駆込み訴え

太宰治/カクヨム近代文学館

  

 申し上げます。申し上げます。だんさま。あの人は、ひどい。酷い。はい、いやな奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。

 はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中のあだです。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人のどころを知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。あの人は、私の師です。主です。けれども私と同じ年です。三十四であります。私は、あの人よりたったふたつきおそく生まれただけなのです。たいした違いがないはずだ。人と人との間に、そんなにひどい差別はないはずだ。それなのに私はきょうまであの人に、どれほど意地悪くこき使われて来たことか。どんなにちようろうされて来たことか。ああ、もう、いやだ。えられるところまでは、堪えて来たのだ。怒る時に怒らなければ、人間のかいがありません。私は今まであの人を、どんなにこっそりかばってあげたか。誰も、ご存じないのです。あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。いや、あの人は知っているのだ。ちゃんと知っています。知っているからこそ、なおさらあの人は私を意地悪くけいべつするのだ。あの人はごうまんだ。私から大きに世話を受けているので、それがご自身にしいのだ。あの人は、ほうなくらいにうぬれ屋だ。私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどいひけででもあるかのように思い込んでいなさるのです。あの人は、なんでもご自身でできるかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。世の中はそんなものじゃないんだ。この世に暮らして行くからには、どうしてもだれかに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして歩一歩、苦労して人を抑えてゆくよりほかにしようがないのだ。あの人に一体、何ができましょう。なんにもできやしないのです。私から見れば青二才だ。私がもし居らなかったらあの人は、もう、とうの昔、あの無能でとんまの弟子たちと、どこかの野原でのたれじにしていたに違いない。「きつねには穴あり、鳥にはねぐら、されども人の子には枕するところ無し」それ、それ、それだ。ちゃんと白状していやがるのだ。ペテロに何ができますか。ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、トマス、こけの集まり、ぞろぞろあの人について歩いて、背筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞を申し、天国だなんて馬鹿げたことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣、左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿な奴らだ。その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか。私はあの人に説教させ、群集からこっそりさいせんを巻き上げ、また、村の物持ちからもつを取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子の馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変なぜいたくを言い、五つのパンと魚が二つあるきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調ととのえることができるのです。いわば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危い手品の助手を、これまで幾度となく勤めて来たのだ。私はこう見えても、決してりんしよくの男じゃない。それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のようによくがなく、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めたっても、すぐにそれを一りん残さず、むだな事に使わせてしまって、けれども私は、それを恨みに思いません。あの人は美しい人なのだ。私はもともと貧しい商人ではありますが、それでも精神家というものを理解していると思っています。だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つくらいはかけてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも、私に意地悪くしむけるのです。一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつもげんな顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうなおももちをするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかってもらおうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。まことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔をれいに洗い、頭にあぶらを塗り、ほほんでいなさるがよい。わからないかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだってあるのだよ」そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いて、なぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかっていただかなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛しています。ペテロやヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。けれども、私だけは知っています。あなたについて歩いたって、なんの得するところも無いということを知っています。それでいながら、私はあなたから離れることができません。どうしたのでしょう。あなたがこの世にいなくなったら、私もすぐに死にます。生きていることができません。私には、いつでも一人でこっそり考えていることがあるんです。それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもおよしになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を永く暮らして行くことであります。私の村には、まだ私の小さい家が残ってあります。年老いた父も母も居ります。ずいぶん広いももばたけもあります。春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。一生、安楽にお暮らしできます。私がいつでもおそばについて、御奉公申し上げたく思います。よい奥さまをおもらいなさいまし。そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、「ペテロやシモンは漁人すなどりだ。美しい桃の畠も無い。ヤコブもヨハネも赤貧の漁人すなどりだ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮らせるような土地が、どこにも無いのだ」と低く独りごとのようにつぶやいて、また、海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けて下さったことがなかった。私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。父を捨て、母を捨て、生まれた土地を捨てて、私はきょうまで、あの人について歩いて来たのだ。私は天国を信じない。神も信じない。あの人の復活も信じない。なんであの人が、イスラエルの王なものか。馬鹿な弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて、そうして神の国のふくいんとかいうものを、あの人から伝え聞いては、あさましくも、きんじやくやくしている。今にがっかりするのが、私にはわかっています。おのれを高うする者はひくうせられ、おのれをひくうする者は高うせられると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。あの人はうそつきだ。言うこと言うこと、一から十まででたらめだ。私はてんで信じていない。けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。あんな美しい人はこの世にない。私はあの人の美しさを、純粋に愛している。それだけだ。私は、なんの報酬も考えていない。あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱれ右大臣、左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人のそばにいて、あの人の声を聞き、あの人の姿をながめておればそれでよいのだ。そうして、できればあの人に説教などをよしてもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。あああ、そうなったら! 私はどんなに仕合わせだろう。私は今の、この、現世の喜びだけを信じる。次の世の審判など、私は少しも怖れていない。あの人は、私のこの無報酬の、純粋の愛情をどうして受け取って下さらぬのか。ああ、あの人を殺して下さい。だんさま。私はあの人のどころを知っております。御案内申しあげます。あの人は私をいやしめ、憎悪しております。私は、きらわれております。私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日々のかつから救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪くけいべつするのでしょう。お聞き下さい。六日まえのことでした。あの人はべタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタめの妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たしてあるせつこうつぼをかかえてきようえんの室にこっそりはいって来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶとそそいで御足までらしてしまって、それでも、その失礼をびるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいにぬぐってあげて、香油のにおいが室に立ちこもり、まことに異様な風景でありましたので、私は、なんだかしように腹が立って来て、失礼なことをするな! と、その妹娘に怒鳴ってやりました。これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それにこんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ。これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリもうけて、その金をば貧乏人に施してやったら、どんなに貧乏人が喜ぶか知れない。無駄なことをしては困るね、と、私は、さんざしかってやりました。すると、あの人は、私のほうをっと見て、「この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでもできることではないか。私には、もう施しができなくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私のとむらいの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日のしぐさも記念として語り伝えられるであろう」そう言い結んだ時に、あの人の青白いほおは幾分、上気して赤くなっていました。私は、あの人の言葉を信じません。れいによって大げさなお芝居であると思い、平気で聞き流すことができましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人のひとみの色に、いままでかつて無かったほどの異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人のかすかに赤らんだ頰と、うすく涙にうるんでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当たることがありました。ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、ではないが、まさか、そんな事は絶対にないのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか? あの人ともあろうものが、あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それはなんという失態。取りかえしのできぬ大醜聞。私は、ひとのじよくとなるような感情をぎわけるのが、生まれつき巧みな男であります。自分でもそれを下品なきゆうかくだと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまうえいびんの才能を持っております。あの人が、たとえ微弱にでも、あの無学の百姓女に、特別の感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。私の眼には狂いがないはずだ。たしかにそうだ。ああ、我慢ならない。かんにんならない。私は、あの人も、こんなていたらくでは、もはや駄目だと思いました。醜態の極だと思いました。あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことがなかったのだ。ヤキがまわった。だらしがねえ。あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人よりふたつきおそく生まれているのだ。若さに変わりはないはずだ。それでも私はえている。あの人ひとりに心を捧げ、これまでどんな女にも心を動かしたことはないのだ。マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組がんじようで牛のように大きく、気象も荒く、どたばた立ち働くのだけがとりで、なんの見どころもない百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおるほどの青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く澄んだ大きい眼が、いつも夢みるよう、うっとり遠くを眺めていて、あの村では皆、不思議がっているほどの気高い娘でありました。私だって思っていたのだ。町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。ああ、もう、わからなくなりました。私は何を言っているのだ。そうだ、私はしいのです。なんのわけだか、わからない。だん踏むほど無念なのです。あの人が若いなら、私だって若い、私は才能ある、家も畠もあるりっぱな青年です。それでも私は、あの人のために私の特権全部を捨てて来たのです。だまされた。あの人は、噓つきだ。だんさま。あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんなでたらめだ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。ついつい根も葉もないことを申しました。そんなあさはかな事実なぞ、みじんもないのです。醜いことを口走りました。だけれども、私は、口惜しいのです。胸をきむしりたいほど、口惜しかったのです。なんのわけだか、わかりませぬ。ああ、ジェラシーというのは、なんてやりきれない悪徳だ。私がこんなに、命を捨てるほどの思いであの人をしたい、きょうまでつきしたがって来たのに、私には一つの優しい言葉も下さらず、かえってあんないやしい百姓女の身の上を、御頰を染めてまでかばっておやりなさった。ああ、やっぱり、あの人はだらしない。ヤキがまわった。もう、あの人には見込みがない。凡夫だ。ただの人だ。死んだって惜しくはない。そう思ったら私は、ふいと恐ろしいことを考えるようになりました。悪魔にこまれたのかも知れませぬ。そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ。旦那さま、泣いたりしてお恥ずかしゅう思います。はい、もう泣きませぬ。はい、はい。落ちついて申し上げます。そのあくる日、私たちはいよいよあこがれのエルサレムに向かい、出発いたしました。大群集、老いも若きも、あの人のあとにつき従い、やがて、エルサレムの宮が間近になったころ、あの人は、一匹の老いぼれたを道ばたで見つけて、微笑してそれに打ち乗り、これこそは、「シオンの娘よ、おそるな、よ、なんじの王は驢馬の子に乗りて来たり給う」と予言されてある通りの形なのだと、弟子たちに晴れがましい顔をして教えましたが、私ひとりは、なんだか浮かぬ気持でありました。なんという、あわれな姿であったでしょう。待ちに待ったすぎこしの祭、エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子の姿であったのか。あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬にまたがり、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。私には、もはや、れんびん以外のものは感じられなくなりました。実に悲惨な、愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目だ。一日生き延びれば、生き延びただけ、あさはかな醜態をさらすだけだ。花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、らなければならぬ。あの人を、いちばん愛しているのは私だ。どのように人から憎まれてもいい。一日も早くあの人を殺してあげなければならぬと、私は、いよいよ、このつらい決心を固めるだけでありました。群衆は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に赤、青、黄、色とりどりの彼らの着物をほうり投げ、あるいはしゆの枝をって、その行く道に敷きつめてあげて、歓呼にどよめき迎えるのでした。かつ、前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大浪のごとく、とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、むべきかな、主の御名によりて来たる者、いと高き処にて、ホサナ」と熱狂して口々に歌うのでした。ペテロやヨハネやバルトロマイ、そのほか全部の弟子どもは、ばかなやつ、すでに天国を目のまえに見たかのように、まるでがいせんの将軍につき従っているかのように、有頂天の歓喜で互いに抱き合い、涙にれたせつぷんを交わし、一徹者のペテロなど、ヨハネを抱きかかえたまま、わあわあ大声でうれし泣きに泣き崩れていました。その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒にかんなんを冒して布教に歩いて来た、その忍苦こんきゆうの日々を思い出し、不覚にも、目がしらが熱くなって来ました。かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾いこれを振りまわし、宮の境内の、両替する者の台やら、はと売る者の腰掛けやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄のむちでもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢の商人たちに向かい、「おまえたち、みな出て失せろ、私の父の家を、商いの家にしてはならぬ」とかんだかい声で怒鳴るのでした。あの優しいお方が、こんな酔っぱらいのような、つまらぬ乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思われませんでした。そばの人もみな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人にたずねると、あの人の息せき切って答えるには、「おまえたち、この宮をこわしてしまえ、私は三日の間に、また建て直してあげるから」ということだったので、さすが愚直の弟子たちも、あまりに無鉄砲なその言葉には、信じかねて、ぽかんとしてしまいました。けれども私は知っていました。しよせんはあの人の、幼い強がりにちがいない。あの人の信仰とやらでもって、万事成らざるはなしという気概のほどを、人々に見せたかったのに違いないのです。それにしても、縄の鞭を振りあげて、無力な商人を追い廻したりなんかして、なんてまあ、けちな強がりなんでしょう。あなたにできる精一ぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けをらすだけのことなのですか、と私はびんしようしておたずねしてみたいとさえ思いました。もはやこの人は駄目なのです。破れかぶれなのです。自重自愛を忘れてしまった。自分の力では、この上もう何もできぬということをこの頃そろそろ知り始めた様子ゆえ、あまりボロの出ぬうちに、わざと祭司長に捕えられ、この世からおさらばしたくなって来たのでありましょう。私は、それを思った時、はっきりあの人をあきらめることができました。そうして、あんな気取り屋の坊ちゃんを、これまでいちに愛して来た私自身の愚かさをも、容易に笑うことができました。やがてあの人は宮に集まる大群の民を前にして、これまで述べた言葉のうちで一ばんひどい、無礼ごうまんの暴言を、めちゃくちゃに、わめき散らしてしまったのです。さよう、たしかに、やけくそです。私はその姿を薄汚くさえ思いました。殺されたがって、うずうずしていやがる。「禍害わざわいなるかな、偽善なる学者、パリサイびとよ、なんじらは酒杯さかずきと皿とのそときよくす、然れども内はどんよくほうじゆうとにて満つるなり。禍害わざわいなるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまのけがれとに満つ。かくのごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて満つるなり。蛇よ、まむしすえよ、なんじらいかで、ゲヘナの刑罰を避け得んや。ああエルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、つかわされたる人々を石にて撃つ者よ、めんどりのそのひなを翼の下に集むるごとく、我なんじの子らを集めんとしこと幾度ぞや、れど、汝らは好まざりき」馬鹿なことです。ふんぱんなものだ。口真似するのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。まだそのほかに、きんがあるの、地震が起こるの、星は空よりち、月は光を放たず、地に満つ人のがいのまわりに、それをついばむわしが集まるの、人はそのとき哀哭なげき切歯はがみすることがあろうだの、実に、とんでもない暴言を口から出まかせに言い放ったのです。なんという思慮のないことを、言うのでしょう。思い上がりもはなはだしい。ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架。それにきまった。

 祭司長や民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集まって、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。もし群衆の目前であの人を捕えたならば、あるいは群衆が暴動を起こすかも知れないから、あの人と弟子たちとだけの居るところを見つけて役所に知らせてくれた者には銀三十を与えるということをも、耳にしました。もはやゆうの時ではない。あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、したやくたちに引き渡すよりは、私が、それをなそう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後のあいさつだ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。だれがこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらうための愛ではない。そんなさもしい愛ではないのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛のどんよくのまえには、どんな刑罰も、どんな地獄のごうも問題でない。私は私の生き方を生き抜く。身震いするほどに固く決意しました。私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。いよいよ、お祭りの当日になりました。私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭りの宴会を開くことにいたしました。みんな食卓に着いて、いざお祭りのゆうを始めようとしたとき、あの人は、つと立ち上がり、黙って上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだろうと不審に思って見ているうちに、あの人は卓の上のみずがめを手にとり、その水甕の水を、部屋の隅にあった小さいたらいに注ぎ入れ、それから純白の手巾をご自身の腰にまとい、盥の水で弟子たちの足を順々に洗って下さったのであります。弟子たちには、その理由がわからず、度を失って、うろうろするばかりでありましたけれど、私には何やら、あの人の秘めた思いがわかるような気持でありました。あの人は、寂しいのだ。極度に気が弱って、いまは、無智ながんめいの弟子たちにさえすがりつきたい気持になっているのにちがいない。わいそうに。あの人は自分の逃れ難い運命を知っていたのだ。その有様を見ているうちに、私は、突然、強力な嗚咽おえつのどにつき上げて来るのを覚えた。やにわにあの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。おう可哀そうに、あなたを罪してなるものか。あなたは、いつでも優しかった。あなたは、いつでも正しかった。あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。あなたは、まさしく神の御子だ。私はそれを知っています。おゆるし下さい。私はあなたを売ろうとしてこの二、三日、機会をねらっていたのです。もう今はいやだ。あなたを売るなんて、なんという私は無法なことを考えていたのでしょう。御安心なさいまし。もう今からは、五百の役人、千の兵隊が来たとても、あなたのおからだに指一本ふれさせることはない。あなたは、いま、つけねらわれているのです。危い。いますぐ、ここから逃げましょう。ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。われらの優しい主を護り、一生永く暮らして行こう、と心の底からの愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸にきかえっておりました。きょうまで感じたことのなかった一種すうこうな霊感に打たれ、熱いおびの涙が気持よく頰を伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静かに、ていねいに洗って下され、腰にまとってあった手巾で柔らかくいて、ああ、そのときの感触は。そうだ、私はあのとき、天国を見たのかも知れない。私の次には、ピリポの足を、その次にはアンデレの足を、そうして、次に、ペテロの足を洗って下さる順番になったのですが、ペテロは、あのように愚かな正直者でありますから、不審の気持を隠して置くことができず、主よ、あなたはどうして私の足などお洗いになるのです、と多少不満げに口をとがらして尋ねました。あの人は、「ああ、私のすることは、おまえには、わかるまい。あとで、思い当たることもあるだろう」と穏やかに言いさとし、ペテロの足もとにしゃがんだのだが、ペテロはなおも頑強にそれを拒んで、いいえ、いけません。永遠に私の足などお洗いになってはなりませぬ。もったいない、とその足をひっこめて言い張りました。すると、あの人は少し声を張り上げて、「私がもし、おまえの足を洗わないなら、おまえと私とは、もう何の関係もないことになるのだ」と随分、思い切った強いことを言いましたので、ペテロは大あわてにあわて、ああ、ごめんなさい、それならば、私の足だけでなく、手も頭も思う存分に洗って下さい、と平身低頭して頼みいりましたので、私は思わず噴き出してしまい、ほかの弟子たちも、そっとほほみ、なんだか部屋が明るくなったようでした。あの人も少し笑いながら、「ペテロよ、足だけ洗えば、もうそれで、おまえの全身はきよいのだ。ああ、おまえだけでなく、ヤコブも、ヨハネも、みんな汚れのない、潔いからだになったのだ。けれども」と言いかけてすっと腰を伸ばし、瞬時、苦痛に耐えかねるような、とても悲しい眼つきをなされ、すぐにその眼をぎゅっと固くつぶり、つぶったままで言いました。「みんなが潔ければいいのだが」はッと思った。やられた! 私のことを言っているのだ。私があの人を売ろうとたくらんでいた寸刻以前までの暗い気持を見抜いていたのだ。けれども、その時は、ちがっていたのだ。断然、私は、ちがっていたのだ! 私は潔くなっていたのだ。私の心は変わっていたのだ。ああ、あの人はそれを知らない。それを知らない。ちがう! ちがいます、と喉まで出かかった絶叫を、私の弱いくつな心が、つばみこむように、吞みくだしてしまった。言えない。何も言えない。あの人からそう言われてみれば、私はやはり潔くなっていないのかも知れないと気弱く肯定するひがんだ気持が頭をもたげ、とみるみるそのくつの反省が、醜く、黒くふくれあがり、私のぞうろつけめぐって、逆にむらむらふんの念が炎をあげて噴出したのだ。ええっ、だめだ。私は、だめだ。あの人に心の底から、きらわれている。売ろう。売ろう。あの人を、殺そう。そうして私も共に死ぬのだ、と前からの決意に再び眼覚め、私はいまは完全に、ふくしゆうの鬼になりました。あの人は、私の内心の、ふたたび三たび、どんでん返して変化した大動乱には、お気づきなさることのなかった様子で、やがて上衣をまとい服装を正し、ゆったりと席に坐り、実に蒼ざめた顔をして、「私がおまえたちの足を洗ってやったわけを知っているか。おまえたちは私を主と称え、また師と称えているようだが、それは間違いないことだ。私はおまえたちの主、または師なのに、それでもなお、おまえたちの足を洗ってやったのだから、おまえたちもこれからはお互いに仲好く足を洗い合ってやるように心がけなければなるまい。私は、おまえたちと、いつまでも一緒にいることができないかも知れぬから、いま、この機会に、おまえたちに模範を示してやったのだ。私のやったとおりに、おまえたちも行なうように心がけなければならぬ。師は必ず弟子より優れたものなのだから、よく私の言うことを聞いて忘れぬようになさい」ひどく物憂そうな口調で言って、おとなしく食事を始め、ふっと、「おまえたちのうちの、一人が、私を売る」と顔を伏せ、うめくような、歔欷すすりなきなさるような苦しげの声で言い出したので、弟子たちすべて、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席をって立ち、あの人のまわりに集まっておのおの、主よ、私のことですか、主よ、それは私のことですかと、ののしり騒ぎ、あの人は死ぬる人のようにかすかに首を振り、「私がいま、その人に一つまみのパンを与えます。その人は、ずいぶん不仕合わせな男なのです。ほんとうに、その人は、生まれて来なかったほうが、よかった」と意外にはっきりした語調で言って、一つまみのパンをとり、腕をのばし、あやまたず私の口にひたと押し当てました。私も、もうすでに度胸がついていたのだ。恥じるよりは憎んだ。あの人の今更ながらの意地悪さを憎んだ。このように弟子たち皆の前で公然と私を辱かしめるのが、あの人のこれまでの仕来たりなのだ。火と水と。永遠に解け合う事のない宿命が、私とあいつとの間にあるのだ。犬か猫に与えるように、一つまみのパンくずを私の口に押し入れて、それがあいつのせめてもの腹いせだったのか。ははん。ばかな奴だ。だんさま、あいつは私に、おまえのなすことを速やかになせと言いました。私はすぐに料亭から走り出て、ゆうやみの道をひた走りに走り、ただいまここに参りました。そうして急ぎ、このとおり訴え申し上げました。さあ、あの人を罰して下さい。どうとも勝手に、罰して下さい。捕えて、棒で殴って素裸にして殺すがよい。もう、もう私は我慢ならない。あれは、いやな奴です。ひどい人だ。私を今まで、あんなにいじめた。はははは、ちきしょうめ。あの人はいま、ケデロンの小川の彼方かなた、ゲッセマネの園にいます。もうはや、あの二階座敷のゆうさんもすみ、弟子たちと共にゲッセマネの園に行き、いまごろは、きっと天へお祈りを捧げている時刻です。弟子たちのほかにはだれも居りません。今なら難なくあの人を捕えることができます。ああ、小鳥がいて、うるさい。今夜はどうしてこんなに夜鳥の声が耳につくのでしょう。私がここへ駈け込む途中の森でも、小鳥がピイチクいておりました。夜にさえずる小鳥は、めずらしい。私は子供のような好奇心でもって、その小鳥の正体を一目見たいと思いました。立ちどまって首をかしげ、樹々のこずえをすかして見ました。ああ、私はつまらないことを言っています。ごめん下さい。だんさま、お仕度はできましたか。ああ楽しい。いい気持。今夜は私にとっても最後の夜だ。旦那さま、旦那さま、今夜これから私とあの人とりっぱに肩を接して立ち並ぶ光景を、よく見て置いて下さいまし。私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。あの人を怖れることはないんだ。卑下することはないんだ。私はあの人と同じ年だ。同じ、すぐれた若いものだ。ああ、小鳥の声が、うるさい。耳についてうるさい。どうして、こんなに小鳥が騒ぎまわっているのだろう。ピイチクピイチク、何を騒いでいるのでしょう。おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。なるほど、はははは。いや、お断わり申しましょう。殴られぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。金が欲しくて訴え出たのではないんだ。ひっこめろ! いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。そうだ、私は商人だったのだ。金銭ゆえに、私は優美なあの人から、いつもけいべつされて来たのだっけ。いただきましょう。私はしよせん、商人だ。いやしめられている金銭で、あの人に見事、ふくしゆうしてやるのだ。これが私に、一ばんふさわしい復讐の手段だ。ざまあみろ! 銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。はい、旦那さま。私はうそばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがいない。あの人が、ちっとも私にもうけさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素遠く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんとすばらしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、ありがとう存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

駆込み訴え 太宰治/カクヨム近代文学館 @Kotenbu_official

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ