なあ長平よ、無限に降り積もる雪が今年も私の腰を壊すんだ
和田島イサキ
雪風は燃ゆ、後れ咲きの午時葵の丘に
「ファック」
かいてもかいても無くなる気配のない雪に私の腰が限界を迎えた。心はとっくに折れていた。一時間かけてどうにか出庫できるようにしたはずの愛車が、再び埋もれかけているのに気づいて悪態が漏れた。最近見始めたドラマの主人公の口癖。嘘だろ。そう言ったつもりがなぜか周囲に響いたのは「ファック」の一語で、それすら白い雪に吸い込まれて消えた瞬間、もう何もかもがどうでもよくなった。もういい。どうせ人間は死ぬ。
本はあまり読まない方だけど神林長平だけは知っていた。同郷のよしみだ。彼の著作に『戦闘妖精・雪風』という名作雪かき小説があって、私は常々「こんな世の中が早く来ればいいのに」と思っていた。雪かきという作業に何らの適正を持たない我々人類の代わりに、AIが雪をかく時代。作中では作業員ひとりの命が犠牲になっていたけど、その程度で済むなら安い買い物だ。水分を含んだ雪は重い。地球や人ひとりの命よりも明らかに。現に毎年何人かは
再び車庫の前が埋もれる前に愛車を出す。道すがら、スマートフォンで当日の搭乗券を取って、そのまま空港へと直行した。もう知らない。帰宅後に家が潰れていようとどうだって。
南へ。とにかく、雪とは縁遠い常夏の楽園へ。選択肢はわずかだ。折からの寒波は凄まじく、日本海側は全国どこでも雪模様という有様。それでもその島への直行便がまだ動いていたのは、まったく幸運というより他にない。
トロピカル因習アイランド村。
聞いたこともないけどそういう離島の村があるとかで、名前の通り雪とは無縁の行楽地らしかった。因習についてはこの際どうでもいい。雪がないこと、それだけが今の私のただひとつの望みだ。到着次第スマートフォンは捨てた。SNSでは雪にはしゃぐ芝犬の動画などが大量に流れてくる。私は芝犬が好きだ。あんなに愛くるしく可愛らしい生き物を、心の底から憎悪し呪う私にはなりたくなかった。
ひとり旅は苦手だ。宿の安心感が好きで、チェックインするとそのまま篭ってしまうから。誰かを案内するかそれともしてもらうか、道連れがいないといまいち旅行らしくならない。それで連れてきた。
確か今は写真家だったはず。その前は博士だった。生物なんとか工学の助教。本当かは知らない。何を研究しているのか聞いても全然教えてくれないどころか、年がら年中就職活動ばっかりしていた。そういうものだ。若手研究者の活動の九割は就活、就活が終わり次第つぎの就活が始まるのだと何度も聞いた。寄る辺無き永遠の遊牧民。象牙の塔というのは不思議なところだ。想像できない。学のない私には何ひとつ。
九州だか四国だかの大学に長年いたのが、前触れなく出戻ってきて写真家を名乗り出した。何、というか、誰、と思った。理屈屋っぽくてとっつきにくかった性格が、でも随分ゆるゆるガバガバの直情型破滅思考になっていて、人間は一度壊れると元には戻らないんだなって知った。終わりのない就活を繰り返すと人間は壊れる。気づけば
南の国へ行ってみたかった。壊れてもいい。なんだったらそっちの方が楽しそうだし、と、幼なじみの開きっぱなしの瞳孔を見るにつけ思った。こうなりたい。この世のあらゆる苦痛に対して鈍くなれたら。積年の思いがついに爆発して、気づけばそこは常夏のビーチだった。ド派手なビキニの水着をリボ払いで買い、アホみたいな値段のバナナボートをわざわざレンタルして、名物のトロピカル因習タピオカ焼きをもしゃもしゃ頬張りながら常夏リゾートを練り歩いた。
我々は無敵だったし世界は輝いていた。
馬鹿みたいにでかい南国の太陽の下、葵とふたり、雪中の散歩に出た芝犬みたいにはしゃぎ回って、ヘトヘトに疲れ切ってホテルで寝て起きたらもう祭壇だった。島の中央、見るからに儀式めいた石作りの祭壇の、その両脇の柱に荒縄で縛り付けられた葵と私。
葵が叫ぶ。いやだ。死にたくない。助けてくれ。腹の底から搾り出すような絶叫は、嘘じゃないけど本当でもないなと私にはわかった。我々はもうだめだ。もうだめだからこんなところで年甲斐なくビキニを着てココナツジュースなんか飲んで大はしゃぎしちゃったのであって、だからこうなることは大体わかっていた。そのために来た。なのにここへ来ていまさら大声で叫ぶのは、それが我々に課せられたここでの役目だと理解しているからであって、そういう察しのいいところはさすがに葵だなって思った。だから私も叫んだ。隣の賢い幼なじみに倣って、いやだ、死にたくない、助けて、と。
別に死にたいなんて思ったことはない。
ただ、生きているような気がしなかっただけだ。
冬の間、ほとんど陽の光が差さない不毛の土地で、ひたすら雪をかき続ける人生が嫌だった。無限に繰り返される田植え稲刈りも嫌いだ。マインクラフト始めたての小学生が、思いつきで作ったみたいなデザインの県庁舎を見るたび、この世のすべてを呪う気持ちを新たにしてきた。葵は無事に逃げたと思った。大学なんかに行くような生意気な奴との
どうして帰ってきた。なんでまた私と同じところにいるんだ。叫び出したくなるようなその現実は、でも三十歳の折れた心には少し遅かったみたいで、グッと飲み込んで「おかえり」を言うのになんの苦労もなかった。葵の顔は
いやだ。死にたくない。助けて。
まだ死にたくない。まだ何者でもなく、まだ何もしてないのに。
助けて、誰か。誰でもいい。今の我々なんていくらでも贄にくれてやるから、せめて十九の私と葵だけでも逃がして欲しい。我々は無敵だった。こんなんでも人の子である以上、本当に無敵だった時期もあったのだ。葵が東京の大学へ行って、二年目の夏にようやっと帰省して、専門学校生だった私は彼を地元の夏祭りに誘った。高校生のうちにそうしておくべきだったと、一年半たっぷり後悔してきた結果だ。手を握った。着慣れない浴衣を褒めてもらえて嬉しかった。あの夏が最初で最後の分かれ道で、あるいは今とは違う未来もあったのかもしれないと、それが後悔でなくすっかり美しい思い出になってしまっている時点で、きっと我々はもう散って枯れつつある側の命だ。
死にたくないと葵が叫ぶ。負けじと私も。眼下、祭壇の周りに、陽気な島の住民たち。太鼓を叩いて酒を煽り、誰もがみな満ち足りて幸せそうに見える。贄は若い男女のつがいなのだと誰かが言った。満更でもなかった。まるで十九の夏のその先を見ているようで、つまりこの祭壇は我々の故郷でいうところの古民家カフェだ。雪国の人々の素朴な温かさに感動し、やる気に満ちて越してきた若い夫婦は、いま田舎のメンタルクリニックの少なさに絶望している。
そういえば本当に夫婦なのかも知らない。どうでもよかった。夫婦に見えるんだからそれはもう夫婦で、あるいは彼らもそれを欲していたのだろうか。
死が迫る。照りつける太陽が不思議なほど近く、死に場所が雪の下ではないことに安堵する。いやだ。死にたくない。助けて。真面目にやっているというにはあまりに少なすぎる語彙に、捻りを加えようと余計な色気を出すから失敗する。最近見始めたドラマの主人公の口癖。嘘だろ。そう言ったつもりが、なぜか南国の空に「ファック」が高らかと響いて、それだけなら別段どうということもなかったはずなのに。
「ファック」
隣から響く、幼なじみの聞き慣れたその声が、私の頬を太陽よりも熱くする。
忘れた。その一瞬、私が三十路であったことを。戻る。十九のあのヘタレの小娘に。
太陽が近い。
太鼓のリズムがそのテンポを増し、宴のクライマックスはもう目の前だ。
心が弾む。こんな南国に生まれるのもいいかもしれない。でも、次に生まれるなら私は芝犬にする。
ならば目を閉じ、祈り、ただ思い描こう。
あれだけ恨み呪った無限の白雪の中を、はしゃぎ駆け回る金の弾丸となった我々の姿を。
〈なあ長平よ、無限に降り積もる雪が今年も私の腰を壊すんだ 了〉
なあ長平よ、無限に降り積もる雪が今年も私の腰を壊すんだ 和田島イサキ @wdzm
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