悪夢
「ちょっ」
「なんじゃ、空を飛ぶのがそんなに嫌か? ゴカゴを見てみい、声一つ出しとらんぞ!」
理不尽な一言だったが、苦しそうな表情を浮かべていたゴカゴの表情が和らいだのを見て、ガルマなりに場を和ましたかった意図が汲み取れた。
「……精進します」
「ガハハ! お主も飛べるようになれればいいのう!」
彼のように飛ぼうとするならば、水と雷の魔法を覚えるところからになる。
当然ふたつとも使ったことすらない。水は時間、雷は大切な記憶を代償にする。できれば、記憶は失くしたくない。当然時間も費やしている場合ではない。
到底実現できない事柄だと自嘲していると、急激に全身が痛み出した。どうやら興奮状態で
血の気が引いて視界が狭まる感覚を受けながら、眼下の状況へと視線を移す。
各方面で戦っていた冒険者は次々と魔物を退け、怪我をした者を介抱する者も出てきている。
どうやら戦闘は完全な終結へと動いているらしく、霧の中で金属を叩く音が一定間隔で響き続ける。
「集合と……勝利の合図じゃな。ったく、あやつも気が早いわい」
「……終わったの?」
「そうじゃ、あっという間じゃったがな」
重い口を開いたゴカゴはやっとの思いで言葉を紡ぐ。返事を聞いた彼女の顔は安堵と共に一気に青白くなっていく。
「ゴカゴ!」
「暴れるでない、もう少ししたら降りるから大人しくしておけ」
やはり二回も能力を使ったのは負担が大きかったんだ。
かく言う俺も、先程から吐き気と脱力感がグルグルと身体を巡っている。
「降りるぞい!」
それなりの速度で飛んでいた彼はゆっくりと減速し、地面が徐々に近づいていく。
その着地地点には冒険者が集まっており、傷や返り血を浴びた冒険者たちがこちらを見上げている。
「ガルマ! 無事だったか!」
「おう、この子のお陰で死なずに済んだわい」
バルードからの声掛けに対しておどける老兵は、完全に着地したあとゆっくりと抱えていた腕の力を緩めていく。
先に地面に足を着けた俺はそのままゴカゴの方へと回り込む。
「ゴカゴはどうしたんだ、大丈夫か?」
「力を使い過ぎたみたいです。休ませられる場所、ありますか?」
彼女を支えながらバルードの方を向く。ゆっくりと歩み寄る彼の顔は、依然として厳しい表情を浮かべている。
「うむ、ならば近くにある簡易ベッドがある施設へ向かうといいだろう。だが、奴らは後退したが油断はできない。あの数は統率されていなくても充分脅威的だからな」
額の汗を拭う彼は、奮戦した証拠が鎧に見られた。数多の傷や欠けた金属部。鋭い爪でやられたんだろう。だが、それでいて生身の傷はほとんど無いように見える。
「ありがとうございます」
「案内は彼がしてくれる」
すぐ横で怪我人を抱えていた男はバルードの声に反応し、こちらに軽く会釈をした。
「よろしくお願いします」
「あと、リオンくん」
歩き出そうとした矢先に、バルードから引き止められた。その表情にはどこか穏やかで慈愛溢れる雰囲気が漂っている。
「助かったよ、君が居てくれて」
「えっ……」
正直、驚いた。ハヴェアゴッドのギルドマスターから感謝されるとは思っていなかった。
今回の戦いにおいては、もっと上手くやれていただとか光の力を温存できなかっただとか、思い返せば後悔する場面ばかりだったからだ。
「……引き止めて悪かった。例の施設では、医療班が居るはずだ。彼女たちを頼ってくれ」
「あ、はい! ありがとうございます!」
言い終わった隻眼の戦士は、微笑みを浮かべたあと走り出す。それを眺めていたガルマもまた、何も言わずに飛び立った。彼らに課せられた責任の大きさを思いながらも、待たせてしまった案内人と目を合わせる。
「行こうか」
無言で頷いたあと、重い足取りで彼の後を付いて行く。
歩き始めて数分後、戦闘が始まった頃には無かった屋根付きの小さな建物が霧の中から見えてきた。戦闘中に造られたのだろうか、非常に簡素な造りだったが想像以上に大きなものだった。
「ここだ、中に入れるようになっている」
案内をしてくれた彼はそう補足して、そのまま扉へと手を掛ける。
「ありがとうございます」
「君も相当につらそうだな。一緒に休むといいよ」
そう促されて、もう一度俺は頭を下げた。先に扉をくぐる彼の背中を見送りながら、支えているゴカゴに声を掛ける。
彼女は限界が近いのか、
丸い鋼材を重ねたような壁と、植物の皮を伸ばしたような茶黒い屋根が返しのように飛び出した建物。簡易的とはいえ、一人や二人では到底造れそうにない重量感だ。
建築が得意な部隊が後続に控えていたんだろう。そう予想しながら扉を開くと、左右に五台ずつある簡易ベッドとそのいくつかに寝ている傷病人の姿が目に入り、それを看病している白衣を纏った人が数人居ることが窺えた。
「あの……」
「なにしてるの、早く運んでちょうだい」
奥からつかつかと歩いてくる分厚い丸メガネを掛けた女性が、きつい口調で言葉を投げ掛ける。彼女だけは扉を開けた時にこちらに視線を向けていた。リーダー的な立場なんだろうか。
黒い髪は後ろで一本に結っており、歩く度に背中から長い毛先が見え隠れする。生え際まで綺麗に後ろへと引き伸ばされているところから、神経質そうな印象を抱いた。
掛けている丸メガネは、くすんでいるためか目元がよく見えない。鼻や口は小さい方で、薄い唇をへの字に歪ませている。さらに眉間には決して浅くない皺が刻まれており、多忙さから来る疲労を表していた。
「ほら、ここ空いているから」
「あ、はい」
自分は子供だから優しくして欲しい、とは全く思わない。けど、やけに容赦がないなと不服さを感じてしまった。
そんな心情が透けていたのか、女性は既に背中を向けていたにも拘わらず小さなため息をつく。
同じく看病をしている周りの人は、少し苦笑いを見せている。どうやら彼女のこの態度は、分け隔てなく全員に対して向けられているみたいだ。
「名前は?」
振り返った彼女は置いてあった板のようなものを手に取り、右手に筆記用具を手にしてなにかの記録をする素振りを見せる。
ゴカゴを横に寝かせた俺は、戸惑いながらも答えた。
「リオンです、彼女はゴカゴ」
「リオンに、ゴカゴ……リオン?」
眉毛がぴくりと動いた彼女は、俺の名前を復唱する。
「あ、はい。どうしました?」
「貴方、もしかして光の壁を作ったあのリオン?」
「はい、そうですけど……」
返答に対して反応を示したのは彼女だけではなく、他の白衣を着た方々もまた
「あの赤髪……確かにそうだ」
「生き残ったんだな」
小声で聞こえるやり取り。そしてそれを遮るように頭痛と全身の筋肉痛が巻き起こる。
どんどん酷くなる一方だ。想像以上に自らの肉体を酷使してしまってたんだろう。
痛みに顔を歪ませていると、彼女は不意に俺の手を取る。一瞬どきりと胸が跳ねるが、手首に添えられた手は何かを測っているようだった。
「特に異常は無さそうね。ほら、寝るならこっちで寝なさい」
命に別状は無い、という意味なんだろう。割れるような頭痛くらいなら問題無いと言ったところか。
彼女の言葉に甘えるように、ゴカゴの隣に空いていたベッドへ視線を向ける。
「ありがとう、ございます」
かろうじて自分の足で立ち、白いベッドに倒れ込む。周りから聞こえる痛みを訴えるような
『リオン』
また、父さんの声だ。
『リオン』
あれ、この声は。もしかしてミレイか?
『助けて、リオン』
目を開けると、周りが炎に囲まれており、その真ん中で一人の少女が
『ミレイ!』
『リオン!』
こちらに向いたその顔は間違いなくミレイで、悲痛な表情を浮かべている。
思わず駆け出そうとするが、下卑た笑い声が上空から響き、足を止めて見上げた。
『リオン、リオンリオンリオンリオンリオン! そうかぁ、君の名前はリオンだったなぁ?』
翼を広げて空中に制止するその姿は、何度脳内で思い浮かべたか。そこには父の
生気の無い白い肌に、ギラついた爬虫類のような眼。竜人すら及ばないほどの凶悪な四白眼が、邪悪にこちらを見下ろす。
『やっと会えましたねぇ、リ、オ、ン』
尖った人差し指をこちらに向け、左手を腰に当てている奴はお尻を突き出すように腰を曲げ、くっくっと笑いながらこちらを見下ろす。
その眼は全く笑っておらず、憎しみの炎を宿らせたように瞳が揺らめいていた。
しかし、その表情、その声を聞いた瞬間、あの日抱いた感情が押し寄せて、それは目の奥で弾けるように広がった。
『ヴァルハラァ!』
少女の
『ああ、リオン。あの時君から受けた傷を思い出すたびに、ボクは、胸がいっぱいになるんだ』
恍惚な表情で胸に両手を当てて、乙女のように首を傾げて歪に笑みを浮かべる
『そう、あの時は無様な姿を見せたよね。ボクとした事が、人間の子供如きに遅れを取っちゃって』
両手の人差し指の先同士をつんつんといじらしく当てがいながら、唇を尖らせる。おぞましい所作を繰り広げる奴の動きに、何故か目が離せない。それは恐怖からか、はたまた警戒からか。本来背中にあるはずの模造刀は無く、
『勇者の子とは言え、親の力ばかり借りる
大袈裟に両手を広げ、悲劇的に叫ぶヴァルハラ。その言葉一つ一つに呪いの
おどけているような口調だが、刺すような殺気と憎悪が肌を撫でてくる。だが、それ以上に溢れる奴への怒りが
『さっきから言わせておけば! 父を奪ったくせに!』
そう叫ぶも、一瞬静止した奴は急に高らかと笑いだし、不快な笑い声が脳内を犯していく。
思わず耳を塞いだが、ピタリと笑うのを止めたヴァルハラは目を見開いてこちらを
『喋るな、貴様が出来ることは速やかに死ぬ事だ。そう、この小娘のようにな』
真下に手のひらを向けた仇は、こちらを向いたまま歯を剥くように笑い掛ける。
『やめろ!』
言い放った時には奴の手から眩い
後ろに勢いよく吹き飛ばされて、受け身も取れずに転がる。痛みも忘れて起き上がると、場面が切り替わってフロン村が映し出されていた。
『いいかい、リオン。此処は夢の中だけど、ボクには君を壊す手段がいくらでもある事、忘れちゃいけないよぉ?』
真上から声がして見上げると、奴の右手には何かが握られていた。
それは、あの時唯一見つかった、ミレイの手だった。
『ヴァルハラァ!』
『今からぁ、これを何度も見せる。お前の父親が死ぬところ、小娘が死ぬところぉ、ぜぇんぶ見せる。何度も何度も何度も何度も』
俺には奴が何を言っているか理解できなかったが、次の瞬間には目の前に父が居た。
『リオン、逃げろ!』
途端に厳しい表情になった父は、言い放つと同時に吐血して、腹から黒い
『リオ、ン……』
悲鳴を出す間も無く、今度はミレイが現れ、同じようにヴァルハラの手にかかる。
二人とも倒れ伏して、動かない。赤い血が地面に吸い込まれて、俺たちの周りから炎が上がる。ヴァルハラの高笑いが聞こえて、また父が現れる。
繰り返し、繰り返し、繰り返すうちに、声にならない悲鳴を上げ続けていた俺はいつの間にか地面に崩れ落ちていた。
『リオン、何を休んでいるんだぁ?』
視界に映るヴァルハラの靴。黒くシンプルな靴に映る光沢さえ、こちらを
そうだ、夢というのは単に現実と掛け離れた空間では無い。
父やクリストがそうしていたように、夢の中というのは干渉する事が可能な空間なんだ。
つまり、これは現実と変わらない。そう認識するところから始めないと、この
ゆっくりと立ち上がり、ふらつきながらヴァルハラを見上げる。近くに立つとこいつはこんなにでかいのか。俺自身が子供とは言え、倍はあろうかという高さ。
『随分と気に入らない顔をするじゃないかぁ』
こちらの心情などお構い無しに、下卑た笑みでこちらを見下ろす。
『……情けない奴』
『……あ?』
笑みが消え、氷のような顔つきに変わる。悪寒が止まらなくなるほど、凄まじく冷たい眼。この眼を直視しては駄目だと本能が訴えかけるが、心に残った自我の炎が反抗するように燃え上がり、奴の瞳を睨み込む。
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