29話

 春ちゃんとキスしてから二日後の金曜日。放課後になって、私は一人で文芸部室へ向かっていた。

 

 色々ありすぎた一昨日は、私の中では「春ちゃんとキスした日」に落ち着いた。結局あれが一番印象に残っちゃってるし、私の心の中でぐらいはそう呼ばせてほしい。

 春ちゃんはあれからキスについて全く触れないけど、夢だったわけじゃないよね……?

 

 昨日は光ちゃんに一昨日のことを話していたら一日が終わった。仲直りしたことと、お付き合いすることになったことを話して、キスとかは伏せておいた。春ちゃんの心を見たら全部わかっちゃうのかもしれないけど。

 

 もし私の心も光ちゃんに見えていたら……それはもう浮かれ放題で、見てる方が恥ずかしくなっちゃうかもしれない。見えなくてよかった。

 

 光ちゃんに相談に乗ってもらってたことを春ちゃんにも話して、光ちゃんに私たちのことを教えるのを了承してもらった。

 付き合ってることは別に隠しもしないけど、大っぴらにもしないぐらいでしばらくはやっていくつもりだ。東さんとか部長さんには近いうちに伝えるかもしれない。

 

 そして今日。春ちゃんは美術部に向かって、柊先輩にお返事をしに行った。それが終わったら、今日はモデルをせずに戻ってくるそうだ。「風花ちゃんと一緒にいたいから」だって。ふへへ。

 

「こんにちは」

 

 部室に入って、久しぶりの部長に挨拶する。会うのは小説を提出したとき以来だから、一週間ちょっとぶりだ。

 

「高瀬さん。こんにちは」

「お久しぶりです」

「久しぶり。全然顔出せなくてごめんね」

「いえ、私も今週そんなに来てなかったですし」

 

 部長さんは春ちゃんが休んでたことも、私が落ち込んで死にかけてたことも知らない。もう過ぎたことなので今更話さないけど。

 

「今日も小山さんは美術部?」

「あ、えっと……」

 

 告白の返事しに行きました、なんて言っても部長さんは告白のこと知らないし、言っていいのかもわからない。ので、

 

「今日は別件で、ちょっと遅れてくるそうです」

 

 嘘か本当か微妙なところで誤魔化しておく。

 

「あらそうなの。じゃあ小山さんとも久しぶりに会えるのね」


 部長さんは嬉しそうに笑って言った。

 久しぶりの部長さんとの会話を楽しみつつ、春ちゃんを待つ。

 

「来週から機関誌が発行されるけど、高瀬さんは次回も小山さんと一緒に書くの?」

「……次回は自分の作品を出したいなって思ってて、だから別々かもです」

「本当? ふふ、楽しみにしてるわね」

 

 書いてみたい物語ができたのだ。

 同級生の女の子に恋した、女の子のお話。

 自分とはまるで違う、違う世界のいきものみたいな女の子に、まっすぐに愛をぶつけるお話。

 

 自分に書ききれるかどうかはわからないけど、チャレンジしてみたい。

 

「こんにちは」

「春ちゃん」

「小山さん、こんにちは〜」


 

 すっきりした表情の春ちゃんが、扉を開けて入ってきた。よかった、大丈夫だったみたい。

 

「部長、お久しぶりです」

「久しぶり。元気にしてた?」

 

 ドキッ。

 

「あー……ちょっと体調崩してたかもです」

「そうなの? 大丈夫?」

「はい。もう大丈夫です」

 

 はっきりとした春ちゃんの言葉を聞いて私も安心する。

 もう大丈夫。春ちゃんも私も、一人じゃない。

 

 その日はおしゃべりにほとんどの時間を費やしてしまって、胸を張って部活動とは呼べない時間を過ごした。久しぶりで部長さんも話したいことが溜まってたみたい。

 最後にちょっとだけ読書をして、私たちは部室を出た。

 

「じゃあまたね。来週もあまり来られないけれど、部室をよろしくね」

「はい。お勉強頑張ってください」

 

 校門前で別れて、部長は私たちとは反対側へ歩いて行った。

 春ちゃんと二人になる。と言っても周りには人もちらほらいるし、イチャイチャしたりはできないけど。

 

「ねぇ風花ちゃん、明日って用事あったりする?」

「えっ、別にないけど」

 

 これはまさか、春ちゃんの方からデートのお誘い!?

 春ちゃんから誘ってくれるのは初めてなので、胸がぐっと高鳴る。というかゴールデンウィーク以来休みの日に遊んだりできてなかったし、久しぶりに遊べるだけで嬉しい。

 

「ほんと? じゃあ、よかったらなんだけど」

「うん」

 

 どこへでも、なんなりと。

 

「今日、うちに泊まりに来ない……?」

「……………………へ?」

「だめだったら、いいんだけど」

「だ、だめじゃない! 行きたい! 泊まりたい!」

 

 お泊まりデートってこと? そんなのって……恋人同士だし、女同士だし、いいのか。いいのかな。

 

「じゃあ、これからわたしの家に一緒に帰ろう?」

「うん。わかった」

 

 やばいやばいやばい。お泊まりって、春ちゃんと一緒の部屋で、あの部屋で一晩過ごすんだ。

 夢のような時間を想像しながら、私は春ちゃんの隣を歩いた。


 


 落ち着かない。

 

 自分の髪からも着ているパジャマからも春ちゃんの香りがして、自分が春ちゃんになったのかと勘違いしそうになる。

 自分のさらさらとは言えない黒髪を指で梳いて、そんな勘違いを掻き消した。

 

 晩ご飯のあと私はすぐにお風呂に入れさせてもらって、春ちゃんのパジャマを貸してもらった。下着はさすがに来る前に買ってきたけど。

 それで今は春ちゃんがお風呂に入っている。

 待ってる間本でも読もうと思って手に持ってはみたけど、さっきから全然進んでなかった。

 

 今日は部屋で二人きりになっても一昨日みたいに触れ合えてなくて、この後何かないかなぁなんてぼんやりと考えてしまう。高望みはしないけど、手を握るぐらいはしたい。

 

「ふわぁ……」

 

 ねむくなってきた。自分の家だったらベッドでごろごろするんだけど、春ちゃんのベッドに飛び込むのはさすがに……

 私は床に座って、ベッドにもたれかかるようにして目を閉じた。

 

 全身に春ちゃんを感じながらまどろんでいると、ドアの開く音がしてハッと目を覚ました。

 

「ただいまー」

「あ、おかえり」

 

 春ちゃんがお風呂から戻ってきた。一昨日も見たパジャマ姿は相変わらず天使で、かわいさに悶えそうになる。抱きしめたい。

 

「ごめんね、時間かけちゃって」

「ううん、全然」

 

 その髪の美しさを保つには、並のお手入れじゃ足りないんだろう。お風呂上がりの春ちゃんの髪は、普段より一際輝きを増していた。

 

「風花ちゃん、ねむい?」

「あー、うん。大丈夫だよ」

 

 私はベッドに腰をかけ直して答える。

 

「ほんと?」

「うん、なにしよっか」

 

 お風呂も終えて、お泊まり会におけるゴールデンタイムが始まった。眠ってなんていられない。

 とは言ってもお泊まりなんて小学校以来で、何をするのが定番なのかはわからない。

 

「じゃあ……」

「風花ちゃーん」

「は、はいっ」

 

 春ちゃんが答えようとすると、春ちゃんママが来て私を呼んだ。

 

「お母さんとお話しておきたいんだけど、携帯貸してもらってもいいかしら?」

「あっ、はい」

 

 私はスマホを取り出して、父とのメッセージ画面を開いて春ちゃんママに渡す。

 

「うち、母はいないので、父なんですけど」

「あ、そうだったの、ごめんなさいね……」

「いえ、気にしないでください」

 

 毎回微妙な反応されるから、あんまり言いたくなかったんだけど。

 春ちゃんママは電話をかけながら部屋を出ていった。目の前で話されるとなんか恥ずかしいので助かる。

 

「風花ちゃん……」

「ん、なに?」

 

 春ちゃんは悲しそうな顔で、私の手を握ってきた。お風呂上がりだからかこの前より温かいその温度に、胸が跳ねる。

 

「わたし、風花ちゃんのこと知りたい」

 

 それは一昨日にも聞いたセリフで、でも明らかに声の温度が違っていた。あの質問コーナーで私のことを結構知られたけれど、そういう上辺の話じゃないのだろう。

 

 家のことも中学のことも、話したってしょうがないと思って話してこなかった。大したことじゃないし、聞かされた方も困るだけだと思っていた。

 

 でも、春ちゃんは知りたいって言ってる。ほんとは一昨日も同じ思いだったけど、ちょっと遠慮してたのかもしれない。

 

「私のお母さん、私を産んだ時に亡くなったんだって」

 

 単純な話だ。

 

「お父さんがあんまりこの話したがらないから、私も全然、詳しくは知らないよ」

 

 本当に、私が知ってるのはそれぐらいだった。

 

「そうだったんだ……」

 

 春ちゃんはそう呟くと、私のことをぎゅっと抱きしめてきた。わわわわわわわ。

 

「は、春ちゃんさん?」

「わたしにいっぱい甘えてくれていいからね」

「えぇっ!?」

 

 別に愛に飢えたりはしていないんだけど……小さい頃は伯母さんとかお婆ちゃんが面倒見てくれたし。

 でも気持ちは嬉しいので、ありがたく受け取ることにした。

 

「……じゃあ、甘えちゃおうかな」

 

 一応、春ちゃんの方がお姉さんなわけだし。

 私は春ちゃんを抱きしめ返

 

「風花ちゃん、電話ありがとう」

 

 さずにさっと離れた。

 

「いえ、こちらこそ」

 

 完全に忘れてた。ギリギリ見られてないよね……?

 

「あ、そうだ。お布団持ってくるわね」

「ありがとうございます〜」

 

 出て行った春ちゃんママを見送って、ふぅと一息つく。

 

「……お母さんには、私たちのこと言ってないんだよね?」

「うん……やっぱりちょっと怖くて……」

 

 あのお母さんのことだし、女同士とか気にしないと思うけどなぁ。私は他人だからそんなことが言えるだけかもしれない。

 まあ、教えてたって目の前で抱き合ったりはしないと思うけど。

 

 春ちゃんママが布団を持ってきて、これでいよいよほんとに二人きり……だよね?

 

 部屋には微妙に気まずい空気が流れていて、私たちはほとんど話せなくなっていた。とりあえず布団を床に敷き、いつでも寝られる状態にしておく。

 

 もう一回ぎゅっとしてほしいけど、さすがにそう言うのは恥ずかしい。甘えていいとは言われたけど、それで甘えられるほど私は器用ではないのだった。

 

「あの、さっきの話の続き、してもいい?」

 

 おそるおそるという様子で、春ちゃんがそう聞いてきた。さっきの話……私のことを知りたいって話のことだ。

 

「うん、いいけど」

 

 続きも何も、私から話すことはもうない。他に言ってないことも思い浮かばないし。

 春ちゃんは真剣な表情で私に向き合い、口を開く。

 

「わたしね。風花ちゃんが喜んでくれるなら、風花ちゃんが幸せならそれでいいって思ってた。いや……思ってたんじゃなくて、勘違いしてた」

 

 勘違い。私たちをすれ違わせた、諸悪の根源だ。

 

「わたしは自分が思ってたより欲張りで、風花ちゃんが大好きだったんだって、やっと気づいたの」

 

 大好きという言葉が、私の心に水滴を落としたように波紋となって広がる。

 

「だから、わたしは風花ちゃんと一緒に幸せになりたい。わたしの欲望を、風花ちゃんに満たしてほしい。その欲望の中には、風花ちゃんを知りたいって気持ちも入ってるの」

 

 春ちゃんは自分の胸に手を当てて、吐き出すように言葉を重ねる。

 

「全部わたしのわがままで、風花ちゃんのためなんてとても言えないけど……わたしは風花ちゃんを知りたい」

 

 その言葉ひとつひとつが、私を春ちゃんの色に染めてゆく。

 

「風花ちゃんを全部、自分のものにしたい」

 

 その願いはあまりにも単純で、俗で、人間らしくて。

 

 私が春ちゃんに抱くものと、全く同じだった。

 

「いいよ。全部春ちゃんにあげる」

 

 私は春ちゃんの頬に左手を添える。すべすべで柔らかくて、同じ人間とは思えない。

 手の甲にはさらさらの髪が触れて、ちょっと生まれた罪悪感は欲望で埋めた。

 

「その代わり、私も春ちゃんの全部が欲しい」

 

 肌も髪も思いも、私だけのものにしてしまいたい。

 

 一昨日のキスが嬉しかったこと、まだ伝えてなかったから。


 私はゆっくりと顔を近づけて、目を閉じる。

 

 今日は私から。一瞬じゃなくて、その感触を深く刻みつけるように、止めた息が苦しくなるまで唇を合わせ続けた。

 

「ん……はぁ」

 

 唇を離した春ちゃんの顔は一昨日よりも真っ赤で、愛おしさが込み上げる。

 

「風花ちゃん……」

 

 とろんとしたかわいい声を出しながら、春ちゃんは私の肩に頭を埋めた。そして背に手を回されて、温もりに包まれる。

 

「……大好き」

「うん、私も」

 

 さっきは甘えていいよなんて言ってたのに、春ちゃんは甘える方が好きなのかな。

 

「頭、撫でてもいい?」

 

 普通、こんなの聞くもんじゃないんだろう。でも私たちはたぶん普通じゃないから、これでいい。

 

「……うん」

 

 こくりと頷くのを肩で感じて、私はおそるおそる綺麗な白茶色の髪に手の平を当てた。人間の髪とは思えないほどさらさらで、ついつい指で何度も梳いてしまう。

 

 春ちゃんの髪のルーツは結局誰もわからなくて、もしかしたらほんとに違う世界の生き物なのかもしれない。

 

 でも今、私たちは同じ世界を生きている。

 これからも、同じ世界を生きていく。

 同じ思いを抱きしめて、ずっと。


 甘えた声で春ちゃんは言う。


「今日、一緒に寝てもいい?」

「うん……うん?」


 一緒に寝るって……そういうこと?

 ちょっと待って! さすがに心の準備ができてない。


 でも春ちゃんが望むなら……初めてだし、うまくできるかわからないけど……

 

 私は覚悟を決めて、春ちゃんとベッドに並んで入った。


 距離が近いのにはちょっとずつ慣れてきたけど、こうやって寝転がってると空気が変わってくる。

 春ちゃんは体をこちらに向けて、黙ったまま恥ずかしそうに目を伏せている。かわいいね。じゃなくて。


「あの、春ちゃん。その……してほしいこととか、あったら、なんでもしてあげるから」

「……ほんと?」


 春ちゃんは上目遣いでこちらを見つめる。心臓はバクバクで、冷房が効いているのに全身には汗が滲んでいた。

 何を言われても動じないように、心を固くして春ちゃんの要望を聞く。


「じゃあ、腕枕してほしい」

「うでまくら」

「うん」

「………………」


 私がすっと右腕を伸ばすと、二の腕辺りに春ちゃんが頭を乗せた。


「痛くない?」

「うん。大丈夫」

「このまま寝ちゃってもいい?」

「もちろん」


 ……いや、別にいいんだけど。

 むしろ腕枕して一緒に寝るとか、素敵じゃんね。近いしあったかいしかわいいし。

 

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」


 春ちゃんは幸せそうに目を閉じた。

 

 まあ、これからずっといっしょにいるんだし。のんびり進んでいけばいいよね。

 

 私はすぐに寝息を立て始めた春ちゃんの髪を撫でながら、ちょっとほっとしたような気持ちで目を閉じた。


 感じるのは春ちゃんの温度、香り、寝息、布団の擦れるかすかな音。

 

 それら全てがかけがえなくて、ずっと感じていたいと思った。

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違う世界のいきもの 斜体 @nekomutebla

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