八尺様のいま
しぎ
八尺様はトロピカル
「ぽっぽ〜☆!」
女子のような、ボーカロイドのような、どこか人間らしくない、でもとても聴き心地の良い声がした。
そして、それと俺は、はっきり目を合わせてしまった。
やばい。見つかった。目をつけられた。信じられない光景だけど、きっと俺は帰らぬ人になる。さよなら、普通の人生。さよなら、PCに眠るえっち画像。こうなるんなら履歴消しときゃ良かったな……
「ぽ! ぽ〜!」
こうして俺は、それの柔らかな身体に顔を埋められ、窒息した。
***
俺――
17ぐらいまでの子供、特に男子が一人で道を歩いていると、身長八尺(=240cm)、白い装束、頭に祭りで使うような笠を被った、とても美人で乳が大きな若い女性が『ぽぽぽ……』と謎の発声をしながら歩いてくることがある。彼女に認識されてしまったが最後、何処かに連れ去られ、その後は傷だらけになって帰ってくれば良い方で、記憶をいじられていたり、最悪殺される可能性もあるという。
対処法はたった一つ。とにかく徹底的にスルーすることだ。目を合わせず、顔を向かず、とにかく見えてない、聞こえてないという仕草をし続けることである。そうすればすれ違って、彼女の認識から逃れ続けることができる。
……そういうのを、俺含めこの島で生まれた子供は小さいときから聞かされてきた。
最初の頃は本気で信じて怖がっていた子もいたが、成長するにつれて皆『そんなのいるわけねーだろ』と思うようになっていた。サンタクロースと同じだ。あまりにも非現実的すぎるし、第一誰も実物を目にしたことがない。
本当に身長240cmの女性がいてたまるか。この観光客も来ない、海しかない少子高齢化が激しい島が大騒ぎになって、都会からマスコミだのなんだのが押し寄せて、あっという間に島は潤うはずだ。そうなってないということは、本当はいないはずなのである。
いつしか俺も、『言い伝え? ああ……』ぐらいにしか考えなくなった。高校生になって(この島に高校なんて立派なものはない)、鹿児島市に出て一人暮らしを始めてからは、なおさら記憶の隅に追いやられたままだった。
だから、高校一年生の夏休みにこうして島に戻ってきて、舗装もされてない家の隙間の細道をぶらぶら歩いてたら、突然『ぽ! ぽ!』という声が聞こえてくるまで、八尺様のことなんて微塵も考えていなかった。
いや、考えてはいたけど、誰かのいたずらだろぐらいにしか考えてなかった。
曲がり角から、それが現れるまでは。
……あれを見て『え!?!?』と叫ばない人間がいたら、本当に感情が無い人間だろう。
言い伝え通りのもの――すなわち、白い装束、頭に笠を被った、身長八尺の特大おっぱいの美人――が出てきたら、俺もギリギリ耐えられてた気がする。
だがあれは無理だ。あまりにも想像の範囲を超えたそれだった。
「え!?!?」
……彼女は、身長は確かに250cmぐらいあって(家の塀よりも上に肩があった)、めちゃくちゃ美人で、俺が今まで見たどんなエロい動画に出てきた女性よりもおっぱいが倍はでかくて、『ぽ! ぽ!』と不思議な声を出しながら現れた。
でも、日焼けしてた。ハワイ帰りの旅行客かってぐらい真っ黒だった。
でも、金髪だった。それも、どっちかというと染めた感じのやつだった。
でも、麦わら帽子だった。ご丁寧に青いリボンまで巻いてあった。
でも、ビーチサンダルだった。歩くたびに、パカパカ音がしてた。
でも、白いビキニだった。かなり大きなサイズっぽいのに、巨大な乳を収めきれずマイクロビキニのようになっていた。
……八尺様は、明らかに浮いていた。
「ぽっぽ〜☆!」
そして、俺は八尺様と目があった。
***
「ぽ! ぽ?」
再び意識が戻ってきたとき、俺は山の中にいた。
視界に映ったのは、木々の茂みの間から入る真夏の厳しい日差しと、端でばるんばるん揺れる黒い肌。
……夢じゃなかったようだ。確かに、夢にしてはあの俺の肩から上をまるごと柔らかく包み込むのに弾力あふれる乳の感触はリアルすぎた。本気で呼吸ができなくなっていた。
土の地面の上にそのまま寝かされた状態から上半身を起こす。左を向くと、八尺様が、さっきと同じ格好で座っていた。森の中なのに、やっぱり白いビキニで、ビーチサンダルだった。
「ぽ? ぽ?」
八尺様は、相変わらずボーカロイドみたいな女声を出しながら、俺のことをマジマジと見つめてくる。きっと俺を品定めでもしているのだろう。気に入られれば、殺されはしないのだろうか? 逆に気に入らなかったら放り出してくれるのだろうか?
どっちにしろ、とっとと逃げるべきだ。そう頭ではわかっているのに、身体の動きがついてかない。足がぴくりとも動かない。
首だけ動かして、辺りを見回す。真後ろの遠くに、木造の古めかしそうな建物。
……きっとこの島の中心部にある
もし神社に人がいれば、大声を出せば気づいてもらえるかもしれない。かなり遠くだが、やってみる価値はある。
「ぽ〜☆!」
その思考は、八尺様に抱きつかれ、空の彼方へ消え去った。
俺の上半身を包み込む羽毛布団のように柔らかく、煮卵のように黒光りした膨らみの感触が、俺の理性を奪う。
頭を覆われていたら、今度こそ窒息死か圧迫死していただろう。
……彼女はいつでも俺を殺せる。その実感が湧き上がってくる。
「ぽっぽ! ぽぽぽ☆! ぽっぽぽ〜ぽ〜☆!」
そして八尺様は俺に抱きついたまま、しきりに俺に向かって話しかけてくる。そのたびに、染まった金髪と、麦わら帽子のつばがわずかに揺れる。
「……何?」
俺はそう答えるのが精一杯だった。答えるという表現が適切かはわからないが。
「ぽ〜ぽ〜☆! ぽぽ!」
……テンションが高いことは、何となくわかった。やはり、俺は気に入られたのだろうか。八尺様に身体をゆすられながら、残ったわずかな理性で考える。
「俺を……どうしたいの?」
「ぽ!」
……あれ、もしかして会話が成立しようとしている?
「『ぽ!』じゃわからないって……」
「ぽ? ぽっぽ〜☆! ぽ!」
八尺様は俺から離した手を上下に動かしながら発声する。……正直なところ、それに合わせて意思があるかのごとく揺れる二つの黒光りバランスボール乳にしか目が行かないが。
「ぽ〜? ……ぽ☆!」
ふと、八尺様は両手を打った。
……そして次の瞬間、何と目の前にメモ帳と毛筆が出現した。
その1ページを開き、毛筆で何やら書き込む八尺様。
『めんごめんご〜! ウチらの声って、一般ピーポーにはうまく聞こえないんだよね〜忘れてたてへっ☆』
……本当に、そう書かれていた。毛筆なのに。めちゃくちゃ達筆なのに。
『あ〜そんなに怖がらなくてもマジ大丈夫だし? ウチ、ちびっこを怪我とかさせないし〜ましてや殺しちゃうなんて、もう信じられなさすぎてマジヤバ! ちょ〜っと頭なでなでしたり、ハグとかしちゃったりはするけど、へ〜きへ〜き! だから一緒にバイブス上げてこ☆!』
……いや本当にこれ夢じゃないよな?
今どきこんなコテコテのギャル、フィクションの世界だぞ。
それとも俺が知らないだけで、東京なんかにはこういう人たちがいっぱいいるのか?
いや仮にいたとしても、なんでそれを、目の前の八尺様――もう彼女が八尺様だということは受け入れるしかなかった――が?
「えっと……本当に殺さない? 怪我させない?」
俺が絞り出した言葉に、八尺様はうんうん頷いて、またメモ帳に達筆の毛筆で書き込んでいく。
『マジ中のマジだよ! そんなことしたらさ、一般ピーポーがガクブルしちゃうじゃん! ウチらはね、一般ピーポーに語り継いでてもらわないとアライブできないんだから、ガクブルしてみんなが離れちゃったらバイブスだだ下がりなんだよ☆!』
「でも、この島の言い伝えじゃずっと……」
『それは事故だよ事故! 確かに昔は一晩中ハグしてたら朝に動かなくなっちゃってたり、ふらりふらりしちゃったちびっこもいたけど、も〜そんなことしない! ちびっこは、ウチが思ってたよりず〜っとか弱いっての、もうわかりみだから☆』
「……昔は?」
『あ〜めんご、一般ピーポーってウチらに比べてすぐ育っちゃうから、時間のセンスノットマッチングなんだよね〜えっと、お天道様が365回回ると1年でしょ? だから、最後にちびっこと遊んだの、200年ぐらい前?』
……おいおい。じゃあ、八尺様の言い伝えってのは因習じゃなくて、事実だったってのか?
『その間大変だったんだよ〜? この島の一般ピーポーがだんだんウチのことあんまし話さなくなったから、ウチもどんどんバイブス下がって消えかけてたんだから☆!』
なんか、八尺様というより、宇宙人の話聞いてるような気がしてきた。
『それでウチ、マブダチに相談したんだ☆ あっ、マブダチはカントー?ってとこに住んでるんだけどね、ウチよりもず〜っとえっちなボディなんだよ! しかもいろんなこと知ってて、マジ天才、世界のお宝って感じ〜⇧』
絵文字で⇧を使う八尺様が、かつていただろうか。ってか今目の前にいる彼女よりえっちな身体というのがこの世に存在するのか。
『それでそのダチから、『だったら今の人たちの姿に近づけてみたら? 格好とか喋り方とか真似してみたら、気分転換にもなるし、気にしてくれる人増えるかもよ?』ってアドバイスもらって、ダチが実際に見たピーポーみたいにイメチェンしてみたんだよね〜☆ トロピカル?ってそのダチは言ってたよ!』
トロピカル……? トロピカルってそういうものなの? そもそもその友達とやらが見た人、いったいいつの時代のどんな人間なの?
『どう? ウチ可愛く見える? ウチら、見た目変えるのはわりとイージーにできるけど、この布だけはなかなかうまくできなくて、昔着てたやつを切り貼りして使ってるんだ〜』
彼女は、ほとんど乳首を隠すだけの存在となっている自分のビキニを軽く触る。際どすぎて、俺の股間が悲鳴を上げそうだ。
「え、ああ……すごいよ。きっと人前に出たら、そこにいる全員に注目される」
正直、理解が追いつかないが、少なくとも目の前の彼女にすぐ俺をどうにかする気は無いらしい。
『マジで!? ウチの可愛さ、みんな気づいちゃうか〜! ひゅ〜ひゅ〜!』
彼女は両手の人差し指を天に向かって突き上げる。こんなにテンションの高い八尺様、あまりにもイメージと違いすぎる。
「……でさ、俺のこと、どうしたいの?」
ようやく本題だ。答えによっては、すぐ逃げなくても良いかな、と一瞬考える。
『そんなの、一緒にパーリータイムしたいからに決まってるっしょ〜! 大丈夫! 傷一つ付けないから、安心安心!』
それだけ書くと、彼女は立ち上がって、その巨大な身体を左右に、リズミカルに揺らし始めた。そのたびに、彼女の黒い肌が陽の光を反射して光沢を帯び、ビーチサンダルはペタペタ音を立て、染めた金髪と麦わら帽子のつばが揺れ、俺が両腕を伸ばしても一つも抱えきれなさそうな大質量の膨らみが二つ暴れまわる。
……ここだけ、山の中では無い気がした。あまりにも非現実な空間。
ただ、不思議と彼女のリズムは心地よかった。自然に俺の身体が左右に揺れる。
「ぽ☆! ぽ☆! ぽ☆!」
気づけば、俺もノリノリになっていた。
彼女の刻むリズムが、島に古くから伝わる伝統民謡のリズムと同じだと気づくのはもっと後である。
「ぽぽぽ!!!」
陽は、いつの間にか傾き始めていた。オレンジの夕日と、彼女の金髪、黒い肌が不思議なコントラストを生む。海辺で撮られたポスター写真のような色彩。
照らされた彼女の顔は、とても楽しそうだった。少なくとも200年以上は生きている存在のはずだが、精神年齢はそこまで高くないように思える。俺とともに動き回り、時折浮かべる笑みは、それこそ俺の想像するギャル……俺と同い年ぐらいの少女のようだった。言い伝えにあるような恐ろしさは皆無だった。
いつしか、彼女を怖がる気持ちは消えていた。
そして、俺は思いついた。彼女の存在は、この島にとってプラスじゃないのか。
「あのさ、俺から提案なんだけど……」
「ぽ?」
「最初、『人間たちにもっと語り継いでほしい』みたいなこと言ってたよな?」
彼女は首を縦に振る。
「そしたら、もっとどんどん人里に降りてきなよ。『昔と違って、人を怪我させたり殺したりしない』ってことは、俺が上手く噂を広めとくからさ」
***
……因土島が、トロピカル八尺様がいるトロピカル因習アイランドとしてネット上で話題になるのは、もう少し先である。
八尺様のいま しぎ @sayoino
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