ここは夢の世界

辻先ヨミ

第1話

 ある友人が、自分たちが今いる世界は夢の世界だと言い始めたことがあった。

「最近ずっとふわふわしてる。意識がはっきりしないんだ」

そんなことを言う。しかしそんなことをいきなり言われても、僕にとってはこの世界こそが現実であるので

「へえ、そうなんだ」

としか言えないのだった。

 この世界が夢であると主張した友人は、学校を休みがちになった。そしてたまに来ては僕に、友人にとっての現実世界の話をした。現実世界の友人は成績優秀で、この世界の本人よりも素の知能が高いのだそうだ。

 僕はその話を黙って聞いていた。この世界こそが現実なんだ、何を言っているんだ、と友人を諭すべきだったのかもしれない。しかし僕には、そうするだけの理由が見当たらなかった。それは、友人を大切に思っていないからではない。僕が気づいていないだけで、本当にここは夢の世界なのかもしれないという思いが、少しはあった。僕も過去の出来事を思い出す時はぼんやりする。皆こんなものなのかと思っていたが、もしかしたらそれは、ここが夢の世界であるからなのかもしれない、と。

 友人はどうやら、僕にだけ現実世界の話を聞かせてくれているようだった。夢の世界であるとは言っても、頭のおかしい奴扱いをされるのが嫌だったのか、それとも夢を見ている間は決まって僕の前にいただけなのか。気になって、話の流れで聞いてみたことがあった。

「そうだね……どうしてなんだろう。君が一番、夢を見てそうな顔でぼんやりしているからかな。同類を探していたのかも」

 中々失礼なことを言われた気がする。しかし今までぼんやりとして生きてきたのは事実なので、特段腹を立てることもなかった。

 友人がしてくれる現実世界の話は、日に日に長くなっていった。本人曰く、

「この夢の世界に来る頻度も減ったからねえ。お土産話が沢山あるのさ」

とのことだった。二日連続で学校に来ているのに話が長い日や、反対に一週間ぶりに学校を訪れたのにほぼ新しい話がない日もあったので、この世界と現実世界は時間の流れが違うのだろう。

 しばらくそんな生活が続いていたが、ある時、友人が二ヶ月ほど学校に来ないことがあった。それがあってから、僕は世界の認識が変わってしまっていることにようやく気がついた。友人の存在が、世界から消えてしまっていたのだ。

 そのことに気づいたのは、友人が登校しているか確かめるために、友人の教室を訪れた時だった。そのクラスでは席替えが行われたばかりだったようで、黒板に座席表が掲示されていた。いつもならドアから教室を見渡して友人がいるかどうかを確かめるのだが、その日はなぜか教室に入ってみる気になった。なんとなく、友人の席がどこにあるのか気になったからなのかもしれない。

 座席表をざっと見てみるが、友人の名前らしきものは見当たらない。見落としているのかもしれないと思って、窓側の席から順番に確かめていき、それが終わった時、ようやく友人の名前がそこにないことを理解した。

 可能性は低いが、不登校気味だから座席表から消えているのかもしれない、と考えた。しかしそのクラスの人に友人について聞けるほど僕は社交的ではなかったので、友人のロッカーが存在するかどうかを確かめてみた。全てのロッカーを確かめてからようやく、友人がこの世界のいるべき場所を失ったと分かった。

 そして二ヶ月後。久しぶりに学校に訪れた友人に、座席やロッカーについての出来事を話した。すると、

「あー、そろそろここにも来なくなるってことかな」

と言うのだ。自分のことであるのにどこか他人事で、僕は違和感を覚えた。

「最近この世界の夢も見れなかったんだよ。それこそ、この世界の私の席はもうないのかもしれない」

不登校だからね、と友人はつけ加えた。間もなく友人と会えなくなるかもしれないと聞いても、あまり感情が動かないことに僕は驚いた。僕は、その気持ちを友人に正直に打ち明けた。

「あはは、そんな感じはするよね。君はぼんやりしているから。案外、私の世界にふらっと来てしまったりして」

友人は心底面白そうに笑っていた。

「夢を見たことがないから無理だと思う」

僕がそう言うと、友人は

「知ってる? 夢って必ず見るんだよ。それを覚えているかどうかが人によって違うだけで。夢を覚えているには、夢に関心を持つこと」

と言った。そしてすぐに立ち上がって、僕に手を振ってこう叫んだ。

「バイバイ! また会える日まで!」

 結局、あれから友人には会っていない。友人は、初めからこの世界にいなかったかのように、完全に消えてしまったのだった。友人が消えてしまった後のことは、よく覚えていない。というのも、あの頃の記憶というのが友人に関するものばかりで、それ以外が抜け落ちているのだ。これも、僕がぼんやりと生きているからなのだろうが、今までに困ったことはないのでこれからも直せないと思う。そんな風にして僕のぼんやりとした性格のことを考える度に、友人の「夢を覚えているには、夢に関心を持つこと」という言葉が脳内を巡るのだった。

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ここは夢の世界 辻先ヨミ @Tsujisaki_Yomi

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