第14話 荒れた嵐の中で


 轟々と猛り爆ぜる様に荒れる波飛沫が、強風によって加速した土砂降りの雨粒と共にまるで銃弾の様に体中を撃ち付けていく。

 乱雑に押し寄せる荒波がレガシー号の船体を激しく上下左右へと揺さぶり新造の船体がギシギシと軋み悲鳴を上げる音が吹き荒れる風の壁を超えてここまで聞こえてくるほどだ。


「安全索、移動物の固縛をもう一度確認しろ! 」



「縮帆! 前檣フォアマスト大檣メインマストはメインセイル以外全てだ! 」



海錨シー・アンカー投入用意! これ以上嵐が酷くなる様だったら海錨を入れて無理せず漂泊する! 」



「甲板に砂を撒け! 滑って海に落ちても助けられないと思え! 」



 矢継ぎ早に乗員に指示を出しながら、俺は雨とも波飛沫とも分からない水でずぶ濡れになっていた。

 いや、俺だけではない。甲板で作業している俺を含めた乗員全員がずぶ濡れになりながら必死になってこのレガシーの操艦を行っている。


 この時代…………と言うか帆船が主流の時代において、当たり前だがGPSや無線なんて無い。自力で船を動かすことの出来る蒸気機関や、浸水してもそれを最小限で食い止める水密隔壁なんて物も無い。

 もし嵐の中で遭難、ひいては転覆からの沈没なんてしようものならば…………俺やケイスケの様なプレイヤーは兎も角としてここにるNPC全員は死して海へと還る事になるだろう。



「船長さん…………あんた、様になってんなぁ…………」



 俺の後ろでレガシーの構造物に必死に掴まっている件のケイスケも、例え死んでリスポーンすることが出来るプレイヤーだとしても今この瞬間においては俺が守るべき1人でしかない。



「ケイスケ、死んでリスポーンしたく無ければ船内に戻れ。」



「冗談でしょ? こんなビックイベント、逃す訳にはいかないって! 」



「はぁ? …………ビックイベントだと? 」



 ケイスケの言葉に、俺は思わずそう聞き返してしまった。

 いや確かに、俺達プレイヤーからしたら嵐の中を航行するなんて滅多に遭遇する事なんて出来ない事だろうが、それは現代の幾重にも渡る技術革新と安全対策の末に感じえる事であって、ことこの帆船時代において…………ひいてはこの世界で必死に生きるNPC達にしてみれば、ケイスケの発言は不謹慎ではないのだろうか。


 …………いや、もしかしたら彼もそこまで考えていないのかもしれない。


 そもそもとして俺の様にこの世界のNPCに対して生身の人間を相手にしている様に振舞っているプレイヤーの方が珍しいのだろう。確かにこのゲームのNPCは高性能な学習型AIを搭載しているから今までの定型文しか返さなかったNPCに比べれば格段に人に近い。


 しかし、本当はゲームはゲーム、現実は現実と綺麗に割り切れる方が良いのかもしれない。俺はこの半年ゲーム内時間では1年間を多くのNPC達と過ごしてもうプレイスタイルを変えるなんて事は出来ない。



「だってよ船長さん、考えても見ろよ? 嵐なんてどの交流掲示板でも書かれていない特殊天候なんだぜ? 」



 俺達と同じ様にずぶ濡れになりながらも喜々としてそう言葉を放つケイスケに、俺はますます疑問の念が深まってしまう。

 確かに嵐なんて早々発生する事なんて無いが、それでも俺がこのゲームを始めて半年の間には既に数回は遭遇している。一体この嵐の何がそこまでケイスケを嬉しがらせるのか、俺にはそれが分からなかった。



「なぁなぁ船長さん。ものは相談なんだけどさ、この嵐の情報を掲示板に報告してもいいかい? 」



 轟々と響く風の音に負けない位の大声で、ケイスケは俺にそう叫ぶ。



「嵐くらい好きに書いたらいい。別にこの嵐は俺の物でも無し、なんなら寧ろない方が良いに決まってる。」



「おぉ……ありがと船長さん! ついでに情報ソースとして録画しても良いか? 」



「はぁ…………好きにしろ。終わったらさっさと船内に戻れよ?」



 曇り空の薄暗い世界の中でも爛々と嬉しそうに輝くケイスケの瞳を受けながら、俺は吐き捨てる様にそう返した。


 ギシギシと悲鳴を上げる船体が大きくその船首を持ち上げる。急激に傾斜する甲板の上で、俺は無意識に足を開いて踏ん張った。

 どうやらレガシーは波へと突っ込んでしまった様だった。蛇がその鎌首を持ち上げるが如くレガシーは艦首を上げ、そして数舜の時を置いて今度はジェットコースターの如くその艦首を急激に海面へと落とす。


 海面へと打ち付けられる船体。その衝撃で舞い上がる波飛沫が白い壁となって甲板に居る俺やケイスケ、そして乗員達を海へと押し流そうとして来る。

 口の中に海水が入り、あまりのしょっぱさに俺の顔が歪むのが分かった。


 滑り止めに甲板に撒いた砂は一瞬のうちに波に流され、負担を減らす為に展帆している帆の数を絞ってもマストはギシギシと嫌な音を奏で続ける。リアルを含めそれなりに海を経験していた俺でさえも構造物に掴まって堪えなければ耐えられなかった程だった。


「おわっ!? 」



 波飛沫が落ち着く間もなく、俺の後ろからケイスケの慌てる様な声が上がった。

 慌てて俺が振り返ると、ケイスケは波を受けて仰向けに倒れていた。しかも、間の悪いことにレガシーは風と波を受けて左へと傾いている。

 滑り止めの砂が流され、水に濡れて滑りやすくなった甲板をずるずると海へと滑って行くケイスケに、俺は思わず悪態をついた。



「バカが! 言わんこっちゃない! 」



 咄嗟に俺はスライディングする様に駆け寄ると右手でケイスケの腕を掴んだ。ぐちゅりと、大量の雨水と海水を含んだケイスケの服の感触の確認して、俺は反対の左手を腰へとまわす。


 腰の鞘に納められた作業用の小さなナイフを一気に引き抜いて、その勢いのままナイフを甲板へと突き立てる。

 ガツンッと、硬い甲板のチーク材を叩いた感触と共に左手に鈍く痺れた感触が襲ってくるがそんなモノ関係ないと俺は強くナイフの柄を握りこんだ。


 幸いな事にこの安物のナイフは3分の1ほど甲板のチーク材に突き刺さり、ストッパーとなって俺とケイスケが滑り台の様に滑ってレガシーから海へと落ちる事を留めてくれた。


 波が通り過ぎ、船の横揺れがある程度収まった頃を見計らって俺はケイスケから手を離した。

 甲板へと突き立てたナイフを引き抜いて腰の鞘へと納める。そこではたと、俺自身もケイスケも安全の為に命綱を付けていた事を思い出した。

 咄嗟の事とは言え、俺自身も冷静な判断が出来ていなかったと痛感させられる。命綱の事を忘れていなければもう少し安全に助ける事も出来たはずだ。あまつさえ雇われた身で借りものの船にナイフを突き立てる事などしなくても良かったはずだったのだ。



「おい、無事か。」



 一端収まったとはいえ、船の動揺は続いている。いつ再び大きく揺れるか分からない状況でケイスケへと視線を戻せば、彼は放心した様に甲板へと座り込んでいた。



(チッ!)



 俺は思わず小さく舌打ちをしてしまった。いや、この場合ケイスケを責めるのは間違っているとは俺も理解している。船と言うのは出港すれば港に帰るまでその毎日が実戦だ。特に帆船が活躍した時代は現代よりも多くの技術、知識が足らない。


 今回の様な嵐に食料の保存技術の未熟さによる壊血病、航海の日数にもよるが長期の航海では致死率は酷い時では乗員の半数を超えた。

 この世界のNPC達も殆ど変わらない。そんな過酷な海の世界で生きる彼らと、現代を生きるケイスケとじゃ違っていて当たり前なのだ。


 当たり前なのだが、今は嵐の真っ最中だ。そんな中でへたり込んでいては再び命の危険だって十分にありうる。



「だから言っただろうが。死にたくないなら大人しく船内に戻っていろ! 」



「あ…………あぁ…………」



「また怖い思いをしたく無かったらさっさと立て! 」



 俺は呆然とへたり込んでいたケイスケを無理くり引っ張り上げて、最低限怪我がないかを調べる。とは言っても、此処はゲームの世界だから目に見える怪我を負う訳も無し、グロ表現もある程度規制されているので外観上分かる訳はないのだが。


 そうして軽く調べた後、俺はケイスケが付けていた命綱を外してやってから船内へと降りる階段ラッタルへと放り込んだ。

 やはり怖かったのか、今回はケイスケも素直に俺の言葉に従って階段を下りて行った。



「…………まったく。」



「お疲れ様です、船長。」



 きちんと降りて行ったことを確認してから誰に言うでも無くそう零した俺に、ウィルから当直ワッチを交代して舵を握っていたヘンリーがそう労ってくれた。



「後で、パッシャーさんに謝らないとな。」



 そう返しながら、先ほどナイフを突き立てた甲板部分を振り返った。つい先ほどナイフを引き抜いたばかりのその場所は既に雨水と海水で小さな小さな水溜まりとなっている。



「なに、事情を話せばパッシャーさんも分かってくれますよ。」



「…………そうだな。」



こんな状況でも、ヘンリーは笑ってそう俺に言葉を返してくれた。釣られる様に、俺もヘンリーへと笑って見せた。


船長として初めての、しかも新造船の処女航海で嵐に遭遇するとは何ともついていないが…………逆に言えばこの嵐を乗り切れれば、レガシーは連合王国においてその価値を1段も2段も上げる事だろう。



「後の事はひとまずこの嵐を乗り越えてから考えるとするか。」



「なぁに、この嵐で遅れ分を一気に取り戻して見せますよ! 」



きゅっと俺は気を引き締める意味でも自身の命綱を改めて締め直す。この航海は未だ半分も終えていないのだ。



船首を風上へホイール・ア・ウェザー! ギリギリまで風に切り上がって横波を回避する。」



「アイ・サー! 船首を風上へ! 」



俺の号令と共にヘンリーが勢い良く舵輪を回す。レガシーもまるで我々に答えてくれるかの様に荒れる海面を切り裂いて白波を立てて行く。



適帆トリム合わせ! それとスパンカーに風を受けすぎるなよ! この嵐だ、破れたら予備帆に張り替える事は出来ないからな! 」



「「「アイ・サー! 」」」



この嵐の中でも無駄なくスマートにその仕事に取り掛かる乗員達の姿は、流石連合王国が他国に誇る一流の船乗り達だとそう改めて思う。

それに教国の船を追い返したのも効いているのかもしれない。勝ち戦と言うのは部隊の士気を高めるには最も効果的な物の1つだ。勿論上がり過ぎても困るが、今回の場合は嵐の前に士気を上げることが出来たのは今日1日不幸続きの中で唯一の幸いだったのかもしれない。


日も落ち始め、厚く重い雲のせいで普段より暗い視界の中で、カンテラに淡く照らされる甲板は正しく戦場のごとしなり。



汚水ビルジの量も気になる。かなり波の被ってるから船の底にかなり溜まっている可能性もあるし、もしかしたらポンプで排水する必要があるかもしれん…………」



(俺に乗り切れるだろうか…………)



心配ごとは尽きない。波も風も雨も、未だ収まらないこの暗く荒れた海原で吐いた俺の言葉は、幸いにも轟々と吹き荒れる風の音によって誰にも聞かれることは無かった。




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福音の風を帆に ミヤフジ @miyafuji1945

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