時空超常奇譚3其ノ壱〇. AXIA/姥捨て山パラダイス

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚3其ノ壱〇. AXIA/姥捨て山パラダイス

AXIA価値あるもの姥捨うばすて山パラダイス

 かつて、岩手県遠野には「蓮台デンデラ野」という姥捨うばすて場があり、昔話「姥捨て山」で語られるような老人を山に捨てる風習があったとされている。その他にも、そうした逸話が民間伝承の棄老伝説として描かれているものも多い。中世ヨーロッパにも同様の風習があったらしく、童話「赤ずきん」に登場するおばあさんは口減らしの為に山に捨てられたのだという説もある。

 2022年の日本の総人口は前年に比べ82万人減少した。その一方で65歳以上の高齢者人口は前年比6万人増加の3627万人となり、2015年の3395万人に比べ5年間で232万の増加となり、過去最多となって更に増え続けている。

 高齢者は、2025年には3677万人に達すると見込まれ、その後も増加傾向が続き2042年には3935万人と推計されている。西暦2100年、総人口減と医療の進歩によって、高齢者は日本の総人口の内の40.6パーセントに達するとの予測もある。

 一方で、増加する高齢者に対応する老人ホームも激的に増えている。老人ホームの内の最も多数である有料老人ホームだけでも、2015年に10651であった施設数は5年後の2020年には15956施設と1.5倍にまで激増している。数字だけ見れば、一般に言われるように「現代の老人ホームは姥捨山だ」と思わざるを得ない。

 だが、現代そこに一点だけ大きく違う部分がある。それは、かつての悲劇の対象だった老爺ろうや老婆ろうばが、兎に角やたらと元気なのだ。フィットネスクラブは当然のように老人達で溢れ、ドトールやスターバックスは今や婆さん達の社交場かと思ってしまうし、休日の高尾山など敬老会のウォーキング場となっている。街には、ちょっとやそっと叩いたくらいでは死にそうもないアクティブでパッションの塊のような、荒神様の如き存在と化した爺婆じじばばが闊歩しているのだ。

 例えば今、人類滅亡の時が来たとしても、爺婆だけは生き残るに違いない。そんな死にそうもない老人達の世界が、いつかどこかに創り出されるかも知れない。

 西暦3015年。地球温暖化の影に隠れ忍び足でやって来た氷河期は、世界の様相を一変させた。急激に下がった平均気温によって世界のあらゆる国が極寒の寒冷エリアと化した。世界の三分の二の国々が消滅し、残った国同士での侵略戦争が後を絶たなかった。

 先進諸国は、それぞれの科学力で国全体を鉄製の巨大な壁と電磁バリアでドームを造り、他国からの侵入を遮った。グローバルな世界経済は姿を消し、不況のドン底で究極の保護主義が台頭していた。

 日本国内では、ほぼ全ての地域で氷河期の影響による経済圏の分断が起こり、人々は新宿、名古屋、大阪の三大都市エリアへの集中を余儀なくされた。三大都市エリアはそれぞれに壁とドーム状の電磁バリアで覆われ、三つのドームから成る日本神国には、世界第二位の経済力を誇った1000年前の栄光は影もない。

 国内では、預金と株と不動産を持ち交通至便な中心部に住んで毎日を悠々自適に暮らす老人達と、不況で低賃金に耐えながら外縁部に住まざるを得ない若年層がいる。税金の負担に耐えきれずに若年層の不払い運動が起こり、高齢層は預金金利の低下や株式配当減、不動産収入減に政府への怒りを爆発させていた。

 日本神国大統領猿渡昂三は、迫り来る日本国の窮状を訴えつつ、日本国が今後歩むべき最良の施策を涙ながらに国民に告げた。

「我が国は危急存亡の時を迎えています。失業率は50%を超え、経済は既に皆さんがご存知の通りで、不況からの脱出など夢のまた夢です。1000年前、世界第二位の経済大国であった日本国を再び復活する為にも、我々は今大いなる選択しなければならないのです」

 1000年前の栄光の復活を夢見る一国の指導者が涙ながらに訴えるその姿は、多くの人々に感銘を与えた。

「国民の皆様に御理解を賜りたい事案。そして、これは我が日本神国を救う重大な内容でもあります。我が国は、満80歳を迎えた超後期高齢者の方々に「神ノ国」及び「神格ノ国」へ移住していただく新たな法案を本日採択致しました。神ノ国は、現在新たに建設を進めているところです」

 信義誠実を根本的理念とする与党である日本神生党大統領の言葉は、マスコミを通じて広く全国に喧伝され、国民は深い信頼の下に諒解りょうかいした。支持率はかつてない程に上昇した。

 だがその言葉とは裏腹に、大統領猿渡昂三さわたりこうぞうが国民の意見に聞く耳を持つ事はなかった。国会の審議さえもない状況で、国会の2/3の議決を獲得すべく画策が進行していた。

 恒例となっている閣議で、絶対的な権力を持つ大統領猿渡昂三が吠えた。既に反対する者も異議を唱える者も殆どいない。

「いいかな諸君、日本国のこの難局を乗りきるには二つの方法しかない。一つは戦争だ、隣国であるロシアや中国はかなり軍備を増強していると聞く。しかし、戦争を仕掛けるのも迎え撃つのも面倒臭いではないか。それに首尾よく他国侵略に成功すればいいが、う上手いくとは限らない。少なくとも犠牲者が出るのは必至だ。しかも戦争は勝たなければ意味がない。勝たなければ、政府が、大統領である私が、野党から突き上げを喰らい、場合によっては失脚する事にもなりかねないのだ。私は戦争は好まない」

「では、もう一つは何ですか?」

「もう一つ、それは排除だよ」

「排除とは?」

「非生産的な国民に日本から消えてもらうのだ。これこそ効率的で実現可能な良策である事は間違いない」

「この日本国に非生産的な国民などいるのでしょうか?」

「いるじゃないか、超後期高齢者だよ。社会から引退した80歳以上の超後期高齢者にこの国からも引退してもらうのだ」

「「国から引退」とは?」

「「神ノ国」を建設するのだ」

「神ノ国?」

 それらの言葉を正確に理解する者はいなかった。

「そうだ。十分に国に尽くした生産的国民が80歳以降も悠々自適に暮らせるようにする為の施設、それが「神ノ国」だ。十分に国に尽くした国民は、80歳を以て別のエリアに建設した「神ノ国」へ移住するのだ。建設は、かつて東京都庁舎と新宿公園があった場所で既に始まっている。建設の担当は、補佐官の伊久間貫造君だ。1年後の建物完成と同時に移住するのだ」

 大統領猿渡昂三さわたりこうぞうは副大統領飛田幹駿とびたまさとしに言った。

「私も今年で70歳だから、10年後に移住するのが楽しみだよ。そう言えば君も同じ歳だったよな」

 飛田幹駿は猿渡昂三の言葉に首を傾げた。非生産的国民とは何だろうか。猿渡の語るその話は、「神ノ国」という施設がまるで自分の為のもののように聞こえて来る。そもそも80歳を超える超後期高齢者を移住させるのなら、生産的かどうかなど区別する必要などないのではないだろうか。

「非生産的な国民とは何ですか?」

「わかり易く言うならば、私と私が選ぶ日本神国に尽くした者達こそが生産的国民であり、移住する権利を持っている。それ以外の80歳を超えた者達を非生産国民と言うのだ。そうは思わないかね?」

「それ以外の、80歳を超えた非生産国民も「神ノ国」へ?」

「いや、非生産国民には「神格ノ国」へ行ってもらう」

「「神格ノ国」の建設地は?」

「その内にわかるよ」

「?」

 聞けば聞く程に、猿渡の神ノ国構想の内容が頭に入って来ない。「神格ノ国」とは何か。飛田の質問に、猿渡は「言葉通り「神ノ国のようなもの」くらいの意味だ」と曖昧で的を射ない答弁を続ける。

 副大統領の飛田幹駿とびたまさとしは即座に否定した。

「「神格ノ国」の意味が明確ではないが、選ばれた者だけが「神ノ国」へ行けるなんて事が出来る筈がない」

「出来るさ、簡単な事だ。私は大統領だし日本は民主主義なのだから、多数決という素晴らしいシステムがあるじゃないか」

「しかし、それで国民が納得するとは思えない……」

「それを納得させるのが、私達議員の役目だ。それくらい君でもわかるだろ?」

「……」

 国会の議席は、約5割を日本神生党が占め約3割を老人保護党が占めている。その他約2割は同一会派日本正神連合会の無所属議員となっている。

「副大統領の君が為すべき事はわかっているね?」

「為すべき事?」

「何故わからんのかな、愚かだ。簡単な事ではないか、囲い込みだよ。まずは、我が神生党からの造反者は一人も出してはならない。裏切り者が出ないように厳罰化を言い含める事。次に、3割の議席を持つ老人保護党の賛同をいかに得るかと言う事だ」

「どうやって賛同を?」

熟々つくづく勘の悪い奴だな。一本釣りだよ、一人ずつ何とかすれば良いではないか。但し、裏の事情が漏れては元も子もない。そこは慎重にな」

「しかし……」

「それから、大事な事は反対者を如何にして黙らせるかという事だ。黙らせる方法は幾らでもある。まずはマスコミ、そして思想的に反対する者達は有無を言わさず逮捕してしまえば良い。そうすれば、国民が反対する事はない」

 国会の議決は大統領猿渡昂三さわたりこうぞうの思惑通りに進んだ。国会の5割を占める日本神生党と3割の老人保護党が「神ノ国昇格法」に賛成して可決された。約2割を占めるの同一会派日本正神連合の高島譲二と木島槙太が反対を唱えて審議継続を要求したが、完全に無視された。国会の後も、二人は街で「神ノ国昇格法」反対の運動を続けたものの、市民運動が広がる事はなかった。

 くして「神ノ国昇格法」は制定され、神ノ国が完成する1年後の3月に施行される事となった。

 神ノ国昇格法の施行から10年が経った。

「飛田君、我等のような選民は過去の検証を行い未来に役立てる義務がある。我が日本神国の未来の為に、より良い選択をしなければならないのだよ」

「我々が特権階級だと言うのですか?」

「君、勘違いしては駄目だよ。我々はね、特権階級なんかじゃなく唯の選民、選ばれた人間なのだよ」

「同じ事です。アナタは国民の「神ノ国」への移住を謳いながら建設を進めているが、「神ノ国」と「神格ノ国」の違いには触れようとしない。そんな詭弁がいつまでも通用する筈はありませんよ」

「君もわからない奴だな、もう少し賢いと思ったのだがな。非常に残念だよ、君も私と共に「神ノ国」に行ける筈だったのにな」

 大統領猿渡昂三は、官邸に呼んだ副大統領の飛田幹駿の10年来の疑問に答える事もなく、意味ありげに薄笑いを浮かべた。

 恒例の閣議で、大統領の猿渡昂三がいつものように自信に満ちた顔で吠えている。 

「私、それに君達日本自立党の議員は全員が選民、即ち特別の人間なのだ。従って、我々が一般国民のように野垂れ死ぬ事はない。現在、我々の為に「神ノ国」の建設が着々と進んでいる。神ノ国にはあらゆるものが揃っている。働く必要もなく、望むものは全て手に入る。我々選民には、80歳を過ぎたら「神ノ国」へ行く事が出来るという特権があるのだ」

 再び「「神格ノ国」とは何なのですか?」と飛田の質問が飛んだ。最近では副大統領飛田のこの質問も恒例になっている。「神格ノ国」の正体は一級機密事項であり、神ノ国昇格法の施行から10年が経過した現在でも、80歳を過ぎた超後期高齢者がどこへ移住しているのかは、副大統領でさえ知らない。

「本当にしつこい奴だな。施行後のこの10年の間、何の問題もなく超後期高齢者は「神ノ国」と「神格ノ国」へと移住しているのだ。それが全ての答えだよ。具体的な内容はその内にわかるだろう。君が選民となれるかは微妙だからな」

 副大統領の飛田は、猿渡を問い詰める度にはぐらかされる「神格ノ国」の正体に嫌な予感しかない。

「猿渡大統領、超後期高齢者は本当に「神ノ国」ヘ行く事が出来るのですね?」

「私が言っているのは「神ノ国」と「神格ノ国」だ。「神格ノ国」とは、神に昇格出来る環境を備えている。そういう事だよ」

 飛田の疑問は一向に晴れない。その後も、猿渡が「神格ノ国」の詳細を語る事はなかった。「神ノ国」に超後期高齢者の一部が移住している10年後の今となっても、「神格ノ国」に関する発表は一切ない。

 飛田は事あるごとに猿渡に問い掛けた。

「大統領、「神格ノ国」は本当にあるのですか?」

「あるに決まっているだろう」

「具体的には?」

「君も相当しつこいな。今年の3月になれば、対象となる80歳を過ぎた者達は全てを理解するよ」

「大統領、その詳細を教えてもらいたいのです」

「飛田君、私は既に何度も君に詳細を告げている。「80歳を超えた者達はこの日本神国から移住しなければならない。その中の生産性の高い超後期高齢者は「神ノ国」へ行き、生産性のない者は「神格ノ国」へと行ってもらう。生産的かどうかを判断するのは、最もこの日本神国に貢献したこの私だ」とね」

「だが、「神格ノ国」の詳細が説明されていない」

「これは全てこの国を救う為、国益の為だよ。私は君の存在に10年間も我慢したがもう限界だ。君にやる気がないのなら、やらんでいい。代わりの者は幾らでもいるからね」

「しかし「神格ノ国」の詳細が・」

「煩い。もうこれ以上君と話す事はない」

 数日後、副大統領であった飛田幹駿は解任され、息子の猿渡治が大統領、補佐官の伊久間貫蔵が副大統領として新任された。

 氷河期の到来により、29世紀の日本の総人口はかつての予測の1/10以下の約350万となり、その内、80歳以上の超後期高齢者は全体の10パーセントの約35万人となっている。そして、毎年「神ノ国」へ移住している者達を除いた30万人の超後期高齢者の男女が「神格ノ国」へと消える。その数は、10年間の累計で300万を超える計算になる。 

 渋谷雅治はつい一ヶ月前に80歳を迎えた。かつて名のある企業の役職を得ていた男は、今は身寄りもなく泣いてくれる者もいない。

 3月1日、自宅に政府からの送迎車がやって来た。政府関係者の指示で車に乗って、これから「神ノ国」ならぬ「神格ノ国」へと向かう事になる。

 政府からのTV広報は飽きる程に「神ノ国」の説明を流していたから知っているのが、「神格ノ国」の詳細説明は未だない。人々は信頼する政府の「神格を持つ施設」という曖昧な説明と日に日に高まる心配も、全ては「信頼すべき政府の言う事に間違いはない」という理解の下で社会的な混乱は殆どない。時折、政府のプロシージャー進め方に異議を唱える評論家もいなくはないが、暫く経つと掌を返して政府への賛美を主張するかTVから姿を消していた。

 資産だけでなく身分を示す一切のものを、政府に預けたまま、身ぐるみ剥がされ状態で送迎車に乗せられて、「神格ノ国」へと向かって行く。車内での会話は厳禁で、何らかの要望も対応不可となっている。

「「神格ノ国」はどこにあるんですか?」

「私語は禁止です」

「どこまで行くのかだけでも教えてもらえませんかね?」

「私語は禁止です」

 政府関係者は同じ事を繰り返すだけだ。日本神国を東西に走る幹線道路である東西主道を西に向かい、暫くすると西門が見えた。西門で政府関係者が車を降りた。それでも自動運転の車は何事もなかったように走って行く。走っている途中で、男は車のドアを開けようとしたが、内側からは開かないようになっていた。

 新宿、名古屋、大阪の三大都市エリアの三つのドームから成る日本神国は、それぞれに鉄製の巨大な塀と電磁バリアで守られいる。その外側は極寒の寒冷エリアと化していて、とても人が生きていける環境にはない。

 送迎車は西門を出て、更に西に走った。車の外に、数十台もの同様の車が走っているのが見えた。男と同様に神格ノ国を目指しているのだろう事が想像出来る。その中には大型バスもあった。

 どれくらい走ったのかわからない場所に着いた。車が停止したのだから、その場所が目的地なのだろう。下車は強制的に行われ、自動運転の車は次々と来た道を戻って行く。

 その場所が「神格ノ国」なのかどうかさえ、誰にも判断が出来ない。何故ならば、そこには4本の柱と天井で出来た掘立小屋以外には、小さな矢印の立て看板があるだけで他には何もないのだ。いや、壁さえないものを小屋とも呼べないだろう。

 今日は寒さは感じるものの晴天で穏やだが、周辺には人の丈程の根雪が残っているから、きっと雪が降る事が多いのだろう。通常のような雪交じりの嵐の吹きすさぶ状況であったら一体どれ程の厳しさだろうか。想像さえしたくない。

 こんな場所から一刻も早く退避したいのだが、どこへ行けば良いのか途方に暮れる。遠くに山々が連なり、周囲には壁のない掘立小屋があるだけ、そこに数百人もの老いた男女がいる状況なのだ。恐らくは、新宿、名古屋、大阪エリアから送致されたのだろう数百人の高齢の男女がアトランダムに幾つかのグループに分かれ、この状況をどう理解すれば良いのかを議論し合っているのだが、誰にも答えは出せない。

「ここが「神格ノ国」なのだろうか?」

 それは、渋谷のイメージするものとは何もかも違っていた。80歳を過ぎた功労者は「神ノ国」或いは「神格ノ国」へは、きっと豪華な乗り物で送り届けてくれるものと思っていた。だが、違うのだ。何もかも、いや想像していたもの、政府からの事前のブロパガンダとは何一つ合致したものがない。粗末な大型輸送車に押し込められて、雪深い山奥へと運ばれて来たのだ。集められたその場所には、掘立小屋の横に細い獣道が続いているだけだ。

 勿論、法律は知っている。日本神国を卒業した超後期高齢者は、「神ノ国」或いは「神格ノ国」へと行かねばならないのだ。そこは理想郷であり、身体的或いは精神的な疾病疾患に悩まされる事もなく、これ以上歳をとる事もないのだとの説明があったような気がする。男は、政府の説明にちょっと胡散臭さを感じつつも、抵抗する術もなく政府関係者の輸送車に乗ってここに来た。

 集められてどれ程の時間が経過したのかもわからない。強制的に下車させられた数百人の超後期高齢者達は、屋根はあるが壁はなく柱の間を風が通り抜ける掘立小屋の中にいる。暫くすると、高齢者達は要領を得ない現状を何とか知るべく、口々に話し出した。

「これは何かの手違いか?」

「いや、違うようだ」

「そんな馬鹿な事はないだろう?」

 その場所に、同時に送られて来た数百人の老人達は、自らが置かれた状況を不思議に思いながら小首を傾げた。だが、その状況が変わる事はなく、かといって納得出来るような理屈も浮かばない。

「俺達は「神格ノ国」に行くのではないのか?」

「そうだ、政府は確かにそう言った筈だ」

「そうだ。それなのに、ここはどこだ?」

「「神格ノ国」はどこにあるんだ?」

 空が暗くなり、小雨が落ちて来るとともに風が北から吹いて来た。次第に強くなる雨と風に不安が過る。雨は当然のように雪へと変わり、更に強くなった風が辺り一面を白く覆い、遠くの景色に区別がつかなくなっている。見る間に目の前の視界さえも白一色に染まり、冷たい北風は高齢者である男女の頬を容赦なく殴り付けた。吹雪がやむ気配はない。一人の男が叫んだ。

「何かおかしい」

「何がおかしいんだ?」

「俺は猿渡大統領と同じ日に生まれた」

「大統領は引退した筈だよな」

「だが、ここに猿渡大統領はいない。何故だ?」

「「神ノ国」へ行ったのか?」

 男女の中の一人がその謎を解いた。

「そういう事なのさ」

「そういう事って何だ?」

「全ては間違いじゃないのさ。「神ノ国昇格法」を一部の政府関係者の奴等が陰で何て言ってるか知っているか?」

「何だ?」

姥捨うばすて法だ」

「どういう意味なんだ?」

「政府の言う「神格ノ国」即ちこれ以上歳を取らない神の国に行く筈の俺達が、何故こんなところにいるのか。それが姥捨ての意味だよ」

「俺達は姥捨て山に棄てられたのか?」

「そう言う事だ」

「何故、そんな事を知っているんだ?」

「簡単だ。私が元日本神生党副大統領だったからだ」

「そう言えば、見た事がある。副大統領だつた飛田幹駿とびたまさとしだ」

「俺も知っているぞ」

 元副大統領である飛田幹駿は、その地味な顔立ちで微笑した。飛田の言葉に、そこにいる数百人の老爺と老婆達が驚嘆したが、その言葉を呑み込める者はいない。何がどうしてそうなったのか。理解出来る者もいない。

「そっちの君は、驚き過ぎて言葉もないって顔してるな」

「いや、なる程なって思ってさ。話が旨すぎるからな、これ以上歳を取らない国なんかある筈がないし」

「いや、「野垂れ死にすれば歳をとらない」と言うのは満更嘘じゃないぜ」

 そう言って一人の男がニヤリと笑った。そんなボケは誰の耳にも入らない。そんな間抜けた事を言っている場合ではない。

 驚きなどという生易しいものではないこの状況。このままでは確実に凍死する他はない。天国から野垂れ死という余りのギャップをどう消化すれば良いのか。

「どうすればいいんだ?」

「どうもこうもない。どこかに政府関係者と連絡を取るものはないのか?」

「駄目だ。きっともう駄目なんだ」

 次第に絶望的な声を出す者も現れたが、無理もない事だ。考えても野垂れ死にする以外の選択肢が見つからないのだ。飛田は打開策を考えた。考えて出て来るものなどある筈がない事はわかっていて尚、考えに考えて、考えるのをやめた。

 そして、独り歩き出した。ここで無駄に考えていても議論しても意味はない。

「おい、どこへ行くんだ?」

「この先にきっと何かがある」

「なる程な、オレも行くぜ」

 飛田の言葉に納得する男の言葉を別の男が否定する。

「いや違う。これは何かの手違いだ、きっと政府の救援が来る」

「そうだ。それを待った方がいい」

「何を根拠にそう言ってるんだ?」

「根拠なんかない。だがこの状況は顕かにおかしいだろ?」

 再び、飛田が言った。

「おかしくなんかないさ。政府の考えている通りの状況がこれなんだから」

「じゃぁ、政府は我々に死ねと言うのか。そんな馬鹿な事があるものか?」

「どう考えるかは自由だ。俺はこの道を行く」

「この道の先に何かがあるという根拠は何だ?」

「根拠なんてないさ、どうせここにいても野垂れ死にするだけだ。それなら先に進んだ方がいい。一つだけ根拠があるとすれば、超後期高齢者の神格ノ国への送致は初めてじゃなく今年で10年目。その間に同様の事が行われた筈なのに、周辺に高齢者が野垂れ死にした様子はない。それは、どこかに何かがある事を意味している。そこにある小さな矢印の立て看板も先に進めと言っている」

「オレは行かないぜ」

「来てくれなんて頼んじゃいない」

 飛田が根雪の残る獣道を歩き始めると、数人が同調した。そしてその後ろに、更にその後ろにと列が出来た。

 先に進んで行く飛田に一人の男が話し掛けた。

「飛田さん、アンタの説明が正しいとすれば、オレ達は政府に騙されて国外に棄てられた事になるけど、そんな事はオレを含めた大半の国民が信じられないだろうな」

「今になっては、別に信じてもらう必要はない」

「それにしても、酷ぇ話だよな」

「まぁ、そうだな。とは言っても、俺はそっちの側にいた人間だから、それを非難出来る立場にはない」

「オレは渋谷雅治。アンタは覚えていないだろうけど、オレは一度だけアンタに会った事があるんだぜ」

「いや、覚えているよ。確か新宿経済連盟の会合だったな。俺は一度会った顔は忘れないんだ」

「へぇ、親近感が湧くな。尤もこんなところじゃ何の意味もないけど」

「そうだな」

 二人の状況は余りにも特殊だ。何をどうするのがベストなのかを知る事が出来ず、いつ野垂れ死にしても不思議ではない。相手を知る事も昔話も特技も何の意味も成さないだろう。飛田の後ろに何とか生きる可能性に賭けようとする超後期高齢者列が出来ているが、飛田が列に指示を出す事はない。出せる指示もないし、他人を激励する事も鼓舞する余裕もない。

 遥かに山が連なっている。雪の降り積もる彼方まで続くこの道の先に何が待っているのだろうか、いや何もないかも知れない。

 渋谷の声が聞えない。ふと後ろを振り返ると渋谷はいなかった。吹き荒ぶ雪交じりの嵐の中で次々と倒れる男女の姿が見えた。だからと言って、駆け寄って救け起こして「頑張るんだ」などと言う気力があろう筈もない。

 朦朧とする意識が走馬灯を見せた。思えば随分と辛い事ばかりだったような気がする。国会議員となり、与党日本自立党の副大統領まで上り詰める間に何人もの指導者を支えて来た。理不尽な事や国民を裏切る行為もなかったとは言えないが、それでも己の政治家としての信念を決して曲げる事なく生きて来たと自負している。そして、「神ノ国昇格法」などという悪法は許されるべきではないとした己の考えにも間違いはなかったと思っているし、その間接的な責任を負って「神ノ国」ではないまやかしの「神格ノ国」で今世こんせを終えようとしている。このまま行き倒れて、身体が腐って死んでいくのだ。

 悔いがなくはないが、まぁこんなものだろうとも思う。飛田はそう呟いて雪の中で息絶えた。

 何故か、どこなのかわからない場所で、飛田は目覚めた。目前に大柄な男が立ち、その両隣から医師らしき老女達が覗き込んでいる。

「ここはパラダイスシティ」

「天国へようこそ」「ようこそ」

「天国……地獄じゃないのか?」

 そんな筈はない。こんなところに天国がある筈はないのだ。ここは身ぐるみ剥がされた高齢者が、ゴミのように棄てられた地獄の筈だ。その証拠に、ドームから外に放られて、つい今し方まで歩いていた世界は雪の降り頻る薄暗いこの世の果てだった。そこで誰もが唯々死んでいく……筈なのだ。

「地獄だなんてとんでもない、何故そう思うんです?」

 話の流れとその延長線上で考える限ならば、棄てられた高齢者の死体の100や200がそこら中に転がっていても不思議ではないのだが、そんなものはどこにもない。

「ここはパラダイスランド、正式名称は正式国名「知徳幸国」。天国よ」

 山の中にこんな世界があるなんて、夢……ではない。

「ようこそ、パラダイスシティへ」

 飛田は、数時間の点滴治療の後、大柄な男に案内されて宮殿大広間で別の男達に謁見した。黒尽くめのハワイの民族衣装ムームーに似た服を纏う5人の男女は、どうやらこの世界の指導者らしい。

「私は、ジョージ・高島。この世界の大統領の一人だ」

「私は、マキシム・木島。私もこの世界の大統領の一人だ」

「パラダイスシティは、合議制で国を動かす事になっている。今は私達が指導者だが、君もその内に指導者になってもらうよ。飛田幹駿君」

 飛田幹駿は2人の顔に見覚えがある。黒尽くめの衣装に身を包んでいてもわかる。

「アナタ方は、日本正神連合の高島譲二さんと木島槙太さんでないですか?」

 見覚えのあるその男達を含めた者達が、この世界たるパラダイスランド、正式国名「知徳幸国」の指導者なのだと言う。

「10年前、私達は政府が用意した神ノ国と同等である筈の「神格ノ国」を見つける事が出来なかった。だから、自分達の手で新しい「神ノ国」を創造したのですよ」

 飛田幹駿は悲痛な顔で、彼等の認識を否定した。

「いや、最初から「神格ノ国」なんて存在していないのです。嘘っぱちなんですよ」

 飛田は「神格ノ国」の正体を猿渡昂三から聞いたその日を思い出した。

 神ノ国が完成した竣工披露パーティーの席には、大統領猿渡昂三の他に一議員となった飛田も参加していた。猿渡は多少の酔いもあってか至極上機嫌で飛田に言った。

『飛田君、明日が君の誕生日らしいね?』

『そうですが、猿渡さんの誕生日も来週ではないですか?』

『二人とも法律に則って神ノ国世界で頑張ろう。まぁ、二度と君と会う事はないだろうがね。最後に、君の知りたがっていた「神格ノ国」の事、何でも教えて上げるよ』

『では、教えてください。まず、何故生産的か非生産的かで超後期高齢者を区別する必要があるのか?』

『簡単な事だ。それはな、私の好き嫌いだ。私が嫌いな輩は「神ノ国」へは行けないんだよ、わかり易いだろ。特に、預金金利の低下や株式配当減、不動産収入減で政府への怒りを爆発させる輩、つまりは煩い超後期高齢者達を排除するのだよ。だから、その区別は私の裁量で決まる。理屈は合っているだろう?』

 日本神国の大統領は、単なる個人の好き嫌いで国民を区別する指導者だったのだ。何とも驚きでしかない。

『では「神格ノ国」とは?』

『神格ノ国などこの世に存在しない』

『やはりそうなんですね。じゃぁ、アナタに非生産的国民の印を押された80歳を過ぎた高齢者達は、一体どこへ行くのですか?』

『当然、この日本神国以外だよ』

『以外……まさか、国外?』

『君の想像に任せるよ』

『しかし、特権階級だけが特別扱いを受け、高齢者達を日本国から極寒の国外に放り出すなどという事が、人として、為政者として許されるものなのか?そもそも、何故そんな事をするのか?』

 猿渡は、毅然と答えた。

『80歳を超えた生産性のない超後期高齢者に、いつまでもこの国にいてもらっては困るという事だ』

『それならば、我々も同様に……』

『我々のような選民にはそれは無理だが、彼等も「神格ノ国」即ち神ノ国に似た永遠の国に行く事になるのだよ』

『それは単なる詭弁だ。結局、「神格ノ国」とは極寒の外界へ放り出すという事ではないか?そうだとしたら、そんな事を国民は許さない』

『煩い。国民の理解などどうでもいいのだよ』

『それでは国民の支持も得られませんよ』

『相変わらずだな。君と話していると毎回気分が悪くなる』

 国民の約5割の支持を受け与党である日本神生党が「姥捨て法」を多数決によって採決し施行した。その本当の意味を知る者はいなかった。

 何の事はない、単純な話だ。超後期高齢者を日本神国から極寒の国外に放り出すが、猿渡昂三が認めた日本神生党議員と党員及び関係者以外のはこの限りではない。即ち、自分達以外の爺婆を追い出し、自らは国の中枢でうと生きていく。これが猿渡昂三の目論見、魂胆であり、神ノ国昇格法だったのだ。

「「神ノ国」は存在するが、「神格ノ国」など最初から存在し・」

 黒尽くめムームーの指導者達が飛田の言葉を遮った。その表情には恨み辛みなど微塵も感じられない。柔和な顔が口々に言った。

「いや、そんな事はどうでもいいのさ。「神格ノ国」があろうがなかろうが、そんな事に大した意味はない」

「そう、そんなの確めようがないし、真実を知ったって何の意味もないわ。それに、子供達が私達を騙したなんて考えたくないじゃない」

「それから、もう一つ言っておく事がある。この国、この世界では、前職が何であったかという事は意味を持たない」

「そうだ。重要なのは、いや絶対的に必要なのは「自分で自分を縛らない」という事だ。以前どうだったかを前提とする時点で既に自分を縛っている事に気づかなければならない」

「間違ってはならないのは、自分を縛らないという事は自分を否定しろという事ではない。過去の自分が何者であったかではなく、今の自分に何が出来るのかを探し求める事が大切なのだ」

「日本神国は国民を80歳で区切るけれど、そこには短絡的な意味以外何もない。区切る必要などないのよ。ここは年齢ではなく「自分」を見つけて生きて行く世界であって、男か女の意味もないわ」

「この国には他国からの移住者もいるし、その中には若年層もいる。この国にも競争は存在するが、競争相手は全ての人間であって高齢者である事自体に意味がない」

 黒尽くめムームーの指導者達が言う事は、正論であり道理に合っている。自分達の身内に騙されたと思って恨み辛みで後ろ向きに生きるよりも、そんな事や高齢者である事に一線を引いて、一人の人間としてどう生きるかを考える方が生産的だ。

 指導者達との謁見後に開かれた「新入生歓迎パーティー」に渋谷雅治を含めた数百人がいた。あの場所にいた全員がここにいるのかどうかは飛田にはわからなかった。

「渋谷さん、生きていたのか?」

「あれは全員の適性を測る為の新人入国試験だからね、あの場所に集められた全員が生きているよ。それに全国からの新人は計約30万人だそうだ」

「新人入国試験?」

 新人入国試験の詳細は不明だが、飛田には「全員が生きている」事に意味があるような気がする。そして、この世界の一員となった実感が湧き出した。

「この国はどんなシステムなんだろうな」と飛田が呟くと、短時間で収集した情報を渋谷が告げた。

「この国に10年間に日本から追い出された約300万人かいる。しかも今やエンジニアとしてアメリカ、ヨーロッパ諸国との人的交流が行われているらしいし、そこで蓄積したテクノロジーを輸出しているのだそうだ」

 この国にいる300万人を超える人々の殆どがかつての日本神国を支えていた者達である事や、先進国と人間的な関係によって発展している事を考えれば、この国が短期間に世界最高レベルの科学力を有している事にも合点がいく。

 その日、飛田幹駿は元日本神国副大統領としてではなく、超後期高齢者でもなく、一人のパラダイスランド正式国名「知徳幸国」の国民となった。

 世界の状況を考えれば、常に各国に奇妙な動きがないかを警戒する必要がある。

「猿渡大統領、スパイ衛星から妙な動きが見てとれます」

「妙な動きとは何だ?」

「ロシア及び中国が次々と砲台を設置しています」

「戦争でも考えているのか?」

「かなりの可能性はあるでしょう」

 その時は、寸隙もなくやって来た。

「たった今、ロシア・中国連合軍が我が日本に対して宣戦布告しました」

 この氷河期の始まりとともに人々はそれぞれ国単位で巨大なドームを建造し、極寒の環境から何とか逃れて来た。エネルギーは宇宙に飛ばした地球を周回する人工衛星型発電所から得ており、食物と水はプラントによって生産されている。それぞれの国がそれぞれにシステムを維持管理しているが、必ずしも全ての国が上手く管理されている訳ではなく、また国同士での諍いは日常茶飯事だった。その必然的な延長線上に戦争があっても何の不思議もない。

 ロシア・中国連合軍は、宣戦布告とともに日本神国に向かって数百発のミサイルを発射した。殆どのミサイルは日本神国の迎撃システムによって撃ち落とされたが、極低空を飛ぶ半数以上のミサイルは探知レーダーを掻い潜って、新宿、名古屋、大阪の三つのドームを直撃する事が確実に予測された。

「大統領、迎撃出来ません。相当なる損失が予想されます」

 その言葉に、大統領猿渡昂三は「何とかしろ」といったまま、どうする事も出来なかった。ミサイルが日本神国の上空に姿を見せ、見る間にドームに吸い込まれるように消えた。爆裂の激震をともなって、火焔と爆煙がドームを包み込む筈だった。

 だが、所属不明の一筋の光がミサイルに向かって飛んで行くと、そのままミサイル群を連れて上昇し天空で爆裂した。花火のような光輪が見えた。

「どうなっているのだ?」

「どうやら、どこかの国の誘導弾が迎撃したようです」

「直ぐに調査しろ」

 猿渡昂三の指示により調査が開始され、パラダイスランド正式国名「知徳幸国」の存在が顕かとなった。パラダイスランドが日本列島にかつて存在した東海地方の端部熱海と呼ばれたエリアに存在する事、パラダイスランドからの誘導弾システムによってロシア・中国連合軍のミサイルが消滅した事、そして何よりもパラダイスランドが日本神国が10年間に渡って国外へと棄老し続けた超後期高齢者達が建国したのだという事が判明した。

「聞くところによれば、パラダイスランドは相当な外貨を保有しているらしいではないか。私は即刻退陣するから、今までの事は全てなかった事にしてパラダイスランドと国交を結び、彼等を我が国に呼び込む序に科学技術と外貨を奪え」

「御意」

 日本神国の大統領猿渡昂三が退陣した。新たに就任した猿渡治は過去を清算したように何もなかった体で、「日本神国フリーダムプロジェクト」と銘打った新たな方針を推進し、パラダイスランドとの国交を樹立した。

 新首相猿渡治が得意げに叫んだ。

「パラダイスランドの皆様、どうぞ日本国ヘお越し、いやお戻りください。お子さんやお孫さん達が皆さんを待っておられます。かつてのように日本神国で幸せに暮らしましょう」

 その言葉をどれ程の人々が歓迎したかは定かではなかったが、表立って反応する者はいなかった。それはそうだろう、パラダイスランドへ棄てられた人達が帰る理由もメリットもない。

 日本神国からの再三に渡るその申し入れに応えるように、パラダイスランド政府から日本神国へと直通列車を創設する「PJループライナー」が提案された。その計画にともなってパラダイスランド国内に20ヶ所の夢の国テーマパークが建設される。

 パラダイスランドから日本神国内、新宿、名古屋、大阪を結ぶループライン構想。開発費用もメンテナンスコストも全てパラダイスランドの資金と技術で行うものであり、夢の国への旅行が可能となるのだ。ビザもパスポートもなし、運賃ゼロ、宿泊費も、テーマパーク入場料、チケット代も全てが無料。

「猿渡大統領、この話に乗らない手はありません。建設コストも維持メンテナンス費用も全てパラダイスランドが負担する上、我が国に年間1000億円の協力費を払うそうです」

 PJループライナー計画は、関係官僚への袖の下が功を奏して順調に進み、人々は開通したと同時に我先にと殺到した。それは当然と言えば当然の事だった。何と言っても、交通費や遊園地はタダの上に、遊興費として100万円が漏れなく付いて来る。更には回数制限もない。つまり遊興費として100万円をもらい、更に100万円をもらう事が可能であり、永遠に回数制限がない。

 日本神国の人々は歓喜し挙って出掛けたのだが、そこに困った大問題が発生した。かなり深刻な問題だった。

 パラダイスランドに足を踏み入れた人々が、帰国しないのだ。軽い気持ちで出掛けた旅行先の居心地が極端に良い、しかも個人の負担はゼロ。まるで天国のような旅行は噂が噂を呼び、パラダイスランドへの入国は日を追って激増し日本神国への帰国者ほぼゼロ、という現象を生んだのだ。

 その当然の結果として、それは日本神国からの人口の激減を意味した。不況と重税に苦しみ制約に嘆く日本神国に、態々わざわざ帰るヘンタイはいないだろう。今や日本神国には、かつて自らを選民と呼んだ人々とその関係者が取り残されるのみとなっている。

 それに気づいた日本神国政府は、即座に出国を禁止したが、それは既に遅かった。日本神国のドームさえ出られれば、その先にパラダイスライド行きのループライナーの駅があるのだ。人々は、次々と全てを捨ててパラダイスランドへと入国した。

 神ノ国ゴールドタワー最上階の一室で、猿渡昂三と猿渡治が「さぁ朝食だ」と叫んでいる。

 今日の朝食は、まずは軟水のスパークリングウォーターと柑橘系ネクターで喉を潤す。次に甘くバターたっぷりのクロワッサンのサクサク感を味わい、更にはカリッとしたバケット。続いてトリュフを使ったスクランブルエッグ、次はメインのラム肉と野菜のソテーで、デザートにストロベリーヨーグルト。最後にベルガモットの香り豊かなアールグレイのミルクティ。が用意されている筈だ。

 当然のように出て来る朝食が出て来ない。それどころか、専用のコンシェルジュも料理人すら姿が見えない。

「誰かいないか?」

「誰かいないのか、私の朝食はどうなっているのだ。早くせんか、馬鹿者」

「使用人が誰もいませんね」

「どうなっているのだ?」

「誰もいない」

「ふざけるな。私を誰だと思っているのだ、私は元大統領の猿渡昂三だぞ」

 猿渡治は、腹立ちまぎれに携帯電話で新副大統領伊久間貫造に連絡を入れた。

「おい、伊久間。朝食の支度が出来ていないぞ。今直ぐに用意しろ」

 そう言われた伊久間貫造は、慌てふためく声で言った。

「全国の使用人達が全員パラダイスランドへ行ってしまったようなのです。食料だけでなくエネルギーも底を突いています」

「何だと、私は元大統領の猿渡昂三だぞ」

「大変だ、大変だ。どうしよう?」

 狼狽する猿渡治の横で、猿渡昂三が得意げに叫んだ。

「そうだ、良い事を考えたぞ。我々もパラダイスランドへ行けば良いのだ」

「なる程、それは妙案です」

 副大統領伊久間貫造からパラダイスランドへ直接連絡を入れ、元大統領猿渡昂三他の要人達が国賓としての訪問したい旨を申し入れた。即日の内に、パラダイスランド政府から「「我々の神ノ国」へご招待しましょう」との回答があった。

 猿渡昂三が「当然だ」としたり顔で言った。猿渡昂三を始めとする神ノ国ゴールドタワーに暮らす上級国民の中の最上級国民達は、総出でパラダイスランドへと向かう事になった。

 PJループライナーの新宿シティ駅改札を抜けた先に、無人自動運転専用列車が待ち構えている。列車は彼等最上級国民達を乗せて時間通りに発車した。

 その途端に、車内から不満、愚痴、クレーム、苦情、文句の嵐が聞こえた。

「何だ、このシートは。もっと上質のものはないのか。この私をこんなものに座らせるとはけしからん」

「車掌はいないのか、挨拶をするのが常識ではないか」

「ワインはないのか」

「キャビアを持ってこい」

 溢れる愚言に対応する者はなく、無人自動運転列車はパラダイスランドへと高速で走った。そして、何故かパラダイスランドに到着する手前の駅で停車した。

「何故、ここで停車するのだ?」

「ここはどの辺なんだ?」

「GPSによれば、旧小田原エリアです」

「パラダイスランド擬駅、パラダイスランド擬駅、終点です。お忘れ物のないようにお降りください」

 無人のパラダイスランド擬駅に雪が降っている。駅前には柱と天井のみの掘立小屋があるだけで、他には何もない。

「パラダイスランドは、一年中常夏の天国なのではなかったか。こんな極寒の地で止まらずに、早く出発しろ」

 そこは、現在「パラダイスランド擬駅」となっている。かつて日本神国を追われた超後期高齢者達が棄てられた場所だった。掘立小屋には今も壁はない。

 PJループライナーの無人専用列車は、駅に止まったまま動こうとしない。次第に最上級国民達が騒ぎ出すのは必然だった。駅構内では、終わる事なく「終点です」のアナウンスが続いている。

「何とかしろ。私を誰だと思っているのだ、無礼者」

「そうだぞ。パラダイスランド政府へ直接連絡を入れろ」

 パラダイスランド政府からは、「その列車は特別な場所「我々の神ノ国」行きで、日本神国では「神格ノ国」と呼ばれていた場所です」との回答があった。

 その状況に、猿渡昂三が激怒した。激怒したが、だからと言ってその状況が変わる筈もなく、仕方なく最上級国民達は極寒の地を歩かざるを得なかった。途中から空軍機に救助され、政府施設のある新宿シティまで命辛々戻ったのだった。

 神ノ国ゴールドタワーへと辿り着いた猿渡昴三の怒りは未だ収まらない。異常とも言える程の怒りは当然の如くパラダイスランド政府へと向けられた。

「伊久間、パラダイスランドに宣戦布告しろ。国賓として丁重に専用列車を走らせてしかるべきものを、途中の極寒の駅に置き去りにするとは言語道断だ。目にモノ見せてやるぞ」

 その言葉に促された日本神国は、パラダイスランドに向かって数百発のミサイルを発射し、続けて空爆機から核爆弾を投下した。

 だが、全てのミサイルも核爆弾も、ロシア・中国連合軍との戦闘時と同様に、着弾の寸前でパラダイスランドの誘導システムによって太平洋の彼方へと消え去った。

「来る者拒まず」を基本理念とするパラダイスランド正式国名「知徳幸国」政府は、日本神国の核ミサイルを弾き飛ばした後も変わる事なく入国を歓迎した。

 日本神国がパラダイスランド問題に頭を悩ませている頃、宇宙から虎視眈々と地球侵略を狙う者達がいた。彼等はオリオン座の三ツ星の一つ、恒星δデルタ系属αアルファ星を追われた者達だった。天の川銀河の端から電波を発信し続ける愚かな地球人の希望を叶えるべく、α星人はオリオン座から1240光年を飛んで来たのだ。

 彼等の科学力は桁違いだった。地球外宇宙からの攻撃準備が完了したα星人は地球目掛けて光の塊を投下した。

 目標地点には特別な意味はなかったが、地球上のどんな武器よりも破壊力を持った光の塊が中国のゴビ砂漠に落ちた。途端、途轍もなく巨大な穴が開いた。砂漠と周辺の都市は瞬時に消滅した。

 αアルファ星人の宇宙戦艦は、次に海に浮かぶ小さな島に狙いを付けた。

「大統領、次は我が国が狙われる可能性が高いと思われます、如何致しますか?」

「ヤツ等に核ミサイルを撃ち込み、我等の攻撃力の高さを教えてやれ」

 日本神国から発射された核ミサイルは、地球外宇宙に留まるαアルファ星人の巨大な宇宙船に届く前に迎撃されて消えた。そして、巨大な宇宙船から再び光の塊が落とされた。光の塊は日本神国の新宿シティに向かっている。

「大統領、駄目です。迎撃出来ません」

「これまでか……」

 その時、パラダイスランドから二筋の赤い光が発射された。二筋の赤い光は、一方でα星人の光の塊を弾き飛ばし、もう一方で地球外宇宙に留まるその巨大な宇宙船を貫いた。

 既に誰もが知っている通り、行き場を失い絶望した超後期高齢者の爺婆が建国したパラダイスランド正式国名「知徳幸国」は高い戦力を保持している。飛来する宇宙人でさえ足元にも及ばない。

 その後もパラダイスランドへと移住する若者達が後を絶たず、結果的に日本神国は衰退したままパラダイスランドに吸収されていった。

 高齢者を老人という前提の下に扱う日本神国は必然的に衰退消滅し、一個人として扱うパラダイスランドは世界有数の大国となった。

 一国の生産性を上げる方法の一つとして、非生産要素を排除する事は重要だ。その中に高齢者が含まれる事も世の中の流れなのだが、日本の総人口が既にピークを過ぎて今後も少子高齢化が進み続けていくと確実視される状況で、高齢者の排除が何を意味するのかもまた重要なファクターとなる。

 高齢者の価値とは何だろうか。

 それは、「高齢者が長年培ってきた知識と経験こそが貴重であり、それを十二分に活かす事が企業の競争力の源泉になり得る」と、昔から言われている。

 だが、本当にそうなのかと言うと、残念ながらそうではない。その考え方自体が老化してしまっている。現代のSNS至上主義の環境の中では、高齢者達の知恵も経験も既に使い物にはならない。同レベルの、いやそれ以上の知恵や情報やコツまでもがSNSで簡単に手に入るし、経験に至っては世の中のスピードに追い付けずに過去の遺物となっていて、古臭くて役に立たないのだ。

 では、高齢者の本当の価値とは何だろうか。

 それは、年齢に関係なく社会で継続して得られる知識、経験である。高齢者という前提ではなく、人としての継続的な価値を見出す事こそ、少子高齢化をこなしながら社会が必然的に進化していく絶対条件となる。

 アメリカの実業家サミュエル・ウルマンが言うように『人は歳を重ねただけでは老いない。理想を失う時に初めて老いが来る』のだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時空超常奇譚3其ノ壱〇. AXIA/姥捨て山パラダイス 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ