なに? ウスラブヨブヨマリ?」

「ウスラヨドマルマリ。あれは食べられないよー。一度触ったことあるけど、ハレキンさん家から出る洗濯物みたいな臭いがしたよ」

 ……誰?

 とりあえず、あまり好意的な匂いではなさそうなのは伝わってきたけど。

「ミズキノコならその辺にあると思うから持ってこようか?」

 そう言いながらすでに立ち上がっているのがキコだ。すたすたと道を歩いていって見えなくなって、それからすぐに右手に人の腕くらいの大きさの透明なものを持って戻ってきた。

「はい、これ、ミズキノコ」

「……え? 私、これ食べてたの?」

 キコが差し出したのは、透明になった人の腕だ。そうとしか表現できない。

 大きさはちょうど成人男性の腕の肘から先の部分くらい。根元が太くなって、先の方にいくとちょっとすぼまってくるのも同じ。そして先端には広げた手の平のような5本の突起を持った傘がある。人の手と違うのは、5本の突起の全部が同じ長さをしていることと、それらが中心から放射状に均等に配置されていることと、下の石畳がそのまま見えるくらいに透き通っていること。

 まじまじと見ていると透明な傘の中心に赤い瞳のような模様があることに気づいた。そこから赤い細い筋が5本の突起に向かって伸びていて、突起の先端から紐のように細く垂れ下がっている。人で例えると指の先から細い糸がびよっと伸びてるような感じだ。

 何か邪悪なものが産み落としていったものだと言われても納得しそうな禍々しさがある。見た目でいえばウスラなんとかマリマリよりよっぽど食べ物ではない。というかこれキノコなの?本当に?

「私、これ食べてたの……?」

「太い方が根っこ側で、そこそこ深いところの枯れ葉とか枯れ枝に生えてる。春先が一番大きくなって収穫時なんだってさ」

 私の呟きを無視して淡々と説明するキコ。

「この傘に突起があって、人の手みたいなんだけど、その先から細い赤い糸を伸ばして、水中の小さい生き物を捉えてこの傘の真ん中の口で食べるらしいよ」

 ほらー!キノコじゃないじゃん!なんか別の生き物じゃん!

「キコ……。聞いて。キノコは他の小さい生き物を食べない。いい?」

「そんなこと言われてもなぁ、ミズキノコはミズキノコだし……こういうものじゃないの?」

 キコは困ったように眉根を寄せる。

「私たちは慣れちゃってるからねー。ミズキノコって言えばこれって。確かに見慣れないとキノコとは思えないかもねー」

 プラタもちょっと困り顔だ。

 二人の顔を見ていると、なんだか私が間違っている気がしてくる。

 そもそも私はアクバリクの人じゃないし、水の中のキノコ(?)なんて初めて見たし、その衝撃的な見た目に戸惑ってしまっているだけなのかもしれない。

「そうだね……。私こんなキノコ見るの初めてだから、やっぱり慣れなくて……」

 もう一度ミズキノコに目を落とす。キコの手が軸の真ん中を掴んで、両端がぐでっと垂れ下がって、赤い触手(?)が地面に着きそうなほど下に伸びている。

 ふと、その触手の先端が揺れた気がした。

「……ん?」

 目を擦る。それからじっと目を凝らす。よくよく見るとキノコの全体が細かく律動しているような気がする。

「ねぇ、キコ。これ……」

 動いてない?と言いかけたところだった。

 キコの手の中でミズキノコが突然びくんびくんと大きく痙攣けいれんして、その石突いしづき(?)と傘(?)をぶるんぶるんと振り回すように大きく動かし始めた。

 私の顔に冷たい飛沫しぶきが飛んでくる。

「へっ……?」

「うわっ、結構生きがいいなこれ」

 キコがそう言っているのが聞こえるけれど、意味が全く通じてこない。

「ひ……ぴやぁぁぁぁ!! っ……キコっ!? うっ!? うごっ!? これっうごっ!?」

 思わず足に少し魔力を込めて飛び退いて、私の膝から転がった木椀がからんからんと音を立てた。

「無理無理無理無理!! キノコじゃないから!! それはキノコじゃないから!! ぜったいちがうから!!」

 キコの手から、というよりその手の中でびくびくと跳ねている透明な物体から距離をとって、ぺたんとへたり込む。もう足に力が入らない。

 心臓の鼓動はミズキノコ並みにばくばくと痙攣していて、息も絶え絶えだけれど、私は力を振り絞って言った。

「キコ……。聞いて……。キノコは魚みたいに跳ねない。……いい?」

「その、うん……。なんか、ごめんね……」

「いいの……。大丈夫だから。でも、キコ、……一つだけいい?」

「うん……、なに?」

「その手の中のやつ、持ってきたとこに返してきて……」

「あ、はい」

 そういうことになった。

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