生家への哀惜

守分結

第1話

 家というものは、とつらつらと思う。

 家というものは確かに無機物だが、そこに人間が住まうことであたかも一つの生命体のようなたたずまいを持つものなのだ。

 私がいま腰を下ろしているこの家は1971年に建てられたものだ。50年以上前のことだ。

 翌年の春に私は就学し、この家から小学校の入学式へと向かった。それから高校を卒業するまでの12年間をこの家で暮らした訳だ。

 その頃は祖父母と両親と兄がいて私たちは6人家族だった。

 それから祖母が亡くなり、兄と私が大学進学で家を出て、祖父が亡くなり、両親の長い二人暮らしを経て3年前からは母が一人でこの家を守った。

 だがその母も昨日家を出て、つまりこの家はついに人が住まう場ではなくなったのだ。

 この50年間、家は幾度か改修をして兄の部屋が付け加えられたり、平屋から二階ができたりもした。常に人が住まう家だった。それが無人になる。しばらく留守になるのではない。たまに立ち寄ることはあっても、もうここを生活の場とする人間はいないのだ。

 母の衰えより、私にとってはそのことのほうが重く、胸の奥がざわめいた。


 50年前、この家が建てられた頃、住宅地として造成されつつあったこの地区には360度見回しても住宅が5、6軒しかなかった。道路は舗装もされておらず梅雨の時期には難儀した。

 台風の日に母と二人で街の中心からタクシーで帰宅した際にはタイヤがはまって残り数十メートルをずぶ濡れになりながら歩いた。引っ越す前は駅に近い城下町の下町の外れに住んでいたので、とんでもないところに来たと思った。

 高台にある家からは遠くに遠州灘の水平線が空と交わるのが見えた。高架を疾走する新幹線もよく見えたし、その近くの東海道線が走る音も潮風に乗ってよく聞こえた。

 今は住宅もマンションも建ち並んで探さなければ見えない。

 それでも空は東京の今の我が家よりも遙かに広い。

 子どもの頃から友達と遊ぶよりも一人で本を読む方が好きだった私は空をよく見上げた。二階が自室となってからは入母屋と切り妻の複合したような屋根に降りて日の出も夕日もながめていた(もちろん見つかったら怒られた)遠州の空っ風に吹き流されていく雲を見上げながら、一日も早くこの家を出たいと切望する子供だった。


 人の気配が消えたきしむ廊下を拭きながら、40年使っている茶碗を洗いながら、記憶を一つ一つ拾い上げる。


 祖父母の部屋にあった練炭火鉢。網を乗せて固くなった大福を焼いてくれた祖母が亡くなったあと、背中を丸めて木魚をやけっぱちのようなリズムで叩きまくった祖父。

 本棚にずらりと並んだ世界文学全集と日本文化大系と百科事典を読み耽った北側の部屋の暗がり。嵐が丘も源氏物語もラファエロも鈴木晴信も一緒くたに読んで眺めた。

 池には錦鯉が泳ぎ、それを狙う野良猫を飼い犬が追い払う。庭に植えられた夾竹桃、梅、白木蓮と紫木蓮、山茶花と門被りの松。日がな一日アリの巣を観察し、オジギソウをつっついた。池の藻のの中に鯉の卵がたくさん産みつけられているのを見つけた。カマキリの泡の卵を部屋に持ち込んで後で大変なことになった。


 息子が生まれてからは年に2回は帰ってきていた。

 お座りができるようになった息子がティッシュボックスからティッシュペーパーを全て引き摺り出して応接間いっぱいに白い花を咲かせたのも、興奮して初めて一瞬立ち上がってまたストンと座ってしまったのも、今この文を書いているこの場所だった。

 鯉に手を伸ばして池に落ちた。帰るたびに鉄道に乗りに行った。姪とお風呂で散々騒いだ。

 息子の記憶の中にもこの家は残っていくだろう。薄れていくにしても。


 祖父母を見送り兄と私が出て、父との長い二人暮らしの末に一人になった母は、小さく軽くなった身体でこの家を維持してきた。寝て起きて食事を摂り排泄をし風呂に入り仏壇に花を飾り線香を焚いてきた。

 一人でできないことが増えるたびにヘルパーさんをはじめとした周囲の人たちに助けられながら、この家の主人を務めてきた。

 家というものが生き物だとしたら母はこの家の心臓だった。どれほど人の手を借りても母がここにいる限り、家は生きていた。染みついた生活の匂いがあった。それが、もうここに戻ることがないだろう母が出て行ってたった一日で、家は生気を失ってただの古い建物となった…気がした。

 記憶は亡霊のようにたちのぼるけど脈打つ現実ではないのだ。もうこれ以上降り積もることはないのだ。血液を巡らせ酸素を運ぶポンプをなくした家は、少しずつ、確実に朽ちていく。

 親が老いていつかこの世から去っていくのは納得していたはずなのに、家もまた死んでいくのだろうという未来を思って今更のように衝撃を受けつつこの文を綴っている。

 私はまだもう少し、年に何度もここを訪れるだろうが、息子はもうこの家に来ることはほとんどなくなるだろう。家の主人がいなかなるからだ。思い出の残滓しか残っていないからだ。

 家というものもいつか死ぬのだ。人がそこにいなくなることで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生家への哀惜 守分結 @mori_yuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る