覚醒と急転

『聞こえなかったなぁ、もう一度聞かしてくれないかい?』

『……夢の中だろうと、こんな方法でしか憂さ晴らし出来ないお前は情けない奴だなと言ったんだ』


 張り詰めたような空間で、ひたすらに奴の青く冷たい眼を凝視する。それは深淵が広がっているような、死者の眼とも言える濁った闇を持っており、捉えどころの無い黒いモヤが動いているように見えた。


『……そうか。やはり貴様は詰まらないな、小僧』


 抑揚の無い声が響き、周りの光景が目まぐるしく変わっていく。夢の終わりとも言える光景は、目覚めが近いことを悟らせる。


『此処では強がれる、そう思っておこう。だが、エリオストスと共に必ず貴様を殺す。最後まで意識を残したまま、じっくりと切り刻んでやる。貴様の隣に居る大切な小娘も同じように、全てを奪い取ってから貴様を殺そう。ああ、そうしよう』


 少しずつ笑みを浮かべて、最後は白目を剥きながら小さく震えて顔を上げるヴァルハラ。異常なまでの執着、そして憎悪。余程俺を絶望させたくてたまらないらしい。


 だけど──。


『父を殺された時は、今日に至るまでどんなにお前を脳内で切り刻んだか、お前には想像もつかないだろう。だけど、今のお前はただただ哀れな奴にしか見えない。夢の中に現れたという事は、本当は焦っているんだろう? こんな事しなくても、復活したならさっさと来ればいい。それが出来ないお前は、まだ動けないという事だ。そうだろ?』


 こいつは、まだ復活出来ていない。そう確信したのは、分かりやすく煽ってからだった。

 魔族がどんな力を持っているか、俺には分からない事だらけだ。だけど、少なくとも今のこいつは精神攻撃しかしてこない。

 本当に殺せるなら、夢の中でもそうしているはず。


『なにか、勘違いしていないかぁ? 貴様は夢からめればボクを殺せるとか思っているんだろうが……醒まさせないよ』


 人差し指を立てて、横に振るように舌打ちと共に動かす。その顔は勝ち誇ったように歪んだ笑みを浮かべている。


『何も、辛い映像だけで終わらせるつもりはないさ。なあ、永遠に目覚めない小さな勇者クン。せいぜい夢の中で彷徨さまようがいい。お仲間の悲鳴すら聞こえないまま、永遠の夢をむさぼっていろ』


 奴の顔が霞んでいく。辺りは急激に暗くなっていき、日が落ちていくような感覚にとらわれる。

 見上げても星は無く、ただ闇の中で俺は立っていた。平衡感覚が掴めず、思わず尻餅をつく。


 ヴァルハラの姿は無い。夢が終わる気配も、無い。

 そうか、奴は最初からこうするつもりだったのか。永遠に醒めない夢、現実に戻れないまま奴は復活する。


『ヴァルハラ!』


 声がこだまする。闇の中に反響して、そして消えていく。立ち上がろうが歩こうが視界を奪われたかのようにどこまでも闇が続き、自分の身体以外は何も見えない。

 冷たい感覚が襲ってきた。暑さも寒さも感じないはずの夢の中で、凍えるように身体を抱き抱えてうずくまる。


 ふと、腰に目をやるとそこにはクリストがくれたカバンがあった。模造刀は無いのに、何故これが?

 そう思い開けてみると、途端に光が溢れ出す。

 そうだ、カバンの中にはクリストから貰った魔石が入っていたんだった。


 それはこの空間で唯一暖かい光を放つものであり、取り出して握り締めたあと目を閉じた。

 震えが止まっていき、やがて共振するような高周波特有の高い音が抑揚無く鳴り出す。

 手を開くと、魔石はある方向を指すように光が伸びていた。


 立ち上がり、その方向へと歩き出す。確信があるわけでは無かったが、一種の興味と、ただこの光にすがりたかっただけなのかもしれない。

 音すらない闇の中、煌々こうこうと輝く魔石は目的地が近くなっているのか、一段と輝きを増していく。


 顔を上げると、そこにはあるじを待ち侘びていたかのように浮遊する模造刀の姿があった。


『……そうだった、お前、意思が宿ってるんだっけ』


 独り言のつもりで呟くと、呼応するように小さく輝いてくる。

 クリストさんがくれたこの玉と、父さんがのこしてくれた模造刀。そのどちらもが、俺を助けるように動いているのは偶然では無いはず。


 もう一度輝きを帯びた模造刀は、まるで自分を手に取れと言わんばかりにゆらゆらと揺れ出す。

 一歩、また一歩近づいて腕を伸ばす。握り慣れた柄を片手で持ち、さやに入っていた彼を引き抜く。

 

 解き放たれた喜びからか一段と眩さを増した彼は、俺の身体を覆うように光のまといを形成していく。

 望まずに光の力を宿すのは、二回目かもしれない。心地良い温かさと、不安を払拭してくれる安心感が心に宿る。

 鞘を掴んで背中に回し、模造刀の柄を両手で握った。


 そして、誰に言われたわけもなく、おもむろに模造刀を振り上げる。


『そのまま振り下ろすんだ』


 父に教わった剣術、優しい声色が記憶を蘇らせ、声に従って上から振り下ろした。

 黒一色であった空間は模造刀が斬った箇所を中心にヒビが入っていき、それは少しずつ大きく広がっていく。


『ありがとう、父さん』


 光が視界を覆い尽くす瞬間、模造刀が応えるように震えた気がした。


「……オン」


 地中から這い上がってくるような、そんな意識の回復の仕方をした俺は、自らを呼ぶ声に気づく。


「リオン、起きて!」


 目を開くと、ゴカゴと白衣を着た丸メガネの女性が俺を見下ろしていた。

 その様子から、長らく眠っていたんじゃないかと予感するが、覚醒を見届けた丸メガネの女性は小さく胸を撫で下ろすように息を吐き、俯いていた姿勢を戻すと背中を見せて歩き出す。


「リオン、大丈夫? 凄くうなされていたけど」

「……ああ、大丈夫」


 起き上がろうとするとゴカゴに止められそうになるが、構わず上体を起こした。寝る前まで感じていた頭痛や筋肉痛は無く、爽快な気持ちで溢れている。


「俺、どれくらい寝てた?」

「一時間くらいよ、呼吸もせずにね」


 白衣の彼女はこちらを見ずに、にべもなく言い放つ。

 呼吸が止まっていた、という事はやはりヴァルハラの仕業だろうな。

 特に驚きも無い反応が詰まらなかったのか、振り返った彼女は丸メガネを右手で押して口を強く結ぶ。


「その子を抑えるの、大変だったんだから。礼の一つくらい言ったら?」


 そう言われてゴカゴに目をやると、どこか潤んだ上目遣いで睨みつけられた。


「あの、お騒がせしました」

「……なにか、あったの?」


 流石に勘づいているらしく、核心を突くような質問を口にする少女。


「そうそう、あなたの模造刀、光ってしょうがなかったから別室に置いてあるわよ」

「えっ、あっ」


 そう言えば背中になんの手応えも無いと思ったら、取り外されていたのか。


「ありがとうございます」

「(別室で話してね、夢の話)」


 口をへの字にしているゴカゴからの容赦無い通信に、思わず苦笑いを浮かべそうになった。


 ベッドから起き上がり彼女と共に案内された別室には、模造刀以外にもカバンも机の上に置かれていた。

 この部屋は恐らくそういった物置の用途で作られているらしく、簡易ベッドを二つ置いたらいっぱいになるくらいの広さしかない。


「(声に出すのもあれだから、フォーンで話すよ)」


 模造刀を手に取りながら、彼女に夢であった事を伝えていく。

 話している間は特に反応は無く、カバンを装着する頃には全て話し終えてしまった。

 ちらりと少女の顔色を窺うと、切なそうな表情で言葉を探している様子が見える。力になれなかった事を悔やんでいるのか、俺に起きた出来事をうれえているのか。


「(色々、あったんだね)」

「(ああ、もう少しで目覚めないところだったよ)」

「(……ばか)」


 冗談のつもりだったが、かえって逆効果だったみたいで、彼女は少しだけ目をうるませていた。

 乾いた笑いを漏らしながら、後ろ髪を情けなく掻く。こういう時、なんて言えばいいか分からない。


「伝令! 魔物の集団、ロントへ向かった模様!」


 突然、扉越しにこの施設の入口側から轟くような声が聞こえてくる。

 すぐさま顔を引き締めて、同じ表情の彼女と目を合わせたあと別室から飛び出すように外へ出る。


「ロントだって……?」

「馬鹿な、そんな事は今まで一度も」


 意識のある冒険者は口々に狼狽えた台詞を吐き、状況を伝えてくれた冒険者は既に入口から姿を消していた。

 

「リオン、ロントって」

「確か、メオウェルクの北西に位置する街だよ。でも、此処から大きく迂回しないと行けない場所で、わざわざそこに向かうという事は」


 そう、その街を超えるとすぐ王都であるリングリーが見えてくる。ハヴェアゴッドを制圧できないと見ての行動だとしたら、やはり竜人以外の指導者が存在していた事になる。


「王都が危ない」


 だが、今から追いかけようとしても、絶対に追いつけない。それどころか、光の力が使える限度を超えてしまっている。


「皆さん落ち着いて、傷に響くわよ。あなたたちは怪我を治すことだけに集中していればいいの」


 動揺が広がる場内で、丸メガネの女性は通る声で諭していく。

 そしてこちらを見るや否や、つかつかと音を立てて近寄ってきた。


「リオンに、ゴカゴだったわね。あなたたちはもう行くんでしょ? ……これを持っていって」


 既に用意していたのか、持ち手の付いた小さなカバンを手渡される。


「これは……?」

「前線にはあなたたち以外にも負傷者が居るでしょう。この中には回復薬が入ってるわ。気休めでしか無いと思うけど」

「ありがとう、ございます」


 回復薬がどこまで効くかは分からない。ただ、俺もゴカゴも不思議なくらい身体が動くようになっている事から、信頼できる回復力なのではと希望を抱いた。


「あの、お名前は?」

「あら、口説くつもり?」

「ふざけてる場合ですか?」


 食ってかかろうとするゴカゴを制していると、仏頂面を崩さなかった白衣の彼女が微かに笑って少し顎を出すように顔を上げた。


「……メディカよ。聞くからには、覚えておいて」

「はい、メディカさん。ありがとうございました」


 少しだけ不服そうなゴカゴを尻目に、俺は頭を下げて感謝した。そして、顔を上げてすぐに少女と顔を見合わせる。

 言葉を発さずに部屋の出口に向かい、振り返ってもう一度礼をした。


 その時、外の方で大きな音がして、地面が揺れる感触が伝わってきた。

 すぐに警戒して模造刀を手に取って外に躍り出ると、土煙の中から怪訝な顔をしたガルマが現れる。


「リオン、何をしているんじゃ? お主ら、もう身体は大丈夫なのか?」

「……はい! これ、メディカさんから貰ったんですけど、回復薬の詰め合わせです」

「詰め合わせ、とな。ふっ、お見舞いみたいじゃな。それよりも、緊急事態じゃ」

「ロントに魔物が向かった、ですよね?」


 ゴカゴの答えに、無言のまま深く頷く老兵。微かに息が上がっているのを見る限り、彼は確実に疲れを見せていた。


「バルードが呼んでおる。儂は反対したんじゃが、今すぐ来て欲しいとな」

「俺たちは大丈夫です。それよりも、ガルマさん。これを」


 カバンの中から細長い瓶を取り出す。中には透き通った緑色の液体。


「なんじゃ、儂はまだ動けるぞい」

「いや、辛くなってからでは遅いので」

「こんなやり取りすら時間が惜しいんでしょ、早く飲みましょガルマさん」


 かなりツンケンとした態度のゴカゴに肝を冷やしながらも、渋るガルマに回復薬を手渡す。瓶の先には木の幹を加工して作ったコルクのようなものが詰められており、彼はそれをけて豪快に流し込んだ。


「……おお、これはなかなか」


 飲んだ後に自らの両腕を眺めるように顔を動かし、握って開いてを繰り返す。回復薬によって質が違うのだろうか。彼の反応を見て、そんな疑問を抱いた。


「よし、これで回復じゃのう! ほれ、また空の旅をするから掴まれい」

「えっ……」


 そんな予感はしていたが、嬉しそうなガルマは悪戯な顔を浮かべて手をヒラヒラとさせている。


「……はあ、分かったわ」

「なあに、すぐ終わる。しっかり掴まっておれよ」

「ちょっと待って」


 急いで回復薬入りのカバンを収納魔法で仕舞い、深呼吸をして彼の腕の下を潜る。自分の胴体くらいある太い腕は俺の体をがっちり掴み、次の瞬間一気に地面から引き離されるように飛び上がった。


 凄まじい重力を感じながら、歯を食いしばる。この飛行だけは、どうしても慣れない。

 どこか上機嫌なガルマの笑い声を聞きながら揺られること数分、徐々に下降して地面に降り立つとざわめきが耳に入ってくる。


 よろよろと足をつけてからふらついて、膝に手を置いて俯いた。


「おお、リオン! 元気そうで良かった!」


 顔を上げると、嬉しそうな表情でバルードが腕組みをしている。


「それはそうと、ロントの事だが……そちらには既にロディジーが向かっている」

「ロディジーさんが?」


 頷くバルードは続ける。


「ああ、本当は私たちも行く気だったが、どうやらケンジャがロントに滞在しているらしくてな。君が来る直前にロディジーから必要無いと言われてしまったよ」


 懐かしい名前を聞いた気がして、少しの間ほうけてしまっていた。

 同時に、一気に緊張が解けたような気がして、思わず座り込みそうになる。

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英雄譚 リオン編 ドル チイダ @diechild

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