僕と彼女の解題

 動画を見終わる頃には注文したオリオンビール、ゴーヤとスパムのアヒージョと海ブドウといったつまみが揃っていた。

 ひとまず乾杯し、お互いの酒杯を合わせてからビールに口をつけた。

 

「……それで、これは一体?」

「とある動画投稿者の最後の動画ですよ」


 先ほども言ったでしょう、とさも困ったかのように詰られる。

 もちろんそれは覚えている。問題は……


「これが何の動画だか全く分からない、ということだよ。どこかのビーチで開催された音楽フェスか何かの盗撮映像に見えるけど」


 ただ、それにしても違和感があるにはある。

 音楽フェスにしては、こう……


「祭祀とか儀式とか、そういう宗教的な気配がしませんでしたか?」

「……ちょっとカゴメ遊びっぽいとは思ったけど」


 女性を取り囲む男性たち、まるで何かを選ぶかのような、そんな挙動。


「なるほど。私には久高島のイザイホーに近い趣が感じられました」


 沖縄は久高島で12年に一度、神職となるために繰り広げられる神聖な儀式、それがイザイホーだった。長らく部外者の立ち入りが禁止されていたが、1978年に儀式の様子を公開した。その際にフィルムに撮影されていて、現在でもその様子を動画という形で見ることが出来る。以前、動画を見たことがあったが、確かに近いような気がしないでもない。ただ……


「とはいえ流れている音楽はレゲェだし、ちょっと魔改造が過ぎる気がするけど」


 神聖な儀式、という趣よりも、やはり音楽フェスの方が勝っているように見えた。


「しかし動画の中頃にあった、音楽の途切れた瞬間……あそこにはちょっとした緊張感があったように思えます。何か神聖なものが降りてきたかのような、神聖なものを迎え入れるような、そんな空気が」


 確かに、その瞬間の緊張感だけは場違いなものがあった。

 全体的に矛盾しているのだ。ウェイウェイと陽気に楽しむだけの俗な雰囲気と、ステージ上で執り行われている、神聖な儀式のようにでもある瞬間。僕たちの世界に存在する一般的なイベントの中に、外なる論理がふと入り込んだような気持ち悪さ。


 動画の概要欄には何も書かれていない。タイトルも「ア」とだけで、取るものもとりあえず投稿した、という雰囲気がある。


「先ほども言った通り、この動画は『釘ちゃんねる【怪奇考察系】』の最後の動画です。怪奇考察系を名乗っている通り、普段は都市伝説や怪談などのオカルト系の話題を検証する動画を投稿されていました。旧犬鳴トンネルや生田緑地など心霊スポットに突撃取材する肝試し企画も多くやっていまして、一般的なオカルト系投稿者ですね」

「まぁ、そういう人はたくさんいそうではあるけれど」


 チャンネル登録者数は4万人ほど。投稿者全体の中で見ると決して多くは無いが、固定ファンがついている程度には人気であることが伺える。

 動画の再生数はいずれも一万回前後。ただ、最後の動画だけ3万ほどになっている。


「動画一覧を見てもらえれば分かります通り、普段はこのような動画を投稿する人ではありませんでした」


 最後の動画のひとつ前を見てみると、『【第114回】あなたのカシマさんはどこから?【徹底検証】』という、どこぞの風邪薬のキャッチコピーのようなタイトルになっている。開いてみると若い男性がパソコンの前に座ってカシマさんについて視聴者からのコメントを拾い上げてそれについて考察を繰り広げる、という内容になっていた。バックにはXファイルで掛かっていそうなおどろおどろしいBGMが延々ループしている。

 これ以前の動画について一覧をざっと眺めた限り、タイトル一文字だけとか奇妙な文字列のようなものを用いたタイプのものは見つからない。


「それで、この釘氏の投稿ペースはそれなりに多いものでして、一週間に3回は何らかの動画を投稿されていらっしゃいました。基本的には考察系ですね。それで月に一回、心霊スポットに現地取材するタイプの動画を投稿する、というようなルーティンです」

「ふむ」


 多くは無いが、アマチュアにしては精力的な活動と言ってもいいだろう。


「それでですね、一度肝試し系動画も見てもらいたいのですが」


 動画一覧をさらうと、何個かそれらしきものが見つかった。

 有名ホテルとかトンネルなどの名前など色々見つかったが、僕としてはなじみの深い『【人体実験】呪われた土地、生田緑地に突撃!【崩落】』と書かれている回を開いてみる。


「見ていただければ分かります通り、動画のメインとなる釘氏とその助手となるヒトミ氏の二人で行動する、というような流れなのですよね」


 進行役の男性の釘、それに相槌を打ったり怖がったりする担当のヒトミ。

動画の中では釘氏が生田緑地にあった登戸研究所についてや崩落事故によって十数名がなくなった事件についての概要を語り、それを受けたヒトミ氏が「ええ~今度こそヤバそうじゃない?」と甘ったるい声で悲鳴を上げているのが見える。


「時に、なにか気づくことなどはありませんか?」

「気づく……なんだろう」


 頭をひねってみたが、どうにも出てこない。 


「お察しが悪いですねぇ。仕方がないので教えてあげますと、このヒトミ氏なんですが、先ほどの最後の動画で水着姿で踊っていた女性と同一人物の可能性が高い、ということなのですよ」

「うん……?」


 ちょっと引っ掛かる。

 先ほど見た最後の動画はお世辞にも画質が良いものではなかったし、女性の姿も望遠レンズで写されていた。この女性とヒトミ氏が同一人物……というのも確証が持てる話には思えない。


「だとしても投稿されたのは『釘ちゃんねる』です。一連の動画でレギュラーだったヒトミ氏との結びつけるのは、そう飛躍したことでもないと思うのです」

「それは……まぁそうか」


 最後の動画と生田緑地の動画を見比べる。確かに髪の色とかヘアスタイルは一致している。他人と断定できるほど背格好も違ってはいない。


「……え、だとすると、この動画は何?」

「何なのだろう……というのが多くの人々の間で考察の対象となっていることなのですよ。これまでと形式が違いすぎます。ロクに編集されていない上に、別段怪奇的なものが写っていない動画。それを最後にこの怪奇考察系投稿者は失踪したわけです」


 一見すると全くおかしなところがない動画。それが怪奇を志した動画たちの中にひとつだけぽつんと置かれると、これはやはり怪奇そのものとなる。


 ともかくこの動画が何なのか、その正体について全く確信めいたものは持てない。

 まず女性をヒトミ氏であると仮定するなら、息を切らした男性……は投稿者である釘氏ということになるのだろうか。


「ただ、これまでの動画では釘氏は非常にしゃべりたがりの人でした。肝試し回で何物音がなったり影が動いたりと、少しでも奇妙な出来事があればしゃべりながら走って逃げるような人です。本人は「それで恐怖を誤魔化している」と語っていたこともあります。そういうこともあって視聴者に『おしゃべりモンスター』なんてつけられるほどなのですが」


 この最後の動画内で、男性は一言たりとも喋らない。

 ただ、粗くひゅうひゅうとした吐息を漏らすだけである。


「奇妙なことはほかにもありますが、何より歌の内容です。これが一番の問題なのですよ」

「アジアっぽい気はするが」

「音質は良くないですし、インストも爆音、節回しも独特で聞きづらいのはそうです。ただ、有志の方が色々と検証したところによると、南方の離島の方言に似ている、ということなのですね」


 離島の方言、とは。

 なるほど「今日は沖縄料理などどうです?」と誘われてノコノコと来てしまったが、どうやらこの動画を最大限楽しむための趣向だったのか。相変わらず悪趣味である、と別のところにとんだ思考を元に戻す。結局楽しんでいるので僕も同じ穴の貉だ。


「……それで、なんて言ってるのさ。まさか『死ね死ねひとりずつ呪い殺してやる』と言ってるとか?」

「当たらずも遠からず、です。素晴らしい洞察力ですね!」


 なんか褒められてしまった。

 某ティッシュのコマーシャルとかドラマの主題歌にまつわる都市伝説を思い出して適当なことを言っただけだったのだが。


「有志の方によると、この動画内で歌われている歌の内容は次のようになるみたいなのですよ」


『偉大なる海神様にお捧げいたします。どうかこの命を持ってお静まりください。一人の中にまた一人、多くの命を孕む女を』


 スマートフォンを見ながら彼女はその章句を口ずさむ。

 どこか淫靡な、浮世離れした雰囲気のある歌詞である。

 最後の動画の内容が自然に頭に浮かんだ。


 一人の中にまた一人、多くの命を孕む女。


 女性の周りをまわる男性たち、その中から男性を選ぶかのように踊る女性……まるでかつての民俗社会にあった、夜這いの文化を思わせるような……そんな淫靡さ。

 それがあの俗の極みのような伴奏……僕たちの世界に存在するようなもので奏でられていたことに、何かとてつもない気持ち悪さを感じる。

 あの歌がもっと民俗的であれば、あるいは異国の歌であれば、完全な他人とみなせたのに。


「つまり、犠牲の儀式の歌ということになりますよね」

「……あの女性がどうなったか、とかは分からないんだよね?」

「はい。我々に残された動画はこれだけです。ただ、この動画が話題になって、有志による検討が進む中で進展はありました。釘氏の関係者と名乗る人物が登場したことです」


 なんというか、また香ばしいというか。


「関係者の方曰く、『次の突撃先は行方不明者が続出しているトロピカル因習アイランドで決まりだ』と言っていたみたいなんです」

「トロピカル因習アイランド」

「はい。トロピカル因習アイランドです」


 自称関係者に勝るとも劣らないトンチキワードが出てきた。

 ……まぁいい。南国で因習がある島、ということだろう。そう考えれば怪奇度も決して低くはない。多分。


「関係者の方に話を戻します。動画の編集投稿は主に釘氏が行っていたそうなのですが、取材や下準備に関しては分担して行っていたようなのですね。地方に取材に行く時はヒトミ氏が先に現地入りして、許可の要不要を確認したり宿泊場所を確保したり……そういう形で行動することが多かったと。最後の動画が投稿される一週間ほど前にも同じように、ヒトミ氏が先行して現地入りしていたようなのです。しかしその後、釘氏はヒトミ氏と連絡が取れなくなった、と語っていたみたいでして」


 つまりヒトミ氏の現地入りと音信不通の後、釘氏が後から現地入りし、その後失踪した、ということになるのだろうか。

 それにしても名乗り出た関係者というのは胡散臭い。無関係な人間が名乗ることだってできる。どこまで信じられるのか怪しいものだ。


「つまり有志の間での仮説はこうです。釘ちゃんねるのメンバーは次の取材先をある南の島に決めていた。先に現地入りしていたヒトミ氏はそこでこの祭りに供儀として参加させられてしまった。どこかトランス……つまり神がかっているような様子もありましたし、もしかすると何らかの薬物が用いられていたのかもしれません」


「粗い呼吸を立てているのは投稿者である釘氏と考えられるわけですが、しかし普段の様子から考えると違和感があるくらいまったく喋りません。喋らないのではなく喋れないのではないか。呼吸の雰囲気的に喉が描き切られているのでは、という話もあります」


 例えば釘氏が到着した後、ヒトミ氏がいない……あるいは祭儀に巻き込まれたことを知った。島民に問い詰めたか、ヒトミ氏を連れて逃げようとしたか。ともかく現地民と悶着を起こして、監禁されて喉を切られてしまった……ということだろうか。


 証拠も何もない。

 単なる憶測と、動画の中にある要素要素を切り張りした『考察』。

 もっとも低俗で悪趣味で露悪的な想像力の発露したもの。


 だというのに、魅かれている自分がいる。

 現実世界に、そういうものが存在している可能性。

 あってはならないもの。あって欲しくないもの。

 言葉が通じるのに、価値観が致命的にずれた他人。そういうものが存在する可能性。


 ああ、僕はこういうものが見たかったのだ、という静かな喜びが胸の中を駆け巡り……


「そういうARゲームなんじゃないの?考察させることを前提にした……」


 ふと、現実に帰還する足掛かりを得た。

 ARゲーム……いわゆる代替現実ゲーム。

 ウェブサイトや動画などを用いて、一種の謎解きを仕掛けるというものだ。

 ドラマや映画などのプロモーションに用いられたりするケースがよくある。


「ああ、ありますよねぇ。シカーダとかくねくね踊っている女性の動画とか。ああいうタイプのものである可能性は低くはありません。海外のARゲームのような一大ジャンルにまでは発達していませんが、あえてそれを仕掛けているのかも知れませんね。案外数か月後には『釣り宣言』してくれるかも」


 『何もなかった』

 だとしたら最もつまらない展開だが、同時にもっとも安心する展開でもある。


「しかし」


 が。目の前の彼女は、僕を蔑むような薄ら笑いを浮かべた。


「それで満足ですか?この世のどこかに怪奇が……悍ましい何かが実在しているというのに?その扉が開きかけているのに?」

「……満足だよ。オカルトは扉の向こうに隠されているからオカルトなんだ」


 僕の答えに嘘つき、と半笑いで彼女は詰った。

 だがそれは彼女も同じことだ。沖縄料理店で動画を見ながら想像をめぐらすことしかできないし、結局はそこに留まっているのだから。


 すっかり炭酸が抜けたビールを飲み干し、次の一杯と次のつまみをどうするかを考える。「そういえば」と彼女もまた別の話題を持ち出す。南の島の因習はどこかに、しかし僕たちには無関係なまま消えていった。

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『釘チャンネル【怪奇考察系】』最後の動画 佐倉真理 @who-will-watch-the-watchmen

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