1-2 セーラ先輩(1)

※色々詳しく書いていますが、要はバレー部の佐伯さん+井田さんVS竹内さん+大森先生の対立が原因でバレー部がギッスギスになって中三のうちの半分がやめちゃった、ということだけ覚えてくださればよいです。


 学校に行きたくない。でも母親に学校に行きたくないと言い出せない。言い出せなくて、本当に行きたくなくて、身体の芯を真っ赤に燃やすような恐れの火を抱きながら、胴を汗で薄く湿らせながら、わざと朝に電車を乗り過ごした。警笛が鳴るのを聞きながら、ドアが閉まるその直前まで逡巡し、震える眼でドアを凝視し続け、やっとドアが閉まると、ああやってしまったと思うのと同時に、やっと閉まったと安心もした。乗り換えの多い大きな駅で客を降ろした電車は空いている。人が少なくなった車内の冷房は恐ろしく冷たく、火照った身体がみるみるうちに冷えていった。景色はどんどん建物がまばらになり田舎じみて行く。このまま隣県の終点を目指してもいいか。冷たくなった汗を、昨日使わなかったから鞄に入れたままのくしゃくしゃのハンカチで拭う。本当は降りなくてはならなかった駅から二つ目の駅で、同じ制服を着た、高校生くらいの女生徒が乗ってきた。

「ちょっと!寝過ごしちゃったの!?」

「え、えっと」

「ほら、降りるよ!」

 肩を叩かれ、外に引っ張り出される。駅は人もまばらだった。女生徒は学校の鞄の他に、白い布袋と、くすんだ水色の布袋を引っ提げているので、荷物がぼこぼこと櫻子にあたった。

「あれ、青沼ちゃん?」

「え、あ、はい」

「よかったー人違いじゃなかった!今三年生だっけ?」

「あ、はい」

「なんか具合悪そうだよ?大丈夫?もしかしてお家帰るところだった?」

「え、いえ」

「やっぱ寝過ごした感じ?先生中学生の遅刻にうるさいよね、一緒にいこっか?」

「あ、あの、先、行ってもらえれば」

「え、先行けって青沼ちゃんやっぱ調子悪いんじゃない?いいからいいから~。あたし、村田先生嫌いだから英語の授業行きたくなかったんだよね。一緒に遅刻しようよ。あ、村田先生知ってる?ゲジゲジ眉毛のちっちゃいおばさん!」

「え、授業受けたことないです」

「そっかー。え?英語ってどの先生の授業受けてる?」

「えっと、徳島先生と、小川先生です」

「えー!徳島先生声めっちゃ眠いよね?先生もみんなに眠い眠い言われるから自分の声録音して聞いたら寝たって言ってたもん」

「そうなんですか」

「そうそう。あ、電車来た。乗りたくないなー。ね、三十分くらいのんびりしてから一緒に行かない?ちょーど一時間目終わるくらいに着くと思うんだよね。ジュース買ってあげるからさー」

「え、あ、ジュース?え、大丈夫です」

「えー、校則違反気にしてるクチ?あー、じゃあなんか調子悪そうだしポカリ買ってあげるね」

「え、あ、ダメですよ!」

「でもなんか青沼ちゃん顔色悪いよ?なんか怒られたらあたしがかばってあげるから付き合ってね」

 横綱が赤子の手をひねるがごとく次々に、女生徒――彼女がホーム上の自販機の方に歩いて行くことでようやく間が出来た時にやっと櫻子は思い出したのだが、高三の聖羅先輩こと高野聖羅は、櫻子の情報量の少ない返答を気にもせずに会話を進めていく。

「はい、ポカリ!飲みな飲みな~。あたしのポカリが飲めないっていうのか~?」

「あ、あの、ほんとに」

「いいからいいから~」

「あ、あ、すみません……」

 聖羅先輩はポカリと言っていたが、実際に手渡されたのは500㎖のアクエリアスだった。別にこんなに要らないんだけどな、と一瞬思いつつも、櫻子はキャップに手をかけるが、開かない。

「あたしコーラ好きなんだよね~。学校の自販機に置いてないじゃん?水・お茶・ポカリしか置いてない!あの自販機、水分補給できればいいでしょって感じだよねー!まあ正しいっちゃ正しいんだけどさ、運動部の子が朝練前に全部買っちゃって全然買えない時あるよねー。あれほんと抜け作だと思うわー」

 聖羅先輩はどっかりとベンチに座り込んでコーラを飲み始める。先生に見つかったら星の間送りの所業ではある。去年、みゃーこが電車の中で携帯電話を使っているのがあの桃原先生に見つかって星の間送りになり、反省文を書き、泣きべそかきながら朝礼後に戻って来たことがある。その時のことを思い出して、櫻子はまた耳の下、後ろのあたりが熱くなってきて落ち着かなかった。アクエリアスが飲みたいという気持ちは強まりだしたが、手が震えてキャップは全く開けられない。ちっとも手に力が入らないのである。

「あれ、蓋開けられない?ちょい貸してみー」

 聖羅先輩は櫻子の手汗でつるつる滑るアクエリアスのキャップに「あれ」という顔を少しばかりしながらも、すぐに、ポピー柄のハンカチを被せながら回し開けてくれた。「すみません」と、ぼそっと櫻子は礼を言ってアクエリアスを飲む。皮膚から体の熱が抜けて行かないような感じでこもり、全身にじわりじわりと汗をかいていたのが少し落ち着くようだった。やっと上手く呼吸ができるような気がした。

「そういや大森先生って元気にしてる?」

「あん……まり、元気じゃないです」

「やっぱそうだよね~。今日四時間目に体育あるんだけどさ、先週先々週だったっけ?具合悪くて早退していないって言って鵜飼先生来たんだよね。あの人説明長すぎて身体冷えるからやなんだよね。ていうか大森先生最近なんかあったの?」

「多分……夏休みに試合のメンバー決めとかで、みんなと揉めたからかなって、思ったりします」

「えー、なんか去年一昨年もそんな感じだったよね?バレー部ちょっと人数多すぎるもんね。でも青沼ちゃんたちってそんな気強い学年だったっけ?」

「んー……気が強って感じでもないとは思いますけど」

「今の高一とかの方が気強いイメージあるわ~。三年前なんか、あの子たち新人類呼ばりされてたし」

「え、そうなんですか?」

「そうだよー。あ、話戻るけど、中三どうしちゃったの?」

「なんか、何人か、ちょっと仲がこじれちゃったりして、そこに……先生が出て来てもっとこじれちゃった、みたいな感じだとは思うんですけど」

「あー、もしかして佐伯ちゃんとか?」

「えっと、メンバー決めで先生と直接揉めたのは佐伯さんなんですけど、井田さんが白石さんと一緒に絶対に出たいとか、言い出して、白石さん、正直あんまりうまくないから中二の上手い子入れてあげたら?みたいな話になって、白石さん自体はそれでいいよって言ってたんですけど、そこで井田さんと……ゆーちゃん……竹内さんが揉め初めて、それで大森先生は竹内さんの意見の方がいいんじゃないの?とか言ったら、今度は佐伯さんが、白石さんは試合出てないから出してあげたら?みたいなこと言い始めて……」

「めっちゃややこしいね」

「え、あ、すみません」

「いや、実態がややこしい以上は仕方ないよ。続けて」

「あ、はい。あの、佐伯さんと井田さんって小学校の時から仲良しで、で、うちの学年でバレーボールうまい三人って言ったら佐伯さん、井田さん、竹内さんなんで、先生は竹内さんの言うことも聞きたい、みたいな感じで。竹内さんは、その、上手いけどちょっと公平性にこだわりすぎるみたいなところあるので、そこで佐伯さんと井田さんとぶつかったのかな、みたいな……。なんか、その、部活会議中に、井田さんが、竹内さんに、この間部活遅れてきたのに『すみません遅れてきました』って言うのと、ギャラリー走るのやってなかったよね?とか、色々言い始めて。なんか、そこで竹内さんが色々……あの時はポールの片づけ優先した方がいいと思ったとか、言って、喧嘩になって、竹内さん泣き出しちゃって、そういうことがあったから大森先生、竹内さんに味方するみたいな感じの態度になって、それで、今度は佐伯さんがそれが気に入らなかったみたいで……」

 櫻子は初めて夏休みのバレー部瓦解事件の話ができる機会というのもあって、多少こんがらがりながらも、ほんの少し弾んだ調子で聖羅先輩に話す。

「じゃあ実質その三人と先生の揉め事じゃない?」

「あ、なんか、そうなんですけど、それで白石さんとか結構気に病んじゃって……。もうやめるって言いだして、ますます井田さんとか怒りはじめちゃったし……。そこから、池田さんとかが、全然試合出してもらえないの嫌だし、朝練もきついしやめようかなとか言って、本当にやめちゃって。えおちゃん……近藤さんとかも他のことしたいって言ってやめちゃって……」

「すっげードミノ倒しじゃん」

「うちの学年、一個上とも一個下とも全然上手く行ってなくて」

「運動部って基本前後の学年と仲悪いもんじゃないの?どうした?」

「高一と中二が結構仲いいっていうか……。しかも、中二って結構うまい子多いし、試合に出たいってタイプの子が多くて、佐伯さんとか井田さんとかは中二のこと押さえつけるタイプなんですけど、竹内さんが、結構……あの、あの人は中二から人望あるので、上手い子は大会出してあげれば?って言うことが多くて、それで、高一の先輩にも、実力主義で決めなよ、みたいなこと言われるんですけど、でも、佐伯さんと井田さんは、去年、高一の先輩がメンバー選出する時、中学最後の思い出だからって言われて、出してもらえなかったのすっごい根に持ってて……」

「あちゃー……」

「……って感じです」

 一通り話し切ると少し胸のつかえがとれるようだった。アクエリアスをぐびぐびと飲む。

「いやー、すごいね。あたしたちの時だって揉めたりとかはあったけど、ここまでややこしくなかったよ。やっぱり人数が多いのがきついのかなー」

「人数は、あの、ちょっと減るっていうか……」

「え、やめちゃう子いるの?」

「あの、春は十一人いたのが、夏休み終わったくらいで、六人になっちゃって」

「あー、ぶっちゃけそのくらいが丁度いい人数ではあるよね。青沼ちゃんはやめてないんだよね?」

「え、あ、はい。一応……」

 本当はやめたかったとも言えず、少し口ごもる。自分に関係のあることを聞かれるとやはり話しにくい、と思ったのだ。

「いやいやいや、大変だったね。そっかー、大森先生も調子悪くなったの、そういうわけなのんだー」

「なんか、そういう感じ、です……」

 聖羅先輩はうーん、と唸る。

「なんだろうな、あたしもう高三で全然部活には関われないんだけどさ、辛いこととかあったら話聞くし、揉めちゃった子たちもさ、意地になっちゃってるとは思うけど、ただ、残ってる子でも全員が全員無傷で済んでるわけでもないと思うからさ、できれば、でいいんだけど、相談とかしてほしいって伝えてくれたら嬉しいな。前部長やってた秋野とかは結構忙しいと思うんだけど、声かけてみたりするからさ。なんていうか、部活、楽しんでほしいんだよね。バレーボールって人間関係キツくなりがちだと思うけどさ、でもボール繋がったらそれだけでまず楽しいじゃん?……やっぱ、大会とか絡むと厳しいのかもしれないけどさー」

 それから、聖羅先輩は立ち上がって、ぐいっとコーラを飲み干した。

「もう二、三分したら電車来るね。なんかちょうどいいし、これ乗ってこっか」

「あ、はい」

 聖羅先輩が空になったペットボトルを自販機の傍のゴミ箱に捨てに行くのを見て、櫻子も急いでアクエリアスを飲み干した。最後の80㎖くらいが何となく過剰な気がしたのだが、ゴミ箱に入れるのに中身があってもいけないと思い、ぐっと飲んだ。ちょうど櫻子がゴミ箱にペットボトルを入れたくらいで、列車到着のアナウンスが聞こえてきた。

「よし、あとは最寄着いてから、ゆっくり学校まで歩いて行って、先生を誤魔化せばちょうど一時間目の終わりくらいになるでしょ!乗ろっか」

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