第9話 灰色の雨

 夜の帳が下りる直前、徹は平屋の家が立ち並ぶ道を歩いていた。

 踏み出すごとに、金属の擦れる音が足音の代わりに鳴る。


 あの後、こっそり徹の動きを見張っていた九繰と共にラスパーを軍事部に届けた。   

 そして諸々のやり取りや手続きを受け、徹は外出を許可されたのであった。


 空にはいつもより暗く重い雲がかかっている。

 生温かい湿った風が吹き、今にも雨が降り出しそうだった。


 兄と二人で暮らしていた平屋の前で足を止める。もう兄は帰っているだろうか。

 戸を叩こうとして、急に怖くなってその手を止めた。


「錠前、壊しただろ」

 戸の向こう側から聞こえた兄の声に、徹はびくりと身を震わせた。

 どうやら徹の特徴的な足音が聞こえていたようだ。


「……ごめんなさい」

「うん。俺も怒り過ぎた。ごめんね」

 声色が思っていたより優しくて、徹はほっとする。


「兄さん、俺、機関の軍事部に所属を認められたよ」

「そうか……」

 戸が開く気配も、兄が出て来ることもなかった。

 きっとまた徹を閉じ込めそうになる自分を抑えているのだろう。


「俺は兄さんがくれた力で、誰かのためになれる人間になるよう頑張るよ。それで出世して、兄さんや鋼上さんに稼いだお金から今までの恩を返して。やりたいことが広がるなあーって」


 徹はわざと明るい声音で話す。

 ぽつぽつと雨が降り出し、大粒のぬるい雫が頬にかかった。

 次第にそれは徹の髪を、服を、鋼鉄の足を濡らしていく。


「兄さんが教えてくれた歩き方で、自分の道を歩いてみせるからさ。……じゃあ、もう行くね。今まで育ててくれて、ありがとう」

 機関に入ったら、徹は粉骨砕身、頑張るつもりだ。だから、ここへは気軽には帰って来られない。この外出も、家族に別れを伝えるための短時間のものだ。


 足を踏み出そうとした瞬間、戸の向こうから声が聞こえた。

「もう守ってあげられないから、何があっても死ぬな」

 幼い頃から傍にいてくれた、大好きな兄の声だった。

 柔らかくて、温かくて、ほんの少し語尾が震えていたことに気が付いた。


 徹はうん、と頷く。そして雨の中、足を踏み出す。

 後ろで僅かに戸が開いたのが聞こえた。けれど、徹は振り返らなかった。

 いつか、お互いに一人で歩けるようになるために、徹は徹の道を進み行く。


 雨の匂いがつんと鼻をつく。

 降りしきる灰色の雨は、まだしばらくやみそうになかった。

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和風スチームパンクのとある兄弟の話 @murasaki-yoka

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