アザミモドキ

栗尾りお

アザミモドキ

 部屋に戻る。


 少しだけ開いたカーテンの隙間から光が差し込んでいる。今日はいい天気だ。こんな日にお出掛けをしたら、さぞ楽しいんだろう。


 ルーズリーフが散らかった部屋の中央に置かれたテーブル。お菓子も2人分のコップも昨日のままだ。


 ふと近くに落ちていたルーズリーフを拾い上げる。見慣れた文字の羅列。その所々に下手な落書きが描かれている。

 裏を見ると私の知らない内容があった。


 「……そっか」


 飽きて途中からゲームをしていたんだっけ。


 小学生の時に面白いって勧められたゲーム。序盤で諦めたからレベルもまだまだ低い。


 ベッドの上に腰をかけ枕元に置かれているゲームを起動させる。少しだけしかカーテンが開いていないせいだろうか。ゲーム画面が眩しく感じた。


 起動したゲーム画面に丸太で行き止まりになった道とにらめっこする勇者が表示される。


 「……勇者なら丸太ぐらい何とかしてよ」


 そうつぶやいた言葉が虚しかった。


 「……はぁ」


 赤く点滅するゲームを手にしたまま力なく寝転がる。これもお気に入りの服だけど、どうでもよかった。


 もう何もしたくない。このまま体が溶けてなくなればいいのに。


 大きく息を吐く。


 嬉しかったことも、悲しかったことも、全て追い出すように。全部吐き出したまま息を止める。


 しかし限界は近かった。すぐに口を開け荒い呼吸を繰り返す。


 こんなことで死ねるわけがない。こんなことに意味はない。それくらい分かっている。でも、自分でもどうすればいいか分からなかった。


 「……プレゼント」


 脳裏に浮かんだ言葉がするりと口から溢れる。


 ゆっくりと体を起こし、勉強机の上を見る。思った通り可愛いラッピングされた袋が置いてあった。


 「……ほんと、あり得ない」


 呆れたように私は笑った。そしてプレゼント片手に部屋を出た。











 小さい頃から物語が好きだった。シンデレラや白雪姫。親指姫に眠り姫。

 お姫様が運命の王子様と結ばれる、そんな物話が大好きだった。


 特に眠り姫は大好きだった。


 魔女の呪いで100年間の眠りにつくお姫様。そんな一人ぼっちで眠り続けるお姫様の前に王子様が現れる。キスで呪いを解くシーンは暗唱出来るくらい何度も読み返した。


 待っていたら私の前にも素敵な王子様が現れる。お姫様になった私は豪華なお城でキラキラした幸せな日々を過ごす。

 そんな夢物語を本気で信じていた。


 「あーちゃんは僕が幸せにする!」


 絵本の王子様に見惚れる私に、そうやって話しかけてくる男の子がいた。


 彼の名前は姫坂樹ひめさか いつき。私の家の近くに住んでいる子で私と同い年だった。お母さんが同じ職場で仲が良かったせいか、気付けば隣に樹がいた。


 4月生まれで大柄な家系の私に対して、3月生まれで小柄な家系の樹。

 ほとんど1歳差だし、小さくて女の子みたいな顔の樹は私の理想の王子様から程遠かった。


 「幸せにする!」そう真っ直ぐな瞳で連呼する樹をいつも適当にあしらう私。


 あの目を見ていれば、こんな未来にはならなかったかもしれない。











 門を出て右に曲がる。しばらくすると左手に公園があって近くに樹の家がある。


 駅に行くには、この公園を横切るのが早い。


 アスファルトがなくなり、地面を蹴る音が変わる。遊具が減った公園にポツリと残されたベンチがふと目に入った。


 ここに座って持ってきたお菓子を2人で食べたっけ。


 他にもジャングルジムで遊んで落ちかけたり、ブランコでどこまで漕げるか勝負したり。横切るだけの、たった数秒の間に様々な記憶が蘇る。


 速度の落ちた足を無理やり動かして、アスファルトの道に戻った。


 思い出が1番詰まった場所は抜け出した。それなのに苦しいのは止まらない。考えないようにしても、振られた炭酸ジュースみたいにどんどん溢れてくる。


 意味もなく隠れて泣かせてしまった電柱の裏。


 雲を見上げて歩いていたらうっかりはまってしまった道脇の溝。


 どんなバイ菌でも立っているだけで無敵になるマンホールに、そこ以外を踏むと即死の白線。


 目に映る全ての物が樹を思い出させる。何度も通った駅までの道なのに、その道のりが苦しい。


 いつからだろう。私が樹と一緒にいるのを嫌うようになったのは。


 小学生高学年になる頃には完全に樹を避けていた。


 『一緒にいる男女は恋人関係』


 いつの間にかそんな概念が根を張り、私は幼馴染ということすら隠そうとした。元から背が高くて目立っていたというのもあり、これ以上変に目立たないためにも必死だったんだと思う。


 最初はしつこく話しかけてきた樹も、気が付けば諦めて男の子たちだけと遊ぶようになっていた。


 自分から避けたはずなのに少し寂しくなる。思い出に浸りながら樹を目で追って、すぐに逸らす。


 その繰り返しをしているうちに高校生になってしまった。


 高校生になって樹の身長が急に伸びた。少し前まで私より頭一つ小さかったのに、いつの間にか私より高くなっていた。

 声も低くなって、樹なのに樹じゃないみたい。


 幼馴染の男の子から1人の異性に。私の認識が変わるのは充分だった。


 環境が変わっても恋の話は付いてくる。


 特にバレンタインやクリスマスの時期は常にどこかしらで恋話をしている。


 「そういえば、姫坂くんと幼馴染なんでしょ〜?」


 「姫坂? ないない! あいつとは親が仲良いだけだし。小さい頃は本っ当に泣き虫で――」


 幾度となく振られる話題。その度に使った照れ隠し。首を大きく横に振り、少し大袈裟に否定する口調も次第に板についてくる。


 輪からはみ出たくない。最初はそれだけだった。


 初めは感じていた胸の痛みも、いつしか感じなくなっていた。


 言葉は怖い。本心じゃなくても、口にするだけでどんどん現実になっていく。どんどん樹に近づくのが怖くなる。


 いつかまた昔みたいな関係になれる。そう思うだけで何もしない。そんな臆病な私が完成していた。


 「明日、暇?」


 それは突然の出来事だった。


 移動教室で人がまばらになる。荷物を持って教室を出ようとした私に後ろから声をかけられた。


 慣れない声に何気なく振り返る。そこには私より大きくなった樹が立っていた。


 振り返ったとたん外れる目線。恥ずかしそうに頬を掻く手は、あの頃と違ってゴツゴツしていた。

 女の子みたいだった樹がかっこよく見えるのは、学ランのせいだけじゃない気がする。


 緊張を誤魔化すように、ぎゅっと教科書を抱きしめる。


 「何? 友達待たせてるんだけど」


 なかなか話を切り出さない樹に、ぶっきらぼうに言い放つ。


 ――ああ、まただ。


 せっかく樹が話しかけてくれているのに、周りの目を気にしてしまう。


 自分よりも他人を優先する。


 ただ都合のいい方に逃げている事実が、言い方一つでこんなに聞こえが良くなる。


 そうやって自分に言い聞かせて、後で後悔して、それを何度も何度も繰り返して……チャンスが目の前にあるのに何もしない。そんな私が嫌いだ。


 「いや……明日暇だったら買い物付き合ってくんない?」


 「え?」


 「別に無理なら無理って言ってくれればいいから」


 「……大丈夫。行ける」


 「さんきゅ。じゃあ11時に駅で待ち合わせで」


 そう言うと隣りを通り抜け、走り去っていく。足音が遠ざかった後も、しばらくその場から動けなかった。


 少しうつむいて、手ぐしで髪を整える。もう遅いのは分かりきっていた。


 脳内で繰り返し流す今のやり取り。聞き間違いじゃないか、誤解してないか。

 確認のために何度もリピートする。そうして再生数が増えるごとに顔が熱くなっていく。


 いやいや、買い物に付き合うだけだから。私たちは普通の幼馴染だし。期待するようなことなんて、あるわけない。


 勝手に妄想する自分に言い聞かせる。しかし何度言い聞かせても、その日の私は暗示にかからなかった。











 雲の間から太陽がたまに顔を出す。時折吹く風が少し肌寒かった。


 いい天気とは言えないけど、外出には問題ない。むしろ熱くなる顔を冷ましてくれそうで、ちょうど良かった。


 日付が変わるくらいまでかかった服選び。ただ買い物に付き合うだけなのに。可愛いって言ってくれればいいけど。


 待ち合わせ場所に着く。約束の時間ぴったりに着くように家を出たはずなのに、少し早く着いてしまった。

 

 辺りを見渡しながら改札近くを進む。壁や柱にもたれてスマホをいじる人がちらほら見えた。


 あの人たちもデートなのかな。


 ふと、そんなことを思ってしまう。


 当たり前だけど、あの人たちも生きている。それぞれ想いがあって困難があって、いくつもの選択を積み重ねて今があるんだろう。


 普段は何も感じないはずの風景が、今日だけはキラキラして見えた。


 待ち合わせ場所に着いたことを伝え、スマホの画面を暗くする。


 せっかく作った前髪がもう崩れている。どうしよう。トイレに行った方が見やすいけど、樹に着いたって連絡したし。樹のことだから時間前には来るはずだし……


 焦りながらも納得のいく前髪を再び作る。


 「お待たせ」


 暗い画面と睨めっこする私に声がかかった。妥協できる前髪になった私は慌ててカバンを開けた。


 「遅い」


 スマホをカバンに入れながら言葉を返す。自分の悪い態度に気付いたのはカバンを閉めた後だった。


 普通に返事するつもりが棘のある言葉になってしまう。口調も自然とぶっきらぼうになる。


 「っ!」


 慌てて口を抑えるが、もう遅い。


 ここは学校じゃないのに。数年ぶりに2人で遊ぶのに。今日だけは素直になろうと思っていたのに。


 口を抑えたまま、ゆっくり顔を上げる。


 そこには髪の毛をツンツンに尖らした樹がいた。


 「……ぷっ、あはははっ!」


 「え? どうした?」


 「あははっ! セットに本気出し過ぎでしょ!」


 そこだけ重力が逆転したかと思うほどツンツンに立てられた髪の毛。ついアニメのキャラクターを連想してしまう。


 「笑うなって。でも俺ちゃんと動画見てやったけど?」


 「ワックス付け過ぎ。そのくせ後ろはあんまり出来てないし」


 「え?……いや、それはわざと。動画でもそんな感じだったし」


 「はいはい。1人で出来ないなら言ってよ。もしかしてだけど、時間ギリギリなのもこれのせい?」


 「……別に」


 分かりやすく目を逸らす。耳まで真っ赤になった顔は見ていて愛おしく感じた。


 『そんなことしなくてもカッコいいよ』


 そう素直に言えたらどれだけ楽なんだろう。


 込み上げた言葉を吐き出すこともできず、胸に引っかかったままになる。

 この言葉はもう出てこない。だったら別の言葉でいい。きっかけを作れるだけの言葉でいいから。


 「次セットする時は私に言ってよ。私そういうの得意だからさ」


 今度は浮かんだ言葉を吐き出すことが出来た。

 満点から程遠い。それでもいつもの私よりはずっとましだった。


 「ほら、行こう!」


 立てた髪を戻そうとする樹の腕を掴む。そしてそのまま改札へと向かった。












 「あっという間だったねー」


 「そうだな」


 狭い部屋で向き合って座る私たち。まさか、もう1度樹が私の家に来るなんて思いもしなかった。


 友達が来た時とは明らかに違う空気が部屋を満たす。

 沈黙だけは嫌だ。そう思いながら、無理して明るい声で話題を振る。


 いつもは教科書や荷物の置き場となっているテーブル。先客たちは全て押入れに追いやられ、代わりに2つのコップとルーズリーフが置かれている。

 平然と時を刻む時計はもうすぐ3時を差そうとしていた。


 久々の樹との会話は楽しかった。もう何年も話していないのに、気付けばあの頃みたいな関係なっていた。


 部活での面白ハプニングを笑いながら話す樹。

 最近辛いものを食べられるようになったと自慢する樹。

 そのくせ、あまり辛くない坦々麺を涙目で食べる樹。

 「雑貨屋に行く前に甘いもの食べよう」と言っても強がって断る樹。

 目的のレトロ雑貨屋で不思議そうに商品を見つめる樹。


 次から次へと表情がコロコロ変わる。背が大きくなっても、声が低くなっても、そこは変わらなかった。


 樹が考えたデートプランは素直にいいと思った。


 でも私なら、プランなんていらない。樹と一緒なら、それだけで充分だった。


 「坦々麺も美味しかったねー」


 「そうだな」


 「樹、半泣きだったじゃん。辛いの苦手なくせに。何が「そうだな」だよ」


 「……そうだな」


 いくら話しかけても帰ってくる返事は同じ。樹の意識はルーズリーフ上の文字にしかなかった。


 諦めきれない私は立ち上がる。そして勉強机の上に置かれた筆箱からボールペンを取り出した。


 そしてルーズリーフの余白に絵を描き始めた。


 「……ほい、リンゴ。次樹の番だよ。『ゴ』から始まる言葉ね」


 「ゴリラ」


 「絵しりとりだから! 言うんじゃなくて描いてよ!」


 「……」


 テンション高めのツッコミも樹は反応しない。仕方なく逆さ向きのリンゴの隣で絵しりとりを続ける。しかしゴリラを描くことが出来ず、途中で黒く塗りつぶす。そして関係のない動物の落書きを始めた。


 「レトロ雑貨屋って私初めて行ったかも。前から知ってたの?」


 「いや、調べた」


 「雑貨屋さんって見てるだけで楽しくなるよね」


 「ああ」


 「あ、でも全体的に人が多かったよね。坦々麺屋さんなんて列できてたし」


 「確かに」


 「こればかりは運だからね。当日にならないと分からないよね」


 「そうだな」



 「


 

 ボールペンを持つ手が止まる。書きかけの犬が悲しそうに私を見つめた。


 早く気付けばよかった。ううん。本当は気付いていた。


 似合わないヘアセット。好きでもない坦々麺。興味のないレトロ雑貨。


 ヒントは沢山あった。それでも幸せな時間を終わらせたくなくて、気づかないふりをしていた。


 帰り道、ぽつりぽつりと樹が話し始めた。


 同級生に告白されたこと。

 返事しなくてもいいと言われたこと。

 その子の誕生日が近いこと。

 その子と明日遊びに行くこと。


 


 初めに言ってくれていたら、ここまで傷を負わなかったのに。


 雑貨屋で買ったプレゼントだって、念入りに組まれたデートプランだって、エピソードトークの1つですら、その子のためだと分かっていたら。


 「若干違う。明日は飯食った後に映画見る。そこからは今考えてる」


 そう言って樹はルーズリーフにスマホで調べた内容を書き出していく。


 引き止めたら何か変わるかも。そんな淡い期待を夢に樹を部屋に招き入れた。しかし、待っていたのは、変わりようのない現実。


 私はこんな光景を見るために樹を部屋に呼んだのかな。


 そっと手をテーブルから下ろす。そして見えないようにボールペンを強く握りしめた。


 今ここでボールペンが折れたらいいのに。そうしたら新しい話題が出来る。もしかしたら怪我してないから心配してもらえるかもしれない。

 私は何かを犠牲にしないと樹の目に映ることも出来ないんだ。


 親指が赤くなり手が小刻みに震える。筋肉が痛くなるくらい力を加える。そんなことしてもボールペンが折れるはずもなかった。



 「あざみが幼なじみで良かった」



 久しぶりに呼ばれた私の名前。思わず顔を上げる。


 カタリとシャーペンを置いた樹が真っ直ぐ私を見つめていた。その目は少し寂しそうに見えた。


 「何それ? 最後みたいに言わないで。私たちはずっと幼なじみでしょ?」


 「でも付き合ったらもう遊べなくなるじゃん。変な誤解生みたくないしさ」


 「それはっ!……そうだけど」


 「あははっ、そんな顔すんなって。別にお前は平気だろ。前の関係に戻るだけだしさ」


 「……そんな訳ないじゃん」


 「……悪い、今のナシ」


 謝って欲しい訳じゃない。悪いのは全部私なんだから。それは分かっているから。


 樹と一緒にいたい。コロコロ変わる表情を見ていたい。面白い話なんかしなくていい。無理に私の好みに合わさなくていい。完璧なデートプランなんていらない。


 自由気ままに2人で好きなことして、好きな物食べて、たまにぶつかり合って、また仲直りして。


 そんな時間を好きな人と過ごしたい。


 握りしめていたボールペンが静かに床に落ちる。手に集まった血がじんわりと流れていくのを感じた。


 ――そっか。やっと分かった。私の樹が好きなんだ。この見栄っ張りでバカ真面目で優しい樹が好きなんだ。


 でも、この気持ちは心にしまっておくべきなんだろう。


 「……最後に1つだけ聞いていい?」


 「何?」


 「その子のこと、好きなんだよね?」


 答えは何でも良かった。「ああ」でも「そうだな」でも。どんなに雑でも、気持ちがこもってなくても。肯定してくれるだけで良かった。それだけで諦めはついたのだから。


 答えは私の望むどれでもなかった。樹は何も答えず、私の質問に分かりやすく目を逸らす。


 その反応に一瞬だけ目を見開く。しかし、冷静な私が暴走する感情を引き止めた。

 静かにルーズリーフの文字に目を落とす。きっと今私は困ったように笑っているんだろう。


 ……最悪。普通に答えてくれるだけで諦められたのに。何で今日は上手くいかないんだろ。


 けど、まだ可能性はあるんだ。今の告白すればずっと樹の隣にいれるかも知れない。


 駄目なのは分かっていた。それでも静かだった心臓が大きく脈を打つ。降ろした腕をテーブルの上に置き、前のめりになる。乾いた口を潤すように生唾を呑み込んだ。


 「じゃあ――」


 「今は答えられない。でも、俺はその子の気持ちに向き合いたい。だって、告白なんてそう簡単に出来るものじゃないだろ」


 やっぱり樹はバカ真面目だ。でも私が好きになったのはそんな樹だ。


 「……そっか。でも本人に聞かれた時は即答してあげなよ。嘘でも「あなたが好きです」って言わないと! ほら言ってみ?」


 「……あなたが好きです」


 「声が小さい!」


 「あなたが好きです!」


 「……はい。よく出来ました。じゃあ私はゲームするから。途中で寝落ちするかもだから、適当に帰って。あ、起こさなくていいからね」


 徐に立ち上がり勉強机の上のゲーム機を手に取る。そして樹に背中を見せるようにベッドに倒れ込んだ。


 電源をつけ、適当にボタンを連打する。待機画面が次々と切り替わり、クエスト途中の勇者が表示された。


 これ何のクエストだっけ? まあ、いっか。しばらく遊んでたら思い出すだろうし……あれ?


 充電のランプが赤く点灯する。

 おかしいな。充電は昨日の夜に済ませたのに。もう古いゲームだから仕方ないか。


 諦めてゲーム機を置き、テーブルの上のスマホを取ろうとする。

 手を伸ばした先には、真剣にルーズリーフに書き込む樹がいた。集中しているのか、手を伸ばす私に気づく様子は一切ない。


 ……別にいいや。何かしたいわけでもないし。


 そう言い聞かせて伸ばした手を引っ込める。そして枕に強く顔を埋めた。出来るだけ楽しい思い出で頭の中を満たしてて。











 部屋に忘れられていた誕プレを片手に駅にたどり着く。


 時刻は10時45分。今日は、このくらいに来ているだろう。息を整えながら駅の中を進む。


 今日も壁や柱にもたれてスマホをいじる人がちらほら見えた。


 あの人たちもデートなのかな。


 そう思った途端、昨日の出来事が鮮明に蘇る。

 

 何度も頭に浮かぶ樹のいろいろな表情。止めたくても溢れ出す映像に、溜め込んでいた感情が溢れそうになる。


 喉の奥が切ない。鼻にツンとした痛みが走る。寒くもないのに小刻みに震える。止めようと思っても体が言うことを聞かなくなる。


 ……この感じ知ってる。人前でこんなことになるなるのは、いつぶりだろう。


 唇を噛む。全ての感覚を殺すように。全ての感情を殺すように強く。

 乾いた口の中にじんわりと血の味が広がるのを感じた。


 服のシワが目立つ。日焼け止めもすら塗っていないしコンタクトも入れていない。

 このキラキラした空間で1番醜い。そんな自信があった。


 私何やってるんだろ。変な正義感に突き動かされて、勝手に家を飛び出して、自分より他人を優先して苦しくなって。何度同じことを繰り返せば分かるのかな。


 何度も経験したのに一切学んでいない自分に反吐が出る。


 こんな物プレゼントに気づかなければよかった。もういっそ全部なかったことにしようかな。どうせ忘れたって、あの2人は上手くいくのだから。


 手に持ったプレゼントからグシャリと音がした。


 このまま叩きつけて、踏みつけたら楽になれるのかな。

 好きでもない子に良いところを見せるために私を利用したんだ。これくらいの仕返し、許してくれるだろう。


 ううん。許してくれなくてもいい。きっと、もう話すことはない。樹の言った通り『前の関係』に戻るのだから。


 握りしめたプレゼントを振り上げる。


 しかし、それを地面に叩けつけることはできなかった。それどころか胸元で強く抱きしめた。


 私の知らない子へのプレゼント。私への想いは一切含まれていない。

 それでも、これにはデートの思い出が詰まっている。代わりだとしても、醜くても、その事実があったことを証明できる唯一の物だ。


 家に持って帰って、目に入るたびに嫌な気持ちになって、それでも捨てられなくて。机の奥にしまい込んで、忘れた頃に見つけて。何度も思い出して、その度に切ない気持ちになるんだろう。


 そんな未来ですら素敵に思えてしまう馬鹿な私が嫌いだ。


 ふと眠り姫の童話を思い出す。


 100年ものの間、イバラは城を覆った。眠ったお姫様に誰も近付けさせないために。


 もしイバラが恋をしてたなら、そんなことを考えた時があった。


 自分が近づけば姫は傷付く。ただ近くで見ていることしか出来ない。

 それでも姫のことが好きだから。自分のせいで苦しんで欲しくないから、見ているだけいいと諦めた。


 自分しか知らない姫の寝顔。寝言を言っていたかも知れないし、幸せな笑みを浮かべていたのかも知れない。


 誰も知らない君を知ってる。変わらない毎日の中に変わらない君がいる。

 本当に望む未来ではなかったかも知れない。それでもきっと幸せを感じていたに違いない。


 しかし、そんな日々も永遠には続かない。100年経ったある日、イバラは自ら道を開けた。


 王子様のキスで止まった時間が動き出す。眠りから覚めた姫は王子様の手を取り城を出た。そしてイバラの届かない場所で幸せな日々を過ごした。

 

 イバラとお姫様。絵本の中じゃなかったら幸せに暮らせる未来もあったかも知れない。


 あの頃は何でイバラは自分から道を開けたのか分からなかった。好きなら諦めず、ずっと守ってあげたらいいのにと思っていた。


 でも、その気持ちが今なら痛いほど分かる。私も同類だから。


 「晴れてよかったな」


 知っている声が近くを通り過ぎた。


 慌てて顔をあげて辺りを見渡す。すぐに声の主は見つかった。


 落ち着いたヘアセット。清潔感のある大人っぽい服装。

 昨日は無駄にツンツンした髪にラフなパーカーだった。


 本当に昨日は下見だったんだ。


 あからさまに気合いの入り方に笑ってしまいそうになる。


 樹の隣を歩く女の子。こっちは誰か分からなかった。

 華奢な体に細くて白い手足。自分の強みを最大限に活かした女の子らしい可愛い服装。


 後ろ姿だけで勝てないことを悟ってしまった。


 不意に樹の横顔が見えた。


 相手は好きでもない女の子のはず。それなのに微笑む樹の顔は昨日と同じだった。


 これから2人はデートに行く。あの子もコロコロ変わる樹の表情を見るんだろう。いや、今日は映画も見るって言ってたから私以上か。


 私しか知らない樹がどんどん消えていく。私の知らない樹が増えていく。

 私にはもう変わらない樹の姿を頭の中で再生することしか出来ないんだ。


 カシャ


 手に持ったままのプレゼントが音を立てた。



 



 醜い考えが頭をよぎった。


 楽しそうな2人の間に割って入る。ううん。後ろから抱き付いた方が効果的かな? プレゼントを渡すついでに色々話してあげよう。あの子も知らないことを知れるのは嬉しいはずだから。

 昨日私と下見したことを話して、今日のデートは義務感でやっていることを話して、樹が無理して好みを変えてるって話して。

 もういっそ告白もしてしまおう。小さい頃幸せにするって言ってくれたし、OKを貰える可能性はある。だって樹はあの子のことを好きじゃないんだから。


 急に雑音が消えた。人混みも私の目には映らない。映るのは樹の後ろ姿だけだった。

 世界がスローモーションになる。


 これが本当に最後なんだ。


 目の前の光景を痛いほど目に焼き付けた。


 耐えられなくなって瞬きをする。目を開けた時には雑音と人混みが元に戻り、世界がいつも通り動き出していた。


 そこに樹の姿はなかった。


 人にぶつからないように早足でトイレを目指す。1番奥の個室に入り後ろ手で鍵を掛ける。ガチャリと音がなった瞬間、安心して景色が滲んだ。


 私は正しいことをした。


 髪型のアドバイスをした。利用されただけと知っても怒らなかった。泣き顔は見せないように上手く隠した。傷付くことを知りながら忘れ物を届けた。楽しそうな2人の邪魔をしなかった。全部我慢できた。上手く押し殺せた。私は正しいことをした。それなのに――


 『あざみが幼馴染でよかった』


 悲しそうな目の樹が脳裏に浮かぶ。


 眼鏡を外した涙を拭う。拭っても拭っても次から次へと涙が溢れる。


 アザミの花言葉は『報復』

 私が私だったら、こんな惨めな思いはしなかった。


 周りの目を気にして囚われて自分を見失った。ちぐはぐで辻褄が合わない私の行い。

 こんな行いですら『優しさ』という言葉で表せるなら、世界は吐き気がするほど甘いのだろう。


 これは私の物語。願わくばこれがあなたに届きますように。

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アザミモドキ 栗尾りお @kuriorio

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