冬の琴音に紡ぐ糸

紀田さき

冬の琴音に紡ぐ糸:00

 ――細く繊細な音だ。

 空気の波に乗ってメロディが流れてくる。

 冬の始まりに似た、冷たくも透き通るような静かな音だ。

「……オルゴール」

 久しく耳にも口にもしていない楽器の名称をぽつりと呟く。

 小学生の頃以来だろうか。

 音の元を辿るように、ぐるりと辺りを見回す。

 長く続く浜辺には、流れ着いた流木や乾き切った海藻のようなものが点在しているだけだ。

 人の姿は見えない。

 波の音が日暮れ前の浜辺に優しく響く。

「――っと、」

 砂を滑るように迫る波から、一歩、二歩と咄嗟に退いて逃げる。

 オルゴールの音が一瞬耳から消え、またすぐに鼓膜をするりと抜けて身体の中へ入ってくる。


 初めて聴くメロディだ。

 漂流したオルゴールが口を開けて歌っているのだろうか。

(……んな映画みたいなことあるわけねぇか)

 もう一度辺りに目をやり、ある一点を通り過ぎた時、巻き戻すようにその“何か”へ再度視線を戻した。

 浜辺に下りるための石階段と鉄の手すり。

 その手すり越しに、人影があった。

 距離が離れていて視認できる姿は小さいが、階段に腰を下ろして真っ直ぐ海を見つめているのがわかる。

 仮に発信源がその人物だとしても、こう離れているとオルゴールの音は届いてこないんじゃないだろうか。

 そう思うが、その人影以外にそれらしい姿はなく、目につく範囲でオルゴールも見当たらない。

「……」

 自然と足が動いていた。

 顔の造形や表情が何となくわかる距離まで近づいても、その人物はこちらに気づかず、心地よさそうに海を眺めている。

 潮のそよ風に溶けていきそうだった音は、はっきりと耳に流れ込んでくる。

 視線の先には、歳の近そうな男が一人。

 癖のない黒髪が日暮れ前の柔らかな空気にそっと揺れる。

 足元で、砂が歪んだ。

 水平線を映していただろう瞳がこちらへ向く。

 ぱっと大きく見開かれた目と小さく落ちた驚きの声。

 いまだ鳴り続けるしんとした静けさを彷彿させる音とは真逆なのに、男の纏う空気と細く美しい奏でが似合う。何故か、そう感じた。

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冬の琴音に紡ぐ糸 紀田さき @masuzaki

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