第22話  こんな所で終わるのか? ……いや、終わらせねぇ!

 俺は嫌な予感がして、彼女の目をチラッとみた。


(どうしたんですか!? ここからオチですよ!?)


(その……)


(もしかしてネタが?)


(……飛んだ)


 ——マジか。


 僅かコンマ一秒にも満たない時間だったが、俺たちはアイコンタクトで会話した。


 今までの練習では、噛むことはあってもネタが飛ぶことはなかった。

 よりにもよって、このタイミングで飛ばなくても——


(ど、どうしよう……)


 部長がチラチラとこちらを見てくる。

 どうにかして、乗り切らないといけない。


 が、俺まで頭が真っ白になった。

 続きどころか、終わりまで全て思い出せない。


 さっきまで、手足は震えていなかったのに、今はガクガクだ。力が抜けて、その場に座り込みそうになる。


 観客も、俺たちの唯ならぬ雰囲気を察したのか、ザワザワとし始めた。


 既に部長は涙目だ。意地で流していないだけで、あと少しすれば一滴、二滴と目の端から留めていた涙が溢れ出してくるだろう。


 俺も、泣きそうだ。


「あっ……えっと……」




 ここで終わるのか……?



 今までの努力も無駄に終わるってのか……?



 イヤだ!



 でも……



 どうすれば……







「頑張れええええええええええ!!!!!!!」




 突然、出入り口から聞き覚えのある男性の声が聞こえた。


 声がした方を見ると、息を切らした父さんがいた。


 今日は仕事だったんじゃ……


 よく見ると、汗をかいて髪も乱れてボサボサだった。

 仕事が終わって、そのまま真っ直ぐここへ来てくれたのか?


 父さんと目があった。


(頑張れ! まだ、終わってないぞ!)


 そう言われた気がした。

 それと同時に、母さんから聞かされた父さんの言葉を思い出す。


(——そうだ、俺は天才だ。父さんの子で、叔母さんに認められた男だ! これくらいで焦ってどうする!)


 真っ白だった頭が、一気にフル回転しだした。


 この空気を爆笑に変える方法を見つけ出す。

 あらゆる言葉が脳裏を横切っていく。


 ——違う、それじゃダメだ。これも違う! 違う! 違う!




「頑張れっ!」


「焦るなあああ!」


「大丈夫だぞー!」


「俺たちは最後まで聞くから安心しろー!」


「いけるいけるっ!」


「ファイトオオオ!」



 父さんの声に続くように、至る所から声援が上がった。


(部長、泣いたら——ダメですよ?)


(わ、分かってる! でも、さっきとは、ちっ、違う涙が出そうなんだっ……)


 俺たちは、涙を堪えるので精一杯だった。


 こんなに応援してくれる人がいるんだ。声援に応えないで、何がプロになるだ!


 部長の左目からツーッと涙が流れ落ちる。


 ネタが出てこない俺たち、応援する観客——おかしな構図だった。


(部長っ! ぶっつけ本番ですけど、付いて来てください! ここからはアドリブです!)


 俺の言ってることが伝わったのか、一瞬目を見開いた部長だったがコクッと頷いた。


 大きく息をし、気持ちを落ち着かせる。


 そして、俺は台本にはない言葉を——この場で考えた言葉を紡いでいく。


 内容も、オチも違うが、今の俺たちなら出来るという確信があった。



 冬「そ、それで、どんなラーメン作るんですか? そもそも丼に冷たいラーメンっていうのは……」


 夏「——初めに、冷たい麺とスープを平皿に盛る。もう、ラーメンは丼という時代は終わったのだ!」


 冬「卵はどうするんです? 目玉焼きでも乗せるんですか?」


 夏「いや、半熟の煮卵を廃止する!」


 冬「何でですか! あの、トロトロの卵があるからラーメンの美味しさもアップするんじゃないですか!? それとも、あれじゃ、食べた気にならないって言うんですか!?」


 夏「そうだ! あれは一個を半分に切っただけで、ちょっとしか無いだろう? 二口で食べ終わるし」


 冬「じゃあ、どんな卵なら良いんですか」


 夏「薄焼き卵を細く切ったものなら、沢山入ってる気がするから良い」


 冬「他の具材はどうなんですか?」


 夏「あとは、チャーシューもロースハムに変える。ハムなら歯に挟まったりしないし、ヘルシーだ」


 冬「今の世の中、女性ウケも意識しないといけませんからね」


 夏「海苔は歯に付いたりするから、人前で笑えなくなる。それなら、私の好物である紅生姜にした方が良いな」


 冬「……ん?」


 夏「メンマは歯応えのために入れてると思うから、きゅうりの細切りでも変わらないだろう」


 冬「…………あれ?」


 夏「以上の事を踏まえて——私は究極のラーメンを考えた! 冷たい麺とスープに紅生姜、薄焼き卵、胡瓜。そしてロースハム。あぁ、トマトを添えても良いな。完璧だ! 人類の歴史上、ここまで万人に好まれるラーメンはない! 私はこれを——夏音ラーメンとして文化祭で売りたい!」


 冬「いや、それ冷やし中華っ! 結構前に生まれてますからね!? 途中から怪しいとは思ってましたけど、冷やし中華ですよね!? 勝手に名前つけて、自分の手柄にしないでください!」


 夏「なーんだ、もうあるのか」


 冬「どうせなら、柑橘ラーメンとか野菜ラーメンとかにして下さいよ」


 夏「そうだな……って、野菜ラーメンはタンメンじゃないか!」


 冬「バレましたか。夏音さんなら分からないと思ったのに」


 夏「やっぱり、飲食系はダメだな。日本に住んでたら食べ物の革命なんか、そうそう起こせるものじゃない。うん、決めた! 文化祭ではバニーガール喫茶をしよう!」


 冬「コンプラ的にアウトだよっ!」


 夏・冬「「どうも、有難うございました!」」




 俺たちが終わりの挨拶をすると、客席からは万雷の拍手と大歓声が起こった。


 何百人という観客がスタンディングオーベーションをするという光景に、俺たちは我慢できず涙を流してしまった。


 部長に至っては、笑いながらワンワン泣いていた。


「ハハッ……そんなに、なっ、泣いたら、後で目が……目が腫れますよ」


「……うぅ……冬馬だって、おっ、同じくらい泣いてるじゃないか」


 俺たちはもう一度、客席に頭を下げた。


 父さんたちの方を見ると、みんな泣いていた。


 稲荷家はもちろん、笹塚さんまで。

 それだけじゃない。観客の殆どが、泣きながら拍手を送ってくれていた。


「さすが俺が認めたライバルや」


 袖に戻ると、勇雄がウンウンと頷きながら称賛の言葉を送ってくれた。


「あのぉ、練習の時と内容が違いましたけど、もしかして……」


「あぁ、アドリブだ」


「勇兄ぃ、やっぱり部長さんたちは凄いなぁ!」


「当たり前や! ワイのライバルやで! ネタ飛んだ時はどうなる事かと思うたけど、実力で乗り越えやがったわ! ハッハッハッ!」


 本当に、あの時は冷や汗が止まらなかった。


 部長がアドリブに付いてきてくれたから成功したんだ。

 本来なら、やっぱり凍ったラーメンやないかーい! って言うオチだったんだが、アドリブのオチの方が面白かった。


「勝負は?」


「あの大歓声が聞こえへんのか? 冬馬たちが袖に戻っても拍手が鳴り止んでへんやんか。誰がどう見ても、お前の勝ちや。せやけど、次は負けへんからな!」


 そう言って、勇雄が右手を差し出した。


 俺はその手を握り返し、俺たちの文化祭は幕を閉じた。



 その日の晩、風呂上がりにリビングに行くと、父さん達はバラエティ番組を見ながらビールを飲んでいた。


「——父さん」


「何だ?」


「あのさ……あの時は、ありがとう」


「プロになりたいんだったら、あれくらい出来て当然だ」


 父さんは振り向くことなく、そう言った。

 それでも、声色はいつものトゲトゲしたものでは無く、優しかった。


「とか言いつつ、終わった後もずっと一人で泣いとったで」


「そうそう。私も感動して泣いてたのに、お父さんが子供みたいに泣くものだから涙が引っこんだわ」


 父さんの耳は赤く染まっていた。

 俺は父さんの隣まで行くと、頭を下げた。


「父さん、今までごめん!」


「まあ、その、なんだ……よく頑張ったな」


 そう言って、ワシワシと俺の頭を撫でてくれた。


 こうやって父さんに撫でられたのは、いつぶりだろう。

 嬉しさが溢れて、涙が止まらなかった。


「フフッ、仲直り出来たわね」


「ホンマに世話のかかる親子やわ」


 俺は、今日という日を忘れないだろう。

 これが俺、稲荷冬馬のお笑い人生の始まりだった。


 次の日、駅の改札で俺たちは叔母さんを見送った。


「冬馬と夏音ちゃんのおかげで、芸人を目指してた頃の気持ちを思い出したわ。ホンマにありがとな!」


 叔母さんはもう一度、お笑い芸人になるために元相方に会ってくるそうだ。

 目の奥をメラメラと燃やしながら、東京ばな奈を持って大阪に帰って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お笑い部! 紅掛 天音(べにかけそらね) @benikake_sorane

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ